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アゲハ  作者: 鬼京雅
百年老人編
2/67

一幕~柊~

 世界が情報に溢れすぎて人間の覚醒した脳が一部の人を柊と呼ばれる異能力者に変えた。

 ネット社会の開放的な社会構造は人類の情報共有を限りなくスムーズにし、電子機器の急速な進化を促した。しかし急速な成長は必ず何処かに歪を生じるのは過去の歴史通りで、人々は最高のコミュニケーションツールを手に入れたにも関わらずネット上のコミュニケーション能力が対人だと機能しない若者が増え、便利な機械に頼り過ぎる人間からは次の時代を生み出すほどのカリスマがうまれなくなっていた。


 それを憂いた思想行動家の聖光葉ひじりこうようは日本人全体を柊に覚醒させる為の序章として日本の県を排し藩を成す事にしたのである。

 その柊の頂点に立つ光葉は京都の裏社会を統括する京雅院きょうがいんの力と比叡山の霊脈の力を利用し廃県置藩を行い、日本を陸・海・空の全てを霊的な幕である大霊幕で覆い鎖国した。その一連の出来事は光葉狂言と呼ばれ、日本は世界から隔絶した。

 鎖国された日本は江戸時代のような各地区を治める藩が復活し、他藩に入るには昔ながらの手形が必要になった。


 しかし、光葉は柊による横暴な働きは基本的に認めず、一般市民に対しては簡単に黙らせる力を持ちながらも下手に出て廃県置藩を実行した時のような実力排除は一切しなかった。そして人間が畏怖を感じる異能である柊を一般市民の下に配置し、普通の人間がしたがらない様々な場所で努力させた。その行動の全てで光葉はあまりにも堂々と大胆に民意を得た。

 そして混乱と世界から断絶した日々が流れ、三年の歳月が過ぎた。


 京都の郊外の森林が生い茂る光葉村塾の洋館の庭にある大池には白地に紫の揚羽蝶が描かれた着流しの少年と純白の羽織袴姿の優男が池を泳ぐ鯉に餌をあげていた。

 地面に座りながら粉の餌を投げるアゲハは少しづつ細かく餌を投げる光葉に、この前の戦いの事を話した。超直感という柊の力がありながらも、その未来予知のような感覚を生かし来れないという話だった。

集まり出す鯉の群れが口をパクパクさせる姿を見る光葉は餌をそこから遠くに投げ、


「超直感ならば相手に対して先手、先手で仕掛けて行けるからそう簡単に負ける事は無いでしょう。ただし、実力が拮抗していたり上であったりするとその超直感は諸刃の刃としてアゲハに襲いかかるでしょうね」


 それは光葉の言う通りだった。

 実力が同じ相手以上の敵と遭遇するという事は超直感により敵の力量がわかってしまい、自分の思考を萎縮させ逃げ腰にしてしまうものでもあった。

 京、大阪を含めた都市を指す京都藩を中心に関西の各藩を統括する京雅院きょうがいんの暗部訓練生に属するアゲハは霊脈を独占する江戸時代から存在する源空会げんくうかいと日々戦っていた。霊脈を独占し比叡山に篭る源空会との争いは光葉の勝手に霊脈を使用し大霊幕を行い為した、廃県置藩はいけんちはんが原因であり、独自に柊を育成する源空会は京雅院と対立し続けている。


 最近の源空会の活発な動きを見ると更なる強さは必要になる事からアゲハは源空会の拠点である比叡山中腹の霊脈・聖霊の泉で手にした力について聞いた。眉を潜める光葉は淡々と答える。


「確かに聖霊の泉で洗礼を浴びれば更に力は増します。けれども、その力を扱えるほどの器がアゲハにはまだありません」


「オレは最近の任務で源空会の柊だって退けてるぜ。相手が出来て俺が出来ないなんてねーはずだ」


「あの洗礼は柊に覚醒しそうな者の手助けをする為だけのもの。聖霊の泉は強き力を得られるが、その代償は精神崩壊や寿命の短縮などがあります。焦らず、臆せず、確実に自分の身になる修行という痛みを持ってして自分の心の弱さに打ち勝ちなさい。自分の心の弱さに勝てぬ者が一体誰に勝てるのです」


 その光葉の言葉でアゲハの迷いは晴れた。

 どれだけ相手が強大だろうが、真っ向勝負で相手に打ち勝つ姿こそがいつか自分が世界の頂点に目指す為に必要なもの。一次的に得た偽りの力では民衆は決して一人の王を崇拝し続ける事は無い。


(やっぱ光葉の言葉は心に響くな。オレもいずれこの男を……)


 隣にいるはずなのにまるで遥か彼方にいるような距離感をこの男は誰にでも感じさせる。

 そう感じるのはその人物に迷いや不安があるからであり、アゲハは自分の弱さを再確認した事で更なる高みを目指そうと思った。

 そして、京雅会の柊の精鋭暗部である黒百合くろゆりへの選抜試練を一月以内のどこかで控えているアゲハの超直感の話の結論になる。


「超直感は事前の危険回避や相手の弱点などを感覚として理解する力がある。能力としては途方もない力とか、音速の歩行術などの明らかに誰でもわかる力ではない。けども、それがアゲハの強さですよ」


 よくわからないがアゲハは光葉がそう言うならそうなんだろうと思い納得した。

 流れる白い雲を見上げ、アゲハは久しぶりにこんなゆったりした気分で空を見上げたと思った。霊気を瞳に集中させじっくり空を見る。すると、その紫の瞳に動揺が広がる。


「……あれ? 大霊幕なくね?」


 茫然とするアゲハの言う通り日本を薄い霊気の膜で覆っていた大霊幕は存在しなかった。

 光葉が廃県置藩を行い日本を陸・海・空の全てを霊的な幕である大霊幕で覆い鎖国し光葉狂言を行った日本は世界から隔絶していた理由の全ては大霊幕にあった。

 大霊幕で日本を世界から隔絶させ、その鬱屈した日本から次なる時代を生み出す奇士を生み出す計画だった。その計画は進行中のはずなのに大霊幕を解除したであろう本人に尋ねる。


「すでに日本を覆っていた大霊幕は解除してあります。もう半年前の事ですよ?」


「マジかよ……オレの超直感に反応しなかったな」


「貴方がそれだけ京雅院の任務に集中し、他のものに意識を奪われず狂気に染まっていた証です。素晴らしい事ですよアゲハ」


「そっか。ならいいや。でもそれじゃ、また勝手に鎖国して怒る世界各国がこの日本に攻めて来るとかないのか?」


「それはありませんね。すでにこの三年で霊気を生かしきれない世界と霊気と向き合ってきた日本には大きな差が出来てしまっている。柊というものがまだ理解しきれていない世界各国は様子見しか出来ません」


「世界からの侵攻じゃないなら、何で大霊幕を解除したんだよ?」


「大霊幕を解除したのは比叡山を統括する源空会との条件でしてね。解除しなければ交渉もしないというのが彼等の言い分です」


 光葉の言葉で現状の京都藩が恐ろしい状態にあると直感する。

 自分が一月以内に受ける京雅院暗部の精鋭・黒百合選抜試練を正式に受けられるかが不安になった。半年前に大霊幕を解除しているにも関わらず源空会との争いが続いているという事はいつ両者の間で戦争が勃発してもおかしくない。


「……戦力が低下しすぎた源空会は半年前から世界にも協力してもらい比叡山を安定させていたのか?」


「その通り、自前の比叡山の戦力だけでは抵抗するのが辛いから世界に協力を依頼して我々京雅院を潰そうとしている。ですが、我々はそう簡単に潰れませんよ。霊脈の加護はこちらにあるのだから」


 透き通るような笑みで微笑む光葉はアゲハを諭すように言う。

 この男が言うならそうなんだろうと思いつつも、自分の意見を述べた。


「霊脈は誰にも味方しないと思うぜ。自然の摂理によって生まれたものは万物に対して平等だからな」


 その言葉に光葉は満足するように頷いた。

 そして、あまりにも旨そうに食べる鯉の顔を見てアゲハはつい鯉の餌を食べてしまう。

 ゲホッ! ゲホッ! とむせたアゲハは光葉に笑われ、立ち上がろうとすると池に落ちた。落ちたついでにと光葉に池の掃除を頼まれ、褌一枚になったアゲハは泳ぐ鯉を追い回しながら池の掃除をした。





 薄闇の室内で紫の髪を振り乱す揚羽蝶が描かれた着流し姿の少年の刃が源空会げんくかいの白装束を倒す。飛んで来る苦無を下駄で受け、一寸ほど土踏まずに刺さり飛び上がる。

 アゲハは光葉村塾に向かう途中、たまたま超直感の感覚に源空会の実働部隊のリーダー是空ぜくうのアジトを発見し、三階建ての公民館の中で戦っていた。


「ったく、室内に色んな仕掛けしやがって。ここは日光江戸村かよ」


 回転壁の中から現れた敵を斬り、飛んで来る手裏剣を回避し、その一つを刀の切っ先で穴に通して返した。

 自分の手裏剣にやられる白装束は倒れアゲハはその屍を盾にして炎を吐く男の一撃に耐える。そのまま屍を押して突っ込み、炎を吐く男の口を塞いで逆流させて倒す。

 一階の敵は倒し終わり、階段を駆けて二階に上がる。


「痛っ!?野郎!」


 二階で待ち構えられ、階段の踊り場で苦無が肩に刺さる。


「リモ……じゃねぇ、マニュアル下駄!」


 それに足を振り抜き下駄を飛ばして倒し、階段を駆け上がり仕留めた。


「ん? マキビシかよ。下駄にも刺さりそうなトゲ具合だぜ」


 二階に上がり、マキビシに気を取られて階段に戻ると、階段は坂に変化して態勢を崩す。そこに二人の白装束が迫る――。


「うおおおっ!」


 ガッ! と鞘を坂になる階段に突きたて、一気に天井まで上がる。

 左腕と足を切られるが天井を足場にしたアゲハの一撃をその二人は浴びて倒れる。そして、その一人の服を剥ぎ取りマキビシの上にかぶせて進む。そのまま十人ほどの敵を無双し、調子に乗るアゲハは敵のリーダーをこのまま倒してしまおうと三階へたどり着いた。


「……どこだ? 是空の野郎はどこに……」


 三階についたが、是空の姿はどこにも見当たらなかった。

 開いている窓から、その日の終わりを告げる夕日が沈んでいく光景が見えた。


「是空にゃ逃げられたか。奴をやりゃオレも黒百合に昇格して京雅院でも一気に幹部になれてたのによ。ま、ここのアジトを一人で潰したのは評価を受けるだろ」


 敵の一味を無双して気分の良いアゲハは去る。




 夕陽が沈み京都の街並みに逢魔が刻が訪れる。

 夜の闇に染まる京の市中の色街に人が賑わい出し、様々な明かりが灯り夜の怪しさと混ざり合うような不可思議な景色を生み出していた。

 京雅院からの任務を終える帰り道でアゲハは光葉村塾に向かう足取りを変えて近くの河川敷の方に足を向ける。草が生い茂り闇が深くなる川の真横に立ち、鈴虫の鳴き声に耳をすませる。すると、一つの雑音がアゲハの神経を高ぶらせる。


(……コイツ!)


 その人物は先程まで戦っていた源空会の敵の一人だった。

 こうも当たり前のように現れた事に驚きを隠し得ない。仲間がやられた以上、比叡山に逃げるのが一番なのにスキンヘッドのこの男は目の前に現れた。その不敵な笑みを浮かべる白い忍装束の男の自信がアゲハの神経を逆撫でした。


「……さっきまでの源空会の京都藩内のアジトにいた連中を始末したのは何だったんだ? 返事くらいしやがれサル野郎」


 困惑の顔をしながら腰に収まる黒鞘の無銘である二尺三寸の刀を抜いた。

 そして、一気に間合いを詰めて相手の抜いた刀と激突する。

 底光りのする相手の瞳がアゲハの瞳を怜悧に見据え、


「我々は貴様等のように全てを利便性で考えてはいない。戦闘者で無い者には手はかけない」


「そいつはいい姿勢だな。だが、利便性で動いてんのは三家楼さんかろうの連中だ。聖光葉はそうじゃねぇサル野郎!」


「私は是空ぜくうである」


「サル顔なんだからサルだっ!」


 烈火の如きアゲハの連撃が是空を襲う。力には自信があるアゲハはこのまま力で押し切ろうと更に力を上げる――が、アゲハは吹き飛ばされた。

 ザッと河原の草を踏みしめる是空は刀の切っ先を倒れるアゲハに突きつけ言う。


「同じだよ。聖光葉の廃県置藩はこの日本にもたらしたのは競争という争いというだけのもの。柊と人間の間に無用の摩擦を生み、その摩擦はまるで幕末のような騒乱を巻き起こしている」


「人を全て柊に引き上げるのが光葉の意思だ。柊にならなければこの疲弊する地球の大地を超えてはいけないぜ」


「宇宙にでも行くのか光葉は? 人間は生まれ育ったこの地球に生き地球の崩壊と共に消えればいい」


「オメーとの会話は無駄だな」


 足を地面に踏みしめ、腰を沈めるアゲハは上段に構えた刀に霊力を込める。

 紫の揚羽蝶がアゲハの周囲を取り囲んで行き――。


「乱れ揚羽蝶!」


 シュパパッ! と嵐のような斬撃が是空を斬り裂いた。

 河原に静寂が満ち、草木が揺れる。


「……!」


 驚くアゲハは息を飲んだ。斬ったはずの是空はバリアのようなものを張っていた。

 風が渦巻くバリアは解除され是空は言う。


「まさか私の空風牢くうふうろうを破り一太刀浴びせられるとはな。流石は光葉の見込んだ少年か」


「こっちは切り札だぜ? それでも一太刀じゃやってらんねーよ」


 肩の傷を抑える是空は紫色の髪をかく少年に微笑む。

 そして是空は最後の問いをした。


「……柊として人間が一つになり覚醒し、地球の環境汚染を全員の力で再生させるという人と人が間違いなく理解し合う事が出来れば多少なりとも無駄な争いは無くなり、人間は高め合える。さすれば、外国の列強が力を増そうとも柊の総意をもって対抗し打ち勝てる。光葉はそれを狙っているのだ。今までの会合では光葉の最終目標はここにあると言う。お前から見た光葉もそうなのか?」


「オレの意見を聞いてどうする? オレは光葉の人形じゃねぇんだぜ?」


「この戦いは光葉の近くにいる貴様から光葉の意思を聴く為の戦いだ。源空会とて現状はもう戦争は避けられない状態になっている。京雅院との争いで長老達も手一杯だからこそ私が尖兵として活動している」


「……で、光葉の意思はわかったのかよ?」


「人が全て柊になったら人の手によって人の世は終わる。それを答えとして世界と手を結ぶなどの迷走をしている長老達を抑え、純粋な日本人のみによる霊脈統治を行い必要最低限の柊のみでこの世界を安定させる」


「必要最低限の柊……か。オメーはどうやら柊も霊脈の力も好きじゃねーようだ」


「ありあまる力は破壊と混沌しか生まないのは古来よりの摂理。このままだと一人の王に人類は奴隷として生きるはめになるのが何故わからん!」


 熱い是空の言葉にアゲハは全身に刺激を受けた。

 声に怒気を強める是空は更に言う。


「私はこの先に起こる戦争に打ち勝ち、霊脈を封印して世界の秩序は過去のものに戻させる。たとえ私や長老達が死んでも京雅院には決して屈しない。次は決着をつける」


 妖艶なる殺気を残したまま河原に流れる風と共に是空は去る。

 刀を薙ぎアゲハは鞘に納めた。

 迫る源空会との決戦に気持ちを引き締め、夜空に浮かぶ満月を見上げた。





 京都藩・清水城。

 清水寺の背後にそびえるそこには、京都を中心とした関西の財政界を裏で操る京雅院と呼ばれる財閥があった。

 アゲハは京雅院の少年・少女が属する黒百合訓練生に属していた。そこで、幼少より暗殺を主な仕事とし生きる事を学び、いつの間にか生きる事は何か? という暗殺者にとって不必要な疑問が湧いた。そんな時、ある護衛の任務で清水寺に来ている時にアゲハの前にいずれ師として背中を追う〈狂〉の体現者、聖光葉は現れた。


 宇宙を再現したかのような圧倒的な存在感――。

 それは覇気でも殺意でも闘気でもなく純粋なその人間の器。

 群れを為す弱き小物には決して発する事の出来ない個のオーラ。

 色白で聡明。どう見てもその男に狂人たる見映えは無い。

 しかし、その両眼、その全身から立ち上る青い炎のようなオーラ、存在感は見るものを圧倒させるだけの魅力があった。

 その矛盾した様相の男の微笑がアゲハの中で弾け、足が、身体が、思考が竦んだ――。


 この男は全てを受け入れ、全てを覆い尽くす何かがある。

 その事を持ち前の能力である超直感で気がついた。

 それを臆病から来ている事に恥を持っている為、アゲハは左の親指で鯉口を切り目を見開いた。袴の裾を全く揺らさず、白い足袋を擦るようにして歩いて来る。ニコッと微笑む光葉は出会いがしら、光葉は言った。


「丸腰の相手に何故、怯えるのです? そんな状態では腰の刃物で自分自身を傷つける事になる」


「オレは異能暗殺集団、黒百合所属で殺人を生業にしてる。近づく者がいれば誰であろうが警戒するぜ」


「ほう、黒百合の一人ですか。ここが君の住み処でも警戒しますか?」


「こんな所は一時的な居場所だ。オレが求めるのはこんな場所じゃ……」


「はて? 君は京子に瞳が似ている」


「!」


 アゲハは光葉の言葉を聞き、まじまじとその顔を見た。

 その顔は小川の清流の如く澄んでいた。

 しかし、奥底には計り知れない腐ったヘドロのような陰鬱とした何かがある。


(優男のわりに殺人者のような雰囲気がありやがる……食わせ者か? コイツは不味いーな……)


 大きな津波に自分が呑み込まれたかのような衝撃をアゲハは覚えた。


(――この男は澄んでいるが、ただの清らかさじゃない。狂にある――)


 何とも言えないものを喉の奥に流し込み、目の前の男に言う。


「京子を知ってるか。オレは京子の兄、アゲハだ」


「やはりそうですか。私は聖光葉。京子は私の組織、狂陰きょういんでも護衛や諜報をしてもらっています」


「オメーがあの聖光葉……人間の狂気を常に保ち身体と脳を活性化させる〈狂〉の提唱者。異能者・柊の中でも最強の部類に属する狂陰を束ねる男……古くからある三家楼に近い十条家ですら恐れる狂陰の頭。京子もそんな所まで登りつめたか」


 アゲハは京子が殺したであろう様々なその筋の人々の事を思った。

 暗殺者にそんな思考はいらない。ふと、自分の右手が軽くなる。


「お、おい!」


「アゲハ。君がこの刀を汚し続けた先に何を見ますか?」


 その刀は光葉の右手にある。怒りの感情を爆発させ奪い取ると、そのまま刀をひるがえし斬りかかる。光葉の背後で何かが動くが、光葉が右手を上げるとその動きは止まる。

 ズザッ! と刃が一閃し肩から胸元までが血で滲み出す。しかし、アゲハは動く事が出来ない。目の前の男は微笑を崩さずに自分を見つめているからである。


「中々いい太刀筋です。持ち前の超直感を生かせば柊でも最強になれる可能性がある」


「どういうつもりだ? 何故攻撃しねぇ……」


「私は貴方を知りたい。貴方の本質を見極めその力を全て自分に還元し、自分の狂を更に磨き更なる高みを目指したい。ただそれだけです」


(コイツ……本当に狂ってやがる……)


 今まで会った人間の全てと違う存在の大きさに恐怖感を覚え、冷や汗が止まらず。光葉の掲げる狂と背後の組織である狂陰の存在を想像しおののいた。自分の傷などまるで気にせず、光葉はアゲハに質問をし、色々な話を聞いて来る。それは相手の内面を知りたいという純粋無垢なものであり、今まで溜まっていた感情を言葉にして吐き出させた。


 暗殺行為に明け暮れ、自分の地位を確立していく事に疑問を持っていたアゲハにとってこんな事は初めてであり、普通の人間として扱われた事についてこの上ない喜びを感じた。  

 それは、光葉が誰にでも行う行為で特別な事は無い。しかし、人間らしい暮らしをして来なかった人間達にとっては特別な事であった。そして、光葉はもう一度問う。


「アゲハ。君がこの刀を汚し続けた先に何を見ますか?」


「……さぁな。ここまで来たらただ、斬るだけだ。目の前の敵を斬る以外に無い。所詮、暗殺者は暗殺者だ」


「思想無き刃。この京雅院に支配された関西では現実主義である事は難しい。闇の部隊では表の世界では生きる場所がありません……アゲハ、強くなりたければ、京子を守りたければ六道輪廻を会得しなさい」


「六道……輪廻?」


「君の刃はまだ揺らぐ刃。京雅院内において思想無き者ではずっとはいられない。六道輪廻のある現世と地獄の狭間である世の果てならば、揺らぐ心の刃をも磨ける」


 光葉は一冊の古びた自身の記した本をアゲハに差しだし、通路を進んで行った。


「自分を信じ、進みなさい」


 その言葉は、この後幾度と無くどんな時にも光葉に言われる言葉だった。

 受け取ったアゲハは、光葉に抵抗するように苦しげに呟く。


「そんな所……誰が行くかよ」




 瞬間、アゲハは光葉村塾の柔らかな芝の上の庭で目を覚ました。


「……夢か」


 庭の芝生でいつの間にか寝てしまっていたアゲハは洋館の周囲のざわめきを聞いてアクビをした。光葉村塾で寝泊りをしている孤児の子供達がざわめきを始めたというのはあの男が来たという事である。立ち上がるアゲハは着流しの尻を払い、刀を持って洋館の方へ向かって歩き出す。


「どうやらオレに用があるみてーだな」


 白い羽織に白の仙台平の袴を揺らし丸腰のまま歩いて来る色白の優男を見て思う。

 その男、聖光葉はいつもと同じ微笑のままアゲハの前に立つ。

 今日の話は最近の京都藩の政情不安の原因である源空会の話ではなく、身内である京雅院の話だった。それはアゲハにとって当分先の夢ともいえる話であった。


「大阪のある場所で源空会との最後の会合が開かれる前にアゲハを京雅院の三家楼さんかろうに会ってもらいます」


「……オレが三家楼と? まだ黒百合に昇格してないオレが……」


 三家楼に会えるのは京雅院の中でも極一部しかおらず、会える人間というのは京雅院の一部を動かせるほどの勢力を持つものであった。故にこの黒百合訓練生のアゲハ如きが会える存在では決して無い。しかし、目の前の男はさも当たり前のように言った。


宮古長十朗みやこちょうじゅうろうという筆頭家老は私に協力的でしてね。この機会にぜひ覚えておいた方がいいです」


「宮古長十朗……か」


 三家楼の宮古長十朗とは若さを生み出す柊の能力を持っていた。

 三家楼はすでに三人共、百歳近い老人であるが筆頭家老の宮古のみが柊の能力に開花し若さを吸収する力で自分自身の若さを生み出し五十代前半まで若返っていた。

 その宮古は清水城の天守閣の自室で食事をしている。

 蝋燭一本が灯る和室の障子の裏で大きく口を開ける姿が伺えた。

 あんぐりと開く大きな口は化物のように大きく開き、人間らしき物体を丸々と飲み込んだ。ムシャリ、ムシャリ……という音が和室に響き、白い障子に血が跳ねた。





 源空会との会合が大阪の某所で行われる事になり京雅院の黒百合達には光葉の護衛につく者と京都藩全体を見回る部隊に別れ敵の動向を警戒するように活動していた。

 京都から大阪に通じる様々な街道の周囲に潜伏する源空会の兵を始末する為にアゲハは光葉よりの勅命で紫の瞳を輝かせ昼夜問わず見回りをしていた。光葉が三家楼に会わせてくれると言った以上、この任務は失敗するわけにはいかない。


(……とんだ大役が回ってきたもんだぜ。だが、これで是空の奴がチョロチョロしてれば斬ってその首を三家楼に会う為のみあげにしてやるぜ)


 数日前に戦った源空会の是空に自分の必殺技をほぼ防がれた事で是空を倒す事で自尊心を回復しようとしていた。浮ついた心のアゲハに黒い影が迫る。

 すると、背後に同じ身長くらいの誰かが立った。


(!?)


 超直感にすら反応しない相手にアゲハは死を感じ――。


「お兄ちゃん、久しぶり」


「きょ、京子?」


 背後には京子と呼ばれた黒髪のショートボブのスタイルのいい少女がそこにはいた。

 衣装は年相応の学生服ではなく京雅院の黒百合である黒の忍装束である。

 妹と呼ぶこの京子とは血の繋がりは無いが、ある任務で一緒になってから互いを意識し、兄弟だと思うようになっていた。

 その繋がりで京子はアゲハを兄として慕っているが、京子はアゲハを超えて先に黒百合の試練を超えて黒百合として活動している。

 今は光葉の勧めで学生生活を表世界でしているが、本人はあまり乗り気ではなく常に新しい任務で学校を休む事を望んでいた。殺人に慣れすぎていて普通の学生を演じる方が異常な空間でしかないのである。


「……中々表世界には馴染めねぇか。オレも学校には行きたくねぇな」


「私達が生きる場所ではないのは確かよ。明るい太陽の下よりも冷たく輝く月の下じゃなきゃ生きてはいけない。でも、お兄ちゃんは生きてたら本当の妹さんと学校に行きたかったんじゃないの?」


「それは光葉村塾の事だよ。あそこはオレ達と似た境遇の子供達が集まる自由で特別な学校……あそこならオレの妹も元気に生きられたかもな」


 遠い瞳をするアゲハの横顔を京子は見つめ、


「アゲハは家族が欲しいの? それとも他人との繋がり?」


「オレの妹は血の繋がりが無くてもお前だよ京子。それだけで十分」


 どこか淋しげな顔でアゲハは笑った。

 本当の妹はアゲハにもいたがすでに死んでいた。

 アゲハと妹は戦災孤児として比叡山を彷徨っていた時に一人潜入を試みていた光葉に偶然拾われた。それから黒百合の訓練生になる覚悟を預けられた先の上官に問われどちらか一人しか生きられないと言われ殺したのである。

 死への恐怖を超えられない自分自身が生きる為に。


(暗部で生きるには……世界で生きるには誰かを殺さないとなんねーんだ。人間が家畜を飼い、殺して食べる食物連鎖と同じだ)


 柊の強さは霊脈の霊気とされる。

 霊気と人間の魂が矛盾無く融合する時、柊として覚醒する。

 生きる為とはいえ自分の妹を殺してまで生きた自分の弱さにアゲハは嫌気があった。


「京雅の直属である私が来た理由は光葉からの伝言よ。一時間後に清水城で三家楼との会合に参加せよとの指令」


「一時間後か……やけに早い伝達だな京子?」


「お兄ちゃんには最近会ってなかったからね。血が繋がっていなくても私達は黒百合訓練生でも最強の二人だったんだから」


「最強の二人の期間は三ヶ月くらいだったな。お前は義理の兄貴を置いて黒百合の中でも出世して今や京雅の直属……だいぶ差が出来ちまったな」


「でも、これから追い抜くんでしょ?」


 鋭い殺意すら込めた瞳になる京子に言う。


「たりめーだ」


「たりめーだ? 俺を倒すのがたりめーなのか?」


 そこに、源空会の是空と意見をたがえる一派の巨大な城のようである達磨甲人だるまこうじんが現れた。

 この源空会武闘派三人衆の一角である相撲取りのような浴衣を着た男はケンタッキーフライドチキンを片手で食べながら二人を見下す。最近堂々と清水城の周辺に現れすでに黒百合の精鋭三十人あまりを殺していたのはこの達磨甲人であった。これから行われる大阪での会合を潰すつもりなのか、他者の死を求める強敵の出現にアゲハと京子は腰と背中の獲物を抜いた。


「さて、死合おうか」


 ケンタッキーの空箱を投げ捨て、犬のように骨をくわえる達磨甲人との二体一の戦いが始まった。

 のっそりとしながら身体の動きは早い達磨甲人に二人は流石、黒百合を三十人も殺害した強敵というのを認識する。電光石火のように急加速する達磨甲人の動きに違和感を感じるアゲハは、


「京子、奴はおそらく変速ギアを持つ柊だ。あの見てくれに騙されるなよ」

「わかってるわ――」


 ズゴウンッ! と地面が大きく陥没するほどの一撃が放たれ二人は後方に飛ぶ――が、


「遅いわのろまが!」


 更に加速した達磨甲人の右手にハエ叩きのようにアゲハは地面に叩き伏せられた。そのまま顔を掴まれ頭を潰されそうになる。


「ぐっ……いけぇ京子ーーーっ!」


 逆手に構えた京子の両手小太刀が躍動し必殺の一瞬十斬・五風十雨ごふうじゅううが炸裂した。

 アゲハの乱れ揚羽蝶がコントロールが効かない嵐だとするなら、五風十雨は機械で制御された突風である。

 その場に風が吹き血の雨が降る。

 京子の顔は青ざめ、達磨甲人は分厚い唇を笑わせた。

 舞い散る血の雨はアゲハの血だった――。


「……おいどんの動きが遅いと判断する癖は直ってないね。カロリーパワーで加速するこの力の犠牲が出れば認識してくれるかぁ?」


 この達磨甲人の柊の能力はカロリーパワーだった。

 自分の体内にあるカロリーを消費して爆発的な早さと力を生み出す。能力の使用過多は筋肉を殺し、死に至るが早めに食事をすればまたエネルギーは回復する。奇跡的に下駄を脱いで京子の技に当てていたアゲハは生きていた。無意識の超直感がアゲハの身体を動かしていたのである。


 胸元が血まみれで倒れるアゲハを支え胸元の深手を見る京子は一人で達磨甲人を始末しようと両手の小太刀を構えた。


「……こっからが本番だぜ。きばれよ京子」


「お、お兄ちゃん……」


 満身創痍ながら相手を倒す気持ちで立ち上がるアゲハに京子は頷く。

 懐に隠し持つ饅頭を食う達磨甲人は言った。


「ついでにお前達も食ってやるよ。二つの饅頭もーらい」


 ブンッ! と閃光のような巨人の手が京子の胸元をかすり忍装束の胸元が切り裂かれ二つの大きな乳房が弾けるように揺れた。アゲハは京子の乳にはさして気にもとめず、怪我が無いという事で安心していた。無言の京子は恥じらいを殺している為、胸を隠す事も無く小太刀を構える。源空会の武闘派三人衆の一角である食いしん坊の大男は更に大きく口を開けた。


 その刻限――。

 大阪にいる光葉の元に黒百合の一人が現れ、アゲハの戦いが伝えられた。

 アゲハの行動は光葉に最近は監視されており、全ての行動が手に取るようにわかっていた。

 しかし、静かな微笑を見せ光葉は二人の同士の戦いを無視する。


「そこで死ぬようなら、私とはいられない」





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