僕らの影
夢を見たんだ。
そう彼は言った。
「灰色の天井からロープが垂れていて、俺はそれで首を吊るんだ。そうしたら、初めはぶらぶら揺れてた体がさ、ゆっくりゆっくり時計周りで、回りはじめるんだよ。一定の速度で、ずーっと。」
彼は、煙草の煙を吐き出しながら笑う。
僕は、その遺体の下で動き続ける彼の影を想像してみた。
影の主が生命活動を停止しても、なお影は忠実に影なのだろう。
彼の身体が灰になり消えさるまでは。
「だいぶ、冷えてきたな。」
藍色の空を見つめながら、そう言う。
十一月半ばに入って、夜は一段と冷えこむようになった。
彼とこうやって、満月の夜に会話するようになったのはいつからだろうか。
彼はマンションの後ろにある林を見下ろしたままだ。
「蝉の声が聞こえる。」
「もう、冬だよ。それに今は夜だし。」
「お前には、聞こえないのか?」
ベランダから身を乗り出して、深い鬱蒼とした緑を見つめる。
蝉どころか虫の声さえ聞こえそうもない。
「気のせいだよ。だいたい十一月まで、蝉は生きられないよ。」
彼は笑って新しく煙草に火を付ける。
しんとした夜の空気の中、オレンジ色の小さな火が、揺れる。
彼が口を付ければ、強くなり、離せば弱くなる。
「冬にも、蝉は居るさ。鳴き声が聞こえるんだから。冬の蝉は、夜に鳴くんだ。」
「じゃあ、そうなのかもね。」
やっぱり僕には、その鳴き声は聞こえない。
でも、世の中には、大多数は理解してくれない異常な現実がある事くらい、知っている。
だから、彼の言う事は、真実かもしれない。
僕には、わからない事が沢山ある。
彼のこともそうだし、自分のことすらよくわからない。
だからきっと、周りが自分を理解出来なくたって、仕方ないことなのだ。
「ねぇ、さっきの夢の話だけど」
満月はいつの間にか小さくなり、薄い影を纏っていた。
「僕らは、二人居るのに、影が一つしかないよね。」
彼は僕らの足元を見て笑う。
「夜だから、影見えねえけど。」
「僕らが死んだって、影は一人で回り続けるのかな。」
「さぁな、精神なんて元々実体のないものだしな。俺たちが消えたら、また別の人格でも出来るんじゃねぇの?」
影がいる限りは。
そう言って彼は、また煙草に火を付けた。