第四十二話 海と記憶と青葉さん
「暑い、暑い、夏だからって太陽元気いっぱい夢いっぱい過ぎるぜ……」
『暑いどすぇ~動かないと暑いけど動いても暑いという逃れられない暑さどすぇ~……』
「あ、そうだ蘇我。幽霊ってなんかこう……ひんやりしてるもんだよな? さわったら冷たいよな?」
『え、平熱は36度あるけど』
「誰か幽霊の定義プリーズ」
第四十二話 海と記憶と青葉さん
夏が来た。
夏休みも来た。
ついに学校が休みになり、テンション上がりっぱなしだぜひゃっほう状態だった霊能も暑さのため家でうだうだしている。
それに伴い蘇我とさっちんも家でうちわを使ったりフローリングに寝ころんだりとうだうだしている。そんな状態で、さっちんがボソッと呟く。
『クーラーさえあれば……』
「……っ!」
『そうだね、クーラーさえ壊れてなければねぇ……』
「は、はっはっは! いいじゃねぇか! 夏! 夏はやっぱり暑さあってのもんだぜ!」
『霊能はん、何でクーラー壊れてしまったんどすぇ?』
「それは……だな、夏の暑さというのは昔から人々を開放的にするというのもあってだな……」
『言い換えるどすぇ、何で霊能はんクーラー壊したんどすぇ……?』
「テンション上がってたんだぜすいませんでしたー!」
そう、夏休み突入早々にテンションの上がりまくった霊能は何を思ったのかクーラーに対して、
「いやっほぅ夏休みだぜへーい!」
と言いながらひっぱたいたのである。テンションって怖い。
『暑~い~どすぇ~』
「大丈夫だぜさっちん。例えクーラーを壊しても第二第三のクーラーがきっと……」
『どこの魔王だよそれ……』
『魔王だろうと涼しくしてくれるなら歓迎どすぇ……』
『ふむ、ならば諸君。海へ行こうではないか』
突然現れた声に三人は振り返る。
玄関のドアの内側にいたのは紳士な河童、川流佐悟だった。
「海……だと……」
『ふむ、海だ。宿の手配は済ませてある』
『myブラザー……海だなんて……』
『海なんて……』
「海なんかなぁ……」
『む? 行かないのかね? それは意外』
「『『行くに決まってるひゃっほーい!!』』」
息ぴったりである。クソ暑い中海に誘われてついていかない訳がない。
海、ああそれは生命の源。
海、それは神秘の泉。
海、それはとにかく冷たくて気持ちいい!
『ふむ、それは良かった。では出発としよう』
◇
『海なんて私久しぶりねぇ』
「うーみ! うーみ! うーみ!」
くっちーの運転で佐悟が運転する前の車を追う。
佐悟の車はスポーツカーで二人乗りだったので霊能たちは乗れなかったのだ。
いや二人乗りじゃなくても乗れなかったと思うが……。
『myブラザーと女神さんが二人きりだなんて間に入り込めないよね』
『あんな過去話聞いちゃったらねぇ……』
過去話とは温泉で話したアレである。
はやい話が昔はラブラブだったけどなんだかんだで女神さんは今記憶無いよーというやつだ。
「あれ? 確か女神さんは泉の女神っですよね? 泉から離れても大丈夫なんっですか?」
『それは……本人がOKを出して来てる訳だし大丈夫なんじゃないかしら?』
アバウトである。
だが仕方ない、実際分からないのだから。
今更だが海へ行くメンバーを紹介しておこう。
助手席に霊能、運転手にくっちー、そして後部座席に蘇我さっちんツキミである。
皆夏の暑さにだれてる所だったので海という提案にウキウキだ。
『そういえばくっちーはん免許持ってたんどすなぁ』
『え? ああうん、この前とったのよ。ほら免許証』
信号待ちの時間を使い、財布から免許証を出すくっちー。
それを後部座席にいるさっちんに渡す。ちなみに霊能は助手席である。
『おー……本物どすぇ……』
『これ戸籍とかどうしたの?』
『ああ……それは店長がなんとかしてくれたわ』
「流石っですね店長さん」
普段免許証を見ることがないためか、ふぉぉ……と目を輝かせながら細部まで見るさっちん。しばらくすると何かに気がついたのか頭にハテナを浮かべながら考えだした。
「どうしたんっですかさっちんさん」
『これの……名前の欄なんどすが、くっちーはんって書いてないどすぇ』
「どれどれ……あ、ホントっですね、口崎 恵?」
『ああそれ私の本名なのよ』
「「『『な、なんだってー!』』」」
「くっちー名前あったの!? 名無しじゃなかったか!?」
『知らなかった、そこそこ長くいるのに全く知らなかったよ僕ら!』
「あ、でも今まで通りくっちーさんで大丈夫そうっですね」
『くっちーはんはくっちーはんどすぇ~』
『いやこの名前もこの前店長が決めたのだけどね、戸籍ごまかす時に必要だからって』
ちなみに店長は適当に決めたと言っていたが、実はかなり命名に時間をかけているのは店長だけの秘密である。
そんなこんなでぺちゃくちゃしゃべりながら車は海へと向かっていく。
夏の海のバカンスまであと少しだ。
◇
「海だぁぁぁぁ!」
『海どすぇ~!』
「海っですよぉぉぉ!」
『何で海に来ると走りたがるんだろうね口崎さん』
『潮の満ち引きだとか月の引力だとかの力じゃないかしら。あと口崎って呼ばれなれてないからいつも通りでいいわよ』
海についた一行。
あれほど待ち焦がれた青く輝く夏のメインである。テンションが上がらないはずがない。
『ふむ、喜んでくれているようで何よりだ。だが遊ぶ前に宿に行こうではないか』
『あらあら、どんな宿を紹介してくれるのか楽しみね』
『ふむ、どんな宿をお望みかね?』
『わたくしの高貴なオーラが馴染むような場所ならばどこでも』
『それは良かった、いい海の家を紹介しよう』
佐悟の先導で浜辺を歩いていく一行。
隣にある海を眺めるだけでなんだか涼しげな気分になれる。
ぞろぞろと歩いていると海の家には珍しい三階建ての建物があった。どうやらここが佐悟の紹介する宿らしい。本当に海の家に連れて来やがったこいつ。
「なんかボロいなー」
『ちょ霊能!? そういうのは思っても言わないもんだよ普通!』
『佐悟、残念なほどにボロいのだけど』
『女神さんも本音を隠す努力をしようよ!』
『悪いわね、嘘吐きは嫌いなのよ』
だからといって自分に正直すぎるのも考え物である。
『ふむ、まぁ文句は中に入ってから聞こうじゃないか。なに、私の友人の経営する宿だ。遠慮はいらないさ』
『早く荷物を置いて海へ行くどすぇ~』
「お邪魔するっですよー」
海の家・九龍
これがこれから世話になる宿の名前である。
店内に入ると、奥から店員と思わしき人物が出てきた。
スキンヘッドにサングラス、黒いスーツの見るからにカタギじゃない男。
「マジデ!?」
そう、ヤクザCさんである。
「『マジで!?』」
そのインパクトに霊能と蘇我は声を揃えて驚いた。
さっちんは唖然としている。
三人がポカンとしている間にヤクザCは去っていった。
『ようやく来ましたか、いらっしゃいませ。本日は皆さんの貸切ですよ。ちなみに今の方は道を聞かれていただけです』
気がつくと海の家の店員らしき人がいた。
真面目そうな人に見えるが、正直ヤクザCに全部持ってかれた感が否めない。
『ふむ、久しぶりだな上地』
『お久しぶりです佐悟社長』
『よせ、私はもはや社長などではないよ』
『私の中では社長はずっと社長なんですよ』
『ふむ、まぁいいか……紹介しよう。こちらが今回我々が世話になる宿のオーナーである上地だ』
「俺は霊能! よろしくだぜオーナー!」
『はは、元気な子ですね』
霊能から順に軽く自己紹介を済ませていく。
九龍のオーナーはにこやかにそれを聞いていたが、最後の一人になると表情を変えた。
そう、女神さんの番である。
女神さんが何かを言う前に佐悟が割り込む。
『ああ……その、だな。上地……彼女は……』
『あら久しぶりね上地、聞いていたよりボロい店じゃない』
『お久しぶりです青葉さん、こんなのでも大事な海の家なんですよ』
『そういえば下地はどこにいるのかしら』
『あいつなら海に行ってますよ、相変わらず仕事をしないやつです。あれ? 今日は悟丈のやつは連れてきていないんですか?』
『あああの子なら"あの口崎さんが俺を頼ってくれたんだ! ちょマジでバイトが超俺を呼んでるぜぇぇぇ! "って言って家に残ったのよ』
『元気そうで何よりですね』
親しげに話す二人。
会話を聞くに、上地の弟である下地はすでに海にいるらしい。そして佐悟と青葉さんの息子である悟丈はくっちーの代わりにバイトを頑張ってくれているようだ。
『ふむ、ん? え? ふふふふむ、え、ま、え?』
「くっちーさんバイト押し付けたんっですね」
『悟丈君には悪いけどね。だって……霊能君と一緒に海だなんて行くしかないじゃない』
「ん? なんか呼んだか?」
『いいいや、何でもないわよ、霊能君』
『まま待った、待った待った……ふ、ふむ、ちょちょちょっといいかね?』
かつてない程に佐悟がうろたえている。
先ほどの会話にとんでもなく大きな引っかかりを感じたようだ。
そんな佐悟を見て女神はふっと笑いながら答える。
『あらどうかしたのかしら? 紳士たるもの常に落ち着きを持っているものではなくて?』
『いや確かにそれはそうだがでもあれちょっとだって待ってくれ何が起きてるのか理解に時間がって……ああ、そうだ』
顔を上げた佐悟は、引きつった笑顔で上地の胸ぐらを掴んで言った。
『ちょっと裏でお話しをしようか』
そしてそのまま上地を引きずって女神からいったん離れる。
ある程度距離を置いた所で佐悟が口を開いた。
『どういう事だ?』
『どういう事と申されましても……社長!? 首が! 息がっ!』
『覚えておくといい、人間の体のおよそ六割は水で出来ているのだよ。』
『社長! 知らないんですって! 本当に何のことかさっぱりなんですって!!』
『本当は?』
『本当ですっ!』
『ふむ……信じよう。上地は昔から無駄な嘘はつかないからな。……だがならなぜ青葉の記憶が……』
『あら簡単よ? だってそもそもわたくし記憶無くしてないもの』
『……………………は?』
佐悟の疑問は、突然現れた女神さん(青葉さん)によって簡単に解決した。
突然現れたというか普通にこっちに歩いてきただけなのだが、佐悟からすれば登場も発言も驚愕だ。
『あらまぬけな顔ね。昔のキリッとした佐悟はどこへいったのかしら』
『………………キリッ』
『口で言ってる時点で手遅れよ』
『え……記憶がある……? じゃあ、なん、で』
『だって……』
『だ、だって……?』
『久しぶりに会ったあなた、紳士をこじらせちゃってたんだもの。他人の振りもしたくなるわ』
『な、な、な…………』
『……?』
『なんじゃそりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
佐悟の魂の叫びは、果てしなく遠い水平線の彼方まで届いたと言う……。
(まぁ、記憶を無くしていたのは本当なのだけどね。女神になってから、初めて佐悟を見たら全部思い出したなんて……言えるわけないじゃない)
青葉の初めての嘘は、そっと心の奥にしまわれた。
この嘘が暴かれることは、きっと無いだろう。
◇
「青い空っ!」
『白い雲どすぇ!』
『そして水着のさっちん! ああ生きてて良かった!!』
無言で霊能とさっちんに蹴られる蘇我。もはやお約束である。
『綺麗な所ねー、クラゲもいなさそうだし結構当たりじゃないかしら』
「大当たりっですよ! 佐悟さんもなかなかいい仕事をするっですね!」
いい仕事どころか、もはや完璧な仕事ぶりである。
青く透き通った海にはちらほらと魚も見え、ゴミも見当たらないという好条件。
まぁ残念なことに絶賛されている当の佐悟はまだ海の家で放心状態なのだが。
その時、霊能がいつもとの違い……違和感に気がついた。
「ん? くっちーマスクしてないのか珍しい」
『つけたままじゃ海に入れないから仕方なく、ね。……恥ずかしいから出来ればあんまり見ないで欲しいんだけど……』
「あたしくっちーさんの素顔初めて見ましたけどやっぱり美人さんっですよね! でも疑問なんっですけど……」
『……? 別に何を聞いても構わないわよ?』
「あの……くち、思ってたより普通だな~って……あ、別に変な意味じゃないんっですよ!? ただ口裂け女って言うくらいだからもっとアレか思ってたというかっですね!?」
そう、今のくっちーは普通の人間の顔をしている。普通と言うよりは美人気味だが一般的な範疇で見ても明らかに妖怪ではない。
……いやそれを言い出したら妖怪らしい妖怪の方が少ないのだが……。
それはともかく特に口に異常は見られないのである。
『そんな慌てなくても怒らないわよ? で、質問の方だけどね……普段は問題ないのよ。でも感情が高ぶると勝手になっちゃうから嫌なのよ……だからいつもはマスクしてるって訳』
「ほー…ちなみに霊能さん、今のくっちーさんをどう思います? 水着も含めて」
「ん? そうだなー俺はこっちのが好きかなー。水着も似合ってると思うぜー」
『ほぁっ!? え、えあ、あと、あの……』
「んでツキミは相変わらずだなー、昔から変わりが無いぜ」
「……霊能さん?」
「くっちーと並ぶと改めて強調されるな! くじけるなよツキミ! 需要はきっとあるぜ!」
「どこを見て言ってるんっですか埋めますよ地中深くに」
ツキミが自身のなだらかな胸を手で押さえながらいつの間にか持っていたスコップをブンブンと振り始める。あ、これは不味いなと霊能が気づいた時にタイミング良く少し離れた所にいる蘇我から声がかかった。
『霊能ー、さっちんの浮き輪準備できたよー』
「ん、おう了解ー! んじゃくっちー、ツキミ、先に海行ってるぜ! ひゃっほーう!」
さっちんと蘇我と一緒にざぶざぶと海に入っていく霊能。
それを後ろからくっちーとツキミが眺めている。
霊能たちが海に入るのを見届けたあと、ツキミが軽くため息をついた後表情を切り替えてにやにやしながら口を開いた。
「くっちーさん、顔、真っ赤っですよ~」
『ツキミちゃん』
「なんっですか~?」
『嬉しさで口が裂けそう』
「ちょ!? いったん落ち着くっですよ! ほら深呼吸深呼吸!」
◇
『落ち着くんだ。落ち着こうよ僕』
「……どうしたんだ蘇我?」
『霊能、聞いてくれるかい? 僕はとてつもない発見をしてしまったんだ』
「おう、期待しないで聞いてやるぜ」
『人体の六割は水、そこに塩分やミネラルも豊富に含まれているよね。つまり合わせて人体の七割は水とミネラル、塩分な訳だ』
「ああ、そーだな」
『って事はだよ!? 塩分とミネラルを多量に含むこの広大な海! 四捨五入すれば巨大なさっちんだと言っても過言じゃ無いよね!!』
「その理屈だと地球の七割がさっちんな訳だが」
『地球の七割だって……っ! って事はさらに四捨五入すれば……そうか、地球はさっちんだったんだ……!』
「四捨五入って凄ぇ」
海の冷たさを満喫しながらどうでもいい話をする二人。
その近くではさっちんが浮き輪でプカプカ浮いている。
そしてさっちんはどうやらつい先ほど発見した足を回すと浮き輪がぐるぐる回る現象に夢中になっているようだ。
『目~が~回~る~どすぇ~』
「楽しそうだなーさっちん」
『海に来るのは初めてだって言ってたしね』
「そりゃビデオの中に引きこもってたんだから海に来る機会なんて無い訳だぜ」
『引きこもってって……いや微妙に間違いじゃないんだけどさ』
さっちんは霊能達に出会うまで、ずっとビデオの中にいた。
ぽつんと存在する井戸の中でひとりぼっちだった。
そしてビデオが再生された時に画面から這い出て、見た人間を呪い殺すのが仕事だった。残念ながら呪いに成功したことは無かったが。
『幸せ~どすぇ~』
「……よし! 蘇我、もっと遊ぼうぜ!」
『……そうだね。よーし! さっちん、海はまだまだこれからだよ!』
霊能は人外と巡り会い、今の生活になるまで寂しい日々を送っていた。
蘇我も、霊能と出会うまではあまりいい人生だったとは言い難い経験をしてきている。
夏の一大イベントであるこの海水浴は、三人にとって忘れられない思い出になることだろう。
今までの悲しみを帳消しにするほど、彼らはこの後もずっとはしゃいで遊ぶのであった。