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西側の庭園は薔薇一色だった。
(リビングからも見えたわ)
そんなことを思い出しながら歩いて間もなく、主人たちの専用の場に差し掛かったのか、アーチでメイドたちは足を止め、頭を下げて見送る。
「何かあれば呼ぶわね」
「かしこまりました」
声をかけられるとは思っていなかったのか、メイドたちはハッと頭を上げると、嬉しそうに口元を緩めて答えた。
少し進むと植物の通路に終わりが見える。
背の高い木々に囲まれて隠されるようにして、美しい温室があった。木々は恐らく木陰を作るためだろう。
「あった!」
アリムが言い、手を離して走る。
アイリスはこそっと後ろの騎士に聞いた。
「アリムのお気に入りの場所?」
「はい。植物収集のために昔建てられたもので、国内の遠方の珍しい木まで一つずつあります。庭師が種から育てている場も増設され、アリム様はその成長を眺めるのもお好きなようです」
とすると、彼がよく通っている場の一つそうだ。
「ここは立ち入りが制限されていたりするのかしら」
休む場としてあるようだが、主人の世話をする使用人に『入るな』とされているのも、珍しい。
騎士たちが顔を見合わせた。
「それは、……いらした際にアリム様がよくおられたからです」
少しだけ彼らの様子が引っかかったものの、自分を呼ぶアリムの声にアイリスは顔を向け、彼らとの会話は終わりとなった。
(好奇の目からアリムを守ったのかも)
温室の扉を開けたアリムのもとに向かいながら、推測が浮かぶ。
よほどヴァンレックは彼を大事にしているのだろう。
アリムが騎士たちには慣れているのは、来た時からヴァンレックが自分の持つ騎士団の騎士たちをつけていたことがうかがえた。
入ってみた温室はとても素敵だった。
通路の左右には、ガラス面が見えないほど植物が埋まっている。
ここは極寒になる土地らしいが、前世で見た南国の植物によく似ていた。
そこを進むと、途中休憩のような一つ目の観賞席があった。さらに先へ行くと中央は円形に開けていて、仮眠もできそうな大きな扇形のソファ席が設けられている。
「ほら見て、図鑑と同じ植物があるんだよ!」
リゾートホテルで見かけるような編み込み状の台。その上にガラス面のテーブルに置かれた図鑑を、アリムが両手で持ち上げて見せてきた。
(よくここにきて、本と実物を眺めて楽しんでいるのね)
彼は植物に興味があるのだろう。
「どんな植物があるの?」
「あとで教えてあげる」
あら、とアイリスは意外に思う。
「この先に進むと、植物の赤ちゃんが休んでいるところがあるんだ」
騎士たちが言っていた苗のことだろう。
アリムは、この前より育っている植物があるかもしれないと言って、アイリスの手を掴んで走り出した。
豪華絢爛な宮殿みたいな大きな邸宅。そこにあるとは思えない、まるでリゾートに来たような植物園――。
(ここだけ別世界みたいだわ)
アイリスは一面のガラスから注ぐ木漏れ日を見やる。
とても素晴らしい温室だった。
外からは見えず、静かで、それを感じているとなんとなくヴァンレックが私服でくつろいでいる姿が想像された。
条件を考えると、彼らしい空間にも感じる。
(彼は、どんなことがお好きなのかしら)
アリムの背へと視線を戻すと、揺れる美しい銀髪と尻尾がそこにはあった。
ここでヴァンレックは休む習慣があったのだろうか。怖い人だけれど観賞席も仮眠ができるソファも実のところ彼の趣味で、休日を密かにゆったりと過ごしていたのだろうか。
それがきっかけで田舎の地、銀実の美しい女性と出会ったのか?
(子供を引き取ってから、そんな暇はなくなってしまったのかしら……私が、少しは役に立てるといいのだけれど)
アイリスは自分の雇い主のような感覚だったヴァンレックに、それ以外の言葉にならない感情が胸に芽生えるのを感じた。
◇∞◇∞◇
その日から温室に行くのは日課になった。
連日ヴァンレックが騎士団を編成して討伐に出掛けるので心配したが、アリムは毎日元気だった。遊び相手ができたことがよほど嬉しいようだ。
「今日は見張り台に連れて行ってあげるっ」
よくアイリスのもとに突入してくるようになった。
朝食後にブロンズと本日の日程を話し合い、少し待つとメイドたちの慌てる声が聞こえてくる。そうすると、『あの子が来た』と分かって、二人の話しは終了になる。
「今日は早かったですな」
「見送りが早かったのかしら……?」
『パパ』に嫉妬されないか、少し心配になる。
「何やら心配されているようですが、引き止められることが減って助かっている、と旦那様はもらしておりました」
「……あの、どうしていつも分かるの?」
「主人の心内をはかるのも執事の役割です」
ここ数日すっかりブロンズに感情面が筒抜けになっているように感じるが、それだけ距離が縮まり出しているのだろうと前向きに考えた。
(悪女として警戒されるようには断然いいし)
アイリスは、今日も派手な自分ドレスの色を、つい見下ろした。引き受けた仕事はきちんとこなす女、と思われれば上出来だろう。
アリムが合流したのち、ブロンズと別れて今日もまずは温室へと向かう。
かなりの時間潰しになるのでアイリスも助かっていた。アリムは飽きもせず図鑑を眺め、実物の植物を観察する。
「蕾が大きくなってきたっ、そろそろ秋なんだなぁ」
「秋の象徴なの?」
そばについて、普段は独り言になってしまう彼の言葉を拾い、相槌を打つ。
一緒に同じものを見ている。
それがアリムはとても嬉しいようだ。
「王都からかなり離れると一般的らしいよ。ただ、こっちは秋も短いから」
「そうなの?」
「僕もよくは知らないけど、とにかくあっという間だって」
そんなに王都と違いがあるのかと気になったが、そういえばアイリスも数日で風が肌寒くなっているという感想は抱いていた。夜は寒いと感じるくらいだ。
(アリムは、結構裕福な家に暮らしていたのかしら?)
秋の感覚がまだ掴めていないのは、いい環境に暮らしている子供だ。
王都からそう離れていないことついては納得できる。
馬で駆けて会いに行ける距離で、ヴァンレックと銀髪女性のロマンスは始まったのだろう。
それから庭園を少し回ったのちに昼食をとった。
それは滞在した翌日、一緒にいた流れで提案してみたらアリムが乗り気なった。
そこから、昼はアイリスが彼の食事の世話をしながら一緒に食べるということが続いていた。
もちろんヴァンレックが在宅している時は、彼に譲るつもりだ。
「奥様はすごいですね、坊ちゃまが完食してくださるなんてっ」
メイドたちと、それからコックも感動していた。
同時にヴァンレック以外にも見せるようになった可愛い食事風景に、めろめろになったらしい。
(少しずつ味方ができているわね)
よしよし、とアイリスは内心ガッツポーズをした。
できるだけ周りを巻き込む形でアリムには過ごしてもらっている。
そのためか、彼は出会った時と違って心地よさそうに笑顔で屋敷内を闊歩した。
部屋に閉じ込もっていない姿もレアなようだ。警備にあたっている騎士たちも、珍しそうに窓から覗き込んでいた。
全体的に空気が徐々によくなっているのを感じていた。そのせいか、アイリスは一つ気になることもできている。
「おやつはピニクックふうにするんでしょう? 早く早くっ」
「そう慌てると危ないわよ」
午後四時、肌寒さを覚えて薄地の長袖を着るという万全の対策で外へと出た。
アリムとアイリスのメイド、それからでき上ったおやつを抱えた若いコック三人と、敷地内とはいえ安全のために騎士を二人。
そこには予定外にもタオルケットを持ったブロンズの姿もある。
「忙しいのにごめんなさいね……」
「坊ちゃまの希望ですから」
彼が答えると、居合わせ、護衛役に自薦してきたシーマスが言う。
「アリム様自らに『みんなで!』と希望されちゃあ、付き合うってもんですよ」
「奥様に対しての言葉遣いがなっていないようだが――」
「ああいいのよ、ブロンズ」
アリムと毎日たくさん歩いているおかげで、シーマスを含め騎士たちとも軽い会話くらいはできるようになった。
信頼されているかどうかは考えないことにしている。
一緒にいる時は『悪女』ではなく『夫人』として話してくれている。今は、それだけでいい。
ヴァンレックのもとにいるのだから、そう悪いことはできないだろうと考えて問題外にしてくれているのなら、尚嬉しいけれど――。




