1-5
「アリム」
低くていい声が聞こえた。
(大公様がすぐそこに? まずいわ、忘れて楽しんでいたのを見られちゃった!?)
どうしようと思って動けないでいる間にも、アリムがブランコを飛び降りて向かう。
「悪い害獣は倒した?」
「ああ、何も問題なかった。いつなら足音に気付いて迎えに出てくるだろう。それだけ楽しかったのか?」
「うんっ、アイリスと一緒だったらとっても楽しかった!」
ひえぇと思いながらアイリスはおそるおそる立ち上がり、怖いけど確認せずにはいられない心境で、ゆるやかにそちらを見た。
そこには駆け寄ったアリムを、両腕で抱き上げた高身長の美丈夫がいた。黄金色、と思わずにはいられない豊かな髪を見て一瞬『狼』よりも『ライオン』が頭に浮かんだのは、あまりにも溢れ出る美ゆえだろう。
(恐ろしいが美しい、てこういう意味だったのねっ)
アイリスは彼の美貌にも驚いた。
二十八歳のヴァンレック・フォン・ヴァルトクス大公は、アイリスがまばたきを忘れてしまうほどの美しい男だった。
形のいい鼻筋にかかる金髪に、金色の目。端正な顔立ちだけでなく、鍛えられたことによって均等の取れた肉体美も持っていおり、肩にかけた丈の長い軍服のコートもよく似合う。
(金髪金目は王家の象徴、だったわよね)
そういえば血を引いているのに、アリムの目はエメラルド色だと、親子を目に収めてアイリスは気付く。
その時、不意に彼の金色の目がアイリスをとらえた。
(ひぇっ。こ、これって、睨まれているのかしら)
ガン見されて身を固くする。
「あなたが、アイリス・エティックローズ嬢か?」
「は、はいっ」
「いや、今は『嬢』と呼ぶべきではなかったか」
アリムを降ろし、ヴァンレックが考えるような声で言葉を続けた。戸惑っているのか機嫌を損ねたのか、かすかに寄った眉の動きだけでは判断がつかない。
どうしよう。緊張しすぎて吐きそうだ。
「こちらまでの長旅ご苦労だった。ヴァンレック・フォン・ヴァルトクスだ」
「えっ」
向かってきた彼が、唐突に手を差し出してきた。
「婚姻が決まったというのに迎えに行けず申し訳なかった。出迎えるくらいはしようと予定は立てていたのだが、町に害獣が出てしまってな」
「い、いえ、騎士の皆様やブロンズからも聞きましたし……坊ちゃまも相手してくださいましたから」
「アイリスが僕の相手をしてくれたんたよ! 楽しかった!」
慌てて握手をしたら、アリムがアイリスの前にぴょんっと割り込んできた。
(そもそもアリムっ、あなたもよっ。どうしてパパの足音を聞いていながら、ギリギリまで私と遊んだりしたのよ~!)
望んでもいなかった王命での強制結婚、やってきた妻が愛した女性との子と過ごしていたなんて、大公様の気を損ねる気がする。
「何をしていた?」
「まずはチェスの部屋に案内して、一緒にやって、それからおやつも食べたよ!」
「そうか」
アリムの返答を聞き届けたヴァンレックが、ブロンズに視線を投げた。
「ブロンズ、俺は到着した〝妻〟と少し話がある」
「かしこまりました」
ひぇ、とアイリスは毛を逆立てた猫みたいに固まった。
するとアリムが彼女の腕にしがみつく。
「えーっ、パパ帰ってきたら騎士団のところか書類処理でしょ? それまで僕、アイリスと待ってるからっ」
さすがのアイリスも心の中でちろりと泣いた。
(たったわずかの間に信頼されたのは嬉しいけど……でもぉ……っ)
ヴァンレックの眼光が、小動物をロックオンする肉食獣にみたいになっていっている気がする。
「アリム、彼女がママのほうがいいだろう?」
「もちろん!」
「それなら、パパとママは話し合わないと。ブロンズと部屋に戻ってくれるか?」
「そういうことなら仕方ないねっ」
聞き分けよくアリムがアイリスの腕から離れた。驚いたような目をしたのはヴァンレックだけでなく、ブロンズもだった。
「珍しいですね坊ちゃま……聞きわけがよくて助かります」
どこか呆けたようにブロンズが言って、アリムを引き取る。
「夫人は、こちらに」
「は、はい……」
向き合ってみるとヴァンレックは想像よりずっと身長が高い。
アイリスは生きた心地がしないままついて歩いた。
建物に上がるとメイドたちが左右から頭を下げる。そのうちの一人がアイリスのショールを預かった。
(そういえば、勝手に借りたんだったわ)
いろいろと――怒られてしまうのだろうか。
(見た目通りの傲慢な女だという第一印象だったら、どうしよう)
確実についてこられるよう歩いていくヴァンレックの背中を眺めながら、アイリスは胃がきりきりした。
二階に上がってしばらく、美しい造りの観音開きの扉をヴァンレックが開ける。
ようやく振り向いた彼に目線で促されて中に進むと、上品で明るいブラウンの家具に統一された部屋があった。
「ここは?」
「俺の書斎だ」
ヴァンレックが書斎机へと進んだ。コートの内側から封筒を取り出し、そこに置く。
「アイリス嬢」
「はいっ」
彼が振り返ってきて背筋が反射的に伸びた。
「いや、これからは夫人と呼ばなければならないが、君に話しがある。子育てをしてくれないか?」
アイリスは、ぽかんと口を開けてしまった。
幻聴だろうか。
「…………はい?」
夫人、という言い方からしてすぐに追い出されるような叱責はされなそうだとは感じていたものの、考えてもわけが分からなすぎて、間の抜けた声が出た。
アイリスは強制結婚で寄越された妻であり、アリムは彼が愛した女性との間に授かった愛しい我が子だ。
ヴァンレックが、軽く握った黒い手袋の拳を口元に寄せて「んんっ」と咳払いする。
「急な結婚で君も戸惑ったことだと思う。国王の命令を断れずここには来たという印象を感じたが、それは事実で間違いないな?」
「も、もちろんです。私なんかがアリムの実の母になれるはずもございませんっ。あ、も、申し訳ございません。大切なご子息様を。小公子様でござまいす」
慌ててアイリスは頭を下げる。
ヴァンレックが、またしてもじーっと見つめてくる。
向き合ってみると、改めてとてつもなく美しい男であると分かる。さすがのアイリスも忘れていた乙女心がくすぐられて恥ずかしくなる。
「な、なんでしょう……?」
「アリム、で構わない。あの子にそう言われたのだろう?」
「そ、そうです」
見ていたわけでもないのにさすがの洞察力だなと思って、こくこくとうなずく。
「君に、子育ての協力を要請したい」
「わ、私に協力を」
まさかの提案に動揺し、言葉が詰まった。




