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1-4

 チェスの駒を動かすまでの考え時間が増えると、アリムがおやつを食べる回数も右肩上がりになった。


 これはどう見ても関心が菓子に向き始めている。


 そうアイリスが感じて休憩を提案すると、強がりも恥ずかしがりもせず、アリムは嬉しそうに「そうしよう!」と言った。


「この大きなクッキーが一番美味しいよ、それからジャムが乗ったこのミニパイは――」


 彼は自分が好きな菓子を紹介してくれる。


 かなり打ち解けたみたいで、選んでアイリスに差し出したりした。


 正直、最後に休んだホテルから、ここまで二時間の馬車移動だった。食べたものは落ち着いているから、甘いものはいくらでも入る心境だ。


「もっと食べてっ」

「ありがとう」


 アイリスの食べっぷりを気に入ったのか、アリムは楽しそうだった。


(よほど大事にされているのね)


 彼が大好きなお菓子が数種類もたっぷり乗った円卓の上。そこにあるティーカップも、子供用に小さく作られたものだ。


「勝手なことを言ってごめんなさい」


 アイリスはブロンズにこそっと告げた。


「勝手、とは?」

「着て早々なのにアリムを追いかけたこととか……おやつとか……」


 これだけ大切にしているのなら、当初浮かんだ推測通り、大公側は対面のタイミングだって慎重になって時間を決めていたことだろう。


「奥様のようなお方は初めてです。何も問題はありませんよ」


 ブロンズは、意外だというような間を置いてそう言ってきた。


「坊ちゃまを連れ出してくださっただけでも、有難いと思っているほどです。旦那様がいないと姿を見せようともしませんから」

「えっ、じゃあおやつは……」


 もしかしてと思って小声で急ぎ確認すると、ブロンズが『お察しの通り』と伝えるように首を小さく振る。


「本日のおやつが無駄にならずに済みました。坊ちゃまに付けられている担当のメイドたちも、喜んでいます」


 担当のメイドはいちおういたようだ。


(まだ慣れないのは、アリムのほうが距離を置いているせいかしら? それとも大公様のご子息だから、接し方がつかめていないとか……)


 どちらの可能性もあるような気がした。ひとまず、いい機会だ。


「ブロンズ、メイドを呼んでちょうだい。アリムいいかしら? チェスをするためにも手を綺麗にしなくちゃね」

「うん! 綺麗にする!」


 アリムの元気がいい返事にブロンズが驚いていた。彼はアイリスが目配せすると、ハッとしてベルに向かい、それを鳴らす。


 待機していたのかすぐに三人のメイドが入室してきた。


「奥様にご挨拶申し上げます」


 彼女たちは丁寧に自己紹介すると、アリムの世話に入ってくれた。見ていてもぎこちなさはない。


 そのうちの一人は、アイリスの両手を担当した。


(急な結婚だったから心配していたけれど……)


 彼女の仕事もまた丁寧だった。ないがしろにしている気配は感じない。


 ただ、三人ともアイリスをさりげなく観察している様子が垣間見られて、アイリスはそれが気になった。


 少し話しが聞きたくなったが、ハタと時間を思い出す。


「ねぇアリム、パパはそろそろ帰ってきそうかしら?」

「あっ」


 待っていたことをしばし忘れていたらしい。寂しさを紛らわせることには成功だ。


「玄関の近くで待機していましょうか」

「玄関の近くの花壇も可愛いよ! そこからならパパの帰宅も分かるし、一緒に散歩しよう!」

「いいの?」

「アイリスはここに来たばかりで道も分からないでしょ? 僕が手を繋いであげる!」


 かなり懐かれたみたいだ。


(パパと手を繋ぐのも大好きなんでしょうね)


 微笑ましく感じたアイリスは、彼にそういった大人がたくさんできるといいなと願いを込めながら「ありがとう」と答え、アリムの手を愛おしく握った。


 ◇◇◇


 外に出ることになったが、「その前に身支度を」とブロンズはきっぱり告げた。

 九月とはいえ、こちらの地域はすでに冷気も山側から降り始めている。午後になると肌寒さも出て来るそうだ。


 ショールを借りることになったアイリスは、身支度を整えてもらっている間にアリム付きのメイドたちから話しを聞いた。


「露骨に見てしまい申し訳ありませんでした……普段は旦那様のそばでしか気を楽になさらないお方でしたので、楽しそうな姿に驚いてしまったのです」


 アイリスに対して何か思うところがあったわけではなかったようだ。


「こんなこと言ったら失礼になるかもしれないけれど、答えてくれると嬉しいわ。あなたたちとアリムとの間に、距離感を覚えるの。耳と尻尾に何か思うところがあったりする?」

「まさかっ。アリム様はとってもお可愛らしいですっ」


 初めて見た時は驚いたが、アリムは可愛いと誰もが思っているとメイドたちは教えてくれた。


 同じ印象で安心した。獣化の能力を持っている大公の屋敷とあって、アイリスの家族のような偏見は持ち合わせていないのだろう。


「誠心誠意仕えさせていただいているつもりですが、何かわたくしたちがよくないところがあるのか悩んでいます」

「これから仲良くなりたい?」

「もちろんです!」

「それなら私も協力するわ。愛情いっぱいお世話することを遠慮しないで。あの子は今寂しい時期なの。そうすれば気持ちはきっと伝わるわ。私みたいに」


 アイリスがメイドたちに微笑かけると、彼女たちはハッとした表情になった。


「ありがとうございます、そうですよね」

「大切ことを忘れていました……奥様のようなお方は初めてです」

「奥様は押せ押せですよねっ、見習いますっ」


 メイドたちは『奥様のように坊ちゃまに心開いてもらう努力をします』と答えてきた。


「押せ押せ……?」


 気になったものの、彼女たちの目に前向きな輝きが宿ったのはいいことだ。


 ◇◇◇


 身支度を整えてアリムと合流し、彼と手を繋いで建物を出た。


 玄関の外には馬車も軍馬らしき姿も見えない。


 それを確認したアリムは、まだ時間があるからと言って右手の庭園へと進んだ。


「すごいわ」


 彼がまず見せてくれたのは満開の桃色の花の木だった。


「ここでしか見られないんだよ! たくさん見てねっ」


 どういうことかアイリスは気になったものの、子供の彼に尋ねていいのか迷った。すると同行していたブロンズが後ろから説明してくれた。


 この木はポピーテイアと言うそうだ。


 もう少し北に向かった地域に生息しており、春に花を咲かせる。


「なるほど、だから『ここでしか見られない』と言ったのね……もう夏も盛りは過ぎたけれど、不思議なこともあるものね」


 しかも冷気で出始めているというから、この地域は秋にかかっているだろう。


「さ、坊ちゃま。次を案内してください」


 なぜかブロンズが慌てた様子で言った。


「パパが僕のために作ってくれたブランコもあるよ!」


 春の花がどうして一律に咲いているのかという謎を残したまま、同じくはぐらかすようにアリムが引っ張った先にあったのは、次の庭園との間に設けられた手製のブランコだった。


(物語の庭みたい……)


 そんな感想を抱いて見惚れてしまったのは、前世で見た映画のワンシーンを思い出したからだろうか。


「とても素敵でしょう?」

「ええ、とても素敵ね。パパがアリムのために作ってくれたの?」

「そうだよ! パパ、大好き!」


 アイリスもにっこりと笑顔を返したものの、内心少し緊張した。


(子供にとっては、後退高裁様も一人のパパだものね……私にも寛容だったらいいのだけれど)


 アリムと予定よりも早く顔を合わせたうえ、おやつと、そして今は彼のために手を加えらた庭園にまで連れてきてもらってしまっている。


「アイリスも乗せてあげる! パパは大きいから無理だけど、アイリスなら並んで座れるよ」


 乗ってしまっていいのか悩んだのは、ほんの束の間だった。


 アリムの笑顔が可愛くって、それを曇らせたくないと思った時には、アイリスは即座に誘うに応じていた。


 ブランコに隣り合って腰を降ろした。二人で乗っても余裕がある。


「こいでこいでーっ」


 ブランコの高さはまだ彼の足が届かない。


 普段から『パパ』に動かしてもらっていたそうだ。アイリスは足で地面を押して、危険がない速度でブランコを揺らした。


「二人で乗ると楽しいね!」

「ふふ、それはよかったわ。私も楽しいわ」


 大公様の屋敷にいることを忘れた。声を出して笑い合いながら、アリムとブランコに夢中になる。


 そばで見守るブロンズが心配そうに「お気をつけて」とたびたび言った。


 どれくらい経った頃か、不意にアリムがとある方向を見る。


「パパ、おかえりなさい!」


 ――え。


 アイリスはひゅっと息を呑んで固まってしまった。

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