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一日半、たっぷり王都の屋敷を楽しむことなった。
それはアリムに心置きなく過ごしてもらうと同時に、挙式へ出席するための準備もぬかりなく進めるためだ。
「パパも軍服風の正装はやめようよ。こんなにいっぱいあるんだから!」
ヴァンレックは着ても軍服仕様の服のイメージが強かったので、アイリスは屋敷の探索ツアーのついでにアリムに案内された衣装部屋に、たくさんあった夜会服や正装などに驚かされた。
(ちょっと見てみたい気もするわ)
教えてくれたアリムに心の中で感謝しながら、尋ねてみた。
「私が選んでもいいですか? あっ、その、夫婦で出席するのでしたら揃えたいですし――」
「もちろんいい。君が選んだものを着る」
食い気味に言われた。
彼は嘘が吐けない人だ。アイリスとしても見てみたい衝動で言ってしまったが、さすがの彼女もヴァンレックの反応には困ってしまった。
どう考えても、それなりに好意は抱かれていると感じる。
けれど彼が誠実で、愛した人を大切にする男性であることは、普段のアリムへの対応でも分かっていた。
(異性に対する好意とか、そういうものではないのだから気を付けないと)
そうだと思おうとしても、アイリスの胸は甘く高鳴り続ける。だから、自分の心に何度も言い聞かせた。
ヴァンレックが仲良くしたいと全身で示してくるのは、信頼してくれているから。
アイリスと、同じ気持ちだからではない。
(彼は一人の女性にしかそういう気持ちを抱けない人で、初めての顔合わせで『君を妻として愛するつもりはない』とは、はっきり言われているもの)
頭では理解しているのに、ハッとした一瞬に、彼の柔らかな眼差しが特別だと語りかけているのではないかと錯覚してしまう。恋している自分が怖い。
こんなにも自然と恋愛事を考えるようになった事実にも、悶絶しそうだ。
ヴァンレックの正直者なところも好ましかった。
そんなつもりではなかったのに好意を持たれてしまっても……そう困る彼の姿は、見たくない。
(だから、私が平気なふりをしなくちゃ)
彼に迷惑はかけたくなかった。
だからアイリスは、自分の気持ちなんて知らない、という嘘を突き通さなければならない。
「座っていてもいいので、ヴァンレック様を見て衣装を絞り込んでいってもいいですか?」
「着る本人が隣にいたほうがしやすいだろう」
「遊びの後に準備に付き合わせてしまうのも……」
「夫婦なんだ。俺のほうが体力もあるし、いいように活用してくれ」
「そういうことでしたら」
「服はたくさんあるから、僕が候補を挙げるね!」
アリムがアイリスのスカートに飛びついた。
※・※・※
はにかみ答えるアイリスを見て、特別な絆や気持ちが育っていないなんて信じる者はいないだろう。
「いつまでも見守っていたくなる〝いい夫婦〟ですねぇ」
衣装部屋の入口から覗き込んでいたシーマスが、くくっと喉を鳴らす。
「戦でも社交の場でもあんなに勇ましいお方が、なかなか踏み出せないでいるのは、もどかしいですがね」
ブロンズが告げると、主人本人が手伝いに入ってしまって出番がなくなったメイドたちが、同意してうんうんとうなずく。
「生涯たった一人だけの伴侶を迎える性質ゆえでしょう。あんなにせっせと狼の貢物をされているのに、たった一言の好意を伝えるのが難しいなんて、見ていて平和な光景で、俺らとしては嬉しさも感じますけどね」
「次の満月からは、もう〝牢〟など必要ないことは、わたくしも嬉しいですよ。これまでの獣化の先代方と同じく、旦那様も、ようやく本来の満月休暇を楽しめることでしょう」
狼の姿になった夫と、妻が満月の日が明けるまで同じ部屋でゆったりと過ごす。それが本来の獣化の力を持った者の過ごし方だった。
ヴァンレックにもようやくそれが訪れたと知って、先代国王夫妻は泣いて喜んでいた。豪胆な性格であるヴァンレックの兄であり、国王もアイリスに心から感謝していた。
出会ってくれたこと、野獣に愛を捧げて心を人に戻してくれたこと。
王家親族たち、大貴族や臣下たちも話しを聞くなり続々と祝いを贈りたがり、それを止めるため、国王は現金という形でまずは収拾をつけた。
それを、いつアイリスは知らされることになるのだろう。
そんな時が一日でも早く近付けばいいと、ブロンズを筆頭にみんなが思っていた。
◇∞◇∞◇
前日と同じく、アンメアリーの結婚式当日も空は見事に晴れた。
挙式の入場指定は午前十時半だ。
それに間に合わせて向かったアイリスは、馬車を降りてヴァンレックと手を繋ぎ、結婚式の会場になっている聖堂の入り口を目指した。
周囲から一斉に熱く注がれることになった視線で、頬は緊張に赤く染まっている。
とくに女性たちの眼差しは熱すぎた。
「あれがヴァルトクス大公様?」
「ご結婚されて雰囲気がずいぶんと……」
「なんて素敵なのかしら。そばにいられる妻が羨ましいわ」
褒め言葉の嵐で耳が熱い。
(というか、どうして私が真ん中になるのっ)
右はヴァンレック、左はアリムがいて、アイリスは恥ずかしくて視線を足元に落とす。
二人はどちらもアイリスの手を繋ぐと言って聞かなかったのだ。
けれど、パパとしてどうなのかとヴァンレックに文句も言えない。
女性たちが見惚れて動けなくなるほどの威力は、アイリスも感じているところだった。
(――ヴァンレック様、素敵すぎっ)
アイリスは本日、アメシストの上品な色合いをしたドレスを着た。髪は夫人らしくゆるめに結い上げて、装飾品で仕上げる。
そしてヴァンレックは、彼女と色合いとデザインを揃える形の衣装を着ていた。彼には少し明るすぎるかと思っていた紫混じりの青い礼装は、彼の金髪と明るい金色の目を一層引き立てている。
筋肉質なのかと思ったら、意外と着やせするタイプであるらしい。ヴァンレックは、すらりとしたフロック・コートも見事に着こなした。
形のいい広い肩幅は後ろから見ても衣装を美しく見せ、普段は黒なのに、珍しい白い手袋は指先まで彼を極上の貴族紳士に仕上げている。
どうせ動くからと普段は何もせずにいる金髪を、本日はアイリスに合わせて上げているのも、端正な顔立ちを見せつけて彼の印象をガラリと変えている。
(対するアリムは、かわいいしイケメンだしっ)
心を落ちつけたくて自分たちの間に視線を落としたアイリスは、かえってテンションがちょっと上がってしまった。
アリムは『パパ』と髪型を合わせていた。
愛らしいが、整ったその横顔は美少年感が増している。
将来、彼はとんでもない美青年に成長するだろう。
人々の注目は、獣耳に尻尾を持ったアリムにも理由があった。しかしほとんどの人の一番の関心はヴァンレック、そして嫁いで初めて王都にやってきた自分のだと知った時には、アイリスは驚いたものだ。
王都の邸宅を出た際、門扉の向こうには黒く埋め尽くす人だかりがあった。
ライノーアル伯爵とアイリス・エティックローズ侯爵令嬢の結婚式に、その姉を妻に娶ったヴァルトクス大公が出席すると聞いて人々が集まっていたのだ。
会話を拾うに、ヴァンレックは滅多に参加しないらしい人なのは分かった。
人々は彼が子供を連れてきたことにも関心が高いのだろう。
(見世物みたいになったら気分が悪いだろうし、と心配したんだけど……アリムが『全然平気』と答えてきた時の顔も、嘘を吐いている様子はなかったわ。今もまったく気にならないみたいなのよね)
だから連れてくることにも少しは安心できたのだが、アイリスはやはりじろじろと彼を見られることは平気じゃなかった。
握っているアリムの手を深く繋ぎ直し、寄り添うようにそばに寄る。
きょとんと視線を上げてきたアリムが、察したのかふっと嬉しそうに笑うと、その無邪気さに人々の視線が一瞬にして変わった。
「か、かわ……!」
男性も女性も、見すぎて緊張してしまっては大変だと急ぎ平静を装っていく。
その光景はおかしくて、アイリスの気を少し緩めてくれた。




