6-4
馬車に乗って町まで行った。
雪はやんでいて、晴れた雪景色は日差しの反射で一層明るく見えた。
「あれって大公妃様じゃないか……?」
下車すると人々の視線が集まった。
これが領地の人たちへの初めてのお披露目になるから仕方がない。
そう覚悟していたものの、きつかった。
(大公邸でどれだけ心地よく過ごさせてもらっていたか、よく分かるわ)
アリムが自分の噂でも聞いたらどうしようか、とアイリスは心配する。
「アイリスは左手を握って!」
「ふふ、いいわよ」
アリムと話していると緊張感から少し解放された。
(大丈夫。アリムに楽しんでもらうことは、死守するわっ)
心に決めて、アリムの間を挟んでヴァンレックと三人で歩き出す。
きっと気が休まらない時間になるに違いない。
アリムのほうにもさぞ注目が集まるだろう――そう考えていたのだが、歩いてすぐ雰囲気が変化するのを感じた。
「おぉ本当だ……!」
「我らが大公様もついに……」
「ありがとうございます」
気のせいか、一番注目されていのはアイリスだ。そのうえ見知らぬ老人から合掌されたりと、かなり感謝されている空気を感じる。
(……思っていたのと反応が違うわね?)
刺々しい視線はいったいどこだ、とつい探してしまう。
「んんっ。アイリス、ここには大きな書店が二つある。第二王都だと言われるほどに規模もあり、品も揃っているんだ。行きがてら案内をしてもいいか?」
アイリスがじーっと人々の会話のほうを観察し始めたところで、ヴァンレックがアリム越しに手を引き寄せ、自分に注意を引く。
「はい、私は初めてですので嬉しいです」
有難いです、と言おうとしたのに、うっかり本心が口から出た。
「そうか。俺も、君を案内できて嬉しい」
アリム越しに顔を見せてきたヴァンレックの柔らかな眼差しに、アイリスは顔が熱くなるのを感じた。
(何かしら、すごく甘い空気を感じるような……)
するとアリムが、ヴァンレックの手を引く。
「パパ、僕も初めてなんだけど?」
「歩くのは初めてだな」
「アリムは何度か来たことがあるの?」
「じっとしているのもつまんなくって、巡回の馬車に乗せてもらったの」
先日、吹雪いているのに一人で平気に外へ抜け出した一件が頭に浮かんだ。
意外と好奇心旺盛で勇敢さも秘めているみたいだ。
アイリスは雑談を楽しみながら歩いた。
話していると、周りの視線を意識せずに済んで助かった。
ついでに彼女は、ヴァンレックが注意をそらした場所の壁にかかった地方紙の切り抜きも見逃した。
【大公様が一番目に知らせてくれた吉報!】
【〝俺の伴侶だ。その人がいれば暴走はしない〟】
【暴走化の完全な制御が可能になったと騎士団員も大喜び。大公様は近いうちに、まずここへお披露目に連れてくると通達し――】
どの店も祭りみたいに飾られていた。冬なのに商品の種類も数も豊富だ。通りを歩きながら見るだけでも楽しいのに、ヴァンレックはわざわざ足を留めて店々を覗かせてくれた。
人々も露骨に嫌だという態度を出さなかったことも、アイリスを安心させた。
(アリムも楽しんでいるみたいだし、寄り道もいっか)
楽しみながら目的地の書店を回った。
たくさん買いすぎてしまって、会計の時に恥ずかしくなった。
アイリスがお金がかかってしまうことを申し訳なく口にしていた時、店員も周りの客たちも一斉に見てきた。
それには驚いた。変なことを言った覚えはなくて不思議だったのだが、ヴァンレックはにこにこして言う。
「家に子供用の絵本を多く置いていても、問題にならない」
まるで、以前まではそう考えていなかったようにも聞こえた。
たっぶり絵本を買えてアイリスは満足だった。大公邸にまで届けてくれるとのことで、二軒目の書店も手ぶらで外に出る。
だが、そこでヴァンレックとアリムが暴走した。
「おーっと、向こうに仕立て屋があるなー。少し覗いてみないか?」
「え?」
「パパ名案だと思うよ! 行こ! アイリス!」
まるで二人は用意されていた台詞を読み合っているみたいに聞こえたのだが、そのあと仕立て屋に始まり、二人の買い物の多さにアイリスは考えるどころではなくなる。
まず仕立て屋では、ヴァンレックはドレスの注文の他、すぐに着られる既製品を購入しておこうと言い、あろうことか合計三十着買うことになった。
「パーティーで目立ちそう! アイリスはこっちも似合うよ、着てみようよ!」
「いや、アイリスは俺が選んだものが似合う。まずはこれを着せよう」
アリムが言えば、ヴァンレックが張り合って別のドレスを引っ張り出す。
彼が選ぶと、同じく負けじとアリムも店員にお願いして、新しいドレスを移動させてくる――。
(普段着じゃなくて舞踏会ドレスまで? そ、そんなに選んでもらっても、実際に着ていく場所なんてほとんどこないのですけれど!?)
お金持ちの買い物とは、こんなものなのだろうか。
ジュエリーも買おう、合う靴も探してみよう、といろんな店をはしごすることになった。二人ともアイリスの購入品ばかり探し、しばらく今日の外出の目的だった『絵本』という単語さえ頭から飛んでいたくらいだ。
「明日から一つずつ着てみて! 楽しみだねぇ」
馬車に戻ってあと、アリムは上機嫌に脚を揺らしてそう言っていた。
「そ、そうね……」
いったい今日でいくら使ったのか。
果たしてブロンズは倒れてしまわないか?
(もしもの時は私がもらった褒賞から出しましょ……足りるかしら)
同じく上機嫌な様子で車窓を眺めているヴァンレックの呑気な横顔を見やったアイリスは、気が気でなかったのだった。
◇∞◇∞◇
三日目の朝、執務室へと向かうブロンズからついでに預かった追加書類を胸に抱えて、書斎に向かうアイリスは一人細いため息を吐いた。
(さすが大公邸……私の共感者が全然いない……)
あれからアイリスは、毎日違うドレスと髪型をメイドたちに仕上げられて一日が始まっていた。
あまりにも素敵なので、レベッカ伯爵夫人とのダンスの授業もそのまま行ったほどだ。
『初めての買い物を楽しまれたようで、何よりです』
あの日、帰宅した際にブロンズに報告したらそう告げられた。大量のドレスのうちの一部が屋敷に届くと、メイドたちも仕分けをはりきっていた。
騎士たちもすれ違うと、似合っていることを褒めるだけだ。
(おかしいと感じているのは私だけ?)
これは、アリムの成長祝いのご褒美だったりするのだろうか。
「それにしても規模が違いすぎるわっ」
書斎に入った際、思わず声に出してしまった。
でも、そんな自分が今どんな顔をしているのかも分かって、アイリスは扉に背をあてて、ずるずるとしゃがみ込む。
「…………嬉しすぎて、ここずっとうきうきしてるわ」
表情も緩みっぱなしかもしれない。
悪女っぽい端正な顔立ちをしているのに、そんなことも忘れて声をかけてくれる屋敷の人たちに、微笑みを返していた。
(こんな髪型、似合わないと思っていたのに)
アイリスは片方の肩から出された、大きな三つ編みがされた自分の赤い髪を手でなぞる。
こんなふうに髪型を弄られても気にならない。
むしろ、これまでしたかった刺々しさのない恰好は呼吸がしやすかった。
『よく似合ってる。また、買いに行こう』
朝食時のヴァンレックの笑顔を思い出して、思考は瞬時に止まった。
「……あんなに柔らかく微笑むなんて、反則じゃない?」
人を愛することをすでに知っている男だからだろう。
警戒心がなくなると、素敵な紳士すぎて困った。
(それとも私が恋した目で見ているせい?)
前髪を軽くかき上げて「はぁ」とため息をもらす。
もう、ただただ人のいい紳士にしか感じない。
いや実際、ヴァンレックはすごくいい人なのだろう。社交界の噂は〝獣化〟への恐れも関係している。変身中に暴走してしまうのも事実だ。
「…………今はとてもコントロールできているように見えるけど?」
それもアリムの母親が関わっているのだろうか。
アイリスが聞いている噂は、彼女と出会う以前のヴァンレックのことが多いのか。
むすっとしてしまった。
ハタと自覚したアイリスは、そんな自分に反省しながら立ち上がる。
書斎机に追加の書類を置いた。
その際、書類の束が左側に少し滑ってずれた。冊子の間に手紙も挟まれているせいだと気付く。束になった手紙を回収して結び紐をほどいたところで、思わず久しぶりに覚えた険悪な声が口からこぼれ落ちた。
「――は?」
滑りがいい手紙の封筒が左右に滑った時、覚えがある家名が目に留まった。
【エティックローズ】
まさかと思ってそれを取り出してみると、招待状だった。送り主は、母だ。




