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6-3

「アイリス、天気も落ち着いたと思わないか」


 じーっと見つめていたら、ヴァンレックが視線を天井へと逃がして、唐突にそんなことを言った。


「そうですね……?」

「絵本を見繕いたいと言っていただろう」

「あ、アリムの成長祝いですっかり忘れていました」


 昨日、積み木の支度をアリムがメイドたちと楽しそうにやっている間に、こそっとヴァンレックに報告してはいたのだ。


「アリムのお祝いだ、町に出ないか?」

「いいのですか? アリムも一緒?」


 思わず重ねて確認してしまったら、ヴァンレックが「ぐっ」と何やら空気を口に溜め込み、腕を組んで上を向く。


 かなり力を入れているのか、腕がぎりぎり音を立てている気がする。


「ヴァンレック様?」

「アリムも……一緒だ……そう言えば警戒心をなくして君のドレスも買える計画……」


 正直者の彼が何やら続けた気がした。


 一緒、のあとの声が口の中にくぐもりすぎて聞き取れない。


 でもそんなことより、アリムも連れていけるというのがアイリスにとって吉報だった。


「アリムの好みな絵本を選べますね!」

「う、うむ、そうだ。昨夜寝かしつけながらどうかと聞いてみたんだ」

「きっと喜んだでしょうね。それで朝食もご機嫌だったんですね」


 変身の授業とやらで『パパ』と一緒にいられる時間が増えるのも嬉しいし、外に出られるのも楽しみなのだろう。


「あの子も変身できるようになったから、そろそろ外を歩いても大丈夫だ」


 何か、そういう〝手順〟のようなものがあるのだろうか。


(狼の姿になれる前は、人の姿のまま暴走する確率も高いとか……?)


 そうだとすると、ヴァンレックがしばらく使用人たちを近付けさせないみたいにアリムに構っていたのも、騎士たちだけが交流があったことも、うなずける気がする。


 でも好奇心のままつっこんで聞くことはできなかった。


 王家の秘密を知ってしまうのは、まずいだろう。


(尋ねて、もしヴァンレック様が申し訳なさそうな顔をして『ごめん』なんて言ってきたら……私、かなりショックだと思う)


 そう予感したら、アイリスは口を固く閉じた。


 でも、逃げるつもりはなかった。


 長くいられないのだとしたら、その日その日、過ごしていく時間は貴重なはず。


(残された時間を、大切に過ごそう)


 昨日の嬉しい出来事をヴァンレックと一緒に受け止めた際、こうした一つずつのアリムの成長という幸せな瞬間を、見逃がしたくないとアイリスは思った。


 そしてそれを受け止めた嬉しそうなヴァンレックも――。


 アイリスは、もう自分のゆくゆくの未来を受け止める覚悟はできていた。


 そして、ヴァンレックを困らせないという選択肢も。


「希望を聞いてくださって、ありがとうございます。よろしければ就寝前の読み聞かせをさせていただいても? 忙しい時には、ヴァンレック様の助けにもなれると思います」


 ヴァンレックが、ぱっと表情を明るくした。


「それは助かる、ぜひっ。あ、いや、今晩から早速来てくれないか? 購入した絵本をその夜に楽しめるとしたら、アリムも喜ぶと思うんだ。どうだろうか?」


 嬉しそうな表情がアリムに似ているように感じた。アイリスは、つられて笑い返す。


「はい。そうしましょう」

「では食後の湯浴みは早めに、いや待ち合わせ時間はあとで決めよう。夜のつまみでほしいものは? 希望の飲み物はあるだろうか」


 彼は、忙しそうにメモ用紙とインクを引き寄せる。


(まるで私を招待するみたいな勢いね)


 場所はアリムの寝室であるし、主役も彼だ。


 アイリスのほうがまだアリムの接し方に慣れているから、嬉しいのだろう。


 帰宅した際の花や菓子の土産は続いていた。


 ここまで信頼されているのも嬉しい。


(迷惑はかけないようにしなくちゃ)


 予想外の結婚だったが、穏やかで素敵な夫婦時間が続いているのを感じた。


 事実は父と子と、そのお手伝いさんだけれど。


 それでもアイリスは幸せだった。


 今の暮らしを、とても楽しいとも感じている。


 期間限定だけれど、こんな雰囲気が一日でも長く続けばいいと思う。



 午後の三時、玄関ホールで待ち合わせることになった。

 今日からヴァンレックが屋敷にいるので、アリムとの時間は少し短くなった。その間は大公妃教育に専念するといいとヴァンレックは言っていた。


 アイリスとしても、アリムが『パパ』とたくさん交流できる機会だ。


 狼に変身できる者にしか教えられない授業内容だとしたら、邪魔もしたくない。修行は騎士団側でするそうだ。


「アリムの注意力が散漫にならないためにも……」

「大丈夫です。執務室への行き気が必要な際には、ブロンズに任せますね」


 と、答えたものの、休憩時間で合流した際には気になっていた。


 普段アリムがどんな〝授業〟を受けているのかも分からない。まだ六歳なので、無理のないものなのか、体力は大丈夫か、とかいろいろと考えてしまう。


 二人はまったく授業について口にしない。


 お飾りの妻には共有できないことかと感じて、少しだけ寂しくなったものだ。


 いったんまた二人とは別れ、そして例の初外出の待ち合わせ時間を迎えわけだが――。


「数分遅れるなんてパパさいてー!」

「いたたっ、アリムやめなさいっ」


 気になって上の空で待っていたアイリスは、ふっと聞こえてきた騒がしさに我に返った。


 見てみると、ヴァンレックはアリムを脇に抱えて走っている。


(なんて雑な運び方……)


 アリムのほうは、小さな拳でぽかぽかと彼の腹を殴っていた。


(一緒にいられて嬉しいはずのパパに向かって?)


 というか、いったいどういう状況なのだろう。


「アイリスと過ごす時間が減っちゃったー!」

「くっ、俺だってそうしたかったのにっ」

「パパ仕事ありすぎ!」

「そういうアリムは、もう少し普通の狼に見えるように変身の精度を上げてだな――」


 何やら、父と子が言い争っている。


「アイリスすまない待たせてしまったっ」

「会いたかったよぉアイリスうううううぅー!」


 迫ってきた二人が、同時に言い合いをやめてアイリスにそう言ってきた。


(まぁ、さすが父子ね。息がぴったりだわ)


 アイリスは声に出さないよう、自分の口に手を添える。


 でも――どちらもアイリスと会いたかったのはよく分かった。授業を知れない疎外感も、単純なくらい自分の中から消えていくのを感じた。


「ふふ、私も会いたかったです。二人とも、お疲れ様」


 嬉しくて心からそう声を掛けたら、なぜかヴァンレックが急に照れ臭くなったみたいに視線を逃がした。


 アリムも彼の脇腹に抱えられた状況を忘れたみたいだ。


「嬉しいなぁ。お疲れ様って言われるのも、結構いいかも」


 彼は丸いほっぺに両手をあてて「えへへ」と笑っていた。

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