6-1 六章
我が子が邸宅を抜け出すという事件が発生したためだろうか。
その翌日から、ヴァンレックがまた少し変わった。
できるだけ接点を持つように、自分から率先してアリムとの時間を過ごしてくれている。今日もまた、アイリスの目の前では、彼の部屋で父と子の時間を過ごそうと一緒に積み木をしているヴァンレックの姿があった。
時々、彼はアリムにバカにされている感じはあるけれど。
(ヴァンレック様は、子供の頃は遊んだことがほとんどないみたいね。獣化に対応するための厳しい訓練のせいだと思うけど……そんなこと、六歳の子共に教えるわけにはいかないものね)
同じ獣耳と尻尾を持って生まれたアリムに、同じ教育を課したくない、という思いもあったのだろうか。
ヴァンレックも思い悩んだのかもしれない。
そう思うと、アイリスもアリムが「へたっ」だの「積み木の基本がなってないセンス最悪っ」だの、パパへの厳しい指摘に対してはフォローせず見守っていた。
(はぁ……好きだと分かったら、彼のことをすごく考えてしまうわね)
気付いてしまった気持ち。
思い返してみれば納得だった。これまでアイリスの考える基準は、すべてヴァンレックだった。自分のことでせいいっぱいだったから、気付きたくなかった想いでもある。
でも、今、目の前でヴァンレックが笑っている。
息子にとやかく言われるのも楽しいのだろう。恋が叶わないことは切ないのに、彼が幸せならそれでいいと思える気持ちも同時にあって――今はただ、こうして眺めているだけで幸せな気持ちになっている。
(ほんと、いいパハね)
アイリスは床に座った二人を、立てた膝に肘を乗せて、頬杖をつき優しく見守る。
(金髪に銀髪。髪色も全然違うけど、こうして見ていると、二人は似ているかも)
ふふっと笑った拍子に、アリムがアイリスを見た。
「アイリスの分の積み木、取っちゃったね。ごめんね」
「私の分も大きなお城を作ってくれるんでしょう? アリムが上手で、見ていてとても楽しいの」
「もちろん! アイリスが望むならお城をあげるのもいいよねっ」
「アリム、頼むからそうしようと思うなよ……」
なぜヴァンレックが困ったような声でそう言った。
(大きくなったことを想像してそう言っているのかしら? 気が早いわ、なんて可愛いのかしら)
またしても表情が緩んだアイリスは、ハタと自覚して、両手で頬をむにむにと押した。
(ああまずいわ、彼が可愛くまで見えてきてる)
「アイリスー? どうしたの?」
「またアリムの姿に身悶えしているんだろうな……羨ましい……」
「パパ、『可愛い』って言われるより『かっこいい』がいいに決まってるでしょ。変なこと言わないの。可愛いは、僕の特権だもん」
「当たり前だ。かっこいいと言われたい」
「素直に伝えてみれば?」
アリムが積み木を重ねながら言い、ヴァンレックが顔を寄せて真剣な顔で彼と話す。しかしその声は、自分を落ちつけようとしているアイリスの耳には届いていなかった。
(すごく子供想いだわ。そんな人相手に好意を持っているなんて、絶対に知られちゃだめよ。悪女と言われているのに彼にこうして味方として受け入れてもらえたんだから、それだけで満足すべきだわ)
乙女心は、数日経っても悩ましい問答を繰り返している。
その時、銀色の眩い光が視界に入り込む。アイリスは驚いて視線を上げ「あ」と口の形を作った。
「……えっ、何!?」
アリムが銀色の光を放っていた。
以前見た、彼自身が起こしていた黄金色の粒子の光とは違う。
それは先日見たヴァンレックの起こした光と同じだ。違っているのは、アリムの銀髪の一本ずつまで神秘的に発光していて、柔らかな輝きであることだった。
「あ、もしかして」
自分の小さな手を見下ろしたアリムが、そう口にした瞬間だった。
強い銀色の光が彼の姿を遮ってしまった。
雪景色の中ではないせいだろうか。あまりにも目に眩しく感じて、アイリスは腕で目をかばう。
「アリムっ」
思わず叫んだら、ヴァンレックの声が聞こえた。
「大丈夫だ! これは――」
光がみるみるうちに弱まっていく。
アイリスが不思議に思って腕を降ろすと、アリムが立っていた場所には、子供服が重なって落ちていた。
そしてその上に、ぱたぱたと小さな翼を動かしている、銀色の子犬が浮いている。
いや、狼だ。よくよく見てみると、顔が違う。
「ア、アリムっ、ようやくここまで成長したんだなっ」
ヴァンレックが感嘆の声を上げた。彼がここまで感極まった反応をするのを見たのは、初めてだ。
するとアイリスの目の前で今度は、生後数ヵ月の猫くらいの大きさの仔狼が、つぶらなアイスブルーの目を嬉しそうにヴァンレックへと向ける。
「僕っ、ようやくこの姿になれたよっ」
「おめでとうアリム。本当に嬉しい。半年間変化がなくて俺の部下たちも疲弊、いや絶望、いや子育ての向いてなさに悩みまくっていたが、アイリスが上手に育てたおかげだな」
「子供の前でそんなこと言っていいと思ってるの?」
「今くらい言わせてくれ。ほんと、どうなることかと思った……」
「分かる、僕も言いたい。僕もだめかもとか思ってたから、ほんと嬉しいっ」
何やら二人は感動している様子だが、アイリスは会話がうまく掴めなかった。
「アイリス!」
宙に浮いている仔狼が、アイリスに向かう。
「僕、獣化できたよ! 成長できた!」
飛んでくる銀色の小さな子犬、いや仔狼が可愛すぎた。
しかもヴァンレックが狼になった時と違って、表情もかなり豊かである。
(もみくちゃに抱き締めたいわ! ――ハッ)
アリムは、獣化が心から嬉しいのだ。
そこはヴァンレックと違っていることに、アイリスは気付いた。
国や王家にとって【獣化】持ちの子が生まれるのは、とても嬉しいこと。でも、本人は葛藤を覚えるような苦労もあるはず。
(ヴァンレック様は……自分のような幼少期を、アリムに過ごしてほしくなかったのね。だからすぐ兄に報告しなかった? 社交界のお披露目もしていない?)
それもすべて、アリムの心を守りたい父親としての願いがあってのことなのではないだろうか。
(よかったわねアリム。あなたには、パパがいる)
アイリスは心から思った。そこもまたヴァンレックと違う。
ヴァンレックは、一緒に乗り越えようと考えてくれているに違ない。自分も完全に狼の姿になれるから、アリムは満月の日に一人で過ごさなくて済む。
それならアイリスも『パパ』の望むようにしよう。
狼の姿になれることは、悪いことではない。成長の一歩として喜ぶべきものだと。
「成長おめでとうアリム!」
アイリスは、飛んできた仔狼を思いきり抱き締めた。
「偉いわ! すごいわ!」
「あはははっ、くすぐったいよ~!」
もみくちゃに撫でまくって、全身で褒めまくる。
「小さな銀色の狼かわいい~!」
「好き?」
「大好きよ! これからこの姿も大きくなっていくのかしらね」
ヴァンレックの身長と、狼に変身した際の大きさがかなり違うことからして、狼の姿の成長速度は違う気がする。
「うん、どんどん大きくなっていくと思うよ」
「じゃあ、好きなものも含めてもっと食べていかなくちゃね。たくさん遊んで、体力もつけて――」
なんてもふもふな触り心地だろう。うっとりとした一瞬後、アイリスは手に触れたぱたぱたと動くちいさな翼にハタとする。
(そういえば……なんで背中に小さな翼がついているのかしら?)
これも祖先の神獣の影響なのだろうか。
(ヴァンレック様の背中にはないから、小さい時だけついている、とか?)
思わず翼を指でつまむと、ヴァンレックがハッとした。仔狼もハッと固まる。
「ア、アイリス、これは……」
「あのね、僕の〝それ〟は」
ヴァンレックに続いて、アリムがぱくぱくと口を開く。
まずい、そう二人の顔に出ていることにアイリスは気付いていなかった。




