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「聞いていて面白い話ではないと思いますけど、私は生まれた時に母の不貞を疑われる材料になったみたいです。父も母も、その上にも『赤い髪』はなかったようで、髪色が違うことから、父は私を自分の子ではないという考えが今も抜けていなくて」
正統性を主張しながらも、父に捨てられたくないと必死だったのか。それとも本当に〝そんなこと〟があったのか、母はアイリスを露骨に嫌った。
父も侯爵令嬢という扱いはしなかった。
幼少期から始まった令嬢教育、ダンスの授業が二、三回だったのもそのためだ。
自分でドレスを選んで買ったことはなく、家族のプライベートな外出に付き合った記憶もない。
親族が呼ばれてパーティーが開かれた時は、部屋にいた。
そう話すと、ヴァンレックは驚いたようだった。包み込んでくれている尻尾が強張るのを感じて、アイリスは穏やかな手でぽんぽんと叩く。
「気にしていません。でも、このドレスを着なさい、今は部屋にいなさい、その全部の言うことを聞いていれば、いつかは……という希望を打ち砕いたことは、今も許していません」
家族は『アイリス』の心を、とうとう殺してしまった。
「実は、縁談の話が来ていたそうです。ライノーアル伯爵という方から」
ヴァンレックの身体が、ぴくっと反応する。
「ライノーアル伯爵……最近、君の妹と婚約した?」
「ああ、婚約したんですね」
興味がないので、新聞や雑誌は見ていなかった。自分の結婚について好き放題どう書かれているのか、わざわざ知りたいとも思わない。
「そのお方のことは顔さえも分からないのですが、私との見合いを希望したらしいんです。妹は彼のことを気に入ったようで、邪魔だから追い出すことにしたみたいです。陛下に臣下として貢献もできるし、他の貴族たちにも恩を売れるし――妹の身代わりに、そして侯爵家のために最後くらいは役に立てと言われました。私は帰りたくありませんでしたから、しばらくココに置いてくださると分かった時は、ホッとしたんです」
アイリスは、ふと、低い呻り声が聞こえてハタと我に返った。
語りすぎてしまった。
「ふ、不快にさせてしまったのなら、ごめんなさい」
「君のその家族が不愉快だ。なんて傲慢で自分勝手で、愚かな」
誰もが家族の味方だった。
(それなのに――)
自分のために怒ってくれているヴァンレックに、アイリスはうっかり涙がこぼれそうになった。急いで彼の極上の毛並みに、顔を埋める。
「いいんです。これから幸せになればいいんですから。結婚のおかげで家から出られましたし、可愛いアリムにも、ヴァンレック様にも出会えました。ここで過ごした日々は人生で一番幸せです。ここで出会った人たちも、みんな大好きです」
本心からそう答えた。
自分は幸せであると、胸を張って言える。
だから、いつか来る離縁を想像すると最近は切ない気持ちになるのだ。
(離れたくない。このままが続いていけばいいのに、と思ってる)
そう思ってしまうことは、だめなのは分かってる。
だから、その言葉だけはぐっと飲み込んだ。
今だけでアイリスはじゅうぶん、幸せだから。
「……そうか。話してくれてありがとう」
尻尾が優しく彼のほうへ引き寄せてくれた。
「こうして一人で過ごさない満月の日は、兄と一緒に暮らしていた以来だ」
ヴァンレックは、いくつか思い出を教えてくれた。
城の地下には【獣化】する王族専用の特別な部屋があるそうだ。幼い頃、兄は狼の姿なったヴァンレックを見て『チビ』と指差して笑った。今と変わらないな、いやもっと小さくなった、と。
姿を気にしないと伝えようとしたのだろう。
ある日は犬用のおもちゃを持ち込み、ある日はお菓子と犬用おやつを好きなだけ食べた。発案はすべて兄で、毎月暇はしなかったそうだ。
「兄弟か親なら暴走の確率も下がる。成長するに従って俺の力が増したせいで、何度か彼には暴走を止めてもらった。勇敢な人だよ」
その部屋に両親が入った、という話はなかった。恐らく両親は一度も付き合ったことがないのだろう。
でも、普通はそうかもしれない。
「勇敢なお方ですね。そして心底優しいお兄様です」
「ああ、優しい人だよ」
ふふっと彼が笑う。
狼の横顔なのに、優しく微笑んでいるのがアイリスには分かった。
「彼の支えになりたいと思った。でも、今は、君にもそう感じている」
「え? 私?」
「そうだ。君は幸せになるのが目標だと言った。そのためなら、なんでもしよう」
彼が人の姿だったら、きっと勘違いしていただろう。
「なんでも、なんて言ってはいけませんよ。初めての満月の夜を過ごしだけですし、まぁこれからは毎回ご一緒するつもりですけど。どんな要求をされるか分かりませんから『なんでも』と、気軽に口にしてはだめです」
前世で学んだことだ。アイリスは、そんな心配になる『大公様』のほうを見て、我慢できず笑ってしまった。
「ヴァンレック様は大きな狼の姿も持っているのに、優しすぎますね。そんなんじゃ、全然怖くありません。次もご一緒していいんですよね?」
名前を呼んで、会話する。
この調子であればきっと暴走はしない。アイリスはそう感じた。
「……ああ、ありがとう」
アイリスは一瞬、こちらを見つめる彼の金色の目が潤いを増して、妙に色っぽいというか、獣姿相手にどきどきしてしまった。
◇∞◇∞◇
十月も後半に入った。アイリスは書斎で手紙を振り分けていた。
「討伐の感謝状はこっちで……」
その時、ノックの音がしてヴァンレックの声が聞こえた。彼の書斎なので変な感じがしながらも、まさかと予感しつつ、どうぞと答える。
「お疲れ様です。おかえりなさいませ」
「ああ、今戻った」
扉を開けたヴァンレックは、鼻先が少し赤かった。そして歩み寄ってくる彼の右手には、細い手製の花束が握られている。
「冬の下でもたくましく生きるこの地の花だ」
どうぞ、というように、彼がずいっと差し出してきた。
アイリスは、しばし呆気に取られた。
(……今日も?)
固まっていると、彼の表情が少し不安そうに変化していく。
「気に入らなかっただろうか――」
「と、とても気に入りました! 可愛い赤いお花ですねっ」
アイリスは立ち上がり、光の速さで花束を受け取った。
「わざわざ大地のお花を探してくれたんですね。えぇと、雪をかき分ける手も冷たかったんじゃ――」
「大人の獣人族は少しの間なら平気だ」
とは言うものの、アイリスは彼の鼻先が赤いのが気になった。
動いている時はそう寒さは感じないが、同じ場所にとどまると寒さは感じる、とはシーマスに先日耳打ちされていた。
帰りにいつも土産を探しているので、団長から何か贈られたら遠慮せずとにかく喜びを見せて、受け取ってあげてほしい、と。
(でも、どうしてそんな日課になっちゃったの?)
満月の翌日から、ヴァンレックは外出すると何か一つ土産を持ち帰るようになった。
アリムのもとにまっすぐ向かわず、軍馬を部下に預けて急ぎアイリスを探し、贈り物をする。
「あの、アリムは……」
「まだ昼寝をしている頃だと思うが、聞いてみよう」
ヴァンレックはそんなことを言うと、来た時と同じく嵐のように出て行った。
「……なんなの?」
この地では、またまた神獣の恵とやらで冬も果物や花など実るらしい。
今週に入って花束は三つ目だ。菓子をもらった際には、アリムと一緒に食べてという意味かなと有難く受け取ったのだが、そうお礼を伝えたら花率が上がった。
これはどう見ても、アイリスへのお土産だ。
「でも、どうして?」
アイリスは紙に根本が包まれた可愛いお手製の花束を見下ろして、頭に疑問符をいっぱい浮かべた。




