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5-5

「聞いていて面白い話ではないと思いますけど、私は生まれた時に母の不貞を疑われる材料になったみたいです。父も母も、その上にも『赤い髪』はなかったようで、髪色が違うことから、父は私を自分の子ではないという考えが今も抜けていなくて」


 正統性を主張しながらも、父に捨てられたくないと必死だったのか。それとも本当に〝そんなこと〟があったのか、母はアイリスを露骨に嫌った。


 父も侯爵令嬢という扱いはしなかった。


 幼少期から始まった令嬢教育、ダンスの授業が二、三回だったのもそのためだ。


 自分でドレスを選んで買ったことはなく、家族のプライベートな外出に付き合った記憶もない。


 親族が呼ばれてパーティーが開かれた時は、部屋にいた。


 そう話すと、ヴァンレックは驚いたようだった。包み込んでくれている尻尾が強張るのを感じて、アイリスは穏やかな手でぽんぽんと叩く。


「気にしていません。でも、このドレスを着なさい、今は部屋にいなさい、その全部の言うことを聞いていれば、いつかは……という希望を打ち砕いたことは、今も許していません」


 家族は『アイリス』の心を、とうとう殺してしまった。


「実は、縁談の話が来ていたそうです。ライノーアル伯爵という方から」


 ヴァンレックの身体が、ぴくっと反応する。


「ライノーアル伯爵……最近、君の妹と婚約した?」

「ああ、婚約したんですね」


 興味がないので、新聞や雑誌は見ていなかった。自分の結婚について好き放題どう書かれているのか、わざわざ知りたいとも思わない。


「そのお方のことは顔さえも分からないのですが、私との見合いを希望したらしいんです。妹は彼のことを気に入ったようで、邪魔だから追い出すことにしたみたいです。陛下に臣下として貢献もできるし、他の貴族たちにも恩を売れるし――妹の身代わりに、そして侯爵家のために最後くらいは役に立てと言われました。私は帰りたくありませんでしたから、しばらくココに置いてくださると分かった時は、ホッとしたんです」


 アイリスは、ふと、低い呻り声が聞こえてハタと我に返った。


 語りすぎてしまった。


「ふ、不快にさせてしまったのなら、ごめんなさい」

「君のその家族が不愉快だ。なんて傲慢で自分勝手で、愚かな」


 誰もが家族の味方だった。


(それなのに――)


 自分のために怒ってくれているヴァンレックに、アイリスはうっかり涙がこぼれそうになった。急いで彼の極上の毛並みに、顔を埋める。


「いいんです。これから幸せになればいいんですから。結婚のおかげで家から出られましたし、可愛いアリムにも、ヴァンレック様にも出会えました。ここで過ごした日々は人生で一番幸せです。ここで出会った人たちも、みんな大好きです」


 本心からそう答えた。


 自分は幸せであると、胸を張って言える。


 だから、いつか来る離縁を想像すると最近は切ない気持ちになるのだ。


(離れたくない。このままが続いていけばいいのに、と思ってる)


 そう思ってしまうことは、だめなのは分かってる。


 だから、その言葉だけはぐっと飲み込んだ。


 今だけでアイリスはじゅうぶん、幸せだから。


「……そうか。話してくれてありがとう」


 尻尾が優しく彼のほうへ引き寄せてくれた。


「こうして一人で過ごさない満月の日は、兄と一緒に暮らしていた以来だ」


 ヴァンレックは、いくつか思い出を教えてくれた。


 城の地下には【獣化】する王族専用の特別な部屋があるそうだ。幼い頃、兄は狼の姿なったヴァンレックを見て『チビ』と指差して笑った。今と変わらないな、いやもっと小さくなった、と。


 姿を気にしないと伝えようとしたのだろう。


 ある日は犬用のおもちゃを持ち込み、ある日はお菓子と犬用おやつを好きなだけ食べた。発案はすべて兄で、毎月暇はしなかったそうだ。


「兄弟か親なら暴走の確率も下がる。成長するに従って俺の力が増したせいで、何度か彼には暴走を止めてもらった。勇敢な人だよ」


 その部屋に両親が入った、という話はなかった。恐らく両親は一度も付き合ったことがないのだろう。


 でも、普通はそうかもしれない。


「勇敢なお方ですね。そして心底優しいお兄様です」

「ああ、優しい人だよ」


 ふふっと彼が笑う。


 狼の横顔なのに、優しく微笑んでいるのがアイリスには分かった。


「彼の支えになりたいと思った。でも、今は、君にもそう感じている」

「え? 私?」

「そうだ。君は幸せになるのが目標だと言った。そのためなら、なんでもしよう」


 彼が人の姿だったら、きっと勘違いしていただろう。


「なんでも、なんて言ってはいけませんよ。初めての満月の夜を過ごしだけですし、まぁこれからは毎回ご一緒するつもりですけど。どんな要求をされるか分かりませんから『なんでも』と、気軽に口にしてはだめです」


 前世で学んだことだ。アイリスは、そんな心配になる『大公様』のほうを見て、我慢できず笑ってしまった。


「ヴァンレック様は大きな狼の姿も持っているのに、優しすぎますね。そんなんじゃ、全然怖くありません。次もご一緒していいんですよね?」


 名前を呼んで、会話する。


 この調子であればきっと暴走はしない。アイリスはそう感じた。


「……ああ、ありがとう」


 アイリスは一瞬、こちらを見つめる彼の金色の目が潤いを増して、妙に色っぽいというか、獣姿相手にどきどきしてしまった。


 ◇∞◇∞◇


 十月も後半に入った。アイリスは書斎で手紙を振り分けていた。


「討伐の感謝状はこっちで……」


 その時、ノックの音がしてヴァンレックの声が聞こえた。彼の書斎なので変な感じがしながらも、まさかと予感しつつ、どうぞと答える。


「お疲れ様です。おかえりなさいませ」

「ああ、今戻った」


 扉を開けたヴァンレックは、鼻先が少し赤かった。そして歩み寄ってくる彼の右手には、細い手製の花束が握られている。


「冬の下でもたくましく生きるこの地の花だ」


 どうぞ、というように、彼がずいっと差し出してきた。


 アイリスは、しばし呆気に取られた。


(……今日も?)


 固まっていると、彼の表情が少し不安そうに変化していく。


「気に入らなかっただろうか――」

「と、とても気に入りました! 可愛い赤いお花ですねっ」


 アイリスは立ち上がり、光の速さで花束を受け取った。


「わざわざ大地のお花を探してくれたんですね。えぇと、雪をかき分ける手も冷たかったんじゃ――」

「大人の獣人族は少しの間なら平気だ」


 とは言うものの、アイリスは彼の鼻先が赤いのが気になった。


 動いている時はそう寒さは感じないが、同じ場所にとどまると寒さは感じる、とはシーマスに先日耳打ちされていた。


 帰りにいつも土産を探しているので、団長から何か贈られたら遠慮せずとにかく喜びを見せて、受け取ってあげてほしい、と。


(でも、どうしてそんな日課になっちゃったの?)


 満月の翌日から、ヴァンレックは外出すると何か一つ土産を持ち帰るようになった。


 アリムのもとにまっすぐ向かわず、軍馬を部下に預けて急ぎアイリスを探し、贈り物をする。


「あの、アリムは……」

「まだ昼寝をしている頃だと思うが、聞いてみよう」


 ヴァンレックはそんなことを言うと、来た時と同じく嵐のように出て行った。


「……なんなの?」


 この地では、またまた神獣の恵とやらで冬も果物や花など実るらしい。


 今週に入って花束は三つ目だ。菓子をもらった際には、アリムと一緒に食べてという意味かなと有難く受け取ったのだが、そうお礼を伝えたら花率が上がった。


 これはどう見ても、アイリスへのお土産だ。


「でも、どうして?」


 アイリスは紙に根本が包まれた可愛いお手製の花束を見下ろして、頭に疑問符をいっぱい浮かべた。

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