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3-6

「アイリス元気になってねっ」

「あはは……私は元気よ。どこも悪くないわ」

「さっきもそう言ってたけど、倒れたんだよっ」

「あなたのパパが言った通り、ただ体力の問題なの。実はね、恥ずかしくて言えなかったこと、アリムに打ち明けるわ」

「なあに?」


 心配させるよりも、正面から思い切って打ち明けたほうがよさそうだ。


 そう考えて切り出してみたら、アリムがようやく聞いてくれる態度を取る。アイリスは話しを続けた。


「私は、他の人族令嬢に比べても、全然追いつかないほど体力が少ないと思う」

「……病気?」

「ううん違うわ、単に使わなかったからよ。屋敷では部屋から出ることはあまりなかったし、社交界にもほとんど出してもらえなかったから」


 ぴたりとアリムが止まる。


 彼のブルーの目が見開かれた。驚きというより、子供にしては違和感を覚える静かな理解と、強い感情を抑えてその目が金色に光っているようにアイリスには見えた。


(ううん、ただ戸惑っているのかも)


 アリムにはまだ早い話しだ。


 アイリスは、彼の肩を優しく引き寄せる。


「隠していてごめんね。アリムとの楽しい散歩に付き合っていたら、少しずつでも増えるんじゃないかって考えていたの。これからは体力作りもしていくわ。そうしたらアリムと、もっと遊べるもの」


 自分のためではない。


 彼のために、この身体に向き合っていこう。


(いつまでいられるか分からないけど、そう短くはないはずだから)


 来年に彼は七歳になる。


 今よりも起きている時間も、活動量も増えるはずだ。それに対応していきたいとアイリスは強く思った。


 すると、真顔だったアリムが、不意ににこっと笑みを浮かべた。


「ありがとうアイリス、あなたは純真な人だね」


 まるで年上に言われたような違和感を覚えた。


 けれどそれは、掛け布団の上から抱き締めてきたその小さな体を感じた途端、アイリスの中から消えてしまう。


「アイリス、優しくて、心があったかくて本当に大好きだよ。僕が、きっと守ってあげる」


 胸がいっぱいになった。


(あ……)


 目から、ぽろりと何かが落ちていく。


 寂しい幼少期を過ごした『彼女』の記憶が、アイリスの脳裏をたくさん流れていった。


(そっか、この身体は――)


 家族に抱き締められた思い出が、ない。


 小さな手でも大好きだと言われて、抱き締められて、涙が出るほどに嬉しいと身体が感じているのかもしれない。


「奥様、こちらを」


 床に膝をつき、メイドがそっとハンカチを差し出してくれた。


「ご、ごめんなさい。泣くなんて柄ではないのだけれど」


 抱き締めてくれているアリムに見られる前にと、涙を拭う。


 前世では、泣くのは自分の役目ではなかった。


 自分は常に心身ともに戦っていて、家族を明るく導く道標だ。


 でも、この世界の『アイリス』は、彼女が幼い頃に押し込め、忘れていた素直さを持ち合わせている。


 嬉しい、と喜んで涙が出るのを感じた。


 その感情で涙が出ることもあるのだと、アイリスはようやく思い出せた気がした。


(あなたが嬉しいと、私はもっと嬉しくなるわ)


 だからきっと、涙が止まらないのだろう。


 すると、控えめのノック音が聞こえた。


「一度顔を出すとは伝えてあったが……よかっただろうか?」


 目を向けると、ブロンズを連れたヴァンレックが開いた扉をノックしている。


 いつから見ていたのだろう。アイリスは、みるみるうちに耳の先まで真っ赤に染まった。


 今は掛け布団でぐるぐる巻きにされている姿だ。そのうえ子供に慰められるようにいい年をした大人が抱き締められ、泣いている。


「ひぇ」

「『ひぇ』……?」

「た、大公様っ、こ、これはっ」


 恥ずかしさのあまり、声も裏返る。


 ふうむ、とヴァンレックが顔を顰め、よしと決めたようにツカツカと歩み寄ってきた。


「君は俺の妻だ。大公様と呼ぶのはおかしいだろう」

「ハッ。す、すみません旦那様」

「そう呼ばれると、どうも雇い人に呼ばれているような感覚になるのは、どうしてだろうな」


(そのような感覚で呼んでおりますが?)


 王命で無理やり夫婦になった。


 ひょんなことから子育て要員として、アイリスは彼と契約した。彼女の気持ち的には雇われと、雇い主だ。


 夫婦ではなく一時的な協力関係だと知っているのに、どうしてヴァンレックは少し不服そうなのか?


「どうして泣いた? アリムが泣かせるはずはないと思うが」


 ヴァンレックがそばに片膝をつく。


 断言できるのも不思議だ。


(まぁ、アリムの性格がいいのは私も分かってはいるけれど)


 するとアリムが、パッとヴァンレックのほうを振り向く。


「僕は泣かせてないよ! ほっとしたら、涙が出ちゃったみたいなんだ」

「ほっとした?」

「体力がないのはアイリスのせいじゃないよ。元いた家で、あまり歩かせてももらえなかったこと、恥ずかしくて言えなかったんだって」


 アリムが、抱き締めているアイリスの頭をよしよしと撫でる。


「――ほぉ」


 不意にヴァンレックの目が坐った。彼のまとう空気が一気に冷たいものに変わり、アイリスはビクッと反応してしまう。


 どういうことだろうかと、上に向いた彼の鋭い目が思案しているように感じる。


(え、え? どうして? 子育てで置かれているだけでし、離縁予定なんだから私の実家のことは関係ないわよね?)


 ヴァンレックの目がアリムへと戻った。


「その話、あとで詳しく聞こう」

「僕もパパに話したいと思っていたところ」


 アリムがにっこりと笑顔で答えた。気のせいか、彼の目は子供らしくなく笑っていない気がする。


「……そ、そんなことよりっ」


 アイリスは二人の間に身を乗り出し、力任せに話の矛先を変えることにした。


 よくは分からないが『まずい』と本能が訴えている。下がったメイドたちは震えているし、あのブロンズも空気を気にしている様子だ。


「これから体力作りをしていこうかと話していたところなんですっ。屋敷の皆さんのお力をお借りしても!?」

「この邸宅の人員、施設は好きなだけ自由にしていい。俺にもできることがあれば、全面的に協力しよう」

「あ、ありがとうございます……? 心強いです」


 屋敷の主の許可がすんなりと取れただけでなく、まっすぐ見据えられ力強く『協力する』とまで約束されて、アイリスは戸惑う。


「あっ、子育てには体力が必要ですもんねっ」


 だからか、と納得がいく理由を閃いた。


 するとヴァンレックが、ハタとした様子で口に手をあてる。


「どうかされました?」

「いや……そうだな、体力も必須だ」

「ええ、そうですよね。私、がんばります!」


 頼まれたからには、ここにいる間の子育て任務を遂行する。そのためにも改善していこうと、アイリスは心に決めた。

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