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「ち、違うの、お前ごときがだなんて旦那様は言わないお人だと知っているけどっ――」
「本当に素直なお方なのですねぇ」
「え?」
アイリスは、きょとんとする。
別のメイドが、そのメイドの脇腹を肘でつついた。
「はっ、失礼いたしました。本来ですと主人の言葉を遮るなんて罰を与えられておかしくないですのに――」
「えーっ、そ、そこまで気にしなくていいわっ。私、言ったでしょう? お話ししましょうって。ここに来て間もないから慣れていないことも多くて、みんなのお喋りで助かっていることは、たくさんあるのよ」
邸宅の間取りも、そして女主人として管理仕事はさせてもらっていないが、備品や在庫数といった事情も把握できている。
「奥様は、太陽のようなお方ですわね。わたくしたちにともお話しがしたいなんて嬉しいです」
顔を見合わせたメイドたちの目は、気のせいが感激して潤んでいる。
「普通でしょう? どんな人柄なのかも知りたいもの」
「ご実家のメイドたちも、ご結婚でいなくなられること、さぞ悲しんだでしょうね」
なんでもない言葉だっただろう。
事情を知らないのだから仕方ないが、アイリスは初めて言葉を失った。
(――なんて、言えばいいのかな)
ここ数日でメイドたちとこのように楽しい会話ができるくらいの、心地いい信頼関係を築いてきたからこそ、思考が停止した。
たぶん『アイリス』にとって、こんな関係は初めてだ。
アイリスが受け取った彼女のこれまでの記憶に、屋敷内で笑う『アイリス』の姿は、探せない。
「奥様?」
メイドたちが不思議がる。
アイリスはにこっと微笑むに留めた。うまく愛想笑いを返したつもりなのに、メイドたちが戸惑う空気を見せた。
「いつも親切にありがとう。――こんなふうによくされたのは、ここが初めてよ」
尋ね返される前に、ちらりとだけ答えておいた。
「ところで今夜夕食を一緒に過ごして、私は確信したの。やらなければならないことができたわ。聞いてくれる?」
ポジティブな話へと変える。
「旦那様、子育てが下手すぎると思うのよ」
「ぶふっ」
その時メイドたちのほう――からではなく、扉のあたりから吹き出す声が上がった。
振り向くと、ブロンズが入室してくる。
「申し訳ございません、ノックはしたつもりだったのですが」
「いいのよ。アリムは無事に就寝した?」
「はい。明日のご予定をお持ちいたしました」
朝に共有を受けるのが一般的だそうだが、アイリスは前世で働いていた。前日にだいたい把握しているほうが動きやいすと告げ、ブロンズには就寝前のメイドたちがいるタイミングで来てもらっている。
他の者がいる状況でとお願いしたのは、いちおうは人妻だからだ。
悪女と誤解されているので、そのへんは徹底している。
「ありがとう。ブロンズも、旦那様のアリムへの子育てについては、感じているみたいね」
予定表を受け取り、もっともそばにいることが多い彼に言う。
「そうですね。どうしたものかとは考えておりましたが、わたしから申し上げられることはなく……」
「分かっているわ。そこで『妻』を利用するわ」
アイリスは、自分の胸をどーんっと叩く。
ブロンズを含め、メイドたちも目を見開いた。
「……奥様のようなお人は、本当に初めてですわ」
なんだかメイドたちに呆れたような目をされた気がする。
気になったものの、執事が左胸に手をあてて一礼を取りながら、アイリスの視界から彼女たちを遮った。
「いったい何をなさるつもりなのか、わたくしは興味がありますね。お話しを一緒に拝聴しても?」
「もちろんよ」
アイリスは執事に長居を許可する。
「大公様は、これまでアリムの母親に子育てはさせっぱなしだったみたいね。遠距離で、身分差がある女性がお相手だとしたらうなずけるわ」
それなら息子が六歳になっても、接する際にぎこちないのも辻褄が合う。
アイリスはすっきりした顔でうんうんとうなずく。
「大公様は子供がまだ苦手なのだと思うわ。アリムはとてもいい子よ、そうでしょう?」
「はい。話してみるととても可愛くって、わたくしたちみんなで気にかけるようにしていますわ」
メイドたちのアリムに対する空気は、かなり変わってきている。
アイリスは自分のことのように嬉しくなった。
(使用人たちのほうを変えられた。きっと、大公様のほうも変えていけるわ)
アイリスは、いつまでここにいられるか分からない。
彼が自分を安心して手放すことができるように、ヴァンレックのほうにもアリムに対する不安事はなくしてしまわないと。
「もちろん、アリムの意見も聞いてからいろいろと決めていく予定よ」
細かい部分は明日話すけど、と続けてアイリスは告げる。
「大公様が子供と接することに、苦手意識をなくす計画を立てようと思うわ。みんなも協力してくれる?」
「もちろんです」
メイドたちだけでなく、ブロンズもにっこりと微笑んでいた。
なんて可愛らしい奥様なのだろう――。
そう、退出した際に廊下であのフロンズも含めてメイドたちと話していたことを、明日へ向けてすかさず眠ったアイリスには、聞こえていなかった。




