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2-6

 ブロンズに声をかられたのは、アリムのお昼寝後のことだ。


「旦那様がお呼びです」


 書斎に向かってほしいと彼は言った。


(時間があっという間で、あとで話そうとして言われていたのを忘れてたわ……)


 池で別れる前にそう宣言されていた。


 あれから数時間経ってしまっているが、アリムのことを考えて呼び出しはしなかったのだろう。


(私が動けるタイミングを待ってくれていたなんて、『いいパパ』ね)


 ヴァンレックが、大公として仕事をしている時は書斎にいる。


 訪ねてみるとヴァンレックは書斎机のほうではなく、ソファに座っていた。入室許可を取った際に置いたのか、テーブルにはティーカップが置かれてある。


「あ、旦那様も休憩中だったのですね」


 忙しいミタイングでなくてよかったと安心する。


 ほっ、としていたら、何やらヴァンレックがじーっと見つめてきた。


「あの……?」


 観察されているような気がして尋ねると、ヴァンレックがハタとして視線をそらす。


「向かいにかけてくれ。話がしたい」

「はい」


 改まって聞きたいことがあるのかもしれない。気を引き締め、アイリスは言われた通りにする。


「夫人、君も紅茶は?」


 丁寧な呼びかけで驚いた。


(そのうえ、雇い主に何か飲まないかと言われているのっ?)


 恐ろしい大公の、意外な気遣いに動揺する。


「あ、いえ、お構いなく」

「そうか。早速だが、話しておきたいことがあって呼んだ。アリムのことだ。狼には執着というものがあるの」

「……執着、ですか?」

「獣人族はルーツになった種の性質を引き継いでいる。狼にもいくつか種類はあるが、王家の金狼でいえば唯一無二の執着、伴侶といった家族になった者への執着だ。まぁ両方が同じになる場合もよくあるそうたが」


 基本的には関心が少ないのだという。


 ヴァンレックも経験がないのでよく分からないそうだが、兄の国王も幼馴染に固執した。


 そして今は、国の誰もが知っているオシドリ夫婦だと彼は語る。


(昔から好き同士で誰も間に割り込めないカップルだった、と聞いていたのだけれど)


 かなりの情報操作だ。


「どうして事実と違うことを」

「陛下がこだわったからだ」


 ヴァンレックが言葉をかぶせて、テーブルに視線を逃がした。


 言えないあれやこれやの事情を凝縮したみたいだ。


 アイリスは、彼が語った狼の獣人族の執着が、自分が思い浮かべているものとはだいぶ傾向が違うことを感じた。


「アリムはただただ親が恋しいのだと思います。まだまだ両親が必要な年頃ですもの」


 説明のために、今言える範囲でヴァンレックは家の(王家の)事情を語ってくれた。これ以上は何も言えそうにない空気なので、アイリスは『もう聞きません』と示すように冷静に言葉を切り返した。


 王家の話なんてアイリスには遠い存在であるし、王族の話題は長生きしたければしないほうが賢い生き方だ。


 アイリスの目標は生きること。そして、幸せを掴むことだ。


 離縁してようやく自由というスタートラインに立ったら、幸せを探しに行く。


(それまでは、この世界で何がしたいのかは考えない)


 邸宅に置いてもらっている条件の『子育て』を、アリム自身のためにも、脇目もふらず全力で向き合う心構えだ。


「王家の〝狼〟はどれも癖が強い印象だ。アリムの度合は不明だが、気を付けてほしい」

「気を付けるほどのことではないと思いますが……私は、旦那様がいない間を補っているにすぎませんから」

「そうかな。ずっと君にべったりだろう」

「アリムはまだ子供ですし、執着とかそういうのではないですよ。もとが話し上手なんです。私に対する人見知りがなくなったから、旦那様以外に付きっきりで相手してくれる人がいるのが嬉しくて、たくさん話してもくれるんです」


 説得してみたが、ヴァンレックは脚に肘を乗せて頬杖をついて見てくる。


(……パパより懐かれていると感じている、とか?)


 アリムはヴァンレックの名前を引き合いに出すとすんなり誘導できるのだが、パパ的には面白くないのか。


 彼がいる時は、できるだけアリムと時間を譲ろう。


 アイリスは池での出来事を振り返り、自分が純粋にアリムとの時間を楽しんでいたと自覚して、反省した。


「分かりました」


 折れる形でそう答えると、ヴァンレックはようやく満足したのか背を起こす。


「理解してくれて助かる。別に君のやり方に問題があるとかそういうことではないから、気にしないように。ただただ君が心配なだけだ」


 それは意外だった。


 『悪女』なので心配されるだなんて、頭になかったから。


「そ、そう、ですか」


 くすぐったい気持ちが込み上げて、ドレスのスカートを指先で弄りながら、こらえきれず視線を逃がしてしまう。


(頬が赤くなっているところ、見られないといいんだけど……)


 確信した。ヴァンレックという人は、子供が関わると視線が甘くなる。


 たぶん、きっとそのせいだ。


 アイリスからしても、自分はいかにも『悪女』だった。まだ装いを変えるチャンスは掴めていない。


「――アリムの前では、見ない顔だ」


 ぼそりと彼が呟く声が聞こえた。


 不思議に思ってそっと顔を上げると、腕を組んで身を乗り出すように覗き込んでいるヴァンレックと視線が合う。


(……少し、近付きすぎない?)


 驚いて反応できないでいる間も、彼は露骨にじーっと観察してくる。


 アイリスはつい、ぎこちなく愛想笑いで対応してしまった。


「えーと、旦那様――」

「気遣う人間の顔だ」

「はい?」

「いや、いい。思い返しても、あれは俺の前だけだ」


 彼は後半一人ごちるように言うと、何やら勝手に納得の空気を漂わせてうなずき、どこか満足げに身を起こす。


(今度は機嫌がよくなったみたい)


 ヴァンレックという人が、よく分からなくなってきた。


 怖い、という感情より、今は『子供が関わると嫉妬するパパ』で『さらに反応が読めない』これまで出会ったことがないタイプの男性、だ。


「ところでアリムとは今日の昼食も――」

「ご一緒させていただきましたわ!」


 会話を探すようにぎこちなく切り出された気がしたが、アイリスは『昼食』と聞いて、テンションがぎゅいんっと上がった。


 食べた、という報告だけでは足りなかったのだ。


 実はその前から、そして食事中のことでも語りたいことがある。


「私がお手紙を返送をしていましたら『突撃ーっ』と笑顔でやって来たのです! いつも通りすぐに立とうとしたら、私のことを考えてくれて待つと答えてきてっ。旦那様のご子息様は本当に賢いですねっ」

「……」

「旦那様にそうしているからと言って、遠慮せず私の膝の上に乗ってくれたんですよ! 今日からは座っていても自然と抱っこできそうで嬉しいです! 書いている間、にこにこして眺めているアリムは癒しでした、旦那様の気持ちを共感しておりました。そのあと昼食も同じようにしてきて、ブロンズに指摘されて頬を赤くしていたのも可愛かったんですー!」


 きゃーっとアイリスは思い出して興奮する。


 自分としてはその姿勢で食事してもよかったのだが、貴族の子息としてはだめなのか、ブロンズが信じられないものを見たような妙な顔でそう言ってきたのだ。


 アリムも恥ずかしそうにしていたので、アイリスも彼を隣の子供用の椅子に座らせたのである。


「でも、一層打ち解けた昼食だった気がします。あっ、ご子息様との昼食は全然負担になっていないのでお気になさらず! とっても楽しいです!」


 狼の執着やらを心配していたのと同じく、気遣い心で昼食の話題を切り出したのかなと考え、アイリスは満面の笑顔でそう締めた。


(あれ?)


 語り切って満足したところで、ヴァンレックが手を組んで俯いていることに気付く。


「旦那様……?」


 沈黙に緊張して数秒、急にヴァンレックが素早く顔を上げた。


「それなら、これからは俺とも食事しよう」

「え」


 思わず引きつった『え』がアイリスの口からもれた。


 ヴァンレックはギリッと置く場を噛み合わせたような顔面をしていた。彼が望んでいるとは思えない。


「……あの、旦那様、それは時間があえばアリムだけでなく私も食事の席に出る、ということでしょうか?」

「そうだ」


 肯定する顔ではない。


 眼光がギンッと増して、アイリスは固まってしまった。その間にヴァンレックが言い募ってくる。


「夫婦なのだから、食事を別にするほうがおかしいだろう」

「そ、そう、ですね……?」

「そうだ。だから、今日から俺とも食事を共にすべきだ」


 彼は断言した。


 それこそ矛盾しているのでは、と思ったものの、アイリスは圧を感じて何も言えなかった。


(私たちは契約関係だから夫婦の義務云々もないはずじゃ……?)


 もしや――また、息子に対する嫉妬だろうか。


 愛する女性の子供と自分だけ連日昼食を共にできていない。そんな中、アイリスがアリムとの食事を楽しみすぎたのか。


(アリムと食事している時の私の様子を、観察するつもりかしら)


 狼の執着心、という彼の言葉が頭に浮かんだ。


 血を分けた息子も対象内ではありえそうだ。ヴァンレックに嫉妬心を抱かれるような行動には気を付けよう。アイリスは今晩を思い、緊張した。


 ◇∞◇∞◇

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