2-5
アイリスが到着する予定の日、タイミングが悪いことに害獣討伐の緊急要請が届いた。自分がそばにいない状況ではアリムは拒絶する。
そこに悪女のアイリスとくれば、嫌がろうと彼女は好奇心で社交界の噂についてあの子に尋ねるはず――。
そうなったら、まずい。
アリムが拒絶反応を強く起こして〝秘密がバレてしまう〟かもしれない。
そう思い、ヴァンレックは任務を終えたその脚で慌てて軍馬で駆けて戻ったのだが、そこにあったのは、アリムと楽しそうに遊んでいる令嬢の姿だった。
『あ』
彼女は、いかにも『結婚相手の大公様のことをうっかり忘れていた』という様子で見つめ返してきた。
案外、表情は豊かなようだ。
うっかりヴァンレックは笑ってしまいそうになった。
第一印象は、不思議な女性だな、ということだった。あまりにも自分が抱いていた悪女のイメージとは違っていたためだろう。
社交の場と、子供相手では見せる姿が違うのかもしれない。
そう、思っていたのだが――。
「……美しいのは認める。あんな派手なドレスも、違和感がない」
この邸宅には似合わないドレスだった。
しかし、それを自然と身にまとい、この場の美しい調度品に溶け込むほどアイリス・エティックローズという令嬢は美しい。
初めて見た際、噂は知っていたのに、想像以上でヴァンレックもどきっとしたほどだ。
社交界は、遊び回って公の場ではなかなかお目にかけられない美しい悪女、アイリス・エティックローズの結婚に驚いている。
二十代前半まで遊ぶだろうと誰もが思っていたらしい。
さすがの彼女にも両親の決定には逆らえなかった、だの、国王は狂暴な弟の手綱を握れるように国一番のたくましい女をあてがった、だの、呆れるような話しが飛び交っているとか。
『よかったな我が弟よ、人選は確かだった。あまりの話題の強さに、おかげで〝謎の連れ子〟のことなど、みなどうでもよくなっているみたいだぞ』
先日、兄である国王から手紙が届いた。
悪女のほうは適当にあしらっておけと書かれてあって、そこにもヴァンレックは何やらもやもやした。
ひとまず問題は起こっていないどころか、自分の仕事も順調であると返事を書いた。アリムが珍しく懐き、彼女とは子育ての契約を交わした、と。
「ん。その返事がそろそろ届く頃か」
ハタと思い出し、重要な手紙だけブロンズが密かにしまってる引き出しを開ける。
想定通り、そこには国王の押印がされた手紙が入っていた。
(この俺が、彼女のことを考えて陛下からの返信の予定をすっかり忘れるとは)
そこに首を捻りつつ、手紙を開けた。
「…………見なければよかった」
国王は文面の上でも大笑いしていた。
いや、書かれている一文が歪んでいることから、かなり笑いながら書いたことも容易に想像される。
『使用人にさえ毒になると思っていたが、子供相手には甘味な飴だったとは』
嬉しい誤算だったことだろう、という文を読み進める。
(そう、意外と子育ては問題なくできるようなんだよな)
分別はある女性のようだ。いや、それ以上に常識的だし、子守りの心得は相当なものだと思う。
アリムが寂しい思いをしないよう、自分のことよりも彼のことを優先しているとは、ブロンズやシーマスたちから定期的に受けている報告で知っていた。
普通ならば自分のことをしている時に呼び出されると嫌な顔をするものだが、食事中でも手を止め、快くアリムを迎え入れる。おかげでアリムはアイリスに対して遠慮がなくなったようだ。
でも――。
(彼女を見ていると、妙な気持ちになる)
どんな女性も少なからず期待の眼差しで密かに見つめてきたのに、自分に対してまったく興味を抱かない女。
疑ってかかっていたせいか、罪悪感もあるだろう。
アイリスにはすまないと思っている。
状況は切羽詰まっていたし、理想的な乳母だったので子育てを依頼してしまったが、アリムに対して誠実であるのは分かっている。子育てへの堅実さにはヴァンレックも応えるつもりだ。
ことが終われば、彼女が困らないようできる限りの配慮と支援をして離縁するつもりだった。
彼女も興味がなさそうなので気を張らず食事もしてほしい。
そう、思っていたのだが――。
「……もやもやする」
頭に浮かんだのは、見ていても分かるくらいかなり長い時間を共有しているらしいアリムと、アイリスのことだ。
放っておいてくれるのは助かるはずだ。
彼女がアリムをうまく見てくれているし、ヴァンレックがいない間もおやつやごはんを食べてくれるのなら彼も育っていく。
それなのに、アイリスに興味を持ってもらえていないことが、面白くない。
まるで少し前『離れないで』とひねくれていたアリムみたい――。
(あ、そうか。俺はすねているのか)
しっくりくる感覚で納得したヴァンレックは、直後に驚愕した。
違和感ならいくつも覚えている。
契約に不備がないよう指摘した彼女は、悪女とは感じなかった。
先程、ベリーパイを食べながら、アリムを見守っていたアイリスの顔は穏やかでただただ美しく――。
だから目を奪われて、ヴァンレックは一直線にそちらを目指した。
その時、ノック音がした。
「よろしいでしょうか」
うかがってきたのはシーマスで、ヴァンレックは許可を出した。
「お帰りなさいませ。警備のご報告にまいりました」
「ちょうどよかった。アイリス嬢のことについて聞きたい」
「……奥様の?」
入室してきたシーマスの顔には『いつも定期報告しているが?』と書いてある。
「噂のことだ」
「ああ、そっちですか。あれって本当なんですかね?」
書類を抱え直し、歩み寄ってくるシーマス表情は懐疑的だ。やはり同じ感想を抱いていたらしい。
「あれほどの容姿ですし派手でいまだびっくりしますが、こざっぱりしていて嫌な空気は感じないんですよね。何より、同性の使用人たちの好感度が高いので、俺は噂のほうを疑っています」
断言できた彼に、ヴァンレックは密かに驚いてしまった。
「俺は女性のことはよく知らないんだが……そんなものか?」
「女性たちは結構同性に鋭いですよ。とくに、ここで働いている者は王妃様が厳選した者たちですので、下心を察知して警戒心が働くかと。俺、奥様は結構信用していいお方なのではないかと思っています。嫌がるそぶりもなく俺ら見回りやメイドたちも、ご自身の休憩に参加させていましたし」
「は?」
ヴァンレックは、自分の口から素っ頓狂な声が出るのを聞いた。
「なんですか、その顔は?」
「いつの話だ。というかお前はよく話すのか?」
「アリム様を見ていて分かるでしょう。彼女、話しがすごく上手ですよ。俺だって話しますし。分け隔てないというか、休憩中は身分も関係ないだろうと俺らを一瞬にして言いくるめて――」
誘われたのだとシーマスは言った。
アリムがお昼寝をすると、アイリスは雑務処理か休憩になる。
その時の彼女は休憩していたらしい。アリムがそのまま寝入ったサロンの窓を越えて、その下に座ってよそよそと風を受けながらクッキーを食べていたそうだ。
それが意外でみんな足を止めた。通りすがりのメイド、そうしたら見回りのシーマスたちも一時休憩をどうか、と誘われたという。
普段はブロンズかアリムがそばにいるから、話す機会はなかなかない。
あなたたちのことを聞かせて、と。
(笑顔で)
ヴァンレックは、話したシーマスの言葉を、心の中で繰り返してしまった。
「なんかアリム様が懐くのも分かる気がします。彼女がいると、空気が和らぐ感じがするんですよね、て……あれ? どうしました?」
シーマスが、ぎくりとした様子で声を引きつらせる。
「何がだ」
「いやー……あの、俺って空気読めないことが多いんです。どこがまずかったか、はっきり言ってくれると助かりますっ」
報告した内容に問題があると受け取ったようだ。
そんなことはない。
「何も、問題などない」
それぞれが業務に響かないと判断し、女主人の希望に従って一緒にクッキーを食べた。時間的にはほんの十分ほど。
ただただヴァンレックがもやもやしているだけだ。
「問題ないにしては眉間の皺が……何かあったんですか?」
「分からない」
「はい?」
「原因が分からなくてもやもやする場合、どうしたらいいんだ?」
数秒ほど目まぐるしく考えたシーマスが「団長のお心なんて推測できませんっ」と、空気が読めないことを言った。
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