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広大な敷地内には湖もあるそうだが、今回は人口池だ。
それは庭園の一部として設けられていて、小さな魚をアリムは眺めるのが気に入っているという。
だから、アイリスはそばでじっくり観察するのはどうかと提案した。
それがピクニックだ。
「坊ちゃまがお一人の時でもおやつを食べてくださるっ、それだけでどんなに嬉しいかっ」
騎士たちとメイドたちがピクニックシートなど準備する。
そのかたわらで、コックが袖に目を押し当てた。
(みんな苦労していたみたいなのよね……)
想像もできないことだが、アリムはヴァンレックがいないと昼食もつつく程度で、おやつの気分じゃないと言って部屋に閉じこもっていたらしい。
人見知りがあるようだと使用人たちは言っている。
騎士たちはまた違う感想を抱えていそうだが、そこは話してくれない。
(おやつは大好きみたいだけれど)
ピクニックの用意が整った。
そこにおやつを広げてしはらく、アリムはクッキーを食べる手が止まっていない。
彼のきらきらとした大きなアイスブルーの目は、池を見つめている。
「あっ、アイリス見て! ほらあの子、ピンクとグリーンの二色なんだよ」
「あら、ほんとね。尾びれの色が違うわ」
「みんな色が微妙に違うんだ。はっきり分かれている小魚はレアだし、単色の子は小さいけどきらきらして綺麗だよっ。ほら、ブロンズも見てよ」
「はい、坊ちゃま」
彼は相手が六歳の子供だとか関係ないようだ。主人に仕える執事として美しい姿勢を崩すことなく、
「失礼します」と告げてアリムの隣に片膝をつく。
「以前よりもピルルクが増えられたようです」
「ブロンズは名前を知ってるの?」
「こちらの管理もわたくしが任されていますから。とても小さいですが、環境の変化にも、冬にもとても強い淡水魚ですよ」
「知りたい! 教えて!」
アリムが寝そべって頬杖をつき、池を近くから覗き込む。そのそばからブロンズが魚について説明していく。
しばし話し相手から解放されたアイリスは、ベリーパイを食べながらその光景を楽しく眺めていた。
だが、後ろのほうはから聞こえた声で我に返る。
「坊ちゃまがあんなに楽しそうにっ」
「ブロンズ様にも心開かせたなんて、奥様本当にすごいです」
「俺も仲良くなりたいっ。可愛い菓子を作ったら、説明を希望してくださるかな?」
「落ち着け。お前目がやばいぞ」
やばいとシーマスが言った時、アリムが肩越しに目を向けた。
「みんなでなんのお話しをしてるの?」
「いや~、アリム様に喜んでもらえることはできないか話していたんですよ。可愛い菓子が出てきたらどうします?」
「えっ、嬉しいよ! アイリスも一緒でいいんだよね?」
「もちろんですよ」
シーマスを筆頭に男たちが周囲に集まり、会話が弾む。
(そう、これが普通の光景よね)
討伐に分けて出掛けて、明るいうちには必ず帰ってくる屋敷の主人こと『パパ』。おかげで数日、アリムと彼の帰宅にも居合わせている。
みんながアリムと接している光景を前にすると、アイリスは、ヴァンレックの場合は何かが足りないような感覚になった。あまり長い時間は一緒にいないので掴めないでいる。でもなんだか、こう、他の大人たちと比べると違和感が――。
その時、馬の嘶きがした。
昨日も聞いたのでもう誰か分かる。
この邸宅に客人は来ない。
郵便も、だいぶ離れた敷地入口から午前中に屋敷の誰かが運んでくる。
振り返ると、アイリスが推測した通り黒い軍馬が走る姿があった。屋敷の正面通路を駆けてくるその馬の背にまたがっているのは、ヴァンレックだ。
少し遅れて庭園のずっと向こうから、複数の黒い騎馬が見え始める。
「みんなして、どうした」
ヴァンレックは馬の軌道を変えて向かってくると、そばで停止して馬から降りた。
「パパ! おかえり!」
アリムが両手で飛び起きて、ヴァンレックに飛び込む。
文字通りすごい跳躍だ。こいう時、アイリスは彼も獣人族なのだと実感する。
「ああ、ただいま。アリム」
自分の胸に飛び込んできたアリムを、ヴァンレックは軽々と受け留めた。
使用人たちが一斉に立ち上がって、一歩身を引いて頭を下げる。
「旦那様、おかえりなさいませ」
「団長、ご無事で何よりです」
ブロンズに続いて、補佐官のシーマスが慣れたような口調で声をかけた。
「ああ」
上の空のように答えたヴァンレックの視線があたりを見回し、それからぴたりとアイリスで固定される。
(はっ。ベリーパイに夢中になっていたわ)
アイリスは素早く手に持っていた皿とフォークを置き、立ち上がった。
「おかえりなさいませ」
「そうかしこまらなくていい。子供と楽しく過ごせていたようで何よりだ。ところでこれは……」
「ピクニックがてら、魚の観賞です」
「ピクニック」
なぜかヴァンレックが言葉を繰り返す。
「ずいぶんと……にぎやかな様子だな……」
彼は、周囲にいる人数でも数えていくみたいに視線を向けていく。
「ブロンズがとても詳しいの! 教えてもらってた!」
「ブロンズに?」
「まだ聞いていないことあるから、もうちょっと待っててっ」
「あ、ああ。したいようにしなさい」
ヴァンレックがアリムを降ろす。アリムはおかえりの挨拶でいったん満足したのか、元の位置に戻ると、すぐブロンズに続きをねだった。
みんなが気にしたように見てくる。
ヴァンレックが許可するように手の仕草で伝え、続いてアイリスを手招きする。
主人の望みを察したのか、メイドもコックも騎士たちもアリムを囲んで二人から遮った。
「いかがされましたか? 何か、問題でも……?」
歩み寄ったアイリスは、地べたに座らせてはだめだっただろうかと少し心配になった。
「いや、君は想像以上によくやっている。あの子がブロンズにあれだけ話しかけているのも、初めて見る光景だ」
ヴァンレックが顎に手を当てる。
感心されているらしい。少しくすぐったい気持ちになった。
「心を開いてくれたからでしょう」
そうアイリスが答えたら、彼が目を緩やかに見開く。
たびたびこの意外そうな目をされる気がした。思えば彼だけでなく、他の人でもよく見ているような気がする。
「……あの、何か?」
じっと見つめられて落ち着かない気分になってきた。
怖い空気を醸し出していないヴァンレックは、アイリスにとって美しすぎる。
「あっ、いや、感心しただけだ。保育専門の才能があるかもしれない」
「そんな大袈裟な――」
「大袈裟ではない。五日ですごいな」
まだ五日なのかとアイリスも気付いた。
(心地がよすぎて、もっと長くいた感覚だったわ)
日々が充実しているからだろう。
自分のドレスを買いに行く算段をする暇もなく、雑務の手伝い。アリムの行動に応じて都度動き、付きっきりで世話をする。
実家にはなかった忙しさは遣り甲斐があった。
「好きでしているだけですので、すごいという実感は……私も楽しんでいますし。アリムにどんなことをして楽しんでもらおうか、次の計画を立てるのも楽しいです」
「確かに、ベリーバイも美味しそうに食べていたな」
「み、見ていらしたのですかっ?」
まさか、と目を剥くと、ヴァンレックが首を傾げるようにして覗き込んでくる。
「なぜ恥ずかしがる?」
「夢中になってぱくぱく食べてしまっていたからで……見られるなんて思っていない状態でしたし……距離もあったではありませんか」
「獣人族は目がいい。意識すれば好きなだけ遠くのものを視認できる」
なんてチートな能力なのだろう。
(あの距離から私の表情まで見えていたということ?)
相手は我が子のこととなると、無害で嘘もつけそうにないイケメンだ。
気にせず食べていた様子を見られていたことを思うと、何やら恥ずかしくなってきて視線が落ちる。
すると向かいから彼の声が続いた。
「――そういう反応も、できるじゃないか」
「え?」
風が気持ちよく流れていった。
横髪を押さえたアイリスは、聞こえたほうへ顔を向ける。
同時にヴァンレックが、池のほうへと顔を背けた。




