想い
その後、勇者様と聖女様、騎士様がわたしの部屋を訪れた。
最後にアレン様が来て「待たせてごめんね〜」といつも通り軽い調子で言う。
ソファーに座ったアレン様がわたしを見た。
「今日の件についての話は聞いてる〜?」
「ええ、ノアからある程度の話は聞いております」
魔族領にある村が魔族に襲われ、魔族がいるうちに駆けつけた。
そこで勇者様方と魔族達とで戦闘になったが、ノアが押したことで魔族達は退却したという。
アレン様が「そっか」と頷いた。
「ノア君が魔族……魔将エルゼルを追い返してくれたんだよ〜」
「魔将?」
勇者様が首を傾げた。
魔将という言葉はわたしも初めて聞いた。
「うん、魔王には腹心が二人いてね〜。一人が魔将ディヴァロ、もう一人が今日会った魔将エルゼル。ああ見えてすごく強いんだよ〜。それはハルト君も分かったよね?」
「……ああ」
勇者様が苦虫を噛んだような顔をする。
この様子からして、勇者様はその魔将エルゼル相手に苦戦したのだろう。
戦闘内容についてはノアは語らなかったけれど、これを見れば察せられる。
「問題は、その魔将エルゼルが得意とする闇魔法『黒霧』を、ノア君も使えるってことでね〜」
アレン様の言葉に全員の視線がノアに向けられる。
魔将エルゼルは悪魔であり、普通の攻撃では傷つけることが難しいそうだ。
そして魔族は持っている能力も固有のものが多い。
「ノア君、あの魔法はいつから使えるの〜? あれって基本的に魔族の中でも、特定の種族にしか使えないものなんだ〜」
「えっ? ……ってことは、ノアは実は魔族なのか!?」
慌てる勇者様にアレン様が首を横に振った。
「いや、ノア君は人間だよ〜」
視線を向けられ、ノアが言う。
「戦闘中に習得しました。ボクは一度触れた魔法であれば、どのようなものでも習得できますので」
それに勇者様が「チートかよ……」と何やら呟いている。
アレン様が難しい顔でノアを見た。
「それにもう一つ質問があって、戦い方はどこで習ったの〜?」
「ローゼンハイト侯爵家の騎士より剣術や体術、魔法などは習いましたが、元より身に付いていました」
アレン様がわたしを見たので頷き返す。
騎士達の話では、ノアは記憶を失っていたけれど、戦い方は覚えているらしい。
「つまり、記憶を失う前に身に付けた能力は体が覚えてるってことかな〜?」
「恐らく、そうだと思います」
アレン様とノアが話す。二人とも真剣な表情だ。
それから、アレン様が顔を上げた。
「もしかしたら、ノア君はリュカのその後を知る関係者かもしれないね」
それにわたしは驚いた。ノアも目を丸くしている。
「これまでの戦闘では気付かなかったけど、対魔族の戦い方がリュカそっくりなんだよね〜。リュカが行方不明になってから、ノア君がセレスティア嬢に拾われるまでに一年の開きがあるでしょ? その間にリュカとノア君が出会って、リュカから戦闘の基礎を学んだのかも?」
それなら、確かにノアがリュカ様と戦い方が似ていても不思議はない。
「ノア君がローゼンハイト侯爵家の前で行き倒れていたのも、リュカの婚約者であるセレスティア嬢に会いに来たのか、何か伝手を頼ろうとしたのか、理由があると思うんだよね〜」
ノアが驚いた様子でわたしを見た。
もしかして、ノアはリュカ様の居場所を知っているのだろうか。
それともリュカ様の伝言か何かを託され、我が家まで何とか辿り着いたのだろうか。
「ボクが、リュカ様と会ってる……?」
ノアにはリュカ様の肖像画を見せたことがあるけれど、反応が薄かった。
少なくとも、何か覚えていたら反応したはずだ。
「まあ、あくまで可能性の話だけど〜。でも、封じられているのがノア君の記憶なら、そこにリュカに関わる何かが眠っている可能性は低くないと思うんだ〜」
アレン様がジッとノアを見つめる。
「封じを解くには解呪魔法をかけないといけないと思う。もしかしたら苦痛を伴うかもしれないし、解いた後にこれまでの記憶が残っているかも分からない。……それでも、解く?」
ノアが一瞬考えるように目を伏せたけれど、まっすぐにアレン様を見返した。
「解いていただきたいです。リュカ様に関する情報がボクの記憶にあるかもしれないなら……お嬢様とリュカ様が再会できる手助けができるなら、記憶を取り戻したいです」
「分かった。色々と準備が必要だから、整うまで少し時間をもらってもいい〜?」
「はい、お願いいたします」
ノアはしっかりと頷いた。
勇者様は複雑な表情をしていたけれど、何も言わない。
ノアが申し訳なさそうにわたしに顔を向ける。
「お嬢様……」
「ノア、謝らないでね。記憶喪失はあなたが悪いわけではないわ」
こんな近くにリュカ様の手がかりがあるかもしれないことには驚いたけれど、記憶を失うほどの何かがノアに降りかかったということでもある。
それを思い出すのはとても不安だろうし、怖いと思う気持ちを感じても誰も責めない。
そっとノアの手に触れ、優しく握る。
「もしあなたがリュカ様と出会っているのなら、それは喜ばしいことよ」
魔王との戦いの後にノアとリュカ様が会っているとしたら、それはリュカ様が生きている証拠となる。
ずっと生きていると信じているけれど、証拠は『希望』だった。
ノアがリュカ様とを繋ぐ希望になってくれるかもしれない。
それを喜ばずして、何だというのだろうか。
* * * * *
「ノア」
セレスティアの部屋を出る直前、春斗はノアに声をかけた。
顔を上げたノアは春斗よりも小さくて、でも、力強さを感じる。
ノアはいつだってそうだ。魔物と戦っている時も、魔族と戦った時も。
多分、ノアは春斗にはない何かを持っている。
「その、今日は助けてくれて……ありがとう」
あの時、ノアが春斗を突き飛ばしていなかったら確実に春斗は魔族の攻撃を受けていた。
ノアはそれを庇い、躊躇う春斗の代わりに戦ってくれたのだ。
心のどこかで安堵する気持ちと、それ以上に申し訳なさが込み上げてきた。
……オレは勇者なのに、歳下の子に戦わせて……何やってるんだ。
本来は勇者である春斗が魔族と戦い、倒すべきだったのに。
ノイエンやアレンに魔族を殺させ、自分だけは何の責任も負わずにいるのは卑怯だ。
勇者になると春斗は自分で決めたのに、今日の魔族との戦いでは臆病者でしかなかった。
相変わらずの無表情でノアが言う。
「いえ、全てはお嬢様のためですので」
「セレスティアの……?」
「はい、お知り合いの方に何かあれば、お嬢様が悲しまれます」
春斗は思わず、ノアをまじまじと見た。
そういえば、ノアはいつだって『お嬢様のために』と動いている。
「ノアってさ……もしかして、セレスティアが好きなのか?」
「お嬢様に拾っていただいた命ですから、ボクの全てはお嬢様のためにあります」
……それは好きってことじゃないのか……?
でも、ノアはセレスティアと前勇者が再会することを願っているようだった。
春斗からすれば、前勇者とセレスティアが再会するとなったら複雑な心境だ。
大切な人と再会できるのは良いことだけれど、セレスティアの婚約者が見つかり、生きていれば、春斗がセレスティアと婚約はできなくなる。
でも、前勇者の死を望んでいるわけではなくて。
春斗自身、どうしたいのか自分の気持ちが分からない。
「前勇者がセレスティアと再会したら、セレスティアはそいつと結婚するかもしれないのに……?」
今度はノアがジッと春斗を見つめてきた。
「セレスティア様の幸せこそが、ボクの幸せです」
あまりにまっすぐな目と言葉に、春斗がぐっと言葉に詰まった。
「失礼します」とノアが一礼し、扉が目の前で閉められた。
それは拒絶のように感じられて、その場に立ち尽くしてしまう。
好きな人に幸せになってほしいという気持ちは分かる。
……でも、オレは好きな人と一緒にいたい。
好きな人と一緒、互いに好き合って、そして結婚して幸せになる。
この気持ちは間違っているのだろうか。好きな人と結婚したいと思うのは悪いことなのか。
ノアのように『好きな人が幸せならいい』とは思えなかった。
「……オレ、どうしたいんだろう……」
誰もいない廊下で、答えのない問いを自分にする。
勇者としても、一人の男としても、何もかもが中途半端だった。
* * * * *
アレン・フォン・アルシエルは部屋の扉を閉め、息を吐いた。
……やっぱり、言わなくて良かったのかも……。
セレスティアの表情に見えた希望の光を、アレンは否定できなかった。
セレスティアの従者のノアという子供を思い出す。
珍しい白髪に淡い灰色の瞳をしており、いつも無表情でセレスティアのそばに控えている。
記憶喪失で、拾われてから従者をしているというが……。
今日、彼が戦っている姿を見た時にアレンは強い既視感に見舞われた。
……リュカ……。
まるでリュカそっくりの戦い方だった。
跳躍する時の癖、魔族への容赦のなさ──……何より、あの能力。
当時、共に魔王討伐に出た仲間にだけ明かしたリュカの秘密の能力。
『私は魔族の魔法を習得することができる。……対人間には効かないが』
それでアレンのことも『人間だ』と言ってくれた。
その能力のおかげで潜り抜けられた死線はいくつもあった。
対峙した魔族の得意とする魔法をリュカも習得し、戦うことで、何度も生き延びた。
同じ能力をノアも持っている。
先ほどは『ノアがリュカの関係者ではないか』と言ったけれど、アレンの中には一つの仮説があった。
ただ、それはあまりに不確定だったため、伝えられなかった。
……もし違ったらセレスティア嬢もノア君も苦しめるだけだしね。
それでも、もしそうであったなら……とアレンは願ってしまう。
命を懸けて背中を預け合った仲間を、友を見つけたい。
また会って、以前のように笑い合いたい。
アレンの望みはそれだけだった。
「……準備をしないとね〜」
何にせよ、ノアにかけられた『封じ』の魔法を解除するのは骨が折れそうだ。
* * * * *
ふと、ノアは目を覚ました。
ノアは主人であるセレスティアの隣室、使用人の控えの間を使っている。
本来は別の部屋を用意されていたが、従者として動くなら控えの間で過ごすほうが都合が良い。
隣室、主人のいる部屋に繋がる扉が少し開いていた。
微かにそこから風が流れてくる。
きちんと閉めたつもりだが、風の流れで自然と開いてしまったようだ。
簡易のベッドから起き上がり、扉を閉めようと近づいた。
「……リュカ様……」
主人の声に思わず動きが止まった。
……まだ起きている?
そっと、ノアは扉を少しだけ開けて主人の部屋を覗き見た。
窓辺にある椅子にセレスティアが座っており、どうやら窓を開けているようだった。
月明かりに照らされたセレスティアが目を閉じて祈りを捧げている。
その姿は見慣れたものなのに、美しいと思う。
ノアが勇者に言ったことは真実だった。
拾われ、助けられ、従者として生きる場所を与えてくれた人。
恩も感じているし、親しみや愛情もあって、セレスティアのためなら何だってしてみせる。
記憶を取り戻すことが怖くないといえば嘘になるが、それで主人が婚約者を見つけ、再会し、幸せになれるのであれば、ノアにとってはそれが幸せだった。
大切な主人のために自分にできることがある。
主人が婚約者と幸せに暮らす姿が見たい。
そして、その近くにノアのいる場所があれば、それで十分だった。
拾われてからの一年と少し、主人を見続けてきたから分かる。
主人は婚約者だけを愛し続けているし、それ以外には目もくれない。
どれほど誰かに優しくしても、微笑んでも、その心にいるのは婚約者だけ。
従者のノアが主人に懸想するなんて許されないことだ。
音を立てないように静かに扉を閉め、ノアはベッドに戻る。
「リュカ様、早くお戻りください……」
そして、主人に幸せを与えてほしい。
主人を幸せにできるのは、侯爵夫妻でも、勇者でも、ノアでもない。
ただ一人、主人が心から祈り続けている、婚約者だけなのだから。
毛布に包まり、ノアも手を組んで祈る。
主人の幸せを、二人の再会を願って。
そして、自分の記憶にその手がかりがあることを願って。
* * * * *