彼の軌跡(2)
国境のウェンディス砦に到着したのは、それから三週間後のことだった。
街道や周辺の森に魔物がいて通れないということで、村や行商人などが困っており、勇者様が魔物討伐を受けたため、予定より一週間ほど遅くなってしまった。
その後もいくつかの村を通り、勇者様は人々の困りごとを解決していった。
砦には王城から先触れがとっくに届いていたらしく、到着するとそのまま中に案内された。
ウェンディス砦にはイヴーク辺境伯がおり、この国境を守護している。
イヴーク辺境伯家は昔からこの地を守り、魔族の侵略から王国を守り続けていた。
応接室に通され、しばらくすると辺境伯だろう男性が来た。
「……貴殿が今代の勇者殿か」
大柄で長身の男性に思わずといった様子で勇者様が立ち上がる。
辺境伯は焦茶色の髪に赤い目をしており、なかなかに迫力があった。
「は、はいっ、勇者ハルト・カンザキです!」
「ベイル・イヴーク、イヴーク辺境伯家の当主を務めている」
差し出された辺境伯の手を勇者様が取り、握手を交わす。
「イヴーク辺境伯、久しぶり〜」
「アルシエル殿、息災でいらしたようですね」
「あはは、僕はこう見えてなかなかしぶといからね〜」
アレン様も辺境伯と握手を交わした。
「こちらは聖女レイア、騎士のノイエン……それから、リュカの婚約者のセレスティア嬢と従者のノア君だよ〜」
辺境伯の視線がわたしに向けられ、目が合った。
微笑み返せば、すぐに視線が外される。
「魔王討伐の旅はまだ続くのですか……」
「国としては、魔族の脅威から民を守らないといけないからね〜」
微かに俯いた辺境伯は悲しそうな表情をしたが、それも一瞬で、すぐに顔を上げた。
「これより先は魔族領です。ここでしばらく鍛錬を積んだほうが良いでしょう」
それにアレン様も頷いた。
「そうだね〜。ハルト君はまだまだ新人勇者だから、ここの鍛錬はすごくためになると思うよ〜」
「勇者様方でしたら、何日でも、お好きなだけお寛ぎいただいて構いません」
「ありがと〜。昔から見た目に反して、気前がいいよね〜」
「『見た目に反して』は余計です、アルシエル様」
辺境伯が目元を和らげたことで、勇者様もホッと小さく息を吐く。
ノアにかけられた魔法のこともあり、しばらくの間は砦に滞在することとなった。
* * * * *
「今度はオレもセレスティアと一緒に話を聞きにいく!」
と、勇者様が言い出し、結果的に全員で砦の中を見て回ることとなった。
アレン様の話では、リュカ様もこの砦にしばらく滞在して鍛錬を積んだそうなので、色々な人から話を聞くことができるかもしれない。
辺境伯様の計らいで砦の騎士が案内役についてくれた。
「勇者様方の案内役なんて光栄です。前勇者様も案内もさせていただいたことがありますが、その時は緊張しすぎて階段で転んで、聖人様に怪我を治していただいてしまって……」
ちょっと間の抜けたところのある騎士らしい。
でも、穏やかそうな騎士は勇者様や聖女様からすれば話しやすかったようで、歩きながら砦についてあれこれと話を聞いている。
歩いていたアレン様がこっそりわたしに近づいてきた。
「ハルト君達のこと、任せちゃっていいかな〜? 僕は蔵書室に行ってくるよ〜」
恐らく、ノアの魔法を解くためだろう。
頷けば「また後でね〜」と小声で言い、ふらりと別の廊下に消えていった。
騎士様はそれに気付いたようだったけれど、何も言わなかった。
「訓練場もご案内いたします。実は皆、勇者様と手合わせをできたらと期待しておりまして……」
「はい、大丈夫です! オレも強くなりたいので、手合わせは大歓迎です!」
「良かった、皆も喜びます」
勇者様は気付かず、訓練場に向かうこととなった。
歩いている最中、砦の騎士に声をかけられた。
「そちらの、えっと……」
「セレスティア・フォン・ローゼンハイトと申します」
「やはりローゼンハイト侯爵令嬢でしたか。お聞きしていた特徴によく似ていらしたので、もしかしたらとずっと思っていたのですが……」
何となく、この流れは覚えがあった。
「もしかしてリュカ様がわたしについて、何か話しておられましたか?」
砦の騎士が驚いた顔をする。
「え、ええ……よくご存じで……」
「わたしはリュカ様の婚約者ですから」
「そうなのですね。リュカ様はよく、ローゼンハイト侯爵令嬢について話していました。あの当時からいる騎士達で、お嬢様のことを知らない者はいないでしょう。それくらい、リュカ様は何に関してもご婚約者の話と結びつけて……よく惚気られたものです」
おかしそうに笑う騎士にわたしも微笑んだ。
「よろしければリュカ様のお話を聞かせていただけますか?」
騎士は「喜んで」と笑顔で頷いた。
* * * * *
……セレスティアが笑うのって、前勇者の話の時だけだよな……。
前を歩く砦の騎士が前勇者の話をしており、それにセレスティアが嬉しそうに微笑んでいる。
セレスティアは綺麗で、儚げで、守ってあげたくなるお姫様みたいで。
でも、一緒に旅をしていく中で、実はか弱くないということも知った。
魔物との戦いの間も春斗達の能力を上げるために祈り、馬車の中でも祈り、夜は前勇者のために遅くまでやはり祈っているらしい。レイアがそう教えてくれた。
春斗も教会で祈りを捧げることはあるけれど、祈るのは意外と疲れる。
それをずっと、セレスティアは道中行っていた。
護衛のノアがそばにいるとしても、魔物が怖くないわけじゃない。
それでもセレスティアはいつだって祈りを捧げる。
……セレスティアは強いよな。
セレスティアは前勇者がまだ生きていると信じて、祈り続けているが、時々、怖くなったり不安になったりしないのだろうか。
春斗は前勇者が羨ましかった。
こんなにセレスティアに想われて、好かれているのが、ただただ羨ましい。
何より、行く先々の村や街では嫌でも前勇者の話を耳にする。
前勇者は人助けを沢山して、魔物や魔族を倒して、人々を守っていた。
誰もが前勇者のことを話すので、春斗は比べられているような気がして嫌だった。
……今の勇者はオレなのに。
だけど、前勇者の話が出るとセレスティアの笑顔が見られる。
いつも祈ってばかりで話しかけづらいセレスティアが、前勇者の話になると自分から会話に交じり、楽しそうに、嬉しそうに話を聞いている姿はモヤモヤする。
訓練場に着くと案内の騎士が声をかけた。
「おーい、勇者様がいらしたぞ!」
それに騎士達が整列し、挨拶をしてくれる。
その後は騎士達と話して、手合わせをすることになった。
でも、セレスティアは春斗の戦いよりも騎士達の話に集中していて──……それは最初から分かっていたことだけど、やっぱりショックだった。
セレスティアは前勇者の婚約者で、その足取りを追うために旅に同行しているだけ。
春斗だって、セレスティアにとってこの気持ちは迷惑なものだと、本当は分かっている。
だけど、簡単にこの気持ちを捨てられなくて。
もしかしたら自分を見てくれるかもしれないと思って。
話しかけると困ったように微笑むセレスティアを見て、勝手にがっかりしてしまう。
「リュカ様はお嬢様の話になると、なかなか解放してくれなくて」
「そうそう。それを辺境伯様が『騎士達の鍛錬を邪魔する気か!』って止めてくださって」
「まあ」
ふふふ、と優しげに微笑むセレスティアは綺麗だ。
その笑顔を自分に向けてほしいと思うのに、心のどこかではそんなことはありえないとも思う。
セレスティアは何年も前勇者の婚約者のまま想い続けている。
いきなり現れた春斗が『好きだ』と言ったところで困らせるだけなのも分かっている。
……それでも、もう少しだけ……。
本当に生きているなら、前勇者が見つかるまではセレスティアを見ていたい。
初めて恋というものを教えてくれた、綺麗な人を。
* * * * *
「ローゼンハイト侯爵令嬢にお会いしたいという方がいるのですが……」
部屋に来た騎士の言葉に、わたしは目を瞬かせた。
「どなたですか?」
「リュカ様に助けていただいた方だと伺っています」
「分かりました。お会いしましょう」
騎士について行くと砦の門のところまで案内される。
外部の者を簡単に砦に入れてはならないため、貴族や客人でもない限り、門のところでというのが通例らしい。
門には二十代半ばほどの女性と男性がいて、女性が小さな子を抱えている。
「こちらがリュカ様の婚約者様です」
「セレスティア・フォン・ローゼンハイトと申します」
声をかけると、二十代半ばの男女が深々と頭を下げた。
「俺はリードといいます。こっちは妻のハンナ、それと息子のヨハンです」
「実は、二年半ほど前、まだ身重だった頃にリュカ様に助けていただきまして……」
「妻の実家が魔族領にある村でして、そこが魔族に襲われていた時にリュカ様が助けてくださり……そのせいで、リュカ様は左目にお怪我をされて……」
そこまで聞いて、リュカ様からの手紙をまた思い出した。
魔族領にある人間の村が魔族に襲われており、その時に左目に少し怪我をしたと。
視力を優先させるために痕は残ってしまったが、問題なく見えるので心配は要らないと。
女性がこちらに近づき、大事そうに抱えていた子の顔をしっかりと見せてくれる。
「その時、お腹の中にいたのがこの子です。本当はリュカ様にお礼を言うべきなのですが、あの時はすぐに産気づいてしまってお伝えする余裕がありませんでした」
「ローゼンハイト様、どうか、ヨハンの頭を撫でてやっていただけませんか?」
……ああ、リュカ様が守った命がここにもある。
柔らかな茶髪に同色の目をした、可愛らしい顔立ちの男の子だった。
わたしがそっと手を伸ばしても嫌がることも、怖がることもない。
きっと、両親や周りから愛情を沢山注いでもらっているのだろう。
触れた髪は細くて、柔らかくて、ふわふわしていて、頭もとても小さかった。
「ヨハン君、元気に生まれてきてくれてありがとうございます」
二歳を過ぎた頃なのだろう。可愛い盛りだ。
男の子は頭を撫でると嬉しそうに明るい声を上げた。
「ねーね、あーがと!」
「っ……」
にじみそうになる涙を瞬きで追いやった。
「リュカ様に助けていただいたのは、俺達だけではありません。……皆、リュカ様のご無事を信じております。あの方はとても強く、優しく……リュカ様こそ勇者であると思っています」
「ローゼンハイト様、どうか、リュカ様を見つけてください」
「リュカ様に、この子を抱いていただきたいのです」
夫妻の言葉にわたしは何度も頷いた。
「はい……はい……っ」
わたしの手を、小さな手がギュッと握る。
か弱くて、頼りなくて、でも見た目よりもずっと強い力だった。
リュカ様が助けた命が、人々の幸せが、旅のあちこちにあふれている。
……不思議ね……。
そばにいないのに、何故かリュカ様の存在を感じる。
人々の口からリュカ様の話が出てくる度に、まるでリュカ様がそばにいるような安らぎを感じる。
「リードさん、ハンナさん……必ずリュカ様を見つけてみせます。その時は、共にここに来ます。……ヨハン君を抱いているリュカ様のお姿を、わたしも見たいです」
夫妻と握手を交わし、もう一度小さな頭を撫でる。
「ヨハン君、健やかに育ってくださいね」
その祈りは天に届いた。
この祈りは小さなものだけれど、きっと、いつかこの子の助けになるはずだ。
夫妻は深々と頭を下げると、門の外に停まっていた荷馬車に乗り、帰っていった。
方角からして近くの街・ヴァントレーに住んでいるのだろう。
その荷馬車を見送りながらギュッと拳を握り締める。
……絶対にリュカ様を見つけてみせる。
そうして、彼らに──……これまで会った人々とリュカ様を再会させてあげたい。
リュカ様に会いたいと、無事を願う多くの人達がいる。
それがどれほどわたしの背中を押してくれているか。支えてくれているか。
「お嬢様」
ノアに名前を呼ばれて振り返る。
「絶対にリュカ様を見つけないとね」
「はい、どこまでもお供いたします」
「ありがとう、ノア」
わたし一人ではここまで来ることはできなかった。
勇者様一行に交じり、ノアに守ってもらっているからこそだ。
そっとノアに手を伸ばし、抱き寄せる。
「ノアも、いつもありがとう」
わたしより背が低いけれど、拾った頃からまた背が伸びたようだ。
「……ボクはお嬢様の侍従なので当然です」
そう言ったノアの声は、少し照れているふうだった。
……リュカ様、どこにいらっしゃるのですか……。
あなたに会いたいと願う人々がこんなにいるのに、放っておくなんて。
見上げた空はよく晴れていて、あまりに綺麗で少し寂しくなった。