優しさ / 封じ
エランディークの街を出て国境に向かうが、ここから二週間ほどかかる。
途中の村などに立ち寄りはするけれど、勇者様は一刻も早く魔王を討伐したいらしい。
「魔王のせいでみんなが困ってるんだろ? それなら早く倒さなきゃな!」
「そうだね〜。でも今はまだ魔王と対峙するのはちょっと厳しいかな〜」
「だけど……!」
「正直に言って、前勇者のほうがハルト君より強かったしね〜。彼より弱いハルト君が魔王城に行っても、今の力じゃ魔王どころかその部下にも勝てないよ〜」
アレン様の言葉に勇者様が傷ついた顔をする。
勇者様は一般人より確実に強いけれど、魔族と戦うにはまだ足りないのだろう。
けれども、勇者様はすぐに不機嫌な表情をやめて訊いた。
「なあ、前の勇者ってどんな人だったんだ? どれくらい強かった?」
それにアレン様が嬉しそうに目を細めた。
「前勇者──……リュカは『勇者』という呼び名に相応しい人物だったよ〜。優しくて、真面目で、努力家で、基本的に困っている人を放っておけない性格なのかどこに行っても人助けばかりしてて、リュカの周りはいつも人が集まっていたな〜」
アレン様の言葉に、以前のことを思い出す。
五年前、リュカ様が旅立つ前に王城で騎士達と手合わせをしていた時に行ったことがあった。
その時も楽しそうな騎士達に囲まれて、皆が笑顔で、リュカ様はその中心にいた。
……それでも、わたしが行くとすぐに気付いてくださった。
まだあの頃のわたしは子供だったけれど、リュカ様はわたしを一人の女性として扱い、接してくれて、皆にも「私の婚約者です」と紹介してくれた。それがとても嬉しかった。
「戦いにおいてもすごく強くてね〜。普段は温厚なのに戦闘になると一番に敵に向かっていく気の強さもあって、剣の腕は国随一って言われていたし、魔法の才能も驚くくらいあって──……リュカこそが魔王を倒す勇者だって僕も思ったんだ〜。だからリュカの仲間としてついていったんだよ〜」
「……オレより、そんなに強いのか?」
「今のハルト君じゃあ、どう足掻いてもリュカに勝てないね〜。剣の腕もそうだけど、ハルト君は魔法の詠唱を覚えるのが苦手でしょ〜? せめて戦いながら詠唱できるくらいじゃないと。戦闘中、敵は待ってはくれないからね〜」
「……」
納得したのか勇者様が黙る。
「リュカは『魔王討伐』だけが勇者の責務とは思っていなかったんだろうね〜。まあ、人助けばっかりしていたから魔王城に着くまで三年もかかっちゃったんだけど、そのおかげで僕達は旅立ちの時より強くなれたし〜?」
「前勇者って何歳で旅に出たんだ?」
「君と同じ十七歳だよ〜。これから更に色々な街や村に行くけど、きっとリュカの話を聞くことが多くなるだろうね〜。特に国境の街デュライでは魔族の大軍と戦ったから〜」
懐かしそうにアレン様が言う。
「ハルト君は魔族と戦ったことがないよね〜? 国境を越えたら向こうは魔族領だから、覚悟しておいたほうがいいよ〜」
「覚悟?」
「そう。魔族って言っても様々な種族がいてね、人間に姿が近い者も多いんだ〜」
「そうなんだ」
キョトンとしている勇者様に、アレン様が微笑みかける。
「戦いは『生きるために相手を殺す』ってことだよ。どんなに人間に近くても、相手は魔族で、殺さなければ殺される。死にたくないなら、大切な人を守りたいなら、殺さなくちゃいけない。……ハルト君、人間そっくりな魔族を殺せる?」
「そ、それは……」
勇者様がハッとした表情をした後に言葉を濁す。
「先に言っておくけど、魔族との共存なんて不可能だからね? もう何百年、千年以上続く人間と魔族との争い……今更、互いに手を取り合って生きていきましょう、なんて言うにはどちらも血が流れすぎた。憎しみと怒りの連鎖はもう、どちらかが滅びるまで消えないだろう」
「だからね」とアレン様が続ける。
「殺せないなら、殺さなくてもいいよ。……トドメは僕達がやるから」
それは甘い誘惑のようで、線引きでもあった。
勇者様が『殺し』のつらさを背負わなくてもいい反面、他の仲間にそれを背負わせる。
だが、殺すことについては否やは言わせない。
生き残るために、大切な人をまもるために、国のために、魔族を殺す。
どちらかが滅びるまで続く戦いならば、終わるまで殺し続けなければいけない。
何かを感じ取ったのか、勇者様が拳を握り締めて俯いた。
「……分からない」
呟くように勇者様が言う。
だが、アレン様は気にした様子はなく「そう」とだけ返した。
事実だからなのか、どう声をかければ良いのかといった様子で聖女様がオロオロとしている。
騎士様も聞こえていないというふうに御者台で馬を扱っていた。
シンと静まり返った中で馬車のガダゴトという車輪の音だけが響く。
「リュカはね、とても優しかったけど……だからこそ魔族には容赦をしなかったよ」
「どういう意味だ……?」
訝しげな顔をする勇者様に、アレン様が困ったように微笑んだ。
「『中途半端に助けても、相手も自分達も苦しむだけだ』」
アレン様が言葉を続ける。
「気まぐれに魔族を見逃したとして、その者が恩を抱くと思うかい? 仲間を、同胞を殺した相手に情けをかけられて──……僕なら憎悪に燃えるだろうね。それならいっそ殺されたほうがマシだよ。……だからリュカは敵として、魔族に情けをかけなかった」
「でもっ、それじゃあいつまでたってもお互いに恨み続けることになるだろ!? どこかで、その恨みを断ち切らないと……っ、魔族も人間も、もう殺し合わなくたっていいって、そんな未来があったっていいじゃんか!!」
勇者様の叫びに、その勢いに驚いた。
アレン様が勇者様に目を向ける。
「ハルト君は、そのために命を懸けられる?」
仄暗いアレン様の目に、勇者様がだじろいだ。
「ハルト君がもしも魔王を倒さなければ、人々は君を憎むだろう。……それでも、君は魔族を助けるのかい?」
「オレは……」
「世界はね、綺麗事を並べるだけじゃどうにもならないことがあるんだよ」
アレン様はふっと表情を和らげ、また困ったように微笑む。
「ただ、優しさには色々な種類があるのだと、それだけは覚えておいてね〜」
「……分かった」
微妙な空気が流れていく。
……変な方向に話が転がってしまったわね。
どうしようか考えているとアレン様がぱちりと手を叩き、全員の視線を集めた。
「まあ、暗い話はともかく、前勇者のリュカはすごい人物だってことは確かだよ〜」
「……その人と比較して、オレってどれくらい強い?」
「半分もないかな〜」
「二分の一以下……」
がっくりと肩を落とす勇者様に、アレン様が小さく笑った。
「人間は努力ができる生き物だよ〜。だから、ハルト君も努力すれば強くなれるって〜」
「適当だなぁ」
勇者様も呆れたように笑い、空気が穏やかなものに変わる。
それに聖女様がホッとした様子で勇者様に声をかけた。
「ハルト、私も頑張るから、一緒に頑張ろう?」
「そうだな! 一緒に頑張ろう!」
と、顔を見合わせて聖女様と勇者様が笑い合う。
わたしは祈りの傍らでそれらを黙って聞いていたのだった。
* * * * *
「セレスティア嬢、ちょっといい〜? 話したいことがあるんだけど〜」
夕食後、部屋に戻ろうとしたところでアレン様に声をかけられた。
けれども、それに気付いた勇者様がムッとした顔で割り込んできた。
「アレン! お前、エランディークの時もセレスティアとこっそり出かけただろ!」
「いやいや、あれはリュカの話を聞くためだったし、彼女にそういう気持ちはないって〜」
「本当に?」
「ほんとほんと」
ジッと勇者様が見つめるので、アレン様が「あはは〜」と困り顔をする。
「アレン様、どのようなお話か伺ってもよろしいでしょうか?」
「ん〜、僕は別にいいけど……セレスティア嬢の侍従君についての話だよ〜」
「ノアについて、ですか?」
思いもよらないことで目を瞬かせたわたしに、アレン様が「うん」と頷く。
それからアレン様はわたしを見て、ノアを見て、勇者様を見て肩をすくめた。
「まあいっか。ハルト君、ノイエン君を呼んできてもらえるかな〜? みんなにも聞いてもらおう」
「レイアは呼ばないのか?」
「うん、そこにいるからね〜」
「えっ?」
勇者様が振り向けば、聖女様が眉を下げて申し訳なさそうな顔をする。
「ご、ごめんなさい、立ち聞きをするつもりはなかったのですが……」
「いいえ、部屋は同じですから。むしろわたし達がこんなところで話していては、部屋に戻れなかったでしょう。申し訳ありません、レイア様」
「いえっ、大丈夫です……!」
慌てる聖女様は可愛らしくて、勇者様はそれに笑った。
それから、勇者様は騎士様を呼んで、わたし達の部屋──宿に泊まる時はいつも、わたしと聖女様とノアの三人で一部屋を使っている──に集まった。
椅子やベッドに腰掛け、アレン様が魔法の詠唱を行う。
「『風よ、内と外とを隔て、音を分けよ』」
微かに聞こえていた喧騒が消える。
「あまり人に聞かせたくない話だから、防音させてもらったよ〜」
さて、とアレン様が膝を軽く手で叩く。
「話だけどね、セレスティア嬢の侍従のノア君──……君からずっと魔法の気配がするんだけど、何か心当たりはある〜? あ、身体強化じゃないよ〜」
「いえ、ございません」
ノアは身体強化をいつも使っているけれど、普段から魔法を使うようなことはないはずだ。
それにノアも首を横に振った。
「そっか〜。うーん、だとしたら多分、君は何か魔法がかけられてるんじゃないかな〜」
「ノアに魔法が……?」
「そう。……ちょっと調べさせてもらってもいい〜?」
ノアが一つ頷き、アレン様が魔法の詠唱を行う。
先ほどよりもずっと長いその詠唱と共に、ノアの足元に魔法式が現れ、上に移動してノアの体をそれが通り抜けていった。
アレン様が「ん〜」と首を傾げる。
「どのような魔法か分かりますか?」
「……」
「アレン?」
勇者様が不思議そうにアレン様の名前を呼ぶ。
アレン様が困り顔で口を開いた。
「これは多分、魔族の魔法だね〜」
「魔族?」
「魔族の魔法は専門外だけど、文字はなんとなくなら読めるよ〜。……かなり緻密だから読み解くのは時間がかかるけど、形から見て、ノア君自身の魔力を使用してかかっている魔法みたいだね〜」
魔法は本来、使用者の魔力を精霊に捧げることで発動する。
しかし、ノアにかけられた魔法は、魔法の発動に必要な魔力がノアから使用されているという。
ノアの魔力がなくならない限り、魔法は継続して発動し続けるそうだ。
「ノア君、本当に覚えがない?」
アレン様の問いにノアが珍しく困った様子で首を横に振る。
「ノアは一年ほど前に我が家の前で行き倒れておりました。拾って、わたしの従者にしましたが、それまでの記憶がないようで、自分がどこの誰なのかも、どこから来たのかも、何も覚えていなかったのです」
「記憶喪失……うーん……」
ノアが不安そうに見上げてきたので、その頭を撫でる。
「大丈夫よ、ノア。何か魔法がかかっていたとしても、あなたはわたしの従者よ」
「はい、お嬢様」
勇者様から羨ましそうな視線を感じたけれど、気付かないふりをする。
アレン様がまじまじとノアを見つめた。
いや、正確にはノアを通して別のものを見ているようだった。
「これは……ん、もしかして……?」
「アルシエル様……」
ノアが不安そうにアレン様の名前を呼ぶ。
「パッと見ただけだから確実ではないけど『封じ』の魔法に近いものだと思うよ〜」
「封じるって何を?」
「さあね〜。ノア君は魔力量が多いから、それを封じてるのか、記憶を封じているのか……」
それにハッとした。
魔法で記憶を封じることは、確かにできるだろう。
拾った時に何も覚えていなかったのは魔法のせいだったとしたら──……。
「魔族が何を考えてノア君に『封じ』をかけたのか、気になるね〜」
アレン様の言葉に全員でノアを見た。
繋がった手が不安そうにキュッと握られたので、しっかりと握り返す。
「アレン様、ノアにかけられている魔法を解除することはできますか?」
「今すぐは無理だね〜。魔族の文字を学んでからじゃないと。解除に失敗すると、魔法がかけられているノア君に負担がかかってしまうから、下手に手は出せないかな〜」
「そうですか……」
ノアがホッとしたような、残念そうな表情をする。
「国境──……ウェンディス砦に着けば、魔族の文字も分かるかも〜。あそこから先は魔族領だし、魔族の文字についても調べれば分かるだろうからね〜」
アレン様がノアを見た。
「どうする〜? ノア君は魔法を解呪したい〜?」
ノアが少し考えるように視線を下げ、けれどすぐに顔を上げるとわたしを見た。
それからアレン様をまっすぐに見た。
「解呪したいです。……ボクは、自分のことが分からないせいでお嬢様にご迷惑をおかけしてしまいました。自分が何者で、どこから来たのか分かれば……お嬢様に庇われてばかりは嫌です」
「ノア……」
ノアを拾った当初、お父様達を説得するのにかなり時間がかかった。
記憶がない子供なんてそばに置いても後々面倒事に巻き込まれるだけだからやめなさいと言われたけれど、わたしはノアをそばに置くことにした。
……もしかしたら、わたしは寂しかったのかもしれない。
リュカ様に似た、でも少し淡い灰色の瞳に、リュカ様を重ねているだけなのかもしれない。
「じゃあ砦に着いたら、僕はそっちのほうを調べるね〜」
アレン様にノアが「お願いいたします」と頭を下げる。
……そうよね。
記憶を失っているノア自身が一番、不安なはずだ。
そっとその肩に触れて抱き寄せる。
「魔法について何か分かるといいわね、ノア」
こくりと頷くノアは歳相応の、幼さが残っていた。