彼の軌跡(1)
旅に出てから一週間、エランディークの街に到着した。
魔族領までには多くの街や村を通っていくが、このエランディークはその中でも比較的、大きな街らしい。
街に入るとすぐに人々が集まってきた。
どうやら勇者の話はもう広がっているようで、人々から「勇者様!」と歓声が上がる。
それに勇者様が荷馬車から出ようとしたけれど、騎士様に止められた。
「ハルト様、こんなところで出たら動けなくなってしまいます。領主の館に行ってからでも遅くはないでしょう」
「でも……」
「この街の領主に挨拶もせずにいるというのは失礼に当たりますので」
勇者様は渋々といった様子で諦めたものの、荷馬車の後ろから人々に手を振っていた。
荷馬車が領主の館に着くと、領主自ら出迎えられる。
屋敷の中に案内され、少し休憩した後に領主と会うこととなった。
……リュカ様のお話を聞けると良いのだけれど……。
応接室に通されると領主と勇者様が話をする。
「異界より魔王を討ち倒しにいらしたとは……本当に、どうかよろしくお願いいたします」
「はいっ、魔王を倒してみせます! オレはそのためにこの世界に来たので!」
他愛もない話をしている中で、ふと領主の男性がわたしを見た。
目が合うとすぐに視線が外されたものの、一瞬、観察されるように見られたのが分かった。
ノアも警戒しているのかわたしのそばに近寄ってきた。
「──……滞在中はどうぞ当家でお過ごしください。精一杯、歓迎いたします」
「ありがとうございます!」
そうして、領主と勇者様の話が終わった。
勇者様は聖女様と騎士様と共に街に出るようだ。
「セレスティアも一緒に行かないか?」
と、誘われたけれど、わたしはそれを「疲れておりますので……」と断った。
勇者様達が出かけていった後、アレン様がわたしのもとを訪れた。
「セレスティア嬢、領主様が僕と君に話があるって〜」
「まいりましょう」
アレン様は前回の旅にも参加していたから声をかけられるのは当然だが、わたしもというのは少し意外だった。
それでも、アレン様と共にもう一度応接室に向かった。
わたし達は部屋に入ると領主が立ち上がる。
「お久しぶりです、アルシエル様」
「うん、久しぶり〜」
どうやらこの二人は元々、知り合いのようだ。
先ほどよりも柔らかな雰囲気で領主がアレン様に声をかけた。
「先代の勇者様の旅以来……二年ぶりでしょうか? 相変わらず、あなた様は何もお変わりないですね」
「まあね〜。それで、僕はともかくローゼンハイト侯爵令嬢も呼んだのはどうしてだい?」
「ローゼンハイト……やはり、先代の勇者様のご婚約者様でしたか」
どこか懐かしそうに領主が目を細めた。
「先代の勇者……ヴァレンティナ様はよく、あなた様のお話をされておりました。以前この街にお越しくださった際には、近くの森に出た魔物を討伐していただきました。……森にいる希少な鳥の羽根が『婚約者の瞳と色がよく似ているから欲しい』のだとおっしゃって、依頼を受けてくださったのです」
「そういえばそんなこともあったね〜」
それに手紙の一枚を思い出した。
「もしかして、真っ青な翼に黄色い嘴の鳥ですか?」
「ええ、そうです」
「……その鳥の羽根が綺麗だったからと、一枚、贈ってくださったことがありました」
とても綺麗な青い羽根は今も大切に保管してある。
その時の手紙には、ついでに魔物討伐もしたと書いてあった。
「そういえば、その鳥の羽根をリュカも大事にしていたよ〜。首飾りにして、いつも身に着けていたっけ。……そっか、言われてみればセレスティア嬢の瞳の色によく似ていたかも〜」
それに嬉しさと切なさが込み上げてくる。
「……リュカ様……」
思わず名前を呼んでしまい、それに返事がないことがとても寂しくなる。
アレン様も領主も、何も言わないでいてくれたことは救いだった。
安易な慰めの言葉は虚しいだけだから。
「僕達は勇者ハルト君の旅に同行しつつ、リュカの行方を探そうと思っているんだ〜」
「なるほど。……ですが、私ではお役に立てそうもないですね」
「まあ、リュカのことだから、もしかしたらまだ魔族領に潜伏してる可能性もあり得るしね〜」
領主が頷き、そうして、わたしを見た。
「お時間があるのでしたら、街の者達に訊いてみるのが良いでしょう。リュカ様の手がかりにはならないかもしれませんが、あの方は街の者達からも好かれておりました。……人助けばかりされていらしたので」
「人助け、ですか?」
「リュカは人助けが生き甲斐みたいなところがあってね〜。いっつも立ち寄った村や街で困り事を解決していたんだよ〜」
「ええ、リュカ様の話は貴族の間でも有名ですよ」
……それは知らなかった。
夜会やお茶会に出ても、わたしはいつも祈ってばかりいたから。
もし、もっと交流を深めていたらリュカ様の話も聞けたのだろうか。
「明日、一緒に街に出てみる〜?」
「よろしいのですか?」
「もちろん……僕もリュカの話が聞きたいんだ〜」
そう言ったアレン様の表情はどこか懐かしげで、寂しそうで、好意の方向性は違ってもアレン様もリュカ様のことを大切に思っていてくれているのだと感じられて嬉しかった。
その後も領主からリュカ様の話をいくつか訊いた。
騎士達と手合わせをしたとか、メイドが割ってしまった壺について何故か一緒に謝罪されたとか。
……ああ、リュカ様らしい。
優しくて、真面目で、勇者として人々のために戦える人で。
最後に領主は言った。
「私もリュカ様が生きていると信じております」
その言葉が嬉しかった。わたし達以外にも、そう思ってくれる人がいる。
だからこそ、見つけ出したい。
……リュカ様、あなたに触れたい……。
抱き締めて、旅立つ日の約束を今度こそ、叶えてほしい。
* * * * *
翌日、勇者様達が街の騎士達と手合わせをして過ごす間、わたし達は街に出た。
どうやって街の人達に訊いて回ろうかと悩んだけれど、それは杞憂で、街の人々のほうから話しかけてくれた。
「おや、先代勇者様の魔法使い様!」
「あ、魔法使いのお兄ちゃんだ!」
「あの時はありがとうございました……」
「勇者のお兄ちゃんは?」
大人も子供も、男性も女性も関係なく、集まってくる。
それに驚いたわたしとは反対に、アレン様は慣れた様子で笑った。
「あはは、お久しぶり〜。リュカはちょっとどこかに行っちゃってね、僕達は探しにきたんだ〜」
「そうなんだ! でもこの街に勇者のお兄ちゃんはいないよ?」
「そっか、もし見つけたら教えてね〜」
「はーい!」
アレン様が子供の頭を撫でると、子供が元気よく走っていった。
街の人々はリュカ様が行方不明であることを知っているからか、残念そうな表情だった。
「早く見つかるといいわねぇ」
「まだあの時のお礼ができていないのに……」
「見つかったら、またこの街にきてくれよな!」
それらにアレン様が「そうだね〜」と返事をする。
「あ、そうそう。こちらはリュカの婚約者のローゼンハイト侯爵令嬢だよ〜」
「初めまして、セレスティア・フォン・ローゼンハイトと申します。よろしければ、リュカ様のお話を聞かせていただけますと嬉しいです。……旅の間、手紙のやり取りしかできなかったので、リュカ様がどんなふうに旅をしていたのか知りたいのです」
「まあ、こんな美人の婚約者がいたなんて!」
「リュカ様は本当に良い方だったよ」
と、街の人々は当時のリュカ様について話してくれた。
迷い猫探しをしたり、迷子の子を助けたり、荷運びや動けなくなっていたご老人を医者のところまで連れていくなんてこともあったそうだ。街に滞在したのは数日程度のはずなのに、リュカ様はその間に色々な人を助けていたらしい。
中には子供の遊び相手という微笑ましいものもあって、心が温かくなる。
行方不明になってから二年が過ぎたけれど、リュカ様を覚えていてくれる人がこんなに大勢いる。
……リュカ様、あなたはこんなにすごい人だったのね……。
街の人々から話を聞くだけで、あっという間に一日が過ぎてしまった。
その時間がとても楽しくて、そんな自分にも驚いた。
リュカ様を見つけるまで心から笑える日はこないと思っていたけれど、人々からリュカ様の話を聞いているうちに、自然と笑みが浮かんだ。
歩きながら領主の館に戻っているとアレン様に話しかけられた。
「リュカ、すごいでしょ〜?」
「はい、とっても。……お手紙はいただいていましたが、こんなに色々なことをしているとは知りませんでした」
「僕もずっとリュカに張りついていたわけじゃないから、思ったよりも沢山人助けをしてて……笑っちゃったよ〜。これまでの勇者は魔王討伐のためだけに旅をしていたけど、リュカは人助けも力を入れていたんだ〜。……ほんと、リュカは『勇者』って言葉が相応しいよね」
歩きながら、アレン様が目を細める。
旅の間、時々見せるその懐かしそうな表情は、きっとリュカ様の姿を思い浮かべているのだろう。
もしかしたらわたしも同じような表情をしているのかもしれない。
「どうでしょう。……わたしからすればリュカ様はリュカ様で、勇者としての姿はあまり見せていただいたことがなかったので……」
「婚約者のセレスティア嬢には『勇者』じゃない自分を見てほしかったのかもしれないね〜」
そうだとしたら、嬉しい。
勇者リュカではなく、リュカ・フォン・ヴァレンティナとして一人の人間として見てほしかったというのであれば、それはわたしのことを特別に見てくれていたと思ってもいいのだろう。
……リュカ様にとって、わたしは特別だった。
歩いていると前方から賑やかな声が聞こえてくる。
それが勇者様の声だと分かると、自然に足が止まった。
「セレスティア嬢はハルト君が苦手みたいだね」
「ええ、まあ……」
「それもそうだよね〜。セレスティア嬢はリュカの婚約者だし〜」
その言葉にホッとする。
「リュカが見つかれば全部解決するんだし、そんなに色々抱え込まなくてもいいんじゃな〜い?」
「……そうですね」
「第一、リュカの婚約者だって知ってて横恋慕してるのはハルト君のほうだしね〜」
……わたしは何があってもリュカ様の婚約者でいたいし、そうであるつもりだ。
そっと、腕に触れた感覚に我に返る。
心配そうに見つめてくるノアにわたしは微笑みかけた。
「大丈夫よ。心配してくれてありがとう、ノア」
今日はリュカ様の話を聞くことができて良かった。
ノアの頭を撫でれば、安心した様子で淡い灰色の目が細められる。
……ノアの目を見ているとリュカ様を思い出すわ。
色合いはノアのほうがずっと淡いけれど、リュカ様の灰色の瞳と似ていて、だからこそローゼンハイト侯爵邸の前で行き倒れていたこの子を放置できなかったのかもしれない。
* * * * *
「ローゼンハイト侯爵令嬢は、その……前勇者様がお好きなのですよね……?」
夜、深刻そうな顔でわたしの部屋に来た聖女様にそう問われた。
どんな話をされるのかと思えば、それだったので目を瞬かせてしまった。
「ええ、わたしはリュカ様を愛しております」
「では、ハルトとの婚約は……」
「お断りしました。ですが、なかなか引いていただけなかったので『リュカ様が死んでいるかどうか確かめてから考える』とお伝えしました」
「前勇者様がもし……その、な、亡くなっていたら……?」
「そうだとしても勇者様と結婚する気はございません」
わたしの言葉に聖女様が安堵した様子を見せる。
「聖女様は勇者様をお慕いなさっているのですね」
「えっ? ……は、はい……分かりやすかった、ですか……?」
「勇者様は気付いておられないようですが……」
赤い顔で聖女様が俯く。可愛らしい方だと思う。
どうして勇者様は好意を寄せてくれている聖女様の想いに気付かないのだろうか。
「わたしは勇者様と聖女様が結ばれるのが最も良いと考えております」
「ほ、本当ですかっ!?」
「はい、立場的にもお二人は釣り合うと思いますわ」
聖女様が嬉しそうに、照れたように、はにかんだ。
「わたしは聖女様を応援いたします。ご心配なさらずとも大丈夫ですわ」
「疑ってしまってごめんなさい……」
しょんぼりと肩を落とす聖女様の気持ちは分からなくもない。
想いを寄せている勇者様が、他の女を好きになるなんてつらいだろう。
しかも、その女は旅に同行している。下手をすれば勇者様と仲良くなってしまうかもしれない。
それを危惧しているのだろうが、わたしがそんなつもりは微塵もない。
そっと聖女様の手を取る。
「聖女様、きっと勇者様は他人のものが良く見えているだけですわ」
「そうでしょうか……」
悲しそうに俯く聖女様を励ます。
「たとえ勇者様が望んだとしてもわたしはリュカ様の婚約者です。どれほど勇者様に願われても、それを受け入れる気はございません」
ギュッと聖女様の手を握る。
「それに、わたしはリュカ様を愛しているので、勇者様のお気持ちは正直困っております」
顔を上げた聖女様に、わたしは困り顔で微笑みかけた。
「ですから、聖女様が勇者様のお心を射止めてくだされば、わたしとしては大変助かります」
「あ……」
聖女様が察した様子で目を瞬かせ、そして、唇を引き結んだ。
その表情はこれまでの気弱そうなものではなく、覚悟を決めた人のそれだった。
「……分かりました。私、頑張ってみます……!」
「わたしもできる限りご協力いたしますので」
「はいっ、お願いします……!」
ギュッと聖女様がわたしの手を握り返してくる。
……ごめんなさい。
わたしは自分の望みのために、勇者様をあなたに押しつける。