道中
……リュカ様……。
近くの村に到着し、夕食を摂った後は各自の自由時間となった。
聖女様は村の教会に行き、勇者様と騎士様は村長の家に行ったようだ。
わたしは宿の部屋、いつものように窓辺で祈る。
窓辺にはベッドが置かれていたため、その上に座っていた。
昼間は勇者一行のために祈り、日が沈んだらリュカ様のために祈ることにした。
目を閉じ、意識を集中させて心の中にリュカ様を思い浮かべて祈りを捧げる。
……神様、どうかリュカ様をお助けください。
たとえどこにいようとも、わたしにとってリュカ様が大事な人であることに違いはない。
ただ生きてさえいてくれたなら、それだけで十分なのだ。
昼間祈れない分、より気持ちを込めて天に祈りを捧げる。
目を閉じればいつだってリュカ様を思い出せる。
鮮やかな赤い髪に優しい灰色の瞳、整った顔立ちは冷たくも見えるけれど、微笑むと一気に雰囲気が和らいで温かな印象に変わる。わたしと目が合い、微笑んでくれるその瞬間がとても好きだった。
……必ず、あなたを見つけてみせます。
あなたが生きているとわたしは信じている。
いつまでも、信じ続けると決めているから。
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ふと目を覚ますとベッドに横になっていた。
どうやら祈っているうちに眠ってしまったらしい。
かけられた毛布がずれて、それを手で戻しながら辺りを見回せば、別の二つのベッドに聖女様とノアが寝ており、静かな寝息が微かに聞こえてくる。
……きっと、ノアがかけてくれたのね。
本当によくできた子だと思う。
ノアは護衛兼従者であり、何かとわたしの世話をしてくれる。
七つも歳下の子に世話をしてもらうなんて情けないかもしれないけれど、ノアがいてくれて良かった。
今日は何事もなく村に到着したが、そのうち魔物や魔族と戦うこともあるだろう。
その時、わたしは祈ることしかできないが、ノアは戦える。
……わたし、ノアに頼ってばかりね。
もっと自分のことは自分でできるようにならなければ。
窓を見れば、夜空には美しい満月が浮かんでいた。
「……リュカ様……」
あなたも同じこの月を、どこかで見ているのだろうか。
* * * * *
アレン・フォン・アルシエルは宮廷魔法士長を務める、魔法使いである。
遥か昔、魔族領近くの村で生まれ、戦火に巻き込まれて王都に逃げてきた。
元より魔法の素質が人より高かったのか、師に拾われてから魔法士としての才能が伸びて、気付けば国の優秀な魔法士達を束ねる者となっていた。
アレンは己の年齢を知らない。
魔法が好きということもあって、色々な実験をしているうちに歳を取らない体になってしまった。
師に拾われた時にも自分の歳は分からなかったが、今は二十代半ばほどの年齢で外見の成長が止まっており、そこから少なくとも五十年近く経っている。
そのせいで周囲の人々からは『実は魔族ではないか』と囁かれてもいた。
だが、リュカは違った。アレンと会い、話し、手合わせをして、そして笑った。
『皆は君のことを魔族ではと疑っているみたいだが、アレンは人間だ』
何故、と問うた時、リュカは教えてくれた。
リュカには勇者としての特別な力があり、戦った魔族の魔法を自分のものにできるらしい。
アレン達にだけは教えてくれた。
『手合わせをしてもアレンから魔法は盗めなかった。もちろん、最初から盗めないだろうとは思っていたけれど』
『どうして〜?』
『君の魔力はとても綺麗だから。魔族の魔力はもっと邪悪で、冷たいんだ』
アレン自身ですら、もしかして自分は魔族なのでは……と感じていた不安を、リュカはあっさりと吹き飛ばしてくれた。
リュカがアレンと共にいて、過ごすようになってからは『魔族では』という疑惑も消えた。
勇者が魔族と親しくするはずがないという、人々の思いが疑念を消していった。
リュカは優しくて、穏やかで、努力家で、真面目で、困っている者を放っておけなくて──……勇者という立場に恥じない人物だった。そして歳下の婚約者をとても大切にしていた。
セレスティア嬢とリュカは政略のような婚約から始まったらしいが、二人を見ていれば、その関係が利害だけのものではないということくらいすぐに分かった。
セレスティア嬢はリュカを好いており、リュカもまっすぐに好意を向けてくれるセレスティア嬢を好ましく思い、互いに想い合っている。二人はいつも幸せそうで、皆も微笑ましく見守っていた。
五年前の旅立ちの日、セレスティア嬢は笑顔でリュカを送り出した。
『リュカ様のお戻りをいつまでも待っております。わたしの祈りはリュカ様に捧げます』
まだ十四歳の少女だったセレスティア嬢は、笑顔でそう言った。
そんなセレスティア嬢を抱き締めたリュカの表情は、離れがたいと言いたげだった。
それでも勇者の責務のためにリュカはアレン達と共に魔王討伐を目的に旅立った。
セレスティア嬢の『祈りの天秤』という能力は素晴らしいもので、祈った時間や使用者の思いの強さに比例して、対象の能力値を上げる。彼女が毎日祈り続けてくれたからか、アレン達は三年の旅の中で驚くほど強くなった。
離れていてもリュカはセレスティア嬢を想っていて、いつも手紙を送っていた。
旅の間のことなので、セレスティア嬢からの返事が受け取れないのを残念そうにしていたので、魔法で鳥を生み出し、その鳥で手紙のやり取りをするように伝えるとリュカは心から喜んだ。
『ありがとう、アレン。……セレスからの返事が受け取れるなんて、夢みたいだ』
荷物になるからとセレスティア嬢の返事は数回に一度程度だったけれど、リュカは届いた手紙を大事に持ち続けていた。きっとセレスティア嬢も同じようにリュカの手紙を保管しているだろう。
政略の婚約でも、こんなに互いを想い合えるというのは素直にすごいと思うし、少し羨ましい。
……三年。そう、僕達は三年も共にいたんだ。
あちこちの街や村で人助けをしたり、魔物を討伐したり、魔族とも戦った。
誰もが互いに背中を預け合える戦友だった。
それなのに、魔王との戦いの最中、あと一歩というところで負けてしまった。
リュカと魔王の一騎討ちとなり、どちらが勝ってもおかしくはなかったはずなのに。
魔王の魔法を受け、爆発が広がり、リュカの姿は消えていた。
死んだというにはあまりに綺麗すぎて、信じられなかった。
前衛を失い、このままでは確実に全滅だと感じたアレン達は転移魔法で近くの街までなんとか飛び、命だけは助かった。聖人ユウェールは片足を失い、再生は不可能だからと、仲間の怪我の治療を優先してくれたが、怪我の完治まではいかなかった。
その後も何度か魔王城に乗り込み、周辺を捜索したが、リュカは行方不明のままだった。
どうしようもなくなり王国に帰還した時の、セレスティア嬢の表情は忘れられない。
リュカを探し、何故婚約者がいないのか気付いた瞬間の、あの表情。
『……リュカ様は今もまだ、生きておられます……』
体を震わせながら、泣きそうな顔でセレスティア嬢は言った。
祈りが天に届いている以上、対象のリュカは生きているとセレスティア嬢は主張した。
アレン達はそれを信じた。……信じるしかなかった。
十七歳になったセレスティア嬢は美しく、リュカが行方不明となってからいくつも縁談が舞い込んだようだけれど、彼女はそれを全て蹴ってリュカの帰りを待った。
その話を人伝に聞きながら、皆もそれぞれにリュカを探すために動いた。
アレンは魔物の討伐遠征に出る騎士や宮廷魔法士達の助力を得て、リュカの行方を探した。
女騎士ディオナは旅に出た。
聖人ユウェールは祈りながら教会を通じ、方々にリュカらしき人物がいないか捜索した。
だが、リュカらしき人物はこの二年間見つからず、手がかりすらなかった。
それでもリュカの無事を信じるセレスティア嬢の様子に背中を押され、アレンも諦めなかった。
だから今回の旅にも同行すると決めた。
……まさかセレスティア嬢もついて来るとは思わなかったけど〜。
ただ一つ、気になることはセレスティア嬢の連れている従者の少年のことだ。
濃い魔力の気配を感じるが、どこか違和感がある。
従者の少年はセレスティア嬢に忠誠を持って仕えているようだが、気になってしまう。
そう、この少年の魔力は何かがおかしい。
しかし『何がおかしいのか』を言葉に表現することができない。
本当に微かな違和感だが、肌に感じる魔力が一般人のものとは違うような気がするのだ。
……しばらく様子を見てみようかね〜。
何はともあれ、この旅でリュカの軌跡を辿ることができれば、何か分かるかもしれない。
* * * * *
昼間は勇者一行のために祈り、夜はリュカ様のために祈るという日々を過ごす。
馬車での旅は思いの外、安全で、多少魔物と出くわすこともあったけれど、勇者様とアレン様、ノアの三人が即座に倒してしまうので危険なことなどない。
ノアは勇者様が嫌いらしい。人見知りはあっても、人の好き嫌いはあまりない子なのに。
「お前、さっきオレが倒そうとしてた魔物、横取りしただろ!?」
「気のせいではありませんか?」
「いーや、気のせいじゃない!」
勇者様がノアに絡み、ノアが澄まし顔で返した。それに皆が苦笑する。
「まあまあ、ハルト君、それくらいにして〜」
「ハルト、魔物を倒すのが早くなりましたよね」
「えっ、そう? オレ強くなってるっぽい?」
「ハルト君は強くなってるよ〜」
機嫌の直った勇者様に皆がホッとしていたが、ノアは変わらず無表情だった。
わたしはそれらを聞きながら祈りを捧げている。
この旅を続けるためにも、勇者様達の能力を上げることは必要だから。
……リュカ様を見つけるため。
本当はリュカ様のために祈ると決めていたけれど、それも仕方がない。
ガタゴトと揺れる荷馬車の中で両手を組み、祈りを捧げる。
……勇者様方が強くなれますように。
祈りは天に届く。きっと、この祈りは勇者様達の能力を上げてくれるだろう。
勇者様達が強くなれば、旅程も早まり、リュカ様の軌跡を追いやすくなる。
そんなことを考えている自分が最低な人間だという自覚はあった。
勇者様の恋心を利用して旅に同行し、リュカ様を探そうとしているのだから。
……聖女様には申し訳ないことをしているわね……。
聖女様は多分、勇者様に想いを寄せている。
勇者様はどうして聖女様の気持ちに気付かないのだろう。
あんなに聖女様は勇者様を目で追いかけて、いつだってそばにいるのに。
そして勇者様以外は全員、わたしの考えに気付いている。
気付いた上で、黙っていてくれるのは同情か。それとも勇者様の機嫌を損ねないためか。
どちらにしても、わたしはこの旅でリュカ様を必ずや見つけ出す。
「お嬢様、お水をどうぞ」
ノアが水筒を差し出してくれる。
気付けば、祈り始めてから三時間ほど経っていた。
「ありがとう、ノア」
水筒を受け取り、ノアの頭を優しく撫でる。
……昔、リュカ様もこうしてわたしの頭を撫でてくださったわ。
それから水筒の水を飲む。
「最近、急に強くなった気がするんだけど、これってやっぱりセレスティアが祈ってくれるから?」
勇者様の言葉にアレン様が「そうかもね〜」と答える。
わたしの力『祈りの天秤』は即時発動能力である。
わたしが祈り、それが天に届き、それぞれの対象の能力値が上がる。
逆にわたしが祈るのをやめれば能力値はそれ以上、急激に上がることはない。
「勇者様方のお役に立てているのであれば、何よりです」
「セレスティアってなんか他人行儀だよな。言葉とか、普通にしていいのに」
「わたしにとってはこれが普通ですが……」
「ノアにはもっと砕けた話し方してるじゃん」
と、言われて困ってしまった。
「ノアは使用人ですから。勇者様には敬意を持って接する必要がありますので」
「そうそう、勇者様に適当な態度を取ってると他の貴族から悪く見られるからね〜」
アレン様が助けてくれたのでホッとする。
「そういうアレンは適当じゃん」
「僕は家単位の貴族じゃないから、周りの評価なんてどうでもいいんだよ〜」
「でもさぁ……」
不満そうな勇者様にレイア様が言う。
「ハルト、みんなそれぞれ事情があるから、押しつけは良くないと思います。それにローゼンハイト侯爵令嬢とは会って間もないんですよね? 貴族では、よほど親しい間柄でない限りはこういう感じが普通ですよ」
「そうなのか? 貴族って大変そうだな」
それで納得したのか、勇者様はもうその話題については言わなかった。
聖女様と目が合ったので、ありがとうございます、と黙礼をすれば苦笑が返ってきた。
……勇者様にはわたしより、聖女様のほうが良いのに。
年齢も釣り合うし、立場も勇者と聖女で何も問題はない。
それに前勇者の婚約者であるわたしを好きになられても、困る。
……わたしの心から昔から、リュカ様だけのもの。
他の誰もこの心に入る余地はない。
「お嬢様」
ノアに呼ばれ、水筒を返す。
「何でもないわ。……大丈夫よ」
もう一度ノアの頭を撫でて、微笑んだ。
わたしは自分のために勇者様を利用すると決めた。
今更、罪悪感を抱くなんて、身勝手にもほどがある。