旅立ち
そうして、話し合いから二週間後。
ついに勇者一行が魔王討伐の旅に出ることとなった。
わたしも準備を行い、ノアと共に馬車で王城に向かった。
お父様もお母様も心配そうにしていて、わたしも少し後ろ髪を引かれるような気持ちだったけれど、リュカ様の軌跡を追いたいという思いのほうが強い。リュカ様に何があったのか知りたかった。
馬車が王城に着くと前庭に勇者様達がいた。
「あっ、セレスティア!」
勇者様がすぐに気付いて駆け寄ってくる。
それに釣られるように彼の仲間だろう人々もこちらにきた。
「おはようございます、皆様。セレスティア・フォン・ローゼンハイトと申します。本日より、よろしくお願いいたします。こちらは従者で、わたしの護衛でもあるノアといいます」
横でノアが一礼する。
勇者様が「え、こんな小さい子が?」と驚いた様子で呟いた。
「初めまして、ノアと申します」
「ノアはこう見えて、我が家の騎士達よりもずっと腕が立つのです」
「へえ、そうなんだ。小さいのにすごいな!」
勇者様が手を伸ばしたものの、ノアがそれをヒョイと避ける。
「申し訳ありません。少々、気難しい子で……」
わたしがノアの頭を撫でると気持ち良さそうに目を細めて、素直に受けている。
拾ったのがわたしだからなのか、一番懐いてくれているのだ。
「そっか。……改めて、オレはハルト・カンザキ! 勇者だ! こっちはオレの仲間で──……」
勇者一行はリュカ様の時と同じく、四人一組だった。
黒髪黒目の勇者、ハルト・カンザキ様。年齢は十七歳だそうで、わたしの二歳下だった。
長い茶髪に緑の目の聖女、レイア・フォン・ベルグリッド様。彼女は男爵家の令嬢だが、治癒の力に目覚め、御神託により、聖女となった。
リュカ様の時は聖人様が仲間だったけれど、魔王との戦いで負傷されてからは教会で静かに過ごしているらしい。
勇者様と同じく黒髪黒目の男性騎士、ノイエン・バクスター様。元平民だが現在は騎士爵位を賜り、剣の腕が素晴らしいそうで、勇者様の剣の師であり、護衛でもあるそうだ。
最後の人を見て、あ、と思った。
「久しぶりだね〜、セレスティア嬢」
紫の髪を肩口で切り揃え、聖女レイア様より明るい緑の目をしたその男性は覚えがあった。
「アレン様……」
アレン・フォン・アルシエル宮廷魔法士長様。宮廷魔法士を束ねる立場の人で、リュカ様の旅にも同行していた。
二年前のあの日以来、会っていなかった。
夜会などでも姿を見なかったので、恐らく出席していないのだろう。
アレン様もあの時に怪我を負っていたが、今の様子を見る限りはもう完治したのだろう。
「僕が一緒なんて嫌だろうけど……リュカの軌跡を、彼が今どこにいるか、僕も知りたいんだ」
申し訳なさそうな顔をするアレン様にわたしは首を横に振った。
「いいえ、とても心強いです。リュカ様と旅をしていた方が一緒なら、何か手がかりを見つけられるかもしれません。……わたし一人では見落としてしまうこともあるでしょう」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。……僕はリュカを助けられなかったから、責められても仕方ないし」
「リュカ様はアレン様を責めることはしないと思います。それどころか『あなたが仲間で良かった』とおっしゃるでしょう。だから、わたしもアレン様を責めることはありません」
「リュカなら言いそうだね」
アレン様が困ったように微笑んだ。
わたしはアレン様がいてくれることが嬉しかった。
誰もが『前勇者は死んだ』と言う中で、それでも、探そうとしてくれることが嬉しかった。
それにリュカ様が勇者となってから、彼らとずっと共にいたはずだ。
訓練も、旅も、戦いも、背中を預け合って生きてきた者同士、一番悔しいのは彼らだろう。
怪我を負ってもリュカ様を探してくれて、教会では聖人様がずっとリュカ様の無事を祈り続けてくれている。
女性騎士は近衛騎士を辞して旅に出たという。もしかしたらリュカ様を探しているのかもしれない。
「微力ながら、わたしも能力で皆様のお手伝いをさせていただきます」
「ボクも頑張ります」
そういうわけで、わたし達は勇者一行に加わることとなった。
* * * * *
「セレスティアって好きなものとかあるのか? たとえば、花とか」
「そうですね、赤いゼラニウムが好きです」
「ゼラニウムってどんな花?」
「小さな花が密集していくつも咲くので可愛らしいのです。赤い花は緑の葉に映えて、赤いものは特に色鮮やかなので、邸の庭にも植えてあります」
「もし旅の途中で見つけたら教えてくれよな! セレスティアの好きな花、オレも知りたいし!」
「分かりました」
……どうして、ハルトはローゼンハイト侯爵令嬢が好きなのかな。
レイア・フォン・ベルグリッドはそう思った。
レイアはしがない男爵家の娘だったが、一年前に治癒の力に目覚め、神託により聖女となった。
前勇者と共に旅に同行した聖人ユウェール・ウィンストンは魔王との戦いで左足を失い、帰還後は教会で祈りながら静かに暮らしている。人々を癒してはいるものの、聖人ユウェールの治癒の力では失った足を戻せるほどの奇跡は起こせない。
聖人ユウェールから治癒の力について教えてもらい、レイアの能力は開花した。
歴代の聖人や聖女の中でも最高位と呼ばれるほど、治癒の力は高かった。
切断された手足があれば治癒魔法で繋ぎ直し、指くらいならば再生させることができる。
人々はレイアを『奇跡の聖女』と呼んだ。
レイアもその呼び名に恥じぬよう、毎日多くの人々を癒し、聖女として奉仕活動を行った。
それでも聖女という重責が苦しくて、なかなか領地にいる家族に会えないことが寂しくて、でもそんなことは誰にも言えなくてつらかった。聖女になれるのはとても名誉なことだから。
けれども半年前に神託が下った。
天が輝き、美しい音楽が聴こえ、頭の中に厳かな声が響いた。
【異界より勇者が現れり。その者、魔を払う者なり】
そして数日後に天から眩いほどの光の柱が生まれ、王城の謁見の間にハルトが現れた。
ハルトは異世界の人間で、レイアと同じ歳だが、剣の腕も立ち、魔法の才能もあった。
レイアは勇者ハルトの仲間として選ばれ、それからずっと共に修練を積んできた。
気弱で引っ込み思案なレイアにハルトはよく話しかけてくれた。
『レイアの治癒の力ってすごいけどさ、みんなから「治してくれ!」って頼られっぱなしなのは疲れるよな。オレも勇者って呼ばれるのは嬉しいし、頑張らなきゃいけないのに、たまにしんどいって思う。……オレもレイアも、まだ十七歳の子供なのにな!』
ハルトの生まれ育った国では十七歳はまだ子供だという。
この世界では十六歳で成人とされ、大人として扱われると説明したら驚かれた。
でも、勇者のハルトでもつらいと思うことがあると分かってから、レイアは自分を責めることはなくなった。
『大変なのに頑張ってるレイアはすごいな! オレも見習わないと!』
ハルトはレイア自身を見て、そう言ってくれた。
それがどれほどレイアにとって救いになったか、きっとハルトは知らないだろう。
……そう、私は頑張っていた。
毎日、毎日、聖女として清く正しく、人々から尊敬を向けられるのに足る人間であろうとした。
だけど、疲れた時は休んだっていい。たまには息を抜いてもいい。
そんな当たり前の、だけど誰も言ってくれなかったことをハルトは教えてくれた。
気付けば、ハルトのことが好きになっていた。
明るくて、活発で、ちょっと純粋すぎて子供っぽいところがあるけど、まっすぐなハルト。
レイアの心を軽くしてくれたハルトに想いを寄せるのは当然のことだったのかもしれない。
ふと、顔を上げればローゼンハイト侯爵令嬢と目が合った。
優しく微笑み返され、レイアも笑みを浮かべた。
だが、少し顔が強張っている自覚があった。
荷馬車の中、レイアはハルトの横にいるのに、ハルトはずっとローゼンハイト侯爵令嬢に話しかけている。侯爵令嬢はそれに付き合ってくれているけれど、ハルトと距離を置こうとする雰囲気が感じられた。
ハルトはそれに気付いていないのか、あれこれと侯爵令嬢に質問を投げかける。
……赤いゼラニウムの花。
思い浮かんだのは前勇者だった。
顔立ちまでは覚えていないけれど、確か、侯爵令嬢の婚約者である前勇者は鮮やかな赤い髪の持ち主だったことだけは記憶している。
レイア達も今日は王都の街中を馬に乗って華々しく旅立ったけれど、前勇者の出発の時、レイラは十二歳の準成人で王都の教会へ洗礼を受けにきていた。
その時、前勇者を少しだけ見た。日の光に照らされた赤髪がとても綺麗だった。
……花言葉は『君ありて幸福』……。
きっと、侯爵令嬢はその赤い花に前勇者を重ねているのだろう。
あなたがいれば幸せという──……侯爵令嬢の嘘偽りのない気持ちだと分かった。
愛する人が行方不明になって二年、それでも待ち続け、毎日祈る日々というのはレイアが想像する以上につらく寂しい日々なのだろう。
勇者の旅に侯爵令嬢が同行すると聞いた時は驚いたし、ハルトが彼女を好きだと知った時は悲しかったが、侯爵令嬢と少し過ごしただけでも彼女がまだ婚約者を愛していると察せられた。
その心にハルトが入る余地はなさそうで、他のみんなもハルトの様子に苦笑している。
……ハルトはこういう人が好きなんだ。
ローゼンハイト侯爵令嬢は美しく、特別な力を持ち、どこか陰がある。
しかし、その陰は暗いというより、彼女を儚げに見せて、より美しさを際立たせていた。
儚げだけど美しくて、穏やかで、優しそうで、一途で、それでいて自分を持った人。
ローゼンハイト侯爵令嬢は婚約者だけを想い、信じて、この旅に同行した。
たとえ前勇者の死が確実なものであったとしても、侯爵令嬢はきっとハルトを選ばない。
王命で結婚しても、その心は永遠に前勇者に捧げられるだろう。
……だって、初めて出会ってからずっと祈り続けているんだから。
セレスティア・フォン・ローゼンハイト侯爵令嬢の名前は社交界では有名だ。
いつも婚約者のために祈りを捧げている『祈りの乙女』と呼ばれ、聞くところによれば、十二歳から今まで毎日祈りを欠かしたことがないという。それほどまでに婚約者への愛情が深いのだ。
もしかしたらハルトは嫌われているかもしれない。
婚約者を想い続けているのに、後任の勇者から求められるなんて。
ハルトはまっすぐすぎて時々、周りが見えないことがある。
多分、侯爵令嬢のことが好きで、その気持ちでいっぱいになってしまっていて、周りだけでなく侯爵令嬢の気持ちすら気付けないのかもしれない。ハルトはいつでも全力でぶつかっていくから。
「あの、ハルト」
と、声をかければ、ハルトがすぐに振り向く。
「ん? レイア、どうかした?」
「一度、旅の経路の確認をしませんか? ローゼンハイト侯爵令嬢とも共有しないと……」
「あ、そっか! セレスティア達にはまだ話してないよな!」
宮廷魔法士長のアルシエル様がスッと地図を取り出した。
「それについては僕から説明するよ〜」
ふわりと地図が馬車の中央に浮かぶ。
目が合ったアルシエル様がパチリと片目を瞑って見せ、ローゼンハイト侯爵令嬢がどことなくホッとした様子でレイアに一瞬だけ目礼をした。やはり侯爵令嬢は困っていたようだ。
侯爵令嬢の横に座る従者の男の子は無表情だけれど、ハルトに向ける眼差しは冷たい。
「僕達がこれから向かうのは北方の魔族領にある、魔王城だね〜。そこまでの道は僕が覚えているから、リュカ──……前勇者のことも調べたいし、同じように進んでいくことになるかな〜」
アルシエル様が話している間はハルトも静かだ。
前にアルシエル様の注意を聞き流して、魔道具を壊した時にとても怒られていて、その様子は容赦がなくて結構怖かった。
普段はのんびりした優しいお兄さんという雰囲気のアルシエル様だけど、世の中には絶対に怒らせてはいけない人がいるのだとレイアもその時に知った。
旅の順路に関する説明を侯爵令嬢と従者の子は真面目に聞いている。
騎士のノイエンは御者として前で荷馬車を走らせているが、休憩を挟み、アルシエル様と従者の子が交代で御者を担ってくれるそうだ。
従者の子は十二歳だと聞いて、子供に任せるのは……と少し心配になった。
『ノアは剣も魔法も体術も、従者としてもとても優秀ですので問題ありません』
と、侯爵令嬢が言い、本人も頷いていたので任せることになったが。
従者の子は人見知りなのか侯爵令嬢以外には警戒しているようだ。
特にハルトのことは警戒というより、嫌いらしく、雰囲気も冷たい。
それでも侯爵令嬢が表面上は友好的に振る舞っているからか、静かに控えている。
「──……っていう感じで、あちこち回りながらの旅になるね〜」
どこか懐かしそうな、それでいて寂しそうな顔でアルシエル様が言う。
アルシエル様にとっては二年ぶりの旅路であり、仲間を失った旅でもある。
侯爵令嬢が愛おしそうに地図に触れた。
「わたし、旅は初めてですわ」
きっと、彼女の目には婚約者の後ろ姿が見えているのだろう。
優しく微笑むその姿に見惚れるハルトに、レイラは胸が痛んだ。
……ハルト……。
自分はこんなにもハルトのことが好きなのに、どうして気付いてもらえないのだろうか。
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明日からは毎朝更新となります(*^-^*)