条件
それから数日後。わたしは今、王城にいる。
国王陛下と新たな勇者様にお会いするためだ。
……少し緊張するけれど、大丈夫……。
今日はお父様と、護衛にノアがついてきてくれている。
ノアは記憶を失くしているけれど、戦うことに優れていた。
我が家の騎士達よりも強いので、わたしの護衛兼従者となっている。
王城の使用人の案内で、応接室に通された。
そこにはこの国の国王陛下と、そして黒髪のわたしよりもいくつか歳下だろう男の子がいた。
──……勇者、ハルト・カンザキ様……。
リュカ様が行方不明になってから一年半後に、新たな御神託により現れた異世界の勇者様。
この世界では珍しい黒髪と黒い瞳をした、まだ幼さの残る顔立ちだ。
目が合うと嬉しそうな顔をされたけれど、わたしは黙礼を返しておいた。
お父様とわたしが礼を執る。
「国王陛下と勇者様に、ローゼンハイト家当主、バーゼル・フォン・ローゼンハイトがご挨拶申し上げます」
「娘のセレスティアがご挨拶申し上げます」
それに国王陛下が頷いた。
「うむ、座るがよい」
「失礼いたします」とお父様と共に着席する。
向かいにいる異世界の勇者様の視線が少し痛い。
「本日は私共のわがままを聞いていただき、ありがとうございます」
「いや、無理を言っているのはこちらのほうだ。……ローゼンハイト侯爵令嬢」
「はい」
国王陛下に名前を呼ばれて、返事をする。
「まだつらい最中にいるそなたに、このような話を持ってきてしまい、すまないと思っている」
「いいえ……陛下のお気遣いには感謝しております」
王命で『勇者の婚約者となれ』と言えば済む話を、こうして場を設けてわたしの意思を確認できるようにしてくださった。それだけでも十分、気を遣っていただけている。
勇者様は話がよく分からないのか不思議そうな顔をしていた。
「さて、ローゼンハイト侯爵令嬢は前勇者、リュカ・フォン・ヴァレンティナ伯爵令息と婚約がまだ継続している。だが、こちらの勇者ハルト・カンザキ殿が侯爵令嬢を見初めて、婚約者にと望んでいるというのも事実である」
それに勇者様がピンッと背筋を伸ばして言う。
「ハルト・カンザキです! その、夜会で一目見た時から好きになってしまいました! オレと付き合ってください!」
ハキハキとした元気な言葉で言われ、わたしは目を伏せた。
リュカ様とはまったく違う雰囲気の方だった。
「……婚約のお話をお受けすることはできません」
「ローゼンハイト侯令嬢、前勇者のリュカ殿は二年前に……」
「はい……ですが、わたしの祈りはまだ天に届き、リュカ様のために使われております。どこかできっと生きていらっしゃいます。……わたしはそう信じているのです」
もし祈りが天に届かなくなった時は、リュカ様が本当に亡くなったということなのだろう。
勇者様が前のめりになって言う。
「でも、その前勇者は帰ってこないんですよね? それって、帰るつもりがないってことじゃないんですかっ? オレだったら婚約者を放置なんてしない!」
それにわたしは手を握った。
リュカ様の状況も分かっていないというのに、どうしてこんなふうに言えるのだろうか。
もしかしたら大怪我を負っているのかもしれない。
もしかしたら魔族に捕まっているのかもしれない。
そういった可能性すら考えていない、あまりに幼い勇者の言葉に苛立ちが募る。
「……婚約のお話は大変、光栄に存じます」
「それじゃあ……!」
明るい表情をする勇者様をまっすぐに見つめた。
「しかし、わたしの婚約はまだ継続しております。せめて婚約者が本当に亡くなっているかどうかの確認をさせていただきたく……わたしも、どうか魔族討伐の旅に同行させてくださいませ」
わたしの言葉に全員が驚いた顔をする。
「セレスティア!?」
お父様に名前を呼ばれ、わたしは微笑んだ。
「この目でリュカ様の死を確認するまで、わたしは婚約破棄に同意いたしません」
「魔王討伐の旅はお前が思っているよりも危険だ!」
「お父様、わたしも命懸けなのです。……たとえその途中で死んだとしても、悔いはありません」
……もう、待つのはやめる。
リュカ様が生きているなら、わたしのほうから迎えにいけばいい。
勇者様が目を瞬かせた後に笑顔を浮かべた。
「セレスティアも一緒なら、きっといい旅になる! オレが守るから大丈夫ですよ!」
「ありがとうございます、勇者様」
「いいって! 婚約者のことが分からないと、婚約もできないしな!」
勇者はどうやらわたしと婚約を結べると思っているようだ。
……もし、リュカ様が本当に亡くなっていたなら……。
その時は後を追う。
……リュカ様以外と結婚なんてしたくないわ。
勇者様には申し訳ないけれど、わたしの唯一はリュカ様だから。
国王陛下が小さく溜め息を吐く。
「……分かった。ローゼンハイト侯爵令嬢の旅の同行を許可しよう」
「陛下!?」
「侯爵よ、どちらにしても同じことだ。前勇者のリュカ殿については我々も知りたいと思っている。勇者ハルト殿の旅の中で、前勇者殿について分かることがあるかもしれない。……ローゼンハイト侯爵令嬢」
国王陛下に呼ばれて返事をする。
「はい」
「その代わり、勇者ハルト殿のためにも祈りを捧げてもらおう」
「かしこまりました」
わたしが旅に同行する代わりに、勇者様の分の祈りも捧げる。
……リュカ様への祈りが減ってしまうのはつらいけれど。
それでも、旅に出れば今よりも祈りの時間は伸びるだろう。
お父様が深刻な表情でわたしを見つめる。
「ごめんなさい、お父様」
それでも、わたしはリュカ様を誰よりも愛しているから。
* * * * *
馬車の中に重苦しい沈黙が広がっている。
それを肌で感じながら、ノアは静かに主人の横に座っていた。
ノアは一年前、ローゼンハイト侯爵家の門前で行き倒れていたのをお嬢様に拾われた。
孤児院へ引き渡そうと言った侯爵夫妻に、お嬢様は「我が家の前にいたのも何かの縁ですわ」と説得して、使用人として雇ってくれた。
ノアは記憶を全て失っていた。
どうやって侯爵家の前に辿り着いたのかさえ、覚えていない。
この『ノア』という名前もお嬢様からいただいたものだ。
その恩に報いるため、ノアは使用人として働きながら剣を習い、魔法を学んだ。
幸いどちらの才能もあったのか、自分でも驚くほど強くなり、今では侯爵夫妻公認のお嬢様の護衛兼従者となれた。
お嬢様に名前を呼ばれると、どうしてか時々、無性に泣きたい気持ちになる。
悲しいのか嬉しいのかも分からないが、心が震える。
……ボクはこの方に会うために生まれてきた。
そう思ってしまいそうなほど、お嬢様の存在は大きかった。
お嬢様が勇者の旅に同行するというのならば、ノアもついて行く。
たとえこの命を引き替えにしても守りたい人。守るべき人。
それが、ノアにとってのお嬢様だった。
「セレス……本当に行くのかい?」
侯爵様の言葉に、お嬢様が頷いた。
「はい……待つのはもう、やめました」
「その先につらい結果があるかもしれないぞ」
「承知の上です。リュカ様に何が起こったのか知らないまま、別の方と添い遂げることなどできません。……わたしの心は今でもあの方と共に在るのです」
大事そうに胸に手を当てて微笑むお嬢様は美しかった。
侯爵様は「そうか……」と複雑そうな表情をしていた。
……羨ましい。
お嬢様にこれほど想ってもらえる前勇者が、ノアは羨ましいと感じた。
ノアはどれほどお嬢様を慕っていても、ただの使用人でしかない。
けれど、前勇者を想っている時のお嬢様は本当に美しくて、幸せそうで──……お嬢様が幸せなら、その相手が自分でなくてもいいと思う気持ちもあった。
「……旅にはノアを連れていくように」
「はい。……ノア、危険な旅に付き合わせてしまってごめんなさいね」
申し訳なさそうな顔をするお嬢様に、ノアは首を横に振った。
「いえ、ボクは大丈夫です」
お嬢様に拾ってもらったこの命はお嬢様のために使うと決めている。
「お嬢様をお守りするのが、ボクの使命ですから」
* * * * *
初めて彼女を見たのは、勇者のお披露目パーティーでのことだった。
普通の高校生だったオレ、神崎春斗は元の世界で事故に遭った。
正直、元の世界に戻りたい気持ちはあったけど、神様の使いとかいう人が戻れないと言った。
代わりに別の世界で勇者が求められているから、その世界に行って、勇者として過ごすのはどうかと言われて頷いた。
……勇者ってカッコイイじゃん!
元々、剣道も習っていたし、剣も魔法もある世界なんて面白そうだった。
異世界ではオレは勇者として大歓迎された。
前の勇者が魔王を倒すために旅に出たのに、二年前に行方不明になって困っていたそうだ。
だからこそ、神様から遣わされたオレこそが真の勇者だってみんなが褒めてくれる。
この世界ではオレは元の世界の平凡な高校生じゃなかった。
剣の腕も一般人よりずっと強いし、魔法も普通の人とは比べられないくらい早く習得して、簡単にどんどん強くなっていけるのが楽しい。
……オレが魔王を倒して、人間を救うんだ!
仲間も増えて、ファンタジー冒険モノのゲームみたいだと思った。
そうして初めて出た夜会で、彼女と出会った。
彼女は夜会にいるのに誰とも踊らないでずっと窓辺にいた。
窓辺で両手を組み、窓の外を眺めては何かを祈っているようだった。
綺麗な金髪に青い目が綺麗で、まるでお姫様みたいで、どこか寂しそうな表情が気になった。
「なあ、あの子って誰?」
剣の教師でもある騎士ノイエン──昔この世界にきた異世界人の末裔だそうで、オレと同じ黒髪黒目だ──に訊けば、ノイエンは訳知り顔で「ああ」と声を落として言った。
「あちらのご令嬢は前勇者様の婚約者です」
「え? でも、前勇者って二年前に……」
「はい、行方不明になっております」
彼女──……セレスティア・フォン・ローゼンハイト侯爵令嬢はずっと婚約者の前勇者の帰りを待ち続けているらしい。
彼女の家系の女性だけに受け継がれる特別な能力によって、婚約者の前勇者を支えていたけど、その前勇者が行方不明になってもずっとその能力のために祈り続けているんだとか。
どこか悲しそうな、寂しそうな、でも綺麗な横顔に見惚れてしまう。
……あんな綺麗な人を残すなんて、前勇者は酷いやつだ!
オレならそんなことはしないのにと思い、気付いた。
……オレ、あの人のことが好きかもしれない。
ずっと前勇者を想い続けているっていうなら、一途だし、貴族だから勇者と結婚しても立場は多分悪くないし、王様も『我が国の者と結婚してもらいたい』と言っていた。
だからすぐに王様にオレは気持ちを伝えた。
最初は渋っていた王様だったけど、彼女の家に声をかけてくれて、やっと彼女を再会できた。
彼女はやっぱり綺麗で、その笑顔は以前と同じ寂しそうなもので。
……明るい笑顔が見たい。
……オレなら、そんな顔はさせない。
気持ちを伝えたけれど、彼女からは返事はもらえなかった。
代わりに『前勇者が生きているかどうか確かめるために旅に同行したい』と言われた。
もし、前勇者が死んでいたら、その時は彼女はきっと──……。
そこまで考えて、その考えは良くないと気付いて頭を振ったけど、思ってしまう。
……前勇者が死んでたら、オレのことを見てくれるのかな。
「……セレスティア……」
名前も綺麗な響きなんだと思った。
お姫様みたいな人で、でも寂しそうで、抱き締めて守ってあげたくなる。
「ハルト? どうかしたの?」
聖女のレイアに声をかけられ、ハッとする。
「あ……いや、その……今日、セレスティアに会えたんだ。すごく綺麗で、近くで見たらお姫様みたいでさ……婚約者だった前勇者がちょっと羨ましくなってさ!」
ははは、と笑って誤魔化せば、レイアは「そう……」と微笑んだ。
「体調が悪くなくて良かったです。でも、訓練中にボーッとしてるのは危ないですよ?」
「ごめん! ちゃんと集中する!」
彼女も旅に同行してくれるなら嬉しい。
旅は危険だっていうけど、勇者のオレが守れば大丈夫だ。
それに前勇者が死んだって分かれば彼女も諦めがつくと思う。
……ずっと報われないままなんてつらいしな!
剣を握り直して笑顔でレイアを見れば、ホッとした様子で頷き返される。
「はい、そうしてください。ハルトが怪我をしたら悲しいので」
「ありがとう! レイアって本当に優しいよな!」
こうして心配してくれる仲間がいて、一緒に旅ができるのが楽しみだ。
前勇者がどうなったか調べて、魔王を倒せば、彼女と結婚できる。
みんなが『勇者様と結婚できる方は幸せですね』と言うんだ。
きっと、彼女もオレと結婚すれば勇者の妻として幸せになれるはずだ。
* * * * *
本日は二度と更新予定です!
夕方も是非お楽しみください(´∪︎`*)