勇者ハルト
……今のは、魔王の記憶……?
まるで自分が魔王レヴェンデリンであるかのような、現実味だった。
番と共に過ごす幸せ。卵が生まれた幸せ。やがて家族が増える幸せ。
それらを打ち砕かれ、愛する者達を無惨に殺された憎しみや怒り、嘆きや苦しみを直接感じた。
わたしだけではなく、皆もそれを見たのか、誰もが驚きの表情を浮かべていた。
レイア様とユウェール様によって治療されたおかげか、勇者様が目を開ける。
「……それは、憎いよな……」
ぽつりと呟いた勇者様の言葉に、誰も反論できなかった。
永遠に続くと信じていた幸せが一瞬で崩れ去り、二度と戻らないという絶望。
何故、魔王が魔王となったのか。人間の敵となったのか。
そして、わたしは『祈りの歌』の本当の意味を理解した。
……あの歌は死んだドラゴンの子のためだったのね……。
生まれる前に死んでしまった幼い魂が救われることを願った歌。
人間の罪を忘れさせないための歌。
代々、人前で歌うことが許されなかったのは当然だ。
鎮魂歌は他人に聴かせて喜ばせるものではない。
ましてや、子を亡くした母親と戦うための歌でもない。
……なんてこと……。
本来はドラゴンの子のために捧げられるはずだった祈りを、国は、自分達を守るために『勇者に力を与える祈り』として歪めてしまったのだろう。
魔族は悪だと。魔族は人間の敵だと。真実は闇に葬られた。
……現在の王族すら、もしかしたら理由を知らないかもしれない。
何百年、千年と経つうちに、歴史すら変えられて。
勇者様が手を伸ばす。
「……許せないなら、許さなくても……いい……」
ゴホッと勇者様が咳き込み、レイア様が「無理しないで……!」と手を添える。
それでも勇者様の目はまっすぐに魔王を見つめていた。
「……だけど、走り続けるのって、疲れないか……?」
ふら、と魔王が近寄り、勇者様の手に触れる。
「……オレは、魔王のことも……知りたい……魔族のことも、知りたい……」
魔王の手を勇者様がグッと力強く握った。
「誰も死なないのが、一番だろ……?」
ぽたりと、魔王の瞳から涙がこぼれ落ちる。
瞬きをする度に、その赤い目からいくつも涙が伝っていく。
「……そなた、ハルトと言うたか」
「ああ、ハルト・カンザキだ……」
「神は何とも酷なことをする……」
魔王が泣きながら、勇者様の手を握り返した。
「……そなたの中に、やや子の魂を感じる……」
魔王の手が伸びて勇者様の黒髪にそっと触れた。
「よもや、異世界で人に生まれ変わっていようとは……」
勇者様がそれに目を丸くし、そして小さく笑った。
「そっか……だから、アンタを見た時、懐かしかったんだ……」
……異世界から召喚された勇者様は、魔王レヴェンデリンの子の生まれ変わり……?
それでは、勇者様がこの世界に召喚されたのは偶然などではなく──……。
勇者様が嬉しそうに、明るい笑みを浮かべた。
「きっと、前のオレも……アンタが『母さん』で、嬉しかったと思う……」
その言葉に魔王が床にくずおれる。
「ハルト……ハルトというのか……やや子の、呼べなかった名は……っ」
「春の植物みたいに、成長して……目標にまっすぐ、向かっていく……そういう名前だって……」
「ああ……とても良い名だ……」
魔王が泣きながら勇者様の手に頬をすり寄せる。
その光景に、リュカ様もどうすれば良いのか分からずといった様子だった。
近づき、腕に触れれば、リュカ様が剣を下ろす。
リュカ様自身も迷っているのが伝わってきた。
魔将二人が心配そうに魔王に近寄り「魔王様……」と声をかける。
「すまない……たとえ、もうやや子ではないとしても……生まれ変わりであろうとも、我が子の魂をまた殺すなど……妾にはできぬ……」
それに魔将達は静かに魔王のそばに跪いた。
「魔王様の御心のままに」
「ぼく達、魔王様に従うよー」
「行くあてのなかった我らを救ってくださったのは魔王様だけです」
勇者様がレイア様に支えられながら起き上がる。
「オレ、魔族とか人間とか……よく分からないけど、言葉が通じるなら、話し合って……どうにかならないのかな」
「ハルト……」
「魔族と人間が長く、戦争をしてたのは知ってる……でもさ、やっぱ、どこかでそれは止めなきゃって、思うんだ……いつまでも続けてたら、未来の人達が苦しむ……だろ?」
困り顔をするレイア様に、勇者様がニッと笑う。
「オレは勇者だから……どんな道でも、勇気を持って……行かなくちゃな」
治療したとはいえ、疲労が残っているのか勇者様がつらそうだ。
それなのに、笑顔はあまりに純粋で、明るくて──……リュカ様が剣を鞘に戻す。
「ハルト、それがお前の選ぶ道か?」
リュカ様の問いに勇者様が頷いた。
「ああ……オレは魔族も、人間も、誰も死なない道を選ぶ……!」
「……そうか」
リュカ様が魔王を見る。
「俺はお前を信じたわけではない。……だが、勇者ハルトの言い分も理解できる」
「勇者リュカ……」
「どこかで苦しみを終わらせなければいけないなら、誰かが責任を背負うしかない。それなら、ハルト一人ではなく、勇者二人で背負ったほうがまだマシだろう」
リュカ様に近寄り、その手を取ってしっかりと握る。
……わたしも共に背負わせてください……。
そんな気持ちが伝わったのか、フッとリュカ様がこちらを見て優しく微笑んだ。
「魔王よ、お前も『戦わない』という選択をするなら、それを突き通せ」
「分かっておる……魔族のことは、妾が何とかする。何年かかるか分からぬが……」
魔王が顔を上げてリュカ様を見た。
魔王とリュカ様の顔を交互に見て、勇者様が笑った。
「きっと何とかなる。……だって、こうしてオレ達はちゃんと、分かり合えたんだか──……」
瞬間、アレン様が動き、魔王を突き飛ばした。
ガキィンッと派手な金属音が響き、リュカ様が「アレン!」と呼んだ。
「大丈夫〜。……それよりノイエン君、どういうつもり〜?」
騎士様が剣を構え直す。
「私は『魔王討伐』を任じられております。……あなたこそ、陛下に仕える者として何をしていらっしゃるのですか?」
「僕が命じられたのは『勇者一行として参加して、勇者を守れ』だからね〜。魔王討伐を命じられてはいないし……何より、新たな可能性を見つけたら、それに興味を持つのが魔法使いって生き物だからね〜」
「そんな理由で王命に背くとは……」
騎士様が剣を握り直し、構える。
「君こそ、どうしてそこまで魔王討伐に固執するの〜? 人間と魔族が争わなくて済むなら、別に魔王を倒さなくてもいいでしょ〜? むしろ、魔王を討伐したら魔族の反発はより強まって戦争は激化するし〜」
ジッとアレン様が騎士様を見る。
魔王も立ち上がり、騎士様に顔を向けた。
「……何か理由がありそうだのう? 少し、覗かせてもらうぞ」
魔王が騎士様に掌を向け、そして、眉根を寄せた。
「なるほど、魔族に親を殺されたか」
その言葉に騎士様がギリ……と噛み締めた。
「親だけではない! 俺のいた村は魔族に滅ぼされた! 生き残った俺だけで、必死になって騎士になった! それも全ては魔王を殺し、皆の仇を討つためだ!!」
「ノイエン……」
勇者様が悲しげに騎士様を見る。
「未来など関係ない!! 仇を討たなければ、俺も皆も、永遠に苦しみ続けるんだ……!!」
「うぉおおおおおっ!!」と騎士様が魔王に斬りかかる。
それを、魔王は静かな瞳で見つめていた。
けれども騎士様の体に魔法式が現れ、騎士様が捕縛され、地面に倒れ込んだ。
「くそっ! 離せ!! 魔王を殺すんだ……!!」
叫ぶ騎士様に、アレン様が言う。
「ごめんね。……でも、魔族と人間が争わない世界を、僕も見てみたいんだ。……これまで、僕達も多くの仲間を魔族に殺されたけれど、それは彼らも同じことだから」
「アレン……」とディオナ様が気遣うように名前を呼んだ。
振り返ったアレン様はいつも通りに微笑む。
「どこかで憎しみを断ち切る必要があるなら、多分、今なんだろうね〜」
その言葉にリュカ様が目を伏せる。
……きっと、この道は荊だわ。
魔族も人間もあまりに長く戦い、互いに殺しすぎた。
騎士様のように魔族を許せないという人々もいるだろう。
「それでも……オレは、もう『魔王を殺す勇者』にはならない」
勇者様が言う。
「オレのところで、全て断ち切るから」
* * * * *
「ハルト……」
名前を呼ばれた春斗は振り返った。
レイアとユウェールに治療してもらったが、疲労が酷かったため、アレンの魔法薬を飲んだ。
味はとんでもなくまずくて最悪だったけれど、驚くほどよく効いた。
起き上がって血まみれの服をどうしようか考えていたところ、魔王レヴェンデリンに声をかけられたのだった。
「その、すまなかった……」
しょんぼりと肩を落とすレヴェンデリンに春斗は笑った。
「いいって。それより、なんて呼べばいい? レヴェンデリン?」
「……レヴで良い」
「分かった。……本当はめちゃくちゃ痛かったし、死ぬって思ったけど……許すよ」
そもそも互いに命を懸けた戦いだった。
春斗は殺すという選択をできずにいたけれど、リュカと一緒に戦っていたのは事実だ。
魔王を見た時、春斗は不思議と懐かしさを感じた。
威圧感や恐怖も感じたけれど、どこか覚えがあるような気がした。
もしかしたら、その懐かしさは春斗の魂が訴えていたのかもしれない。
……オレ、前世はドラゴンの子供だったんだな。
そう思うとちょっとおかしくて、笑ってしまった。
「レヴ」
名前を呼べば、魔王──……レヴがパッと明るい表情をする。
「前のオレを愛してくれてありがとな」
番を、子供を、レヴは深く愛していた。
愛していたからこそ、レヴは人間を許せなかった。
……オレだって家族を殺されたら絶対に許せない……。
それなのに、レヴは『戦わない』道を共に歩んでくれる。
許さなくてもいい。手を取り合えなくてもいい。
ただ、殺し合いだけはもうやめてほしかった。
レヴの赤い瞳が煌めき、潤み、優しく微笑み返される。
……オレは誰かを傷つけるために喚ばれたわけじゃなかった。
きっとレヴと再会するために、魔族と人間の戦争を終わらせるために、この世界に召喚されたんだ。
* * * * *
その後、捕縛したままの騎士様を連れて転移魔法で砦に帰還した。
わたし達が想定より早く戻ってきたことで辺境伯に心配された。
「早かったな……魔王のところまでは辿り着けなかったか……?」
「いや、魔王とは戦った」
そこで、リュカ様が魔王との戦いと今後について説明する。
辺境伯も周りにいた騎士達も眉根を寄せ、難しい顔で黙った。
……彼らの気持ちは分かるわ。
これまで敵として戦い、絶対悪と思っていた魔族と和解すると言われても信じられないだろう。
騎士様が暴れ、叫ぶ。
「魔族と和解なんてありえない!! 奴らは俺達の家族や友人、仲間を殺したんだぞ!?」
「……そうだ」
「許せるはずがない……!」
騎士達の間にそんなざわめきが広まった。
勇者様が拳を握り、見回した。
「じゃあ、魔族と戦ったことがないやつはいるのかよ!? 大切な人を殺されたり傷つけられたりしたって言うけど、人間だって魔族を殺したり傷つけたりしてるんじゃないのか!? どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、これから先のことを考えなきゃいけないだろ!!」
まっすぐに勇者様が騎士達を見る。
「オレはいつか、誰かと結婚して子供ができた時、子供に『魔族は敵だから殺せ』なんて言いたくない! 他の子にだって、そんなことさせたくない!! せめて休戦するとか、攻め込まないとか、そういうふうにすれば戦いで苦しむ人も減るんじゃないのか!?」
それに騎士達は戸惑った様子で互いに顔を見合わせる。
「魔族を信じろとは言わない。だが、俺達を信じてはもらえないだろうか」
リュカ様の言葉に全員の視線がそちらに向く。
「もし魔王がまた人間と敵対するというなら、今度こそ、俺達が倒す」
「それならば何故、倒してこなかった?」
辺境伯の問いにリュカ様が小さく首を横に振った。
「魔王を倒しても魔族が滅びるわけではない。いずれ次の魔王が立ち、魔族の攻撃はより激化するだろう。だが今回、魔王は『戦わない』という約束のもと、魔族を束ねると言った。……戦わずに済むなら、それが一番だと思わないか?」
リュカ様の返答に辺境伯が黙った。思考を巡らせているのが感じられる。
「……確かに一理ある」
それに騎士達が「辺境伯様……!?」と驚いた声を上げた。
「だが、それが本当なのかという確証はない」
「最近続いていた魔族の襲撃も、もうないだろう。それが証拠にはならないか?」
「分かった、今はリュカ殿達の言葉を信じよう。……魔族の襲撃がないほうが我々としても助かるのは事実だ。皆だってそうだろう? 我々は好んで魔族と戦っているわけではない」
騎士達も顔を見合わせ、小さく頷いている。
リュカ様だけでなく、勇者様達もホッとした表情をする。
「とりあえず、勇者殿達が無事に帰還してくれたこと、心より嬉しく思う」
辺境伯とリュカ様が握手を交わす。
……なんだか、まだ夢みたいだわ……。
魔王城に行って、生きて──……魔王と和解して帰ってくるなんて。
一番の功労者であろう勇者様も辺境伯と話していた。