鍛錬 / 祈りの乙女
* * * * *
前勇者──……リュカの仲間が砦に来た。
大剣使いのディオナと聖人ユウェールも、魔王討伐に参加するらしい。
「ユウェール様!」
レイアがユウェールに駆け寄ると、ユウェールが優しくレイアの頭を撫でた。
「レイア、元気そうで何よりです」
「ユウェール様も同行していただけるなんて嬉しいです……!」
と、二人は親しげな様子で、なんだかそれが面白くない。
「知り合いなのか?」
レイアに訊けば、頷き返される。
「ユウェール様はわたしの師匠なんです。治癒の力に目覚めてから、色々なことを教わりました」
「へぇ、そうなんだ」
ユウェールは三十代半ばか後半くらいで、穏やかそうだった。
確かに以前、レイアから『前勇者の仲間の聖人から治癒の力の使い方を教わった』と聞いていたが、嬉しそうに駆け寄るレイアの表情を見るとモヤモヤする。
ハルトのそんな気持ちに気付かず、ユウェールが話しかけてきた。
「勇者様、ハルト君とお呼びしてもよろしいでしょうか? 私のことはユウェールで構いません」
ニコリと微笑みかけられ、ハルトは少し気まずく思う。
「あ、うん……」
「ハルト君の治療はレイアが担当して、私はあくまで全体の補佐に努めますのでご安心を」
「えっ、ユウェール様が補佐だなんて……」
レイアが眉を下げてユウェールを見る。
「レイアのほうが治癒の力は高いですからね」
「でも──……」
言い募ろうとしたレイアの声を、別の声が遮った。
「ハルトはこちらに」
その声に視線を向ければ、リュカとディオナがいた。
「今日から、ハルトの相手は俺とディオナがする」
「二人で?」
「いつでも一対一の戦いとは限らない。それに扱う武器が違う者との戦いにも慣れたほうがいい。……少し急ぎ足で鍛えることになる。多少の怪我はあとで聖女レイアに治療してもらえ」
と、リュカが言い、ディオナが剣を肩に担ぐ。
「今代の勇者は随分と細っこいね。いくつ?」
「……十七です」
「なるほど、成長途中じゃあそんなものか」
リュカとディオナと共に訓練場の中央に移動する。
端ではレイアとユウェールが治癒の力の特訓を始めている。
リュカが鞘から剣を抜いたので、ハルトも剣を抜いて構えた。
リュカとディオナが剣を構えた瞬間、ビリビリとした感覚が全身に広がった。
……すげえ威圧だ……!
ただそこにいるだけなのに、二人から感じる威圧でジリ……と足が下がりそうになる。
「この程度の威圧に屈していては、魔王との戦いでは指一本動かせずに殺されるぞ」
静かな声でリュカが言う。
それに「確かにね」とディオナが小さく笑った。
「まずは俺からいく。……ディオナはそれを見て、力加減を」
「了解」
リュカの言葉にディオナが頷き、半歩下がる。
そうして、リュカが微かに足を動かした。
瞬間、その姿がかき消える。
……どこだっ!? ……左か!
さわりと僅かに肌の上で揺れた空気に、ハルトはとっさに右へ下がった。
半拍おいて剣先がハルトのいた場所を襲う。
何とか避けたと思った瞬間、脇腹に強い衝撃を受けた。
「うっ……!?」
勢いのまま、地面を転がった。
「勘は悪くないが、実戦経験が少なすぎる」
リュカが近づいてきて、ハルトに剣を向けた。
「起きろ。戦闘中、敵は待ってはくれない。これが実戦なら、今のでお前は死んでいる」
少し離れた場所からディオナの「相変わらず容赦ないね」という声が聞こえた。
腹部の痛みに歯を噛み締めて起き上がる。
いつもはすぐにレイアが治癒をかけてくれるが、駆け寄ろうとするレイアをユウェールが止めていた。
「戦っている間、必ずしもすぐに治療してもらえるわけではない。怪我を負っても動けるように慣れろ」
ハルトが痛みを堪えて立ち上がり、剣を構える。
それにリュカが頷き、その姿がまたかき消えた。
「っ、上だ!」
上に構えた剣にガキィンッとリュカの剣がぶつかる。
しかし、ふわっとリュカの剣が離れたかと思うと、横から追撃がくる。
それも何とか防ぐが、次から次へと攻撃が襲ってきた。
最初は完全に見切れていた攻撃だが、段々と速くなっていっている。
……オレの目を慣らす気か……!
腹部の鈍痛に耐えながら、ギリギリで反応できるかどうかの攻撃を弾き、避けていく。
リュカは息一つ切れた様子もなく攻撃を繰り出しており、力量差を改めて感じた。
……敵わない……!
「もう諦めるのか? ハルト、お前の背負う『勇者』とは、その程度なのか?」
リュカに押され、後退していく。
「違う! オレはこの世界を、人間を救うんだ……!!」
「それなら俺を越えてみせろ。……戦闘でお前が死ねば、お前の大事な者達も死ぬ」
その言葉にハルトはハッとした。
これまではレイアやノイエン、アレンがハルトを助けてくれていた。
だが、ハルトが死んだら?
死ななくても、動けない状態になった時に足を引っ張ることになる。
「っ、うぉおおおおぉぉっ!!」
……レイア達が死ぬなんてダメだ!!
そう思うと自然に体が動き、リュカに立ち向かうことができた。
結局、その剣も簡単に弾かれて簡単に叩きのめされてしまったが。
* * * * *
「リュカ」
呼び止められて振り返る。
「アレン、なんだ?」
アレンがチラリとリュカの後ろを見て、苦笑する。
「初日から飛ばしてるね〜」
「俺のことは魔王にも伝わっているはずだ。……ハルトは力もあるし、勘も良い。短期間でできる限り鍛えておく必要がある」
少しでも鍛えておけば、勇者ハルトが死ぬ可能性も減る。
いざという時は全力で転移魔法を使えば逃げることはできるだろう。
……だが、魔王もそういった対策をしているはずだ。
前回、リュカは転移魔法を使って脱出した。
それに気付いていれば、今度は転移魔法が使えないようにされているかもしれない。
最後は自分達の戦闘力に頼るしかなくなる。
勇者ハルトについては思うところはあるが、だからといって死んでほしいわけではない。
勇者として異世界から来たのであれば、その責任を背負い、全うするべきだ。
たとえ既に勇者ではなくなったとしても、リュカ自身も『元勇者』という立場と責任がある。
「……それで、何か用があったんだろう?」
首を傾げれば、アレンが「そうそう」とリュカに顔を戻す。
「セレスティア嬢が今、祈りの間にいるから一緒にどうかと思って〜」
「一緒に? セレスにも用事か?」
「いや〜、用っていうか、セレスティア嬢が祈ってるところを見させてもらいたいなあって思ってね〜。ローゼンハイト侯爵家の女性にのみ受け継がれる『祈りの天秤』についても調べてみたくって」
アレンは根っからの魔法好きで、その手の話もかなり好きだ。
「旅の間も見ていたと思うが……」
「そうだけど、道中は結構うるさくてセレスティア嬢もあんまり集中できてなかったみたいだし、僕もさすがに近距離で凝視するのはどうかと思ってさ〜」
……なるほど。
ノアだった頃の記憶を思い出せば、確かにアレンはセレスティアのことを気にしていた。
勇者ハルトが頻繁にセレスティアに声をかけようとするのを止めていたのもアレンだった。
「僕が一人でこっそり覗き見していたら、リュカも怒るでしょ〜?」
「……あまり良い気はしないな」
「だからリュカ公認ってことで〜、ダメ?」
アレンは純粋の『祈りの天秤』という能力について知りたいだけだ。
そこにセレスティアに対する邪心は欠片もない。
「分かった。だが、セレスティアの邪魔はするなよ」
「やった! もちろん、邪魔しないよ〜」
というわけで、アレンと共に祈りの間に向かった。
砦の南側にある祈りの間は辺境伯や騎士達の結婚式が行なわれたり、砦で働く者達が祈りを捧げたり、教会の代わりに使用されることが多いらしい。
ふと、歩いていると声が聴こえてきた。
それに気付いたアレンも思わずといった様子で足を止める。
「……歌?」
微かに聴こえてくる声は、どうやら何かの歌のようだ。
アレンと顔を見合わせ、そっと祈りの間に近づいていく。
アレンが遮断魔法でリュカと自身の音を消したので、リュカが静かに扉を開けた。
それは高い、よく響く透き通った声だった。
「『慈しみ深き主よ、わたしの弱きを払い給え』」
石造りの砦の中で、そこだけは唯一の白に包まれていた。
虹色のステンドグラスで彩られた大きな窓から、淡い青色の光が部屋全体に降り注いでいる。
「『どうか、祈りを安寧に。願いを救済に。わたしの魂の続く限り、罪科を償いましょう』」
祭壇の前に立つセレスティアが歌っていた。
両手を組んで祈りながら、その口から流れる歌には不思議な響きがあった。
……なんて美しくて……寂しげなのだろう。
聴く者全ての心を震わせるような、美しく、透明で──……物悲しげだ。
「『主よ、幼い魂を救い給え。嘆きに鎮めを、捧ぐ祈りに慰めを』」
歌詞の意味は分からないが、憂いを帯びたその声が、響きが、祈りの間を満たしている。
「『どうか、幼き魂が迷いなく光の中を歩めるように』」
横にいるアレンもぼんやりとした表情でセレスティアを見つめている。
金髪が淡い青色の光を反射させているが、よく見ればセレスティアの体全体がほのかに光り輝いていた。それは魔法発動時の光に似ているようではあるものの、どの属性の色とも異なる。
ステンドグラスから差し込む光に交じるようにセレスティアの体から虹色の光の粒がふわりと舞い上がり、空気に溶けていく。
その光景はあまりに美しく、厳かで、近づくことすら憚られる清らかさがあった。
……祈りの乙女……。
人々は生きているかどうかも分からぬリュカのために祈り続けるセレスティアを揶揄してそう呼んでいたが、この姿を見て、感じると、その呼び方は正しいと思った。
「『祈り捧げる誓いをここに。幼き魂の安寧を、この魂の果てるまで祈らん』」
セレスティアこそ『祈りの乙女』である。
「『主よ、愚かなわたしの祈りを導き給え……』」
長く伸びやかな声がゆっくりと空気に溶けて消えていく。
歌が終わるまで、リュカもアレンもその場から動くことができなかった。
響きが消え、祈りの間に静寂が訪れる。
振り返ったセレスティアと目が合うと、青い瞳が丸く見開かれた。
「……リュカ様?」
驚いた表情のセレスティアに、酷く罪悪感を覚えた。
アレンも同様だったのか、困ったように頭を掻いている。
「あー……ごめんね、邪魔しちゃったかな〜?」
「いえ……その、歌を聴きましたか?」
「うん、ばっちり」
アレンが正直に言えば、セレスティアが少し気恥ずかしそうな顔をした。
とりあえず、扉を閉めてアレンと共にセレスティアのそばに寄る。
「今のは何の歌だ?」
セレスティアに問いかけると困ったように微笑まれる。
「我が家の女性にのみ受け継がれる『祈りの歌』です」
「……もしかして聴いてはいけなかったか?」
「いいえ、そのようなことはありませんが……」
少し考えるような顔をした後、セレスティアは言葉を続けた。
「これは『祈り』であり『鎮魂歌』でもあると聞いております」
「鎮魂歌?」
アレンが興味深そうに訊き返す。
「はい、この歌こそが本当の祈りで、普段は仮初のものなのだそうです。……この歌を口に出して良いのは我がローゼンハイト侯爵家の女性だけで、それ以外の者は声に出すことすらできないと言い伝えられています」
「そうなのか?」
「試してみてもいいっ?」
好奇心に満ちあふれたアレンにセレスティアが頷いた。
アレンが口を開いた。どうやら一回聴いただけで覚えたようだ。
しかし、アレンの口からは何も音は出てこなかった。
ただ、パクパクとアレンが口を開け閉めしている。
「……確かに、音にならないね〜」
普通に喋ることはできるらしいので、本当に歌の時だけ声が出ないのだろう。
「え〜っ、何これ不思議〜! 魔法? いや、どっちかっていうとこれは『呪い』に近いような? うーん、でも効果を考えると『呪い』というより『祝福』って言ったほうが正しいのかな〜?」
楽しそうにアレンが話す。
「そもそも、ローゼンハイト侯爵家が『祈りの天秤』を持つようになったのっていつからなんだろう〜? 能力っていうのは基本的に何かしらの『きっかけ』があって開花するものなんだよね〜」
「何か知ってる〜?」とアレンが問い、セレスティアが首を横に振った。
能力を受け継ぎ続け、何代も時が過ぎたことで細かな話は途絶えてしまったようだ。
ふとセレスティアが何かを思い出した様子で言う。
「そういえば……ローゼンハイト侯爵家は元々、教会派だったと聞いたことがあります。現在は中立に位置しておりますが、最初に『祈りの天秤』が発露したのは初代侯爵の娘だったと。……歌詞の内容からして、亡くした誰かを弔うためのものだったのかもしれません」
目を伏せたセレスティアは寂しげで、儚げで、リュカは思わずその細い体を抱き締めた。
いきなり抱き寄せたというのに、セレスティアは黙って身を預けている。
「だからこそ、わたしはリュカ様のために本当の意味で祈りを捧げることができませんでした」
「鎮魂歌だから、か」
「はい……」
顔を上げたセレスティアが微笑む。
「ですが、リュカ様はこうして生きています。……これは『鎮魂歌』ではなく『祈り』です」
回された細い腕がリュカの背中に触れる。
「そうか。……だが、確かに人前では歌わないほうがいい」
「……下手でしょうか?」
見上げてくるセレスティアの頭を撫でる。
「その逆だ。上手いし、美しすぎて、良からぬことを考える者が出かねない」
「そんなことはないと思いますが……わたしも歌を聴かれるのは恥ずかしいですし、この歌は誰かに聴かせるためのものではないと言われているので、人前では歌いません」
「そうだね〜、そのほうがいいかも〜」
アレンも珍しく神妙な顔で頷いている。
「歌いたい時はリュカを護衛としてつけておいたら〜? 多分、歌声に魔力が乗ってて……もしかしたら聴いた人の精神に干渉しちゃうかもしれないし〜」
それに、なるほど、と納得した。
リュカの場合はセレスティアに好意を抱いているから『魅了』に近い干渉を受けたのだろう。
人によって変わるかもしれないが──……海にいるセイレーンという、上半身が女で下半身が鳥の姿をした魔物も魔力を込めた歌で船乗りを惑わせる。
それに近い状況が起こっていると考えれば不思議はない。
「分かりました」
……特に勇者ハルトは要注意だな。
あの姿を見たらセレスティアに惚れ直してしまう。
その日以降、セレスティアが歌う時は祈りの間の門番に徹することとなった。
誰よりも近くで歌を聴くことができるので、ある意味、リュカにとっては役得であった。
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