あなたとわたしと
手に温もりを感じ、目を覚ます。
数秒ほどぼんやりとしていれば、誰かに顔を覗き込まれた。
「セレス、大丈夫か?」
心配そうな表情のリュカ様を見て、気を失う前のことを思い出す。
「リュカ様……!」
「っと……」
もう一度抱き着けば、やはり難なく受け止めてくれる。
……リュカ様が本当にいる……!
ギュッと抱き締めれば、優しく抱き返してくれた。
「夢では……夢ではないですよね……?」
「ああ、夢じゃない。……俺はここにいる」
最後に王城で見送った時とは見た目も言葉遣いも変わったけれど、リュカ様であることに違いはない。
……きっと、旅の間に色々なことがあったんだわ。
わたしが知らないことがあって、リュカ様は変わっていった。
それでも、リュカ様は『愛している』と言ってくれた。
「リュカ様……わたしも、ずっとお慕いしています」
今の気持ちを伝えれば、リュカ様が優しく微笑んだ。
「ありがとう、セレス」
家族以外でわたしを『セレス』と呼ぶのはリュカ様だけ。
ずっとリュカ様に呼んでほしかった。その笑顔を見たかった。
……神様、ありがとうございます……。
リュカ様と再会できたことは奇跡だった。
「リュカ様、どうしてノアになっていたのですか?」
「それなんだが──……」
リュカ様は魔王との戦いから、何故ノアになったのか、ローゼンハイト侯爵家まで体が本能的に帰還したが、姿も人格も封じられていたのでどうしようもなかったことなどを話してくれた。
……まさか、ノアがリュカ様だったなんて。
淡い灰色の瞳がリュカ様に似ていると思い拾ったけれど、わたしの勘は当たっていたらしい。
一年もずっとそばにいたのに、ノアがリュカ様だと気付けなかったのは申し訳ない。
「──……セレスが旅に同行してくれたのは正解だった。アレンは国一番の魔法使いだし、そのうち何かしら気付いてくれるだろうとは思っていた」
……アレン様にも感謝しなければ。
二人で抱き締め合っていると部屋の扉が叩かれた。
扉は少し開いているが、そこからひらひらと手が振られている。
リュカ様がわたしを見て、手櫛で髪を整えてくれてから「入れ」と声をかける。
開いていた扉から顔を覗かせたのはアレン様だった。
「リュカ、セレスティア嬢、今いいかな〜?」
「ああ、問題ない」
「はい」
アレン様が入ってくると扉を閉めた。
「リュカのほうは体調はどう〜? ちゃんと解除できてると思うけど、一応確認させてくれる〜?」
「分かった」
リュカ様が離れようとしたので、思わずその腕を引き留めてしまった。
それにリュカ様が目を丸くしてわたしを見下ろした。
アレン様が「あ」と気付いた様子で言う。
「そのままでいいよ〜」
詠唱を行ったアレン様がリュカ様に手をかざせば、下に現れた魔法式が体を通り抜けていく。
ノアを調べた時と同じ魔法だろう。アレン様が小さく頷いた。
「うん、さすが僕。完璧に解除できてるよ〜」
「そうか」
「でも、前より強くなってない? あんな簡単に魔将を追い返せるなんてビックリだよ〜」
アレン様がそばの椅子に腰掛ける。
「セレスのおかげだ。俺が行方不明の間も祈り続けてくれていたから、元に戻ったことでその恩恵が一気にかかっているらしい。驚くほど体が軽いし、力も感じられる」
「そっか〜」
リュカ様がわたしをギュッと抱き締め、アレン様がニコニコ顔でまた頷く。
「今度こそ、魔王を倒せるだろう」
その言葉にわたしは俯いてしまった。
……もう、リュカ様は勇者ではない。
それでもリュカ様は魔王に立ち向かうのだろう。
「だが、ユウェールとディオナがいないのは痛いな……」
そう言ったリュカ様の表情は寂しげだった。
「君を見つけたことは二人にも伝えるけど……ユウェールは片足を失ってるからね」
「ああ……」
「ディオナは多分、来るんじゃないかな〜。前に連絡を取った時は魔族領にいたし、もしまだ近くにいるならきっとすっ飛んでくるだろうね〜」
「かもしれないな」
リュカ様がおかしそうに小さく笑う。
わたしに見せるものとは違う、少年みたいな明るい笑顔にドキリとした。
以前のリュカ様なら浮かべなかった笑みだが、とても素敵だと思う。
「ハルト君達も加わってるし、まあ、何とかなるかもね〜」
リュカ様がそれに首を横に振った。
「勇者は今のままでは使いものにならない。少し鍛える必要がありそうだ」
「そうだね〜。でも、あんまりイジメちゃダメだよ〜?」
「約束はできないな」
リュカ様の手がわたしの頭を撫でる。
「俺からセレスを奪おうとする者は、誰であっても容赦しない」
アレン様が「ほどほどにね〜」と困り顔をした。
……勇者様をリュカ様が鍛えて、また魔王に挑む……。
ぐっとリュカ様の腕を取り、見上げる。
「リュカ様、どうか魔王討伐にわたしもお連れください」
「しかし……」
「もう離れたくありません……!」
リュカ様に抱き着けば、困ったような雰囲気を感じた。
確かに祈ることしかできないわたしが行っても足を引っ張るだけだろう。
それでも、また何かあった時に後悔はしたくない。
「僕が持ってる防御用の魔道具をいくつか貸すから、連れていってあげなよ〜。……僕達もつらかったけど、セレスティア嬢は旅に出てからずっと君の無事を祈り続けてきたんだし」
そっとリュカ様に抱き締められる。
「……危険だぞ」
「はい、分かっております」
「……いざとなれば、俺が君を守る」
「ありがとうございます、リュカ様……!」
見上げれば、額に口付けられた。
「君のお願いは叶えないわけにはいかないからな」
微笑んだリュカ様が顔を寄せてきたので、わたしもその頬に口付ける。
「あ〜、仲良しなのはいいことだけど、人目は考えてね〜?」
こほん、とアレン様が咳払いをしたことで、顔が熱くなる。
リュカ様は「照れているセレスも可愛いな」と嬉しそうに微笑んでいた。
「あ、あと、部屋は別に用意してもらったから、リュカはそっちに移ってね〜」
* * * * *
その日の夕方、砦の食堂で宴会が行われることになった。
魔族を撃退したことへの慰労という意味もあるけれど、リュカ様が見つかったお祝いでもあった。
勇者様は「オレの世界では、お酒は二十歳までダメだから」とジュースを飲んでいたものの、お酒が入って賑やかな騎士達に揉まれて楽しそうだった。
リュカ様とアレン様も飲み比べを始め、それもかなり盛り上がっている。
「っ、もう一杯!」
「僕も負けないよ〜!」
二人とも実はかなりの大酒飲みのようだ。
ちなみに、わたしはジュースだ。
リュカ様に「酔った君を他の男に見せたくない」と言われ、わたしもお酒は飲んだことがないので、無理に飲まないほうがいいということになった。
楽しそうなリュカ様を眺めていれば、横に誰かが座った。
振り向けば聖女様だった。その表情はどこか悲しそうだ。
「どうかされたのですか……?」
問えば、聖女様が困ったように微笑んだ。
「……ハルトに告白をしました」
「え?」
「でも、振られてしまいました」
目を伏せ、聖女様が持っていた木製のカップに口をつける。
なんと声をかけて良いのか戸惑っていると聖女様が顔を上げた。
「私、諦めません」
その声は小さいけれど、はっきりとしたものだった。
「……そうですね。可能性がある限り、諦めるなんてできません」
だから、わたしもずっとリュカ様を信じて祈り続けた。
だから、わたしは勇者一行の旅に同行させてもらった。
わたしの言葉に聖女様が頷いた。
「そんなに簡単に諦められるくらい軽い気持ちなら、もう消えています」
「ええ、本当に。……どれほど遠い希望でも、手を伸ばさなければ掴めませんわ」
「ローゼンハイト侯爵令嬢がおっしゃると言葉の重みが違いますね」
「わたしほど諦めの悪い者は少ないでしょう」
聖女様と顔を見合わせ、どちらからともなく小さく噴き出した。
「聖女様……いえ、レイア様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「はい、もちろん。私もセレスティア様とお呼びしたいです」
「改めて、よろしくお願いいたします、レイア様」
「こちらこそ、セレスティア様」
わたし達は小さな声でそう言い、二人で木製のカップをコツンと軽くぶつけ合う。
そうして、レイア様がカップの中身を飲み干すと立ち上がった。
「私も、もっと踏み込んでみます」
ニコリと微笑んだレイア様はとても可愛らしかった。
空のカップを手に持ったレイア様が勇者様のほうに向かった。
「ハルト、何を飲んでいるんですか?」と声をかけたレイア様に、勇者様は驚いた顔をして、でも微笑むレイア様に勇者様が「ブドウジュースだ」と返事をして、ホッとしたような表情をする。
……告白の後、気まずかったのね。
砦の騎士達と話しながら、レイア様と勇者様が並んで立ち、楽しそうに話している。
わたしからすれば二人は互いに心を許しているようで、お似合いに見えた。
……でも、それをわたしが言うのは嫌味っぽいわ。
黙ってジュースを飲んでいると横から声がした。
「『どれほど遠い希望でも、手を伸ばさなければ掴めない』か」
横に顔を向ければ、少し赤い顔のリュカ様と目が合った。
その向こうでアレン様が「……絶対、酔い覚ましの魔法、つくってやる……」とテーブルに伏せて呟いている。どうやら飲み比べはリュカ様が勝利したようだ。
「セレスが言うと、確かに言葉の重みがあるな」
「……未練がましい女と思いませんか?」
「いいや、まったく。君にそこまで想ってもらえていることが嬉しい」
大きな手がわたしの手に重ねられる。
温かな手が心地好い。握れば、同じくらいの力で握り返してくれる。
指同士を絡め、簡単には離れないようにしっかりと繋いだ。
「ずっと待たせてすまなかった」
「封じられていたなら、仕方ありません」
「いや、そのことだけじゃない。……婚約してからも、旅に出てからも、俺はいつも君を待たせてばかりだった。セレスの優しさに俺は甘えていた。封じられて、君のそばにいるのに触れられない状況になって、やっとそれを自覚した」
体を傾けたリュカ様がわたしにすり寄ってくる。
さすがに酔っているのか、目を覚まして抱き締められていた時よりも体温が高い。
「婚約してから七年も、俺は君を待たせた」
キュッと繋がった手が握られる。
「騎士達と手合わせをしている時も、夜会やお茶会でも──……旅に出ても、君は一度も俺に文句を言ったことがなかった。『勇者の婚約者』だからと幼い君に寂しい思いをさせていた」
「リュカ様……」
「だが、君を一人で待たせるのはもうやめる」
リュカ様が大きな木製のジョッキから手を離し、わたしの髪に触れた。
その髪を引き寄せ、そこに口付けられる。
「今度こそ魔王を倒し、君との約束を果たす」
まっすぐに見つめられ、心が震えるほどに嬉しかった。
「まだ、約束を覚えていてくださったのですね……」
「当然だ。あの頃の俺も、セレスのもとに帰ることを願って戦っていた」
勇者として旅立った以上、魔王を倒すという目的を果たせなければ帰れない。
たとえ大怪我を負って帰ってきたとしても、後ろ指を差されるのは目に見えている。
今回のように、新たな勇者が立った時に婚約を無理やり解消させられてしまうかもしれない。
……リュカ様は魔王討伐という責務から逃れられなかった……。
この方の背中に一体どれほどの重責が圧しかかっていたことか。
「リュカ様」
わたしもカップから手を離してリュカ様に伸ばす。
頬に触れれば、嬉しそうにリュカ様がわたしの手に、自分の手を重ねた。
「わたしはあなたの婚約者です。だから、リュカ様の背負う重みを分けてください」
リュカ様の優しい灰色の瞳が丸くなる。
「ここに来るまで、いくつもの街や村を通りました。どこに行っても、人々はリュカ様に助けていただいたことを感謝しておりました。……でも、それはリュカ様への期待でもあるのでしょう」
人々から『勇者様』と呼ばれる度に、歓迎される度に、その立場の重みを感じたはずだ。
だけど、わたしにとっては『リュカ様』は『リュカ様』という一人の人間であって『勇者様』ではない。わたしの愛する婚約者のリュカ・フォン・ヴァレンティナ様。
「これからも共に歩む婚約者として、リュカ様を支えたいのです」
リュカ様がフッと微笑んだ。
嬉しそうな、幸せそうな、それでいて泣きそうな笑みだった。
「……ああ、知ってる」
リュカ様の頬に触れていたわたしの掌に口付けられる。
「俺はいつだって君に支えられてきた。きっと、これからもずっとそうだ」
リュカ様の顔が近づいてくる。
目を閉じようとしたけれど、ガクッとリュカ様の頭が後ろに引っ張られる。
見れば、テーブルに伏せていたアレン様が呆れた顔でリュカ様の髪を掴んでいた。
「だから、人目のあるところでそういうのはどうかと思うってば〜」
周りを見回せば、騎士達がサッと視線を背けた。
勇者様が何とも言えない顔をしており、レイア様はニコニコしている。
「それに歯止めが効かなくなるから、まだやめておいたほうがいいと思うよ〜」
と、アレン様が言うので首を傾げた。
「歯止め、ですか……?」
「……リュカ、絶対、王都に帰るまでセレスティア嬢に手を出すの禁止だからね〜?」
何故かアレン様がそう言い、リュカ様は髪を引っ張られたまま頷いた。
「歯止め役は頼んだ」
「そこはその鋼の精神で頑張って耐えてよ〜」
「セレスに関することは緩くなる自覚がある」
アレン様が小さく息を吐いて、テーブルから起き上がった。
「セレスティア嬢、リュカと二人きりは避けてね」
「え」
「っていうわけで、もし二人が密会してるのを見つけたら邪魔するように〜!」
アレン様の言葉に、騎士達が「おおー!」と元気な返事をする。
それに勇者様も「お、おおーっ?」と交ざっていたが、わたしと同じく意味が分かっていないようだった。
あとでレイア様からこっそり意味を教えられ、恥ずかしくて死にそうになったのは、リュカ様には秘密である。