勇者リュカ / 勇気の行方
* * * * *
腕の中で気を失ったセレスティアを、リュカはしっかりと抱き寄せた。
五年前、リュカが王都を旅だった時はまだ十四歳の可愛らしい少女だったセレスティアも、今は十九歳となり、美しい令嬢に成長していた。
久しぶりに触れた金髪の滑らかさと潤んだ青い瞳の美しさ。
五年も経ってしまったのに、それでも待っていてくれたことが嬉しかった。
そっと額に口付け、落とさないように抱え直す。
「なあ、あんたが前勇者だったってことは、ノアはもういないのか……?」
複雑そうな顔をする勇者の言葉にリュカは首を振った。
「いや、俺の中にはノアだった間の記憶はある。ノアは俺であり、俺はノアでもあり、リュカ・フォン・ヴァレンティナでもある……と言えばいいか」
ジッと勇者を見れば「……な、なんだよ?」と少し身を引いた。
「残念だが、セレスティアは譲れない」
「っ……」
「俺の唯一はセレスティアだ。……ずっと、勇者の間も彼女のためだけに戦ってきた」
勇者として人々を助けている間、困っている人々の手助けをしたいという思いもあったが、それ以上にセレスティアの婚約者として恥ずかしくない振る舞いをしたかった。
魔王を討ち、戻った時に堂々と彼女の横に立つために。
魔族の脅威から国を守ることは、彼女の平和を守ることと同義だった。
ただただ、セレスティアを想って三年間、戦い続けた。
だが、魔王は強大だった。あの戦いはどちらが負けても不思議はなかった。
魔王を追い詰めかけていたが、最後にしてやられた。
時限式の魔法式が設置されており、リュカはそこに誘導されてしまった。
踏んだ瞬間に爆発が起こり、一瞬……ほんの瞬きの間だが気が逸れた。
その瞬間に魔王はリュカに『封じ』と『変化』の魔法をかけてきた。
仲間と自分の命を守ることを優先したせいで魔法に抗えなかった。
記憶や人格を封じられるのを感じ、とっさに魔法で転移した。
もし自分が人格を失った状態で魔王に操られれば、仲間を殺してしまう危険性があったから。
次に目を覚ました時、リュカは国境沿いの廃村にいた。
体は若返り、容姿も変わっており──……何より、人格が封じられて人形のようになってしまっており、偶然様子を見に来ていた元村人に助けられ、国境を越えて王国内に入ることはできた。
記憶も人格も封じられていたものの、体の奥底に意識は残っていた。
記憶を失っても体は戦い方を覚えており、大切なことだけは忘れなかったらしい。
体はふらふらと村を離れ、王都に向かって歩き始めた。
途中で迷ったり、魔物から逃げたり、遠回りをすることも多かったが、一年近くかけて王都に辿り着き、ローゼンハイト侯爵家の邸を見た瞬間、体は限界がきて倒れた。
そして、セレスティアに拾われた。
成人したセレスティアは美しくなっており、けれども優しいところは変わらず、記憶も人格も薄い体を拾って助けると自分の従者にして生きる道を与えてくれた。
そこから、体に自我が生まれ出した。
自我はセレスティアに恩を感じ、慕い、忠誠心を持った。
拾われてからの一年、リュカは『ノア』としてセレスティアを見守るしかできなかった。
セレスティアが微笑みかけ、頭を撫でて、時には抱き締めてくれる。
それは幸福で、でも、セレスティアの瞳に映る姿がリュカではないことに苛立ちも募った。
……俺はここにいる!!
誰もがリュカは死んだと言う中、セレスティアは信じ続けてくれた。
仲間達のその後も知ることができたが、彼らもリュカが生きていると信じてそれぞれに動いてくれているのだと分かって心から嬉しかったし、本当に素晴らしい友に恵まれたと思った。
ノアは懸命にセレスティアに仕え、彼女を守った。
ノアの気持ちはリュカにも伝わり、いつしか、リュカとノアの心は一つになっていた。
……全ては主人のために……。
だが、異界から勇者が現れ、その勇者がセレスティアに恋をした。
婚約破棄の話やそれを断るセレスティアの様子をノア越しに眺めることしかできず、それをどれほど歯痒く思ったことか。
セレスティアは、リュカがノアとして仕え始めた時から一日たりとも祈りを欠かさなかった。
きっと、その前もずっとこうだったのだろう。
触れられる距離にいるのに。すぐ目の前にいるのに。リュカの声は届かない。
セレスティアはリュカの軌跡を追うために勇者一行に加わった。
ノアとして彼女を守り、時には勇者に目を光らせながらの短い旅。
久しぶりに見た魔法士のアレンは以前よりも少し痩せていたが、元気そうで安心した。
また勇者一行として戦いに参加するアレンの姿に言いようのない感情があふれた。
……アレン。また背中を預けて君と旅をしている。
それがたとえ仮初の姿だったとしても、友と過ごす時間は心地良かった。
……優秀な魔法士だとは常々思っていたが、まさか独学で魔族の魔法を解読するとは。
魔法が解除された開放感と久しぶりに体を動かすという感覚は喜びだった。
本当ならすぐにでもセレスティアを抱き締めたかったが、魔族をどうにかしなければ。
できる限り迅速に戦い、砦の上に戻れば、座り込んだセレスティアがいた。
潤んだ青い瞳、相変わらず華奢な手が伸びてきて、リュカに抱き着いた。
ずっと抱き締めたいと、触れたいと思っていた願いが叶った瞬間だった。
「──……封印されていた二年間は本当につらかった」
そばに大切な人がいるのに、自分がここにいると伝えられない。
悲しげな、寂しげなセレスティアを見る度に胸が痛んだ。
シンと沈黙が落ちる。
腕の中のセレスティアを抱き直し、立ち上がる。
「とりあえず、彼女を部屋に運びたい」
「あ、うん、部屋は分かるよね〜?」
「ああ、分かる」
歩き出すと後ろからアレンの声がする。
「レイアちゃん、セレスティア嬢についてあげてくれる〜? 祈りを捧げるのってすごく疲れるらしいから、良かったら治癒をかけてくれると助かるよ〜」
「は、はいっ」
聖女レイアがついてくる足音がした。
勇者の足音もしたが、すぐにアレンの声がそれを止めた。
「ハルト君は僕達と一緒に辺境伯のところに報告に行こうね〜」
「ぐえっ」
カエルが踏まれたみたいなおかしな声がしたけれど、放っておく。
砦の中を歩き、ノアの記憶を辿ってセレスティアの部屋に着く。
聖女レイアが扉を開けてくれた。
「ありがとう」
中に入り、ベッドにセレスティアを横たえる。
さすがに靴を脱がせるわけにはいかなかったが、それは聖女レイアがやってくれた。
毛布をかけ、ベッドの縁に座る。細い手を握れば、弱い力で握り返される。
聖女レイアがセレスティアに治癒をかけてくれて、泣いた目元の赤みが引いていく。
……セレス……。
繋がっている手にそっと口付ける。
こうして触れることができるなんて、奇跡だ。
「あ、あの、前勇者様……」
聖女レイアに声をかけられ、振り向いた。
「リュカでいい。……なんだ?」
「ハ、ハルトはローゼンハイト侯爵令嬢のことが好きですが、その、私は……」
「分かっている。ノアを通して全て知っているから、気にすることはない」
それに聖女レイアがホッとしたような顔をする。
勇者ハルト・カンザキはセレスティアに恋をしているが、聖女レイアは勇者に想いを寄せている。
セレスティアも聖女レイアの恋を応援しており、リュカもそれについて何か思うところはない。
……むしろ、勇者が聖女とくっついたほうが助かるんだが。
いつまでもセレスティアのそばに別の男がうろついているのは面白くない。
「それでは、私はハルトのところに戻りますね」
「ああ、ありがとう」
聖女レイアは出ていったが、きちんと部屋の扉を少し開けた状態にしておいてくれた。
貴族令嬢が男と密室で二人きりというのは外聞が悪いので、どうしても二人になる場合などはそうして人目に触れやすくしておくのが一般的だ。やましいことはしていないという意思表示でもある。
視線を眠っているセレスティアに戻す。
リュカが行方不明になってからの二年、ずっと気を張り続けていたに違いない。
恐らく緊張の糸が切れてしまったのだろう。
本来なら辺境伯や砦の騎士達に顔を見せにいって事情を説明するべきなのだろうが、今はセレスティアから離れがたい。その気持ちはリュカのものか、それともノアだった頃の名残りか。
……そんなもの、どちらでも構わない。
セレスティアを思う気持ちに変わりはないのだから。
……早く起きてくれないだろうか。
美しい青い瞳にリュカを映してほしい。泣き顔も綺麗だが、笑顔が見たい。
セレスティアの幸せな笑顔こそが、リュカの求めるものだった。
* * * * *
「レイア! セレスティアはどうだったっ?」
ハルトに声をかけられ、レイアは顔を上げた。
「まだ休んでいます。治癒もかけたし、リュカ様と再会して気が抜けたんだと思います」
「そっか……前勇者は?」
ハルトの視線が彷徨った。
「ローゼンハイト侯爵令嬢についていらっしゃいます」
「えっ、二人きりにして大丈夫か!?」
「扉は開けておきましたし、お二人は婚約者ですから」
そう言えば、ハルトの表情が陰る。
前勇者様が見つかった以上、ローゼンハイト侯爵令嬢と二人の婚約は継続されるだろう。
先ほどの二人の様子からしてもハルトが横入りする隙はない。
前勇者様のローゼンハイト侯爵令嬢を見つめる目の、優しく、甘く、愛おしそうな様子は言葉なんてなくても彼女を深く愛しているのが伝わってきた。
これまで涙一つ、つらそうな様子すら見せなかったローゼンハイト侯爵令嬢も泣いていた。
彼女は前勇者が行方不明になってからもずっと祈り続けていたのだ。
周りが『前勇者は死んだ』と言う中、信じ続けることの大変さと孤独さはどれほどだったか。
その想いの深さを考えれば、あの二人に間に割って入ることなどできない。
ハルトもきっと、それくらいは分かっているはずだ。
それでも、苦しそうなハルトを見るのはレイアもつらい。
「あの、ハルト……」
他の人に恋をして苦しむハルトを見るのが苦しい。
顔を上げたハルトの手を握る。
「あのね、私っ、ハルトが好きです……!」
今この場で言うことではないと分かっているけれど、我慢できなかった。
ハルトはいつまでも気付いてくれないし、このままでは振り向いてくれることもない。
ローゼンハイト侯爵令嬢しか見ていないハルトを見るのがすごく嫌だった。
「えっ?」
ハルトが驚いた顔でまじまじとレイアを見た。
レイアは顔が熱くなるのを感じながら、それでも目を逸らさなかった。
「ハルトがローゼンハイト侯爵令嬢を好きなのは知っています。でも、私はハルトが好きです!」
「レイア……オレは……」
「すぐに振り向いてもらえなくても、それでも、好きでいさせてください!」
ハルトが困ったような顔をした。
「……でも、オレが好きなのはセレスティアだ」
それにズキリと胸が痛む。
……だけど、ローゼンハイト侯爵令嬢には前勇者様がいる。
何も言わなくてもレイアの考えが伝わったのか、ハルトが顔を背けた。
「オレ、レイアの気持ちには応えられない」
分かっていたけれど、その言葉に泣きそうになる。
「……ローゼンハイト侯爵令嬢には、前勇者様がいらっしゃるのに、ですか……?」
「っ、それでも、好きだって気持ちは簡単には変わらないんだ!」
拳を握り締め、怒鳴るように言われてレイアの目から涙がこぼれ落ちた。
それにハルトがハッとした様子でこちらを向いたけれど、レイアはたまらず、駆け出した。
ハルトに怒鳴られたことが怖かったわけじゃない。
ハルトの気持ちをレイアも理解してしまったから。
ローゼンハイト侯爵令嬢にハルトが恋を抱いているように、レイアもハルトに恋をしている。
……神様、人はどうして誰かを好きになるの?
その相手と両想いなら、きっと幸せだろう。
しかし、レイアの想いはハルトに受け入れられない。
ハルトの想いもまた、ローゼンハイト侯爵令嬢には受け入れられない。
人気のない場所まで走り、レイアはその場に蹲って泣いた。
初めての告白だった。初めて、人を好きになった。
勇者だからとか年齢が近いからとか、そんな理由ではなく、レイアはハルトが好きだった。
まっすぐで、正義感があって、明るくて、元気で、でも子供っぽくて、純粋で。
レイアと同じように責任を背負っている。
共にその苦しみも、寂しさも、努力も、きっと分かち合える。
「どうして……っ」
……私のほうが先にハルトと出会ったのに。
こんなにも想って苦しいのに、ハルトを振り向かせることができないのだろう。
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