解放
カンカンカンカンッと警鐘が鳴り、誰かの吹いたピーッという警笛も聞こえてくる。
勇者様達が近隣の村に行ってから数日が過ぎた日の午後。
訓練場にいたわたし達や騎士達はその音にハッとした。
「魔族の襲来! 総員、持ち場につけ!!」
騎士の誰かの言葉に他の者達も即座に動き出す。
「くそっ、また魔族か!」
「ハルト様、砦の上に行きましょう」
「ああ!」
勇者様と騎士様が話し、聖女様もその後に続いていく。
わたしもそれを追いかけ、ノアもついてくる。
アレン様はノアに解除魔法をかけるための準備で、城内にいるものの別行動中だ。
普段は滅多に走らないが、何とか勇者様達を追いかけて砦の城壁の上に出る。
それだけで息が切れてしまって胸が少し苦しく、なんとか呼吸を繰り返した。
息を落ち着けながら辺りを見回していれば、勇者様が「あそこだ!」と上空を指差した。
そこにはコウモリの翼を持つ、白銀の髪の魔族がいた。
「やっぱりココにいた! みんな、砦に勇者がいるよー!!」
その声に森からぞろぞろと魔族が現れる。
小柄だったり、大柄だったり、見た目もそれぞれ異なっている魔族達だが、雰囲気が鋭い。
「この前は油断しちゃったけど、今日はもう油断しないからね!」
ビシッと魔族が指差したのは勇者様──……ではなく、ノアだった。
それに勇者様が「おい!」と叫ぶ。
「勇者はオレだ! お前の相手は、今度こそオレがする!!」
「ええー? キミには興味ないよ。勇者っていっても全然弱いし!」
あはは、と魔族が馬鹿にしたように笑う。
それに勇者様が怒ったものの、ノアが勇者様の肩に触れた。
「勇者様、あれの相手はボクに務めさせてください」
「ノア……」
「向こうも用があるのはボクのようなので」
ノアが顔を上げれば、魔族が楽しそうにニヤリと笑みを浮かべる。
「そうそう、キミだよキミ。勇者より強い、勇者みたいな子! この前のお礼をしに来たよ!」
「ボクも、あなたを討伐し損ねた未練があったので大変助かります」
ノアが剣を抜き、もう片手に魔力で剣を生み出した。
それに魔族が目を丸くする。
「あれ? 両手剣?」
「本来はこうです」
「そうなんだ! 強そーう!」
ノアが一歩前に踏み出す。
「ノア」
声をかければ、ノアが振り返る。
「お嬢様、ご命令ください」
「……無事に帰ってきなさい」
「かしこまりました」
ノアが頷き、詠唱を行うと風魔法で宙へと飛び上がっていった。
勇者様が石造りの柵から身を乗り出し、下を見る。
「魔族が攻めてくる! オレ達も行こう!」
「うん!」
「かしこまりました!」
わたしにできるのは、祈ることだけだ。
「セレスティアは安全な場所に──……」
「いいえ、ここで祈ります。祈りを捧げている間、何人たりともわたしに触れることはできません」
両手を組み、祈りを捧げる。
……ノアに、勇者様方に勇気と力を。
祈りを捧げれば、それが天に届き、きっと彼らに恩恵が与えられる。
「勇者様方、どうぞ行ってください」
「っ、分かった! でも、危ないと思ったら逃げるんだぞっ?」
「はい」
そうして勇者様達は砦の中に戻り、階段を駆け下りていく。
足音が遠ざかっていくのを聞きながらもわたしは祈り続ける。
……勇者様達は負けない。祈り続ける限り、天に届く限り。
顔を上げれば、頭上でノアと魔族が戦っている。
「うわ、この前よりなんか強くない? ずるーい!」
「主人の前で情けない姿は見せられません!」
頭上で戦う二つの影に、そして地上で戦う多くの人々に、わたしは祈る。
……神様、どうか彼らに力を。折れない強さをお与えください。
祈りの間は何があっても心を乱してはならない。
ただ、祈りで心を満たし、天に祈りが届くように願う。
戦いについて、わたしはあまり分からないけれど、空中での戦いは魔族のほうが有利らしい。
ノアは風魔法で常に自分を浮かせて、移動にもそれが必要なので、どうしても機敏さに欠ける。
「ほらほら、そんなんじゃ負けちゃうよー?」
魔族の出した数え切れないほどの黒い刃がノアに襲いかかる。
それをノアは避け、魔族に向かう。
魔族の生み出す黒い刃とノアの剣が何度もぶつかり、弾き、音を鳴らす。
わたしはノアや勇者様達の勝利を信じて祈り続ける。
けれど、魔族の黒い刃がノアに肩に突き刺さる。
「っ、ノア!」
瞬間、その体が黒い霧となって散った。
「そうはさせないよ!」
魔族が手を伸ばし、黒い霧を掴んだ。
霧が集まり、ノアの姿が戻る。
「ぼく達の固有能力だからこそ、欠点も知ってるんだよね!」
「ぐっ……!」
ノアが魔族の腕を掴むけれど、力が強いのか外せないようだった。
……ノア!! 神様、ノアをお助けください!!
背後で慌ただしい足音がして、アレン様が駆け込んでくる。
「っ、で、できた〜っ!!」
そして、アレン様が紙を持つ手とは反対の手を上空にいるノアに向ける。
「『闇よ、汝を封じる枷を外し、解放せよ。光よ、彼の者に導きの輝きを──……ああもう、長い! 解除魔法、以下略!!』」
……そんな詠唱でいいのかしら。
一瞬、状況を忘れてそんなことを思ってしまった。
けれどもアレン様の体が輝き、ノアの体も輝き出す。
それに魔族が驚いて手を離した。
「『本来の君に戻るんだ!! ──……リュカ!!』」
その言葉の意味を理解する前に、ノアの体が白い光に包まれる。
小柄な体が成長していき、細い手足が男性的な太さに変わっていく。
短い白髪が伸びて、それは毛先から段々と赤く染まっていき──……。
遠くにいるのに、どうしてか一目で分かった。
「……リュカ、さま……?」
パッと光が弾け、次の瞬間、魔族が砦の壁に叩きつけられる。
目では追いつけないほどの速さで、剣が魔族を砦の石壁に縫いつけたのだ。
そばにいたアレン様が「やっぱりそうだった!」と嬉しそうに声を上げた。
「ど、どういうことですかっ? ノアが、リュカ様に……?」
頭が混乱する。
振り返ったアレン様が笑顔で言う。
「そう、リュカは行方不明になってもいないし、死んでもいなかったんだ! ノア君こそが、本来の姿を封じられたリュカだったんだよ!! どこを探しても見つからないはずさ!!」
「すぐそばにいたんだから!!」と興奮した様子でアレン様が顔を上げた。
その視線を辿れば、ノア──……いや、リュカ様が魔族の腕をもう片方の剣で斬り飛ばしたところだった。
魔族が悲鳴を上げて痛がるけれど、リュカ様は剣を構える。
しかし、何かの気配を察したかのようにリュカ様が背後にバッと身を引いた。
一拍置いて、リュカ様のいた場所を黒い矢のようなものがいくつも駆け抜けていった。
「エルゼル」
その声に壁に縫いとめられた魔族が顔を上げる。
「ディーッ!?」
「まったく、馬鹿なことを」
鴉のような漆黒の翼を持つ青年の魔族が、壁に縫いとめられた魔族に近づき、剣を引き抜くとそれを捨てた。
リュカ様が持っていた剣を構える。
「残念だが、今この場でやり合うつもりはない」
青年の魔族はそう言うと、片腕を失くした魔族を小脇に抱える。
ばさりとその翼が羽ばたくと何十、何百という黒い羽根が矢のようにリュカ様に遅いかかった。
「リュカ様……!!」
しかし、リュカ様が手をかざすと風が吹き荒れ、全ての羽根を吹き飛ばした。
風が止んだ時にはもう、魔族達はいなくなっていた。
上空にいるリュカ様がわたしを見下ろした。
離れていても、視線が絡んだのが分かった。
リュカ様はこちらを一瞥した後、地面に向かって風魔法で飛んでいく。
下では勇者様達が魔族と戦っており、その手助けにいったようだ。
「っと、僕も行かないと!」
アレン様も柵を乗り越えてひょいと下に飛び降りていった。
わたしは驚きと混乱のまま、その場に座り込んでしまう。
……リュカ様……本当に、リュカ様なの……?
混乱と同じくらい喜びと、信じられない、信じたいという気持ちで心がぐちゃぐちゃになる。
祈らなければいけないのに、心が平静を保てない。
体が震えている。それが喜びなのか、それとも別の感情なのかも分からない。
コツ……と音がして、顔を上げれば目の前にリュカ様がいた。
以前は赤髪を左前で分けて下ろしていたけれど、今は赤髪は長くなり、後ろへ撫でつけてある。
左目周りには傷痕があり、それがあの夫妻達を庇った時にできた傷だと気付いた。
あの頃よりも体つきはしっかりとして、背は相変わらず高くて、でもわたしを見ても無表情で。
ふわりと片膝をついたリュカ様が手を差し伸べてくる。
わたしは震える手を伸ばし、そっとそれに触れた。
温かくて、大きくて、だけど以前よりも傷だらけになっていた。
「……セレス」
あの頃よりも少し低く、落ち着いた声に名前を呼ばれたら、もうダメだった。
「っ、リュカ様……っ!!」
その体に抱き着けば、しっかりと受け止め、筋肉質な腕が包んでくれる。
五年──……そう、五年も待った。ずっとずっと会いたかった。
背中に腕を回せば、あの頃よりも硬い感触に涙があふれる。
旅の三年間、リュカ様は人々を助けるために魔物や魔族とも戦い、様々な経験をしたのだろう。
顔立ちも少し鋭くなって、左目以外にも古傷がいくつもあって、それでもここにいる。
……リュカ様が生きて、目の前にいる……!!
必ず生きていると信じていた。会えないはずがないと信じていた。
それでも、こうして本当に目の前にリュカ様がいるという事実が奇跡のように感じられて。
ギュッと抱き締められ、リュカ様が耳元で囁く。
「……君を愛してる……」
低く、少し掠れた声に体が震える。
「ほ、本当にリュカ様なのですね……!」
「セレス、顔を見せてくれ」
そっと頬に触れた手に促されて顔を上げれば、滲んだ視界の向こうに赤が見える。
わたしも手を伸ばし、リュカ様の頬に触れる。
指先に感じる肌の感触が、傷痕の異なる触り心地が愛おしい。
「泣いている女性にこんなことを言うのはおかしいかもしれないが──……以前の君は可愛らしかったが、今の君はいっそう美しくなった」
瞬きをすればポロポロと涙がこぼれ落ちていく。
リュカ様の顔が近づいてきて、目元に口付けられる。
以前は抱き締められたり頭を撫でられたりすることはあっても、こういった触れ合いはなかった。
驚きのあまり涙が止まったが、リュカ様がふっと微笑んだ。
「……しょっぱいな」
その微笑みはあの頃と変わらず優しくて、温かくて、わたしの大好きなリュカ様だった。
リュカ様の顔がもう一度近づいてきたので、自然と目を閉じる。
けれども、次の瞬間に叫び声は響き渡った。
「ああぁあっ!?」
それにびくりと肩が跳ね、目を開ければ、リュカ様に抱き寄せられる。
「……今代の勇者は無粋だな」
と、不機嫌そうな呟きが聞こえた。
様子は見えないけれど、勇者様の声が聞こえてくる。
「誰だお前──……」
「リュカ、嬉しいのは分かるけど、人目のあるところでは自重しようよ〜」
「リュカ……もしかして前勇者のっ!? どういうことだ!?」
驚く勇者様と嬉しそうなアレン様の、正反対の声についクスッと笑いが漏れる。
少し体を離せば、リュカ様の手がわたしの頬を撫で、涙を拭ってくれる。
アレン様が笑顔で近づいてくる。
「……アレン、解放してくれてありがとう」
「ううん、僕こそ気付かなくてごめんね〜」
リュカ様とアレン様が互いに出した手を叩き合い、握手を交わす。
勇者様はまだポカンとして、わたしとリュカ様を交互に見ている。
聖女様と騎士様も驚きのあまり言葉を失っているようだった。
「みんなも驚かせちゃってごめんね〜。ちゃんと説明するよ〜」
アレン様いわく「ノア君にかかっていた『封じ』の魔法を解読した」そうで、その時点でもしかしたら……という可能性には気付いていたらしい。
「ノア君はリュカの関係者かもしれないって言ったけど、僕の仮説としては『封じの魔法で記憶と魔力を封印されたリュカ』かもしれないって思っていたんだよね〜。でも、違ったら無駄に期待させちゃうだけだから言えなくて……」
「でも、ノアって十歳くらいだったよな……?」
「魔法で姿を変えることもできるんだよ〜」
「……魔法って便利だけど怖っ……」
勇者様が眉根を寄せて呟く。
アレン様はノアにかかっていた『封じ』の魔法式を解読し、それに合った解除の魔法式をこの数日、寝ずに作っていたそうだ。
よくよく見れば、アレン様の目元にはうっすらと隈ができていた。
「あとは解除するだけってところで、騎士が駆け込んできてビックリしたよ〜」
それでアレン様は慌てて砦の上まで走ってきたのだろう。
「アレンのおかげで魔将を撃退できた」
「あはは、僕って本当に大事な瞬間は逃さない男だからね」
「確かに」
穏やかに話すリュカ様とアレン様を見ていたら、気が抜けてしまった。
ホッとするのと同時に体の力が抜けて、リュカ様に寄りかかってしまう。
「セレス、大丈夫か?」
「はい……でも、まだ少し、混乱していて……」
「詳しい話は後でしよう。……今は休め」
そっと抱かれ、頭を撫でられる。
あの頃と変わらない手つきに安心するのと同時に、意識が遠退いていった。
……まだ、わたしの想いをリュカ様に伝えていないのに。