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世界が崩れる音






「息子との婚約を破棄していただけないだろうか?」




 彼の父親が言う。


 いつも通り、互いの近況を話すために来たのだと思っていたわたしは、言葉を失った。


 ……婚約を、破棄……?


 呆然とするわたしに彼の母親が申し訳なさそうな顔をする。




「あの子が行方不明になってから、もう二年。……いつまでもあなたをあの子に縛りつけておくのは、両家にとっても良くないと思いますもの」


「ああ、セレスティア嬢にとっても悪い話ではないと思うのだが──……」




 そこから先の話が耳を通り抜けていく。


 彼──……わたしの婚約者は勇者として五年前に王都を旅立った。


 そして二年前、魔王との戦いで行方不明になったという。


 それでもわたしは彼ならば必ずや帰ってくると信じている。


 ずっと、この五年間、一度たりともそれを疑ったことはない。


 だって彼はわたしに約束をしてくれた。




『セレス、何があっても必ず君のもとに帰ってくる。……魔王を倒したら、結婚しよう』




 だから、彼の無事を願って今も毎日、祈りを捧げている。


 わたしにできることはそれしかなかったから。






* * * * *






 わたし、セレスティア・フォン・ローゼンハイトはローゼンハイト侯爵家の一人娘であった。


 お父様そっくりの金髪に青い瞳に、母方の祖母によく似た顔立ちをしている。


 母方の祖母は早くに亡くなったそうだが、お母様の実家で見た肖像画とわたしは同一人物かと思うほど似ていた。


 性格はお母様似と言われることが多く、おっとりした容姿だけれど、芯の強いお母様はわたしの憧れである。


 そうして、彼と出会ったのはわたしが十二歳の時のことだった。


 我が国の聖人様が御神託を授かり、勇者が選ばれた。


 この大陸は長きに渡り人間と魔族が対立し、戦争が起き、北方の地は魔族領となっている。


 魔族とは人間と異なる容姿、種族の者達の総称で、人間ほど数は多くないものの、個々の強さを持つ。


 対して人間は魔族よりも短命で、個々の強さも幅があるが、数の多さで戦っていた。


 人間の中から御神託により、魔を討ち払う勇気ある者──……『勇者』が選ばれ、その勇者は魔族を束ねる王である魔王を倒すために戦いの先頭に立って戦うこととなる。


 そしてローゼンハイト家の女性のみが継承する特別な能力『祈りの天秤てんびん』は『祈りの継続時間や思いの強さによって、対象の能力値を上昇させる』という効果がある。


 そのため我が家から勇者の仲間や配偶者が度々、輩出された。


 勇者の能力値を上げるため、魔王討伐を手助けするため──……わたしも勇者かれと婚約した。


 彼──……リュカ・フォン・ヴァレンティナ伯爵令息は強く、聡明で、優しく、真面目な人だった。


 鮮やかな赤い髪に灰色の瞳をしており、わたしが十二歳の時、彼は十五歳であった。


 十五歳のリュカ様からすれば、わたしなんて子供に見えただろう。


 それなのにリュカ様は嫌な顔一つせず、婚約者として誠実に接してくれた。




『あなたのような素晴らしいご令嬢が婚約者で、私は幸せ者です』




 国一番と謳われるほど剣の腕に優れたリュカ様は魔法も優秀で、毎日鍛錬をしたり、魔族が現れれば駆けつけて戦ったりと忙しい身でありながら、婚約者の務めも欠かさなかった。


 手紙や贈り物、わたしが訪問してもいつも優しく迎えてくれる。


 それが嬉しくて、わたしは『勇者だから』ではなく『リュカ様だから』その助けになりたいと思った。


 毎日、空いている時間は全てリュカ様のために祈りつづけた。


 強くなったのはリュカ様の努力の賜物たまものだが、少しは『祈りの天秤』も助けになれたかもしれない。


 たった二年でリュカ様の能力値は周囲の人々が驚くほど急成長し、五年前、魔王討伐の旅に出た。


 それからわたしも毎日、欠かさず祈りを捧げている。


 捧げた祈りが天に届いていることは感じられるので、戦う術も癒しの力もないわたしでも、リュカ様のお役に立てていることが嬉しかった。


 リュカ様は旅に出てからも頻繁に手紙を送ってくださった。


 どの町に行った、どんな人と出会った、こんな依頼を受けた。手紙から、リュカ様の旅がいつも見えた。


 たとえそばにいなくても、リュカ様もわたしを想ってくれているのだと分かって幸せだった。


 三年間も手紙のやり取りしかなくて、周りからは「お可哀想に」と言われることもあったけれど、わたしの祈りはリュカ様と繋がっているから、寂しさはあってもつらくはなかった。


 沢山の手紙はリュカ様の気持ちだと思うと、目に見える形で感じられるそれが愛おしい。


 時々、旅先の物も送ってくれることがあり、それらは全て宝物になった。


 離れていてもわたし達は確実に想い合っている。


 だからこそ想いは募り、祈る時間も増えていった。


 そうして二年前の冬の終わり、勇者一行が帰還した。


 久しぶりに会えると王城に駆けつけたわたしが見たのは、リュカ様だけがいない、暗い表情の勇者一行だった。


 宮廷魔法士長で、リュカ様のご友人でもあった宮廷魔法士長様が言った。




『リュカは、魔王との戦いで行方不明になってしまったんだ……』




 探したけれど見つからなかった、と悔しげな表情で呟く宮廷魔法士長様の言葉をわたしは信じられなかった。


 共に旅に参加していた聖人様は片足を失い、女性騎士も重傷を負い、それでもギリギリまで魔王城周辺や近隣の町、村も探し回ったそうだが、リュカ様はどこにもいない。


 仕方なく、彼らは帰還したという。


 リュカ様の捜索隊も出され、あちらこちらを探し回ったが、手がかりすらなかった。


 段々とリュカ様の生存が絶望視されてくると捜索隊も打ち切られ、報奨金をかけて周辺国にも捜索届が広がったけれど、有益な情報は一つもなく、誰もが『もう死んだ』と思ったのだろう。


 だが、わたしの祈りはまだ天に届いている。


 それはつまり、どこかでリュカ様は生きている可能性が高いということだ。


 どんなにそれを伝えても「見つからなければ意味がない」と返された。


 リュカ様が行方不明になってから二年が経った今も、わたしは祈り続けている。


 この祈りが届かなくなるか、リュカ様の死を確かめるまで、やめるつもりはない。


 お茶会や夜会の合間でも祈りを捧げるわたしを揶揄やゆするように、社交界では『祈りの乙女』と呼ばれるようになった。誰もが死んだと言う人間を想って祈ってばかりいる変な女だと、そう言いたいのだろう。


 どのような呼び名をつけられても、祈りだけは続ける。


 これだけがリュカ様との繋がりで、これしかわたしにできることはない。


 ……たとえ事情があって帰れないとしても。


 どこかでリュカ様が生きていて、まだ手助けができると思うと、やめることなどできなかった。


 ……それなのに……。


 リュカ様のご両親、ヴァレンティナ伯爵夫妻は『婚約を破棄してほしい』と言う。




「……わたしの祈りはまだ、天に届いております」




 そう返せば、伯爵夫妻が困ったような顔をした。




「セレスティア嬢はそう言うが……息子が帰ってこないのは事実だ」


「そうですわ。いつまでであの子のせいでご結婚されないというのも、ローゼンハイト家にご迷惑をおかけしてしまいますから……」




 それに思わず立ち上がってしまった。




「どうして……っ、リュカ様のご両親であるお二人がどうしてそのようなことをおっしゃるのですか!? わたしはリュカ様を信じております! あの方はまだどこかで生きていて、きっと何か事情があって帰れないだけですわ!!」




 涙がこぼれそうになるのをぐっと堪える。


 わたしはまだ信じている。リュカ様を信じたい。


 リュカ様の親である二人にまで『息子は死んだ』なんて言われたくない。


「セレスティア嬢……」と伯爵が悲しそうに眉根を寄せた。


 目を伏せた伯爵夫妻の表情に、わたしもこれ以上は何も言えなくなってしまった。


 その表情がとても悲しそうで、苦しそうだったから。


 二人もまだリュカ様のことを諦めているわけではないらしい。


 それまで黙っていたお父様が口を開いた。




「……セレス、異世界からいらした勇者様のことは知っているな?」




 突然の話題に驚きながらも、頷き返す。




「はい、存じ上げておりますが……」


「その異世界の勇者様が、お前と婚約したいともおっしゃっているそうだ」


「……え?」




 ピキ、と何かにヒビがはいるような音が聞こえた気がした。


 我がローゼンハイト家は勇者の関係者になることが多い。


 ……まさか……。




「わ、わたしに、異世界の勇者様と婚約せよ……と……?」


「まだ王命として出されてはいないが、内々にどうかと打診がきている」


「っ、わたしはリュカ様の婚約者ですわ!」




 体が震える。それが怒りなのか、悲しみなのか、自分でも分からなかった。


 ただ、言葉にできない強い感情が胸の中で荒れ狂っていた。




「だが、彼は行方不明……もう帰ってこないかもしれない」




 お父様の言葉が鋭く突き刺さる。




「いいえ、必ずリュカ様はお戻りになられます! わたしは何年でも待ち続けます!」


「セレス、我が家の子供はお前だけなんだ。……結婚しないままではいられない」




 お父様の言葉に、お母様も悲しそうに目を伏せた。


 それでも──……それでも、リュカ様を諦めるなんてできなかった。


 せめて生きているのか、実は本当に死んでしまったのか、それだけでも確かめなければ。


 そうでなければ、わたし自身も変わることなどできはしない。


 リュカ様と過ごしたのはたった二年だった。


 けれども、手紙のやり取りも含めれば五年、互いに想いを重ねてきた。


 たとえ離れていてもわたし達は婚約者で、この祈りは届いている。


 ……王命で無理やり新たな勇者様と婚約させられるかもしれない。


 そんな未来を想像するだけでゾッとする。




「それに伯爵家側の有責で破棄すれば、お前には非がない。次の婚約も問題なく結べるだろう」




 お父様達もわたしのことや家のことを考えて、そう言っているのだと分かる。


 分かるけれど、何故だが酷く裏切られたような気分だった。




「……分かりました」




 四人がわたしを見る。




「婚約を破棄する件と新たな勇者様との婚約の件につきましては、一つ、条件があります。……それを呑んでいただけるのであれば、考えますわ」




 誰もがリュカ様は死んだと言う。


 誰もがもう諦めろと言う。


 でも、わたしは諦めたくない。最後の希望の欠片を失いたくない。


 だけど、もう、ただ待っているだけではいけないのだ。




「その条件とは?」




 お父様の言葉にわたしは困ったように微笑んだ。




「それはわたしから、国王陛下や新たな勇者様にお伝えいたしたいと思います」


「……私達に教えてはくれないのか」




 言えば、止められると分かっている。だからお父様達には伝えない。


 全員が難しい顔をしたものの、お父様は頷いた。




「分かった。国王陛下と勇者様に場を設けていただこう」


「ありがとうございます、お父様」




 そうして、わたしは一礼する。




「……申し訳ございません。気分が優れないので、退出させていただきます」




 止める声はなかった。


 部屋を出れば、廊下には侍従のノアが控えていた。


 ノアは一年前に我が家の前で行き倒れていた男の子である。


 白髪に淡い灰色の瞳で、左目に大きな怪我を負っており、今でも跡が残ってしまっているためいつも眼帯をつけている。無表情だけど真面目で、仕事熱心な子だ。


 本人は記憶がなく、年齢も分からないそうだが、恐らく十二歳前後くらいだろう。


 拾ったわたしが『ノア』と名前をつけ、従者として我が家で雇っている。




「お嬢様、大丈夫ですか?」




 相変わらず無表情だけど、どこか心配した様子で声をかけられて微笑んだ。




「……ええ、大丈夫。でも少し疲れたから、部屋で休みたいの」


「かしこまりました」




 ノアを連れて自室に行き、部屋に入り、侍女とノアを下がらせる。


 そうしてベッドに倒れ込むと涙があふれ出した。




「っ……」




 ……リュカ様は生きているわ……!


 両手を組み、祈れば、その祈りは確かに天に届く。


 この祈りはどこかで生きているリュカ様の力となり、助けているはずである。


 それなのに『リュカ様を諦めて新たな勇者様と婚約しろ』なんてあまりに酷すぎる。


 わたしやリュカ様の気持ちなんて欠片も考慮していない。




「お願いです、神様……」




 ……どうか、リュカ様と再会させてください。


 たとえどのような姿でも、どのような状態でも構わない。


 生きてさえいてくれたなら、それだけで十分だから。


 泣きながらも祈りを捧げる。


 その祈りはやはり、天に届いていた。






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セレスティアの慟哭が耳について離れません。 誰にもさしたる悪意はないのに主人公の憤りが胸を突きます。 心揺さぶる新作をありがとうございます。 次、読みに行きます。
いつも楽しく読ませていただいています。 新作投稿ありがとうございます!
やったーー!! 王女さまと勇者と魔王がでてくるやーつ!! すごく読みたかったし、ちょうどそれ系を苦労して書いていたので超うれしいです! 癒しになります!
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