王太子殿下が、「国中の未婚女性を集めて舞踏会を開きたい」などと寝言をおっしゃるものですから。
「舞踏会を開こうと思う。身分のいかんを問わず、未婚のご令嬢を国中から集めてくれ」
キリッと格好をつけたポーズで、いかにも「自分はできる王子さまです」と言いたげにこちらを見てくる王太子。そんな親友を前に、アレクはため息をひとつついた。完全に不敬な行動だが、乳兄弟であるアレクにはそれが許されている。やれやれと肩をすくめながら、爽やかに言い放った。
「はあ、情けない。シンデレラでもあるまいし、国中の女性を集めて舞踏会を開くようなぼんくら王子が自分の親友だなんて」
「俺のためだけに開かれる、美しい花に囲まれた舞踏会。男の夢だろうが!」
「そんなくだらぬ夢など知ったことか。そもそも、身分を問わずただ未婚の女性という条件ならば、下は幼女から上は老婆まで全部呼ぶことになるが。許容範囲が広すぎて驚いたな」
蔑みの眼差しを隠すことなくアレクは王太子を見つめた。そうまでしなければ気軽に会うこともできないような身分違いの相手に恋をしているのだとしたら、なんとも気の毒なことではあるのだが。
「幼女や老婆なんぞ、呼ぶか! 未婚でなおかつ年齢的につり合いのとれる貴族令嬢だけに決まっているだろうが!」
「なるほど。意中の相手や、相思相愛の恋人や婚約者がいても、自分が気に入れば召し上げると」
「ねえ、俺、どんな鬼畜だって思われているの?」
「だが、そうだろう。婚約者のいない王太子殿下が、未婚の、それも妙齢のご令嬢を夜会に集めると知れば、花嫁探しだろうと見当がつく。親の期待はいやおうなしに高まるだろう。容姿の良い平民の娘を引き取る貴族も出てくるに違いない。まったく、君の気まぐれで罪もない恋人たちがその仲を引き裂かれることになるんだろうな」
「ちが、俺はそういうつもりでは!」
「じゃあ、どういうつもりなんだ」
生ゴミでも見るかのような視線に耐えられなかったらしい。王太子は涙目になりながらアレクにすがりつき、言い訳を始めた。ちゃんと現時点で貴族名鑑に載っている令嬢だけを招待するからとべそをかいている。この王太子は、自分のためだけに壁の花を大量発生させる罪深さにすら気が付いていないらしい。
「だって、俺の誕生日のためにドレスを着てお祝いしてほしいんだもん」
「『だもん』じゃない」
「好きな女の子に可愛い格好をしておめでとうって、言ってほしいのはわかるだろう?」
「知るか。そもそも心から祝っているわけではないだろう。王命で呼びつけられたら、心の中で下衆助平王子と思っていても、笑顔でお祝いくらい言うだろうさ」
「たとえ本心はどうあれ、可愛いドレスを着ておめでとうって言ってもらえたら、わが生涯に一片の悔いなし!」
「本音がダダ漏れだからもう口をつぐめ。まあ、いい。これに関わる諸経費は、君の予算から落とす。誕生日以降は、相当に節制することになると覚悟しろよ」
「え? 俺個人の予算なの?」
「こんな馬鹿みたいなお祝い、全体の予算から出すと思うなよ」
ぷるぷると雨に濡れる子犬のように震えながら、それでもわかったと首を縦に振った王太子。そこまでして女性陣の胸元を堪能したいのかと、アレクはめまいがした。
「本当にまったくもってくだらない」
「うわあああああん、アレクが男のロマンを否定するううう」
「否定するに決まっているだろうが」
「じゃあなんで、誕生日プレゼントは何がいいかなんて聞いたんだよ。空の星はとってやれないが、できる限りなんとかするっていったじゃないか!」
やだやだやだ。じたばたと駄々をこねる王太子に、子どもかと突っ込みたくなる。相手するのも面倒くさい。このまま放置しておけばいずれ、……まあ本日の夕飯までには正気に戻るだろう。そう考えていたアレクだったが、周囲のもの言いたげな視線によって王太子を完全に無視することは叶わなくなった。
「アレクさま……」
この部屋の中は、ふたりきりではなかったのだ。それぞれの侍従たちが、静かにふたりのやりとりを見守っている。愚かだが、どこか憎めないバ可愛い王太子は、わりと周囲の人気が高い。
「お前はそう言うが、おっぱいには愛と希望が詰まっているんだ……」
「死ね」
誕生日プレゼントに何が欲しいかと確かに尋ねた。尋ねたが……。たったそれだけで、こんなわけのわからない舞踏会の準備に駆り出されなくてはならないのだろうか。にわかに頭と胃が痛み始めたような気がする。
そしてしばらくの逡巡後。王太子の乳兄弟であり、側近であり、親友であるアレクは、王太子の望む誕生日パーティーを実行するための準備に取り掛かる羽目になったのだった。
***
アレクは日本人の記憶を持つ転生者である。しがない会社員としてあくせく働いていたが、どこかのタイミングで過労死してしまったらしい。「らしい」とあやふやなのは、どうしてアレクが転生することになったのか、その辺りの記憶がないからだ。
警備員のおじさんと顔見知りになる程度には、会社に住み着いていた。夜中に心臓発作でも起こしたのか、あるいはゾンビのようにふらふらと歩いていたせいで交通事故にでもあったのか。個人的にみなさまの通勤の邪魔になって恨まれるのは耐えられないので、電車を止めていないといいなと静かに願っているが、まあそんな感じで命を落としたと推測される。
そういうわけでなんやかんや転生したアレクは、前世の苦労が報われたのかなかなか良い身分で生まれてくることができた。衛生状態もよく、教育水準も高い。リアル中世な世界観なら、正直生きていけなかったと思う。
乳兄弟の王太子はアホな子だが、処刑まっしぐらの傲慢バカ王族などでは決してない。これならば自分の新しい人生は安心だ。とはいえ、自分が死ぬまでは国家は安定していてほしい。頑張れば頑張った分だけ認められる超優良ホワイトな職場であることだし。そう思って、せっせと労働に励んでいたところ、この仕打ちである。
「こんなわけのわからないイベントを開きたいだと? その昔、調子に乗って各種童話の読み聞かせもどきをやった弊害か? 満遍なく扱ったところで情緒が育つどころか、男の妄想を広げただけに終わるとは。子育てというのは難しいな」
アレクはこめかみをぐりぐりと押す。なんとか頭痛を和らげようと努力しているのだ。誕生日に友人の欲しいものをリサーチしただけなのに、どうしてこんなことになってしまったのか。
健全な男子だ。出会いが欲しいというのはわかる。だがしかし、おっぱいか……。先ほどまでの王太子の発言を思い返す。
閨の練習の手配などは必要ないとつっぱねられていたが、その指示に唯々諾々と従った結果がむっつりスケベ――いや欲望丸出しだし、オープンスケベなのか――であるという事実にアレクは頭を抱えていた。
***
王太子たっての要望により開かれることになった舞踏会。その最高責任者であるアレクは、ぶっ倒れそうなほど忙しい。それにもかかわらず、今日も今日とて王太子はアレクの元を訪れ、真剣な顔で当日までに髪を切った方がいいだろうかだとか、当日のパンツの色は何色にすべきだろうかだとか、あまりにもくだらない質問をアレクに延々と投げかけ続けた。
「すまないが、いい加減にしてくれ。君の誕生日の準備をしているのに、いつまでも邪魔をされては進むものも進まない」
「邪魔って言われた! ひどいっ。俺はこんなにアレクのことが大好きなのに!」
「事実、邪魔しかしていないだろうが。まったく、君が何を考えているのかわたしにはよくわからないよ」
こんなとんでも企画を言い出した挙句、すべてこちらに放り投げてきているのだ。却下しないで協力しているだけでも、ありがたいと思ってもらいたい。アレクは普段であれば王太子のわがままなど軽く流せるだけの度量がある。何といっても乳兄弟、弟分の扱いなどお手の物なのだ。
ところがここしばらく寝不足で苛々していたせいだろうか。アレクは王太子の軽口に腹を立て、衝動的に執務室を飛び出してまったのである。後ろの方で、「アレク、待ってくれ」というか細い声が聞こえたような気もするが知ったことではない。
さて部屋を飛び出してきたものの、アレクには仕事をサボるという発想はなかった。やるべきことは多い。王太子に腹を立てていようが、時間は待ってくれないのだ。アレクは懇意にしている庭師に確認を取っておこうと、王宮の薔薇園に足を踏み入れた。舞踏会では飾り付け以外に、それぞれの出席者に赤と白の薔薇を渡す予定にしている。ところがアレクは驚きに目を見開いた。
薔薇園では明らかに花の色に偏りが生じていた。もともとアレクは赤い薔薇と白い薔薇を招待客分手配している。王太子妃の座を望む令嬢には赤を、望まないものには白色の薔薇を胸元につけてもらう予定なのだ。本当は婚約者や意中の相手がいるが、顔つなぎとして舞踏会に参加しなければならない令嬢たちの顔も立てられ、安全性も確保できるだろう。王太子に言い寄られている女性が白い薔薇を身に着けていた場合、さりげなく王太子の関心を逸らすことも可能だ。そう考えた上での配慮だったのだが……。
「色の設定を逆にするべきだろうか。だが花言葉などを考えると……」
「アレクさま、おそらくもともとの予定で問題ありません。断言できます」
「だが、王太子の誕生祝いの舞踏会だ。そこまであからさまに偏りが出るものか」
「大丈夫です。御心配には及びません」
「その昔、ジャムにすると美味しいらしいと薔薇の花を大量にむしったことがあったが。まさかその件が発育に影響したという可能性は?」
「ただ単に季節とタイミングの問題ですよ」
アレクの心配を、老いた庭師が笑い飛ばした。薔薇のジャムが美味しいらしいと王太子に伝えたのは、幼い日のアレクだ。そのとき王太子は、「なるほど。アレクが美しいのは、薔薇を食べているからなのか。よし、俺も今日から薔薇をたくさん食べるぞ!」などと張り切って薔薇園に出かけたのだ。「美味しいらしい」と伝えただけで、「美味しい」などと言った覚えはないのだが、早とちりと即行動の思い切りの良さは昔から変わらない王太子である。
そのまま勢いよく手当たり次第に薔薇の花を摘んだせいで、目の前の優しい庭師は腰を抜かしたのだったか。その後、薔薇園を大事にしていた王太后陛下に大目玉を食らったのがなんとも懐かしい。
「ご心配なさらずとも大丈夫ですから」
そういうものだろうか。疑問に思いつつも、アレクはそのまま厨房の視察に行くことにした。いい年になったはずなのにいまだ好き嫌いの多い王太子のために、当日のメニューについても事細かに指示を出しておく。今回出した料理はおそらく王太子の好物だと認定されるはず。彩りやバランスも大切だが、嫌いなものを交ぜてうっかり好物と誤解された挙げ句、今後招待された晩餐会などで王太子に振る舞われることになる方がのちのち面倒だ。日頃から注意してはきたものの、王太子の好き嫌いは直らずじまいだったな。乳兄弟として反省していたアレクは、りんごと格闘する厨房の面々と目があった。
「料理長、さすがは実りの秋といったところか。りんごを使ったデザートがここまで揃うのは圧巻だ」
「これはこれはアレクさま。こちらは、王太子殿下の鍛錬によるものでして」
「は?」
「お誕生日当日までに、りんごを片手で綺麗に握りつぶせるようにならねばならないと励んでおられるようで。王太子殿下はりんごを無駄にしてはいけないとおっしゃい、我々にりんごを使ったさまざまなレシピの開発をお命じになったのです」
「はあ?」
料理長の説明に、アレクはさらに首を傾げた。一体、何を説明されているのだろうか。お誕生日までにりんごを握りつぶせるようになる必然性もわからないし、勿体ないと思うのであればそもそもりんごを潰すような真似をしなければ良いのではないか?
「やはり男のロマンですな」
男というのは、りんごを片手で潰せるようになりたいものなのか? アレクはさらに首をひねる。そういえば騎士団長であるアレクの一番上の兄は、りんごを片手で潰せるし、それを王太子と一緒に見て、わいわいはしゃいだような記憶もあるが……。王子さまや王さまに必要な能力だとは思えない。あるいは、王太子は政敵の前でりんごを握りつぶすパフォーマンスでもやるつもりなのか?
令嬢を集めて舞踏会を開いたり、りんごをつぶしたり、男のロマンというのは難しい。さっぱり意味がわからないまま、アレクは出来立てのアップルパイの味見をする。ほんのりと香るシナモンの匂いに気を取られていたせいか、うっかり口内を火傷してしまった。
***
上あごと舌がじくじくと痛い。身体の内側に響く痛みは、先日からずっとアレクの中にあるもやもやの存在を思い出させる。気持ちが落ち着かなくて、アレクは中庭の木に登った。ここは何か叱られたときのアレクと王太子の避難場所だ。
薔薇の花をむしってしまったときも、りんごを握りつぶす練習をしすぎてうっかりアレクの方が目標を達成した挙句、王妃殿下のドレスに汚れをつけてしまったときも、ふたりは叱られたあとはここで気持ちを落ち着かせていた。自分たちに原因があったとしても、頭ごなしに叱られれば面白くない。
『ごめん、アレクまで巻き込んで』
『かまわないさ。ほら、実はクッキーをくすねてきたんだ。これでも食べて元気を出せ』
『ううう、アレク。俺、アレクのこと一番信用してる。アレクには、内緒ごとなんて絶対しない』
『わたしもだよ』
王太子がふてくされていたときはアレクがなだめて、アレクが泣いていたときは王太子が慰めてくれて……。そんな昔のことが酷く懐かしい。
なんだかんだ言ってアレクは、親友のことが大好きだ。彼がそれを望むのならば、結局はなんとかしてかなえてやりたいと思ってしまうほどには、大切な存在だった。
――好きな女の子に可愛い格好をしておめでとうって、言ってほしいのはわかるだろう?――
「うっかり口が滑ったのだろうが、あれが本音なのだろうな」
貴族の未婚のご令嬢全員を集めて舞踏会を開きたい? 急に王太子がそんなおバカなことを言い出すのは、率直に言っておかしい。男のロマンなんかで片付けられるわけがないのだ。貴族とはいえ、歴史の浅い成り上がりか。あるいは派閥の異なる家門の娘か。それとも懸想する相手には、相思相愛の男でもいるのか。
「だが、教えてもらえないのでは協力のしようがない」
いっそ本命がわかれば、自分がフェアリーゴッドマザーの役を買って出るのに。貴族の未婚のご令嬢全員を舞踏会に招待するよりも、たったひとりの相手とドラマチックに恋に落ちるように画策する方がむしろ簡単に思われるのだが。大事な局面で、胸の内を打ち明けてもらえないというのは何とも辛い。
「弟のような存在だと思っていたが、殿下もいつの間にか大人になっていたということか」
同い年にもかかわらず、手のかかる弟のようだった王太子。成長するにつれて、弟は親友になり、かけがえのない相棒になった。
胸の痛みの理由はきっと、親友から大事なことを教えてもらえなかった寂しさゆえ。きっとそれだけだ。
「子どもなのは、わたしの方だったのだろうな」
アレクは、そっと小さくため息をついた。そこへ、がっしゃんがっしゃんとひどく騒々しい音が聞こえてくる。両手になぜかポットやら何やらを抱えた王太子が走っているのが見えた。
「あ、アレク。やっぱりここにいたのか。見てくれ、前に飲んで美味しかった茶葉が手に入った! 舞踏会で客人たちに振る舞うには足りないから、俺たちで楽しもう!」
にこにこと今にもスキップを始めそうな顔で喜んで駆け寄ってくる王太子。その屈託ない笑顔を見ていると、やはりどうにかして希望を叶えてやらねばと思う。親友が道化の振りをして、意中の令嬢に会おうとしているのだ。自分も全力で協力してやろうではないか。損得勘定を無視した恋愛になるのであれば、それだってアレクがどうにかしてやればいいのだ。のちのち、国王陛下やアレクの親兄弟に叱られることになるのだとしても。
***
舞踏会当日。会場には色とりどりのドレスに身を包んだ令嬢たちが溢れていた。
「アレクさま、お待ちしておりましたわ!」
アレクが登場すると、令嬢たちが一気に色めき立った。あっという間にひとだかりができる。
「アレクさま、私と踊ってくださいますよね?」
「まあ、わたくしが先ですわ」
「いいえ、あたくしと!」
令嬢たちはにこやかに、けれど肉食獣のようにしなやかな動きで互いをけん制し合っていた。そんな令嬢たちもまた胸元に薔薇の花を飾っている。彼女たちの薔薇の花の色を見て、なるほどとアレクは納得した。庭師の言葉が脳裏によみがえる。確かに、薔薇の花の色に偏りがあっても、問題ないようだ。少々、寂しい気持ちにはなるが。
「わたしは逃げないのだから、喧嘩する必要はないだろう? ちゃんと平等にみんなと踊るから」
「ですが、ファーストダンスはたったひとりだけ!」
「絶対に譲れませんわ!」
隅っこでぎゅうぎゅうになって眠るハムスターのように、アレクを押しつぶす勢いで詰め寄る令嬢たち。そこへ、王太子がやってきた。むんずとアレクの手をつかみ、輪の外へ引っ張り出してくる。途端に、令嬢たちから王太子へすごいブーイングの嵐が巻き起こった。まったくもって敬われていない王太子である。そのことが不満だったのだろうか。
「おい、アレク。これはどういうことだ!」
王太子が半泣きでアレクを問い詰めてきた。
「なんだ、その言い草は。舞踏会の準備もし、しっかり本番も参加しているだろう?」
「どうして俺を差し置いて、お前は他の女と踊ろうとしているんだ!」
「ああ、もちろん君が最優先だよ。この舞踏会は君のための舞踏会だからね。けれど残ったご令嬢たちのお相手だって必要だろう?」
そう言って、困った顔でアレクは令嬢たちを見回す。彼女たちの胸元にはみな純白の薔薇が飾られていた。
「まあ、アレクさま。私たち、王太子殿下と踊るつもりはさらさらありませんわ」
「アレクさまにお会いしたくてわざわざ参加しましたのに」
「そうですわ。アレクさまがいらっしゃらなければ、欠席するつもりでしたわ」
「やれやれ。可愛らしいお嬢さん、そんな我儘を言ってはいけないよ。わたしがいても、いなくても、社交は大事。ひととひととの繋がりこそが国家を繁栄させるのだから」
「きゃああああ、アレクさまああああ」
納得のいかない顔で、王太子が悶絶する。
「どうして、アレクにダンスの申し込みが殺到するんだ!」
「自業自得だろう。付き添いの男性陣は父親か、それ以上の年齢親族のみと制限した上で、舞踏会の会場への立ち入りを禁じるなんて。別会場での立食パーティーは確かに政治的な意味合いを持つだろうが、ご令嬢たちはどうするんだ。君が相手をしなければ、彼女たちは壁の花になるだけ。せめてもの詫びに、手の空いている者が1曲ずつくらいダンスの相手を務めて当然だろう」
だから好きな相手がいるのなら、こんな回りくどい手を使わずに、もっと違う方法をとるべきだったのに。その言葉をぐっと呑み込み、アレクはただ淡々と言い含めた。ここで学んでもらわねば、王太子のためにならない。高い勉強代だが、いつか彼のためになるだろう。
ちなみに今回の舞踏会を行うにあたって、国王陛下からは苦労をかけてすまないと謝られたが、もしかして彼らは王太子が何やらやらかすかもしれないことを事前に予想していたということだろうか。
ぐぬぬぬぬと歯噛みする王太子を前に、アレクがやれやれと肩をすくめていると……。
「どうして、アレクはドレスじゃないんだあああああ。しかも薔薇の花を挿してないと、アレクの気持ちがわからないじゃないかああああ」
王太子の絶叫に、しんと辺りが静まり返る。王太子の奇行にはすっかり慣れっこのはずのアレクだったが、今回は開いた口が塞がらなかった。
***
「ねえ、アレクサンドラ。なんで? なんで薔薇の花を身に着けてないの? 俺、今日の舞踏会ではアレクと踊るのを何よりも楽しみにしてたんだけど?」
「は?」
「ドレスも着てないし! 俺は可愛い可愛いアレクのドレス姿が見たかったの! だから無理を言って、男性陣は舞踏会会場の入り口でシャットアウトしたのに! 俺だって全然見たことがないドレス姿を、他の男に見せるわけにはいかんからな! そのふわふわおっ、なんでもない!」
「はあ?」
「父上や母上だけでなく、大臣たちもみんな『仕方がありませんなあ。あまり嫉妬深いと嫌われますぞ』と言いつつ、協力してくれたというのに。なぜだ、なぜだあああああ。いまだにりんごひとつ握りつぶせない俺が悪いのかああああ」
何たる悲劇と言わんばかりに床に倒れ込んでいる王太子。ちなみにこんなちゃらんぽらんな王子さまだが、こんな奇行をしていてもなんとか鑑賞に堪えうる美貌を持っている。それがいいのか悪いのか、アレクにはよくわからないが。
「アレクさま、変態の言うことなどに耳を貸してはいけませんわ。お耳が穢れてしまいます」
「そうです、アレクさまはこのお姿がたいそうお似合いになりますもの」
「もちろん、アレクさまがドレスをお召しになってももちろんお美しいとは思いますけれど、その場合はぜひ男子禁制の場所で」
「そんなのは嫌だあああああ」
周囲の思い思いの発言に、アレクは目を見開いて立ち尽くすばかりだった。
***
侯爵令嬢アレクサンドラは、男装の麗人である。
その理由は……。
こんなに美人に生まれたのだから、コスプレしたっていいのではないかというそんなごくごく単純なものであった。
前世の彼女は、顔は平凡、身長も低め。やる気はあったとはいえ、能力は人並み。努力だけではどうにもできないことも多かった。才能では叶わないのなら、何とか時間でと自ら仕事漬けの日々を送ったあげくの転生である。ならば、転生後の人生ではだらだらと過ごせばいいと思うかもしれないが、彼女は転生した姿に無限の可能性を見出してしまったのだ。
すらりと長い手足、麗しい美貌、絹のような髪、高すぎず低すぎない耳心地の良い声。ドレスを着て令嬢として過ごしても、兄弟たちの服を着て貴公子として振舞っても、それはそれは大層似合ってしまった。
その上、武勇を重んじる家門内で数世代ぶりに生まれた女の子は、家族のみならず親戚一同にも溺愛されていた。女の子らしい格好をしなければならないと主張するものがいないどころか、可愛い可愛いアレクサンドラがやりたいようにやらせるべきだと主張する者ばかり。そうして、彼女は王太子の側近として女だてらに働くことになっていたのである。
多少のやっかみはあれど、周囲の者もなんだかんだでその決定に従った。何せ、アレクを溺愛しているのはアレクの家族だけではない。乳兄弟である王太子もだし、なんなら王太子の両親である国王陛下と王妃殿下もまたアレクのことが大好きなのである。「アレクちゃんが娘になってくれたら最高だわ~」なんて言う始末で、王太子がアレクを婚約者にしたいと思っていることも、アレク以外の周囲の人間にとっては周知の事実なのであった。
家族に恵まれ、友人に恵まれ、才能と美貌にも恵まれ、仕事もやりがい十分。アレクは自分の人生に十分満足していたのだが、そんな彼女にも弱点があった。恋愛偏差値が落第すれすれだったのである。そのため彼女の口から出たのは、甘い言葉ではなくもっと無骨でどストレートな豪速球だった。
「……ふむ。つまり、君はわたしの胸の谷間が見たいと?」
「好きな女の子なら、ドレス姿も胸も、もっと他の部分だって見たいに決まってぼごぐげえ」
「……おっと」
どこからか投げつけられたりんごによって、王太子が物理的に静かになる。素早くキャッチしたアレクによって、りんご本体も地面に転がることなく無事であった。
「変態ですわ! この男、度し難い変態ですわ! 今すぐ窓から捨ててしまいましょう!」
「そうです。このような男が、アレクさまの隣に立ちたいなど無礼千万ですわ!」
「みんな、落ち着いてくれ。彼は、これでもこの国の王太子殿下だから」
「俺の扱いが酷い。あんまりだ。あんまりだ」
「君はもう少し自分の言動を考えた方がいい」
「俺が、俺が一体何をしたっていうんだ」
床に這いつくばってしくしくと涙にくれる。アレクはやれやれと肩をすくめ、小さくため息をついた。
「そんなにわたしと踊りたいのか?」
「ファーストダンスは、アレクって決めてた」
「じゃあ、それが終わったら他の女の子と踊るかい?」
「俺は、アレクとしか踊りたくない」
「馬鹿だなあ。最初からそう言ってくれていたら、ドレスを着てきたのに」
「えええええ? アレク、ドレスを着るの嫌じゃないの?」
「わたしはドレスを着るのが嫌だなんて、一言も言ったことはないよ。ただ似合うし、動きやすいから男装をしているだけで」
「そんな」
「それに、申し込まれてもいないのに、どうしてわたしがドレスを着てここに来ると思ったんだ? ご令嬢がたのダンスの相手がいなくなってしまうじゃないか」
「アレクのドレスを見るために全員招待したのが裏目に出た?」
「裏目どころか、馬鹿の所業だったね」
「ぐぬぬぬぬぬぬ」
アレクが指を鳴らし手を開くと、中から薔薇の花が一輪出てきた。その色は、情熱の赤だ。その花を王太子に差し出しながら、アレクは微笑む。
「それでは、一曲お願いできますか?」
「だーかーらー、そういう格好いい台詞は、俺が言うんだってば」
軽口を叩きながら踊りはじめるふたり。ステップを踏み、くるりくるりと回りながら、王太子が不満げにつぶやいた。
「どうして俺が女パートなんだ?」
「それはわたしの方がリードがうまいのと、まあうっかり癖で」
「うおおおおお、ちっくしょおおおおおお、アレクがイケメンすぎるんだよおおおおお」
「ドレスを贈る贈らないの前に、気持ちを告げないままその他大勢を巻き込む形で、好きなひとのドレス姿を見ようと思う発想がまずせこい」
「せこいだと……」
「せこいという言い方は適切ではないのか。じゃあ、しょぼい」
「どちらもそう変わらん。もうちょっと何か他に言い方ってもんがあるだろう」
やっぱり気持ち悪いからなのか、と苦悩する王太子の言葉に、思わずアレクは小さくふきだした。ずっと胸の中でくすぶっていたもやもやの正体が、わかったような気がする。しばらくこのもやもやに悩まされた身としては、少しばかり意趣返しをしてもいいのではないか。そんなことをアレクは考えてしまった。
「王太子殿下が、『国中の未婚女性を集めて舞踏会を開きたい』などと寝言をおっしゃるものですから。わたし、焼きもちを焼いてしまいましたわ」
服装はいつもの男装のまま。けれど、普段はひとつに結んだ髪を下ろし、小首を傾げて上目遣いで微笑めば、その姿はあっという間に麗しい令嬢へと様変わりする。「せこい」とか「しょぼい」とかそんな言葉の中にあった、ちょっとだけささくれだった気持ちをふんわりと甘い砂糖をまとわせて、膨らませてみた。こんな女の子らしい気持ちが自分の中にもあったのだなと気が付いて、妙に気恥ずかしい。
だが王太子はというと、謝ってくるでもなく、かといって笑い飛ばしてくれるでもなく、真顔で固まったままだった。なんだ、それは。こういうのは、何らかの反応を示してくれないと、ただただ恥ずかしいだけではないか。慌ててアレクは、自ら笑い飛ばすことにする。
「ははは、似合わなかったかな。恥ずかしいことはするものではないな……って、おい!」
しまった、やっぱり今さら王太子の前で女性っぽい仕草などするのではなかった。そう思ったのだが。王太子の顔がみるみる赤くなったかと思うと、目を回して後ろに倒れそうになる。慌ててアレクが支えるが、深窓の姫君のようにきゅうと言って卒倒してしまった。その顔はとめどなくあふれる赤に染まっていて……。
「これは、まさか、毒? おい、誰か!」
慌てるアレクをよそに、周囲の者たちはみな王太子が興奮のあまり鼻血を出してぶっ倒れただけなのだと、正確に認識していたため、その後は粛々と処理されたのだった。
その後王太子はようやく想いを告げたアレクと結婚をするために、鬼のような修行に挑んだあげく、騎士団長を始めとするアレクの一族と決闘の日々を送ることになるのだが、それはまた別の話である。なお歴代の国王がりんごを素手で握りつぶせたかどうかについての記録は、残されていない。
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