第97話:居直りサイコパス
鉄心が素早く二人の体を引き寄せ、自分の後ろに下がらせる。
(ゲートをブラックマンバで撃つか? アメジストに撃ち抜かれたドアノブは変化しないまま黒炭となったことを鑑みれば、コイツの光線には、もしかしたら魔力キャンセラーのような力があるのかも知れん)
だが、あれはノブという不完全な形態だったからこそで、既に顕現しているゲートは壊せない可能性もあるが……
(いや、扉が壊せなくても、そのまま出会い頭にレーザーを当てられる)
デメリットなしと判断し、鉄心は小銃の引き金に手をかけた。だが、それを引く前に、
「テッちゃん、ダメ! メノウさんだよ!」
美羽の叫びに遮られた。鉄心はそれでもなお、撃つべきかと考えたが、結局は銃を下ろした。正直なところ、今の自分ならメノウ相手に遅れを取る可能性は極めて低い。なら、まずはゴシュナイトから聞けなかった情報を吐かせてからでも遅くはない、という判断だった。
やがてゲートが開き、トンファーを両手に構えた鳥人が現れた。美羽の予測通りの結果。なぜ予測など出来たのか、それについては今は鉄心も捨て置く。
「待って。まだ居るわ」
メローディアの緊迫した声音。メノウの後ろ、確かに何かが居た。
「サメ……?」
美羽が自信なさげに、その存在と最も近似した生物の名を呟いた。
濃い青の体色。腹の辺りだけ白で、少し水分を帯びたように光っている。両目が離れているが、瞳自体はつぶら。本家のサメと違い、腹の下部、二本の足が生えており(こちらも内側は白く背中側は青)、人間でいう肩の辺りから腕も同様に備わっていた。半魚人というほど気色悪くはない、というのが美羽の所感だ。肌にウロコがなく、ツルツルなのも、清潔感を感じさせる。
(探査に優れたサメ。ハージュが残してくれた情報ドンピシャだな)
鉄心はほくそ笑む。これから一戦交えるかも知れない相手の能力が予め分かっているのは、中々のアドバンテージだ。ジワジワと高揚していく戦意。四層ゴシュナイトを屠って、なおも血を求める戦闘狂のように。
一方、メノウとその相方、サファイアは油断なく鉄心を見据えながらも、喉がヒリつくような緊張を覚えていた。サファイアは実際に鉄心と相まみえるのは初めてだったが、
(なるほど。これは化物だな)
本能が先程から警鐘を鳴らして仕方ない。逃げろ、逃げろと。実際それは正しいのだろう。サファイアはゴシュナイトの亡骸にチラリと視線をやる。次いで完全に無傷の鉄心へ。どんな手を使ったのか、搦め手にしろ、正攻法にしろ、四層魔族を単独で討てる人間など聞いたことがない。
たっぷり十秒ほどにらみ合い。
「……アザミテッシン」
メノウの方が先に言葉を発した。どこか疲労が窺える声音。このたった十秒ほどの時間、ではあるが。聖刀の威力を知る彼は、透明の刃に常に気を張り、更に鉄心が逆の手に持つ小銃からも意識を逸らせない。更に更に、得体の知れない極彩色の糸の束のような物まで地面に散っており、これもまた鉄心と無関係とは思えない。
360度、いつ伸びてくるとも知れない、幾千、幾万もの手が蠢いているかのような、おぞましいイメージが脳裏にこびりついて、それと戦い続けた十秒間だった。そして痺れを切らした鉄心が本当にその手を伸ばしてくる前にと、音を上げたような格好。
「ゲートが開いた気配に慌てて駆けつけてみたら……何なんだ? この状況は」
それでも表情を変えず、平坦な声が出せるあたり、この十傑も大したもの。そんなメノウたちに対して、鉄心も淡々とした様子だ。
「……なんと言おうかね。悪いけど裏切らせてもらった、と言うのが一番理解が早いか」
言いながら鉄心はブラックマンバの銃口をメノウに向けた。場に緊張が走る。メノウもサファイアも、三層魔族と二対一で、平然と戦闘を選ぶ存在がこの世に居るとは、目の前にしてもどこか信じ難い気持ちがあった。だが当然これは現実で、そして薊鉄心にはその選択への絶大な自信がある。
トンファーの取っ手を握るメノウの手に汗が滲む。人のものより毛深いその手が、力強く得物を握り直したその時、
「ま、待って! テッちゃん! メノウさんも!」
非戦闘員の美羽から待ったがかかる。平良の最高傑作と三層魔族たちとの殺し合い(或いは一方的な蹂躙になるやも知れないが)を押し留めたのは、朴訥で食いしん坊な少女の横槍。何とも場違いな、鉄火場から急に民家のリビングにでも連れてこられたかのような。そんな名状しがたい感覚に、睨み合っていた三人の顔からも僅かに険が取れる。
「私から事情は説明します。裏切る形になってしまった経緯も余さず。事を構えるのは、それからでも遅くはないでしょう?」
懸命に言葉を紡ぐ。そうして美羽が場の主導権を握った。
「……分かった。聞かせてもらおう」
メノウもサファイアも否やはないらしい。鉄心が美羽に甘いのは分かるが、この二人もどこか彼女に従うような雰囲気がある。双方、一旦は構えかけていた武器を下ろした。
そして美羽が語り出す。邪刀の休眠危機。それを防ぐための手立てとして見込んだのが鉄心の夢、その中で彼を呼ぶ声。それに従い、九層に行きたかったが、メノウと連絡がつかなかったこと。故に無断でノブを使用したこと。
「……なるほど。それで、そのアンちゃんの刀は? 直ったのか?」
サファイアが鉄心の特製ベルトに差された黒刀に胡乱げな視線をやる。夢の中の声など、眉唾もいいところだ。適当な言い訳を吹いている可能性も捨てきれない。
「……」
美羽が鉄心を見る。全部を説明すれば、ハージュのこと、ひいてはハゲしメタルという手の内を明かすことになる。彼の指示を仰ぐような視線だった。鉄心は肩をすくめ、後を自ら引き継いだ。
「……夢の中で俺を呼んでいた、ハゲ呪術の魔精なる存在と会った。その彼のおかげで何とか、な」
右手に聖刀、左手にブラックマンバを携えたまま、鉄心はチラリともう一つの新兵器、ハゲしメタルの束を見やった。その視線の動きから、魔族二人も、具体的にアレが何かは分からないが、何かしら邪刀を救う方策の一環なのだろうとアタリをつける。
「まあ裏切った上に殺害しようとしたのは……悪かった。短慮だった」
謝って済ますには、あまりにあまりな内容だが、鉄心も幾らか頭が冷えたのは事実らしい。ゴシュナイトを屠った余勢が消えた、とも言う。
「はは、二対一だぞ。殺されてたのはアンちゃんの方かも知れないぜ?」
虚勢を張ってはみたものの、サファイアも自分の言葉があまり真実味を帯びていないのは自覚していた。
「かもね。勝負は何があるか分からない」
だが、顔を立てたのか、余裕ゆえか、鉄心は落ち着いた声音で肯定した。
「事情は取り敢えず分かった。どうも急を要する事態だったらしいし……私の携帯電話に不在着信が残っているのも事実」
外套の内ポケットから折り畳み式の携帯電話を取り出して確認したメノウ。また少し場の緊張が緩む。
「だが、そのハゲ? 呪術? とやらは何なんだ? そこまで鍵を握るような術なのか?」
サファイアが少々困惑した様子で訊ねる。
「なんだ、そこからか」
鉄心は出来の悪い生徒でも見るような目をしているが、理不尽極まりない、とメローディアは思う。
鉄心がハゲ呪術の概要を説明するも、人間ではない彼らにはイマイチ、毛がないことが社会生活上のダメージになるという点が理解できない様子だった。「俺も体毛は生えてないぜ」と言って腹を叩いてみせるサファイアに、鉄心は人間の機微を理解させるのを諦めた。
「……それで? その魔精はどこに居るんだ?」
メノウがキョロキョロと辺りを見回す。鉄心はしばし考えた後、観念したように息を吐いた。まあ一応、自分の裏切りが発端なのだから、もう少し折れるべきか、と。
「ハージュは今、そのハゲしメタルの制御核のような状態になっているらしい」
鉄火が指をパチンと鳴らす。すると、ゴシュナイトの遺骸を取り囲むように散っていた髪の束たちが、ひとりでに動き、シュルシュルと一まとめになった。そしてそのまま鉄心の元へ。指輪へと変じ、主の右手人差し指に納まった。
「なんと……それは」
メノウもサファイアも度肝を抜かれたという顔をしている。
「新たなユニークなのか?」
「いや、違う。新たな金属、らしい。多分ユニークより厄介な代物だよ。敵さんたちからすれば」
薄く笑む鉄心に、魔族たちは得心いった。これまでの余裕の態度、どうやらダブルユニークに加え、更に強力な武器を手に入れていたからか、と。
「つまり、現状ほとんどトリプルのようなものよ。フライドチキンやイサナ鍋になりたくないなら、彼を怒らせない方が良いわよ?」
メローディアがまた夫の力でイキがる。嫌いつつ、社交界のクセが抜けないようだ。
(イサナは鯨ですよ、メロディ様)
そして美羽はどうでもいいツッコミを心の中で入れた。
「で、アンタらは、どうやってここが分かった? そっちの青魚の能力か?」
今度は鉄心の質問が飛ぶ。ある種、彼らの態度を量ることが出来る内容だ。何せハージュのおかげで、サファイアの能力の目星はついている。虚言を弄するか、真実を話すか……知己の血を見たくない美羽は、祈るようにメノウの顔を見つめる。
果たして彼らは、
「……そうだ。サファイアは魔界一の捜査能力を持つ」
この場での正解をキチンと掴み取った。




