第95話:ボール遊び
塒の内部の玄武岩が黒色なので、闇が迫ってきたかのように一瞬だけ錯覚したものの、敷かれている干草には全く変化がないため、
「ドアよりこっちには来てない?」
ということで良さそうだ。少女二人が「ふう」と長い息を吐く。それで何とか頭の中を整理しようと、軽く目を閉じた、その時だった。
ドゴーンという凄まじい轟音と共に、立っている地面がグラグラと揺れる。鉄心と美羽は地震大国で培った経験のおかげで冷静でいられたが、メローディアは動揺で顔が青ざめている。己が立っている足元が激しく揺れ動くなど、そんなことが許されて良いのか、とでも言いたげだ。
「な、なにが起きてるの?」
「分かりません。ただ」
紡ぎかけた鉄心の言葉を遮るように、更にもう一度の揺れ。そして獣の雄叫び。高く長く。
犬か狼か。いずれにせよ、空間をビリビリと揺るがすかの如き大音声となれば、その体躯はかなりの大きさが予想される。
「どこだー!! どこに居るー!?」
と、今度は人語での大声。威圧するような、ドスの利いた声音だった。出て行ったとして、とても友好的な態度で接してくれそうにはない。
「十傑……なのかしら?」
三人、身を低くして、塒の奥に隠れながら。
「魔界に居て、人語を話す存在ということですからね」
その可能性が極めて高い。ナイトメアもその変異種も人語を解している様子はなかった。人間が魔界にいる可能性などは(自分たちを差し置いての話だが)皆無に近い。
「少し覗いてみるか」
鉄心がそろそろと忍び足で塒の大穴の入り口へ歩く。そこで事態は急激に動いた。まず、
「んん? 匂いが濃くなったな! 居るぞ! この広間に! やはり!」
大声の主がそんなことを言った。わざわざまた声に出している時点で、あまり知能は高くないだろう事が窺える。言わなければ、鉄心たちも自分たちの存在を気付かれたとは分からなかったのに。
その内容を聞き、もはや隠れている意味はないと判断した鉄心は、体を起こして入り口へ駆けた。穴倉から顔を出した彼を、敵方もすぐに視認した。両者の目が合う。
「いたー! いたぞー!」
狼、いや気性の荒い大型犬、だろうか。ライカンスロープという空想上の生物にも思えるが、ハージュの言うことを信じるなら、十傑は現実の人間世界の動物が元となっているという事なので、恐らくは狂犬ないし狼ということになる。腐敗狼は空想上のゾンビという扱いで、現実の狂犬より能力が劣る、というのも微妙に納得のいかない話だ、などと鉄心が頭の片隅で考えている間にも。
「おおおおお!!」
その狂犬は鎖で繋がれた巨大な鉄球をブンブンと振り回す。あの遠心力も利用して遠くへ飛ばす武器なのだろう。遠くへというのは勿論、地上から鉄心たちの居る塒の大穴まで、ということを意味する。
「二人は塒の奥に居て」
鉄心は近付いて来ようとする妻たちに、その場に留まるよう指示を出し、
(さて……)
タイミングを見極める。ブオンブオンブオンと回る鉄球が風を切る音が、三人の耳にも届くようになってきた。
そして、いよいよ。
「おらああああ!!」
掛け声とともに、鉄球が放たれる。まさにその瞬間、
「……っ!」
鉄心がホルダーからブラックマンバを素早く引き抜く。そしてそのまま狙い定めたレーザービームの一条が、狂犬の軸足へ。
黒い光線が足の外側をジリと焼いて貫いた。痛みに傾いだ体から、狙いの逸れた鉄球が放たれる。鉄心は銃の出力を止め、次いで先ほど手に入れたばかりの指輪に氣を送る。するとたちまち、指輪がほどけ、長い長い髪の毛へと変わり、それが一束となって、鉄球へと伸びていく。童話のラプンツェルのように、と言うには禍々しさが過ぎるが。
果たして、その金属糸と化したハゲしメタルの髪束が、鉄球と衝突する寸前、
バチバチッ!!
空間に青光を残し、両者が弾かれ合った。ユニークの拒絶反応、それを更に何倍にも強くしたかのような、苛烈な現象だった。
思わず美羽とメローディアも少しだけ身を乗り出し、その中空の光を見た。花火と落雷、その中間のような不思議な色合いに状況も忘れて、一瞬だけ目を奪われる。
「なるほどな」
小さく呟いた鉄心は、その弾かれた鉄球を指さす。その動きに従うように、ハゲしメタルの束が殺到する。再び反発。光を散らして、鉄球は更に跳ね上がった。前回アメジストが天井を崩したせいで、そこには遮るものが何もない。洞窟を上に抜け、九層の地上、草原へと飛んでいく。それを狂犬が引っ張り戻そうとするが、更に鉄心がハゲしメタルをぶつけ、三度、反発。
「ハージュの言った通り、魔鋼鉄や魔族を傷つけることは出来ないのかな。けどこっちも他にない金属だから……」
結果、出会ってはいけない物同士のように、強烈な反応を起こす。
色んなことに利用できそうだ、と鉄心はほくそ笑む。
「く、くそがああああ!!」
丸きりボール遊びでおちょくられる室内犬のごとき扱いに、十傑の誇りを傷つけられたのか、犬の魔族が咆哮した。並のアタッカーなら、膝が震えて立っていられないであろう、四層魔族ゴシュナイトの憤怒。
それを受けてなお、鉄心は涼しい顔で聖刀を抜いた。匣をポンポンと連続で作り、昇った時と同じように階段を敷いた。そこを悠々と降りていく。狂犬はその憎らしい相手を鉄球の戻りで圧殺してやろうと、もう一度引っ張った。だが、やはりそれは叶わない。
見ればかつて天井のあった場所に、代わりに網のように広がった髪の毛。格子状に組まれていて、下からは空が細切れに見える状態。鉄球はそこを通って戻ろうとするが、その網に触れかける度にバチッと跳ねあげられる。トランポリンのように何度も何度も、それを繰り返していた。
(ああ、これはヤバい)
鉄心は早速楽しい使い方を思いつき、実践してみたが……このハゲしメタルの有用性に胸が躍るようだった。
「てんめえええ! 何だ、あれは!? 何をしてやがる!!」
鎖を握った腕を天にかざし、しかし鉄球が戻ってこないせいで下げられず宙ぶらりんのまま。ひどく間抜けな格好に鉄心が嘲るような笑みを浮かべた。それが更に狂犬の神経を逆撫でする。
「あれを解きやがれ!! ぶっ殺してやる!!」
と息巻いてはみたものの、その灰白色の体毛に覆われた左足からはドクドクと鮮血が流れていた。先程、ブラックマンバに焼かれた箇所だ。手負いの体で、武器まで奪われている状態。そして相手は無傷、武器は得体の知れない糸、彼の足を撃ったレーザー銃、抜き身のままの白い刀、脇に差した黒い刀。
「てめえ、ナニモンだ!? どう見ても人間の域を超えてやがる! どころか」
続く言葉は飲み込んだ。十傑の域すら超えているのでは、という考えが一瞬浮かんで、それを口にしかけたのだ。
(あるハズがねえ、そんなこと)
ゴシュナイトは生まれて(正確には発生だが)このかた、どうやっても勝てないと思うような相手に出会ったことがなかった。三層や二層の連中すら、いつか喰ってやるという気概すら持っていた。
だというのに、今はどうだろう。人間の少年なんぞに、簡単に手玉に取られ、挙句、虫でも見るような冷めた目で見下ろされているではないか。
ゴシュナイトの足が小刻みに震えだす。血を流しすぎたからだ。そういう事にしていないと、彼は正気が保てそうになかった。
「二、三、聞きたいことがある」
少年はのんびりと地面に降り立った。そこまで手出し出来なかった時点で完全に飲まれているワケだが、ゴシュナイトはそこに意識が向かない。或いは本能がその自覚を拒絶しているのかも知れないが。
「……そいつは奇遇だな。俺も聞きたいことが山ほどある。だからよぉ……っ!」
言葉を終える前に、奇襲のために駆ける。手を鎖から離して(どうせ使い物にはならない)、裸一貫での特攻だった。
「てめえをブチのめして、洗いざらい吐かせてやるよおおおお!!」
恐るべき速度、烈迫の気合い。ユニークなくとも鍛えぬかれた拳に込めた十傑の魔力。いま彼が持てる全てを注ぎ込んだ乾坤一擲のストレートが……
透明な壁に、いとも容易く受け止められた。聖刀、匣。ゴシュナイトより上の三層魔族たち、そのユニーク武器による攻撃さえ凌いでみせた絶技なれば、手負いの四層の無手など、二枚重ねれば十分にお釣りが来るレベルである。
「また駄犬の躾か。面倒くさいなあ」
呆れたような少年の声。次の瞬間、今度は踏み込んだ右足に高熱を感じたゴシュナイト。慌てて引くも、既に足首の辺りを前面から背面まで熱線で貫かれていた。あまりにも攻撃に意識を集中していたせいで、隙だらけのそこを、楽々撃ち抜かれていたようだ。
「ぐ、があああああ!!」
バランスが取れず、左半身から倒れこむ。だが地面に激突することはなく、鉄心が張った透明の匣に顔がガツンと当たり、そこで転倒は止まった。
何とかその見えない壁に左手をついて、体勢を立て直そうとした瞬間、それが忽然と消え、体が浮遊感に包まれる。
「おすわり……は無理そうだから、伏せ!」
何故こうも薊鉄心という男は挑発が上手いのか。
ドーンと大きな音を立て、ゴシュナイトの巨体が今度こそ地面に打ちつけられた。
こうして、突如始まった四層魔族と鉄心の戦いは……いや、戦いと評するのも憚られるような蹂躙劇は、閉幕を告げた。




