第91話:魔界、魔族とは
さて、と魔精ハージュが場を仕切り直した。
「まずは改めてご挨拶を。お初にお目にかかります、マイマスター、テッシン・アザミ」
そう言って、彼(?)は紳士が挨拶するように、片足を引いて胸元に手を当てたまま深く頭を下げた。黒いローブの裾が軽く床を撫でる。鉄心はそんなハージュを見下ろしながら、
「……マイマスターと言われてもな」
当然ながら困惑顔だ。
「ちょっと何もかも分からない状態だからな。そうだな……まずはこちらから順に質問をさせて欲しい」
「勿論だよ。どうせ僕はキミの下僕みたいなものだからね。聞かれた事には全て答えるよ」
下僕を自認する経緯もまた気になるが、大きな疑問から順に行こう、と三人は顔を見合わせて頷いた。メローディアが口火を切る。
「まずアナタ、魔精っていうのは何なの? 魔族とは違うの?」
「ふうむ。そこからか。三層の連中は何も語らなかったのかい。しようがないねえ」
眉根を寄せ、ハージュは語り始めた。
「そもそも魔界と言うのはね……人間が作ったものなんだよ」
そんな衝撃的な導入から訥々と語られる内容は、学会はおろか人間社会の常識さえぶち壊してしまうような物だった。
いわく。魔界というものは、人間の想念・想像力が生み出し、形にした世界である。地球上のどこにもなく、人間界と重なり合うように存在する別次元の世界、らしい。量子力学的な話か? と口を挟みかけた鉄心だが、彼自身そういった理論に明るくないため、自重した。
魔族は、例えばこの場所に繋がる九層にいたナイトメアにしても、地球上の人間がその存在を忘れ去れば、彼らも綺麗さっぱり消失するというのだ。それは裏を返せば、人間がナイトメアという幻想生物を認知し続ける限り、絶滅の憂き目とは無縁ということになる。
「九層に虫や小動物が居ないのは、人間の想像の中にいなかったからだ」
ハージュは言う。
確かにナイトメアたちの住処という想像をした時に、細かな他の生態系にまで考えを馳せることは少ないかもしれない。せいぜいが馬という連想から草原や或いは暗がりの洞窟を生息地と考えた、ということなのだろうか。人間に悪夢を見せるという特質から、もう少しメルヘンな世界に棲んでいると想像する者も居そうなものだが。そこら辺はまあ、些末なことかと鉄心は切り替える。そして少し顎を撫でながら、九層での記憶を探り、
「死体が急速に消えていったのも、その理論か?」
と疑問を口にした。
「そうだね。キミたちの中にある動物の死骸というイメージの形を一度取って、そして観測が終わると消え去った。そういうことだろう」
観測。つまり鉄心たちの目が、そこに存在を安定させたということか。生きているナイトメアたちは多くの人間のイメージ。死骸に関しては、殺めた鉄心たち以外はイメージをすることも殆どないため、彼らの心象がそのまま形を作り、存在させた。そしてそれを確認すると、彼らの意識の中で優先順位が下がり、存在を保てなくなる。殺めた個体のことまでずっと意識していられないし、そんな余裕のある行軍でもなかった。
「逆に、人間界で殺めた個体が残れるのは、多くの人間が認識、観測してるから?」
美羽も本質を掴んだらしく、推測を立てる。ハージュはニヒルに笑い、首肯した。
「それが定説だね」
「定説?」
「当然だけど、魔族、この場合は知性体の魔族だね、彼らも神ではない。魔界の知識がある分、人間よりは確度の高い推理は出来るけど、100%何もかも分かってるワケじゃない」
そこでハージュは皮肉気な笑みを一層濃くして鉄心を見た。
「実はこういった検証や学術的研究は三層、アメジストが第一人者だったんだけど……キミが殺してしまったものだから、下手したら数百年は後退したかもね?」
鉄心は肩をすくめる。そう言われても、あの場では殺す以外の選択肢など無かったし、そも鉄心は学者ではない。最悪は魔界のことが詳らかにならなくとも、彼自身は特に困らない。
「とにかく、まあ魔族と言うのはそういう存在だということで。納得は出来たかどうかは知らないけど、その前提で話を進めさせてもらうよ?」
「ああ」
「で、魔精についてだけど……これは魔族より遙かに珍しい存在だね。実際、僕自身、他にお仲間は見たことがない」
自分のことなのに、実験動物の話をするかのような調子だった。人間的な自己愛は持ち合わせていないのだろうか。或いはハージュという個体が、そういう性格をしているだけだろうか。本人の言うように余りに珍しい存在なら、他の個体との比較検証は出来なさそうだが。
「発生まで数百年かかったしね」
「発生」
メローディアがオウム返し。
「魔族と同じく、僕の存在を認めてくれる人間の想念をパトロンにしないと存在しえないからね」
「……コアみたいなのはあったけど、その想念とやらが溜まるまでに数百年かかったということか?」
「少し違う。コアというより、発生条件は整っていたけど、実際に実体化できるほどの強い想念を抱いてくれる人間が居なかった、ということだね」
ピンとこないのか、鉄心たち三人は小首を傾げている。
「簡単に言うと、ハゲ呪術を使いこなし得る人間が歴史上に現れた時点で条件は整っていた。だけどその人も後の資格者も、発想に至らなかった。仮に至っても、全く戦闘に役に立たない上、扱いも非常に難しい。実践しようとは思わなかっただろうね」
メローディアと美羽はなるほど、とかなり得心したが、鉄心の方はそれだけの長い間、数々の術者がこれほど楽しい呪術に手を付けなかったことを不思議がっている。
「つまりテッシンは、歴史上で初めてハゲ呪術に心血を注ぎ、体系化し、使いこなし、習熟を深めた使い手ということ。そしてキミの想念が、ハゲ呪術にかける情熱が、僕をこの世界に産み落とした」
先程、自分を鉄心の下僕と称したのは、このためだった。一方的な力関係。
「じゃあ、魔精というのは、何らかの術に対する想念が形を成したもの、ってことかな?」
美羽が少年(?)の頭部を改めて確認しながら言った。どこかにハゲがないかと無意識的に探すように視線が動いていた。
ハージュはそれに苦笑を返して。
「術に限った話ではなく、魔族ほど大衆に支持されていない、マイノリティな想いの対象が、形を持った存在と考えるのが妥当かな」
邪教などが良い例で、その御神体が魔精化することもあったと言う。しかしこのハージュ、他のお仲間は見たことないと言う割には詳しい。どこかに情報ソースがあるのだろうか。そこについても鉄心は気になったが、ハージュの話がまだ続くようなので、先にそっちを聞くことにする。
「本来、もう少しパトロンの人数が揃わないと実体化は無理なんだけど、いやはや、平良の頭目すら凌ぐ実力者が9年かけて磨けば、たった一人のそれでも、魔精を産み出してしまえる」
恐ろしいことだよ、と半ば陶酔するような口調で締めくくったハージュ。
美羽、メローディアの両名も、鉄心のハゲ呪術に対する異様な執着は見てきている。しかしまさか独力で得体の知れない存在を魔界に産み落としてしまう程だとは。
「なるほど。だからこその下僕。頭が上がらないワケね」
「そうだね。テッシンが望むのなら、女の姿になって夜伽の相手をするのも、やぶさかじゃない」
そう言った次の瞬間、ハージュの髪が少し伸び、肩口の辺りにかかった。肌もふっくら女性らしい丸みを帯びる。
「ええ!? どうなってるの?」
美羽が仰け反る。
「魔族もだけど、僕らに性別はないよ。ただ少し姿を変えただけ。もちろん生殖機能も備わってないから、子供を妊娠することもない」
ほう、と鉄心。ますます不可思議な生態である。
と。新妻二人が両サイドから彼の尻をつねる。今の「ほう」は学術的好奇心によるものだと必死に弁明する羽目になった。流石に10歳程度の見た目の少女に何かするほど鉄心も女に飢えてはいないのだが。
閑話休題。
「……真偽の確認は出来ないから、少なからず疑念は残るけど、取り敢えずはハージュが言った通りという仮定で進めて行く」
尻をさすりながら、鉄心は話を進める。
「その魔精のキミが、俺の邪刀に力を与えてくれたという解釈で良いのか?」
「そうだね。厳密には邪刀の存在感、キミが僕を観測することによって、それが増したという事だね」
ハージュが軽く胸に手を当てた。
「キミは、ここ最近は聖刀とブラックマンバだけを頭数に入れて計算していただろう?」
当然の話ではある。有事の際は機能不全に陥っている邪刀以外で戦わざるを得ない状況なのだから。
「ああ、なるほど。それが観測、想念、認識の不足に繋がっていたワケか」
ピンポーンと、歳相応の子供のような明るさで、ハージュが手で丸を作ってみせた。鉄心はしかし付き合う気分でもなく、嘆息するのみ。
(アメジストのヤツ、厄介な置き土産を残してくれた)
呪いで封じられた邪刀のことも常に考えていなくてはならないが、封じられている以上、物の役には立たない。面倒なジレンマだ。だが同時に。
(このハージュを観測、認識、そして何がしかの感情を抱いていれば、それが即ち邪刀へそれらを向けたのと同じ効果が得られる、ということか)
なら、最悪はこの珍妙な生物を人間界に連れて帰るということも視野に入れなければいけないということか。そこまで考え、鉄心はまたも溜息をつくのだった。




