第89話:SОSの光
そこで三人とも、自身の頬を照らす光にふと気付く。机の上に置いてある鉄心のブレスレットが淡く光っていた。貴一の形見のユニーク、アトラク・ナクアだ。鉄心が学園に潜入する際、シールダーとして偽るために装着していたものだが、もちろん鉄心の氣を込めないと光ることはない。ない、ハズだが……
「これは、一体」
「テッちゃん、あっち、邪刀も」
美羽の言葉に、鉄心はベッドサイドの壁に立て掛けてある二刀を見やる。確かに彼女の言葉通り、邪刀の方が淡い黒の光を放っている。
共鳴、だろうか。鉄心も生まれて初めて遭遇する現象だった。類似例も聞いたことがない。彼は(座学については博識な)メローディアにも目顔で訊ねるが、二度三度、首を横に振られた。
そもそも論として、鉄心が貴一のアトラク・ナクアを発動こそさせられないものの、触れて氣を流しても拒絶されないという状態も、実は本人ですら腑に落ちてはいないのだ。精神性で言えば、貴一は弟のような残忍さは持ち合わせていなかった。むしろ、多くを拾い上げるために張り巡らせる糸というのが、基本理念のように思われる。もちろん、ユニークと意思疎通が出来るワケではないので、正確には言えないが、当たらずとも遠からずと鉄心は考えている。なのに、拒絶されない。これは偏に貴一の鉄心への愛情の成せる業ではないか、と。そのように彼は解釈しており、胸が温まる想いなのだったのだが。
ここに来て、邪刀と共鳴など、全く想像すらしていなかった事態である。
鉄心は、そこら辺の事情と、自身の考えを少女たちに聞かせる。二人はそれを聞くと少し渋い顔で、
「なんか……私たちの最大のライバルって貴一さんだったりする?」
「そうよね。なんか妬くわよね。亡くなってもなお、ユニークが鉄心を拒絶しないって」
と眉根を寄せた。もちろん恋愛的な意味ではないのは分かってはいるが、互いを想い合う気持ちという点で、まだまだ及んでいないのではないかと。自分たちの気持ちに負ける所があるとは思っていないが、鉄心の中では不動の一番はあの次兄ではないかと。
「いやいや、勘弁してよ。家族への愛情とはまた違うだろう。俺が静流さんやエリダ様に嫉妬したら変だろ」
「まあそれはそうなんだけどさ」
美羽もメローディアも頭では分かっているが、どうにもモヤっとした気持ちを止められない。むしろ実の所、鉄心が自分の家族にまで嫉妬するほど自分たちに執着してくれたら、と考えないでもないのだ。鉄心は一つ、大きく頭を振って、話を元に戻す。
「て言うか、今はそれどころじゃないから」
見たところ、害はなさそうだが。鉄心は逡巡し、邪刀の方へ歩み寄る。それに触れたようとした瞬間、ふっと黒い光は消えた。それが鉄心には命の灯にも感じられ、
「……行かないと」
口をついて、そんな言葉が出ていた。
「行くって、どこへ?」
メローディアの素朴な疑問。鉄心は彼女らを振り返り、今から荒唐無稽な話をするが信じて欲しい、と前置いてから、ここ数日で度々見ていた夢の話をした。九層の奥、バイコーンたちの塒の中、そこに現れた扉、その先の小部屋と正体不明の繭。そしてソレからは懐かしい気配と、真摯(に聞こえる)に邪刀の危機を知らせる声。
聞き終わった妻たちは顔を見合わせ、たっぷり十秒以上は黙考した。やがてメローディアが渋い表情で口を開いた。
「それが……それが敵の罠ではないという保証は?」
「ありません」
鉄心としても、そんな物があるワケではなかった。ただ同時に、
「感覚の話で申し訳ないんですが、少なくとも邪刀は機能を停止しようとしてる。それは俺にも感じ取れてるんです」
そこの確信だけはあるのだ。故に、あの繭は嘘は吐いていないという信用にも繋がっている。
「であれば、何もせず邪刀を失うのは痛すぎます。それに邪正一如は二刀で一つ。邪刀が死ねば、最悪、聖刀も死ぬかもしれません。座視できません」
そんなことになれば鉄心の武器は新しく手に入った、ブラックマンバのみ。まだ十全にも扱えない、生来的に選ばれたユニークでもない銃一丁。命綱とするには、ひどく頼りない。何より幼少期から鍛え磨いてきた技も全て水の泡となれば戦力ダウンも致命的。彼の言通り、座視は有り得ない。
「今でなくてはダメなの? 乱獲派がこっちに居るという話だけど、そこでゲートを開いたりしたら目立つのではないの?」
それも大きな懸案事項ではあった。メノウは大人しくしておくのが吉と言うような口ぶりだった。相手の探知能力が如何ほどのものかは分からないが、しかし小型のゲートが一つ開いたとて、果たして分かるものだろうか。現に、連中が魔界にいる時にゲートを開いても気付かれた様子はなかった(アメジストに関しては例外として除く)ことを考えると、そう鋭敏ではないと睨んでいる。ホームである魔界で気付けないものを、人間界から察知される可能性はより低いのではないか、と。
そういう話を鉄心がするが、やはり二人は判断がつかない様子だ。
「やっぱり情報が少なすぎるというか。最悪でもメノウさんと連絡を取ってからの方が」
「まあそうだな。ノブを使いたいという話もしなくちゃならんし」
そこまで聞いて、メローディアはハッとする。
「前、ノブを返せと催促された時に渋ってたのは、これを見越してたからなのね?」
メノウからのメールに鉄心が難しい顔をしていたのを思い出していた。だがそうなると、催促は無視した挙句、約束を反故にして使わせて欲しいという虫の良すぎる提案は、果たして飲んで貰えるだろうか。
鉄心もそこは織り込み済みのようで、その横顔には少し酷薄な雰囲気が漂っていた。即ち、理解が得られなければ裏切りもやむなしという意思が滲んでいる。元より魔族との一時的同盟。本来は敵同士である以上、どこかで裏切るないし裏切られるという前提ではある。それが今、という判断なのだろう。だがリスクが大きすぎる。最悪は乱獲派もメノウたちも、まとめて敵に回すことになる。しかし同時に成功裏に終わった際のリターンが大きいのも事実。邪刀を復活させた邪正一如とブラックマンバ。完全無欠にダブルユニークと成り上がる。
成功するだろうという根拠は、鉄心の中にしかない。彼自身も言うように自分の感覚、もっと言えば直勘。だがそれに殉じられるからこそ、ここまで来たとも言える。時に論理や確率を度外視しても、己に正直であったからこそ、生き残れた戦場は数え切れず。
(何より)
妻二人、自身の下腹をほとんど同時に撫でた。
(この人は意外と強欲だ)
むざむざダブルユニークの高みを放って安定を取る人ではない、と。
それにそもそも安定、だろうか。今、大人しく控えておけば、確かに短期的にはリスクが低い。だが彼の感覚通り、邪刀ひいては邪正一如を失うようなことになれば、長期的には痛恨を通り越して正に致命傷。四層の四体から美羽を守り切れる確率は絶望的な数字にまで落ち込むだろう。
なまじ平穏な数日間を過ごしてしまえたから忘れがちだが、未だ戦時中という事実。それを少女二人は改めて再認識させられる心地だった。
鉄心は携帯でメノウの番号へ電話をかけている。数コール、しつこく更に数コール。留守番電話に切り替わった。鉄心は舌打ちをしながら、携帯をポンとベッドの上に放った。
「美羽ちゃん、例のノブはまだ持ってるよね?」
「……うん」
待つ気はないようだ。いよいよ、ということになる。美羽、そしてメローディアも、明確な意思を持って誰かを裏切るという経験は今までしたことがない。気は進まなかった。たとえ相手が魔族であろうと。
美羽は自室に戻り、例のズタ袋を持ってくる。残りも少なくなっているため、彼女でも片手で持てる重さだった。床に置き、中から一つ取り出す。が、どうも光沢が薄い。真鍮というより鈍色の金属だ。彼女が触って確かめる。
「うーん、ちょっと魔力が抜けてるみたい」
「え?」
鉄心が凍りつく。
「抜けてるとマズいのかしら?」
「私も感覚の話になりますけど、形を作り直すところからになるというか。多分、全部抜けちゃうとノブの形を維持できなくて、普通の魔鋼鉄になるんじゃないかな」
「……それは」
鉄心が焦った声を出す。邪刀が本当に失われてしまうかも知れない。あのアメジスト戦の最中を彷彿させるような、余裕のない顔だった。それくらい切羽詰まっているということか、とメローディア。だが美羽があっけらかんと、
「大丈夫、私の氣で補えるから。機能も補佐できると思う」
そんなことを言った。
「ほ、本当に!?」
鉄心が息せき切って訊ねると、美羽がコクンと自信ありげに頷く。鉄心はそのまま彼女の体を抱き上げ、いわゆるお姫様だっこをしてグルグルその場を回った。何回転かして降ろすと、その唇にキスをして、ようやっと解放した。
「もう、はしゃぎすぎだから」
と口では不平を漏らすが、顔は笑っている美羽。だがすぐに真剣な表情になり、ノブを包むように持ち上げ、瞑想するように目を閉じた。
「あ、ちょっと待ちなさい!」
メローディアが慌てて自室に戻り、グラン・クロスを持ってくる。
仕切り直して、美羽が再び瞑目してノブに氣を注いでいく。
やがてそれに淡い青緑の光沢が戻り、そしてそのままグニャリと一つ動いた。美羽はそれを床に置く。グニャグニャと例の動きが激しくなり、十秒ほど。ノブは扉の形へと変じていた。




