第82話:急ごしらえの覚悟
作戦会議をしていた美羽の部屋から廊下へと出た二人は、ガチガチに緊張したまま鉄心の部屋まで歩く。一歩そこへ近づくたびに心臓の鼓動が速くなっていくのを自覚しながら。
「……なんて言って切り出しましょう」
「そ、そうよね。いきなり抱いて欲しいなんて言ったら、はしたない痴女だと思われるわよね」
なんとノープラン。メローディアらしいと言えばらしいが。
「た、多分それは大丈夫じゃないですかね。だって私たち」
美羽が下腹部をそっと撫でる。
「ああ、そうだったわね。呪印があるから」
魔族もたまには役に立つな、と二人で緩く笑う。まあ、あのぎこちないキスの時から鉄心にもバレバレではあっただろうが。ともあれ、ダイレクトに誘ったとしても、はしたない痴女と思われることはない、というのは一つ安心材料ではあった。
「とは言え、やっぱり直截に言うのは恥ずかしいわ。ど、どうにか自然な流れで、そういう雰囲気に持っていけないものかしら?」
「うう。私に聞かれても、皆目見当もつかないですよ。私だって未経験なんですから」
「そ、そうよね」
ヴァージン二人、上手い駆け引きなど思いつくハズもなく。そうこうしているうち、鉄心の部屋の前に到着してしまった。一旦引き返して作戦を練り直すべきだと、美羽がメローディアの腕を引こうとして空振る。彼女の腕は持ち上がり、拳の背でドアをノックしていたからだ。
「ちょ!?」
美羽がその腕に飛びついたと同時、
「はい。どうぞ」
と室内から鉄心の返事が聞こえた。美羽からするとサイを他人に投げられた格好だ。
「え、ホントに、もう?」
相方の困惑を余所に、メローディアは部屋の扉を開け放つ。美羽はその横顔を見た。異様に気負った瞳、口元はピクピクと小さく痙攣している。あ、これダメだ、と直感する。
「て、鉄心! 私と子供を作って、この国に残りなさい!」
椅子に座って水を飲んでいた鉄心は、ペットボトルを取り落とし、膝から落ちた。口に含んでいた分もゲホゲホと床に吐き出してしまう。
「な、なにを、いっで……」
何とか言葉を紡ごうとするが、それで喉に空気が入り、更に咳き込む。条件反射的に転がっているペットボトルを起こして中身の流出を止めるが、既に床は水浸しだ。あの三層魔族アメジストが望んでも叶わなかった光景、薊鉄心の屈服、地を這いずる姿、それが今、こんな場所で展開されている。
メローディアも鉄心の悶絶を見て、やっと自分が先走りに先走ったことを自覚し、真っ赤な顔で俯く。美羽は大きく嘆息して雑巾を取りに行くのだった。
「おお、これは美味いな」
折角キッチンに戻るのだからと、プリンの入ったカップも盆に乗せ、戻って来た美羽。試食した鉄心は顔を綻ばせた。
「二人とも俺の為に、ありがとね。嬉しい。美味しい」
後半が幼児のカタコトのように聞こえ、美羽は微笑む。メローディアも状況を忘れ、その愛らしさについ手を伸ばして鉄心の頭を撫でた。惚れた男に手料理を褒められる多好感に二人とも胸が一杯になる。しかしそれも束の間。
空になったカップの中をスプーンが回る、カランという音が合図になったワケでもないだろうが、何とも気まずい沈黙が場を支配した。たっぷり時計の秒針が一周するくらいは経っただろうか、急に鉄心は二人を立たせたままな事に気付き、座るように勧めた。が、鉄心が使わせてもらっている客室では、室内でも筋トレをする可能性を考慮してテーブルが撤去されている。つまり、彼が座っている勉強机の前の椅子を除けば、座る場所などベッドの端くらいしかなく、
「あー」
と鉄心は頭を掻いた。それでも二人、おずおずと彼のベッドへ腰掛けた。それを見て鉄心は生唾を飲んだ。このまま座る二人をベッドの中央へ押し倒してしまったら。美羽の方は言質は取れていないが、この空気の中で逃げ出さずメローディアに倣うのだから、そういうことだろう。
改めて鉄心は美羽を見る。黒縁の眼鏡の奥、綺麗な二重、やや垂れ目。日本人にしてはシャープな鼻筋と、軽くリップを塗った瑞々しい唇。そこから視線を下げるとロングTシャツの前部をパツンと張らせる程の大きな乳房。その感触も味も、鉄心は知っている。あの唇に吸い付いて、そのまま下ってまたあの乳房を頬張るイメージが脳内を駆け巡り、慌てて視線をズラした。
ズラした先で、メローディアの美しい碧眼が潤んでいるのを見た。鉄心の半分ほどかと思うような小顔に、切れ長の双眸。熟練の人形師が彫ったような鼻の造形。形の良い唇は半開きになっていて、そこから少しだけ覗く歯列も整然として、パールのように白く美しい。あの小さな顔を片手で掴んで強引に唇を重ねたことを鉄心は思い出す。今度はそこから舌を差し込んで彼女のそれと絡め合うイメージが脳内を駆け巡る。
可愛い美羽、美しいメローディア。抱けば包まれるような豊満な肢体。抱けば折れそうな儚いカラダ。
胸の内にマグマを流し込まれたかのようだった。いつだったか、本家の会合の席、兄貴分たちの悪ふざけで度数の強い酒を飲まされた時のように、体が熱くて仕方なかった。
(……欲しい)
理屈を超えた欲求だった。メローディアを抱けば、貴族社会のしがらみにも無関係ではいられない。美羽相手にしても、完全に脅威が去っていない状況で体を求めるのはアンフェアだと分かっている。重々、分かってはいるのだ。だが、命懸けで守り慈しんできた、この魅惑的な少女二人の初めての男になれる。今、ほんの数歩先にその権利が転がっている。掴まないなんて本当に男だろうか、とそんなことまで考えた鉄心だったが、
「……鉄心」
メローディアに名前を呼ばれて我に返った。少し怯えた目をしていた。隣の美羽も怯えとまではいかないが、不安げな顔だった。
「……ふう」
鉄心は瞑目して、両手で自分の両頬を張った。パチーンと乾いた音が鳴る。次に目を開いた時には、幾らか理性の光を取り戻していた。
「その、ゴメンね。ちょっと先走った」
「……最初に先走ったのは私だから、その、こちらこそごめんなさい」
男のスイッチを入れてしまっておいて、いざとなると日和を見せるのは、いわゆる「生殺し」と呼ばれる状態を強いてしまう。メローディアもそこまで正確に男の生理を見抜いているワケではないが、強い忍耐をさせてしまったのは察しているらしい。
「二人は、えっと同じ気持ちなのかな? つまり、その、今日でないにせよ、将来的には俺と、その」
自分で言うのは、酷く自信過剰のようで恥ずかしいらしく、鉄心はしどろもどろだ。その様子を見て、美羽の方の覚悟が固まった。多少は彼の欲望には耐性がある自分が、受け止めてあげなくては、と。
「私はさ、お礼っていう言い方は変だけど、テッちゃんに喜んで欲しいし、私が気持ちよくさせてあげられるなら、したいよ」
今まで沈黙していた美羽が初めて意思表示したかと思えば、先のメローディアよりも生々しく行為について示唆したものだから、鉄心はイスの上で軽く仰け反った。
「……それは義務感とか感謝とか」
「感謝はもちろんあるけど、義務感ではないよ。嫌だったら自分から言わないってば」
美羽は落ち着いていた。鉄心は見覚えがある。厳しい戦場に臨む前、それでも最期まで戦い抜くことを決めたアタッカーはこういう顔をしている。明鏡止水の境地。
「多分、テッちゃんが思うより遙かに、私はテッちゃんのこと好きだよ」
「……な」
鉄心もメローディアも目を見開いて驚きを顕にした。流れるように、静かな告白。だからこそ、言葉に重みがあった。だが当然、平常心というワケではない。よくよく見れば、指先が微かに震えていて、それを気力で抑えつけているのが分かる。その気力の源とは、当然、鉄心への愛情だった。彼の一時の快楽の為に、自分の純潔を捧げる。それでも良いと。
「わ、私だって! 私だって鉄心の事、好きよ! 大好き! もうアナタ以外考えられないんだから!」
メローディアも触発され、叫ぶように思いの丈を吐き出した。
「どこにも行かないで欲しいのよ……」
最後は少し涙声だった。
「えっと……別にどこにも行く予定は無いですけど」
「嘘よ! 日本に帰りたくてウズウズしているんでしょう? 酷いわよ! こんな、こんな気持ちにさせておいて!」
「あー、やっぱり盗み聞きしてたんですね」
プリンを一緒に食べようと呼びに来たは良いものの、電話の内容が気になってこっそり戸を開けたらしい。二人はバツが悪そうに頭を下げた。
「アレは一時的な帰省の話ですよ。それも多分もっと先。それに沙織母さんも、ああいう風に言うけど、実際は帰れなくても仕方ないってのも分かってくれてます」
「じゃあ?」
「こんなに可愛い子たち置いて帰るワケないでしょ」
鉄心も胸が一杯になって苦しかった。そのまま衝動に任せて、ベッドに腰掛ける二人の間に膝立ちで体を割り入れ、二人まとめて抱き締めた。
「欲しい。ちょうだい」
メローディアの耳元に顔を寄せ、囁いた。メローディアはコクンと頷く。
「悪いけど、二人とも可愛くて仕方ない。どっちも欲しいから」
美羽にも顔を寄せ、頬にキスしながら言った。
「シャワー」
「ごめん、待てない」
鉄心は二人の体をそっとベッドへ押し倒した。




