第78話:掃除と寄付と
モールには当然エスカレーター、エレベーターが完備されているため、わざわざ階段で移動する客は皆無に近く、非常時の避難経路の役割以外にはその存在意義は薄い。そんな場所まで来て、一階分下がり、大きめの踊り場で相まみえる鉄心とボクシングチーム。
「三人まとめてで良いよ」
鉄心は手芸品店のレジ袋をそっと踊り場の隅に置いた。
「うわあ余裕じゃん。カッコいい」
囃し立てる男たち。鉄心は視線を上げ、360度動かした。監視カメラの位置を把握したのだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて、いっきま~す」
リーダー格ともう一人が、同時に鉄心へ殺到し、拳を打ち込む。どうやらボクシングをやっているというのは嘘ではないようで、確かに素人とは一線を画すスピードとキレのパンチだった。それぞれ鉄心の顔と腹にヒットした……ようにカメラの位置からは見えるだろう。
「なんか……アレ?」
リーダー格の男は言葉で違和感を発し、遅れて自身の拳が岩でも殴ったように傷んでいるのに気付いた。それと同時、パリンという音が鳴り、背後の監視カメラのレンズが割れ、そしてそのまま踊り場に落ちて来る。階段の手摺に浅く腰掛けて戦況を見守っていた少女二人は、察した。警備室にはとても見せられないショーが始まるのだ、と。
「いってええええ!」
腹を殴った(つもりの)方の男も右手の拳を、もう片方の手で包むようにして鉄心から離れた。骨は折れていないだろうが、関節の辺りが青く変色している。無理からぬことだった。平良の序列四位の十八番が一つ、聖刀・匣。その気になれば三層魔族の攻撃すら弾く鉄壁の絶技。究極に手加減して展開されているとは言え、三流ボクサーがどうこう出来る代物ではない。
「じゃあ次はこっちの番で」
そう言うや鉄心の体が沈み、腰の入った強烈なボディーブローの構え。男たちは躱そうと後ろに飛び退り、バチっと電気を浴びたような音とともに、背中が焼けるような痛みを味わった。
(檻は出るけど、キレがないな)
不可視の囲い。匣が外からの衝撃に対する技なのに対し、檻は読んで字の如く、対象を囲むように展開し、内側から触れると呪の力で以て弾かれる技だ。鉄心としては不服な出来のようだが、素人相手には十分な威力。
リーダー格の男は後ろからハンマーで殴られたかのように前方にたたらを踏んで、防御態勢も取れないまま、鉄心の力強い拳を腹に受けた。くの字に曲がった体のまま、膝をつく。鉄心はすぐさま体を戻し、もう片方の男に向かってミドルキックを放つ。こちらもクリーンヒット。バコッと鈍い音がして、男の体が吹き飛び、更に檻にブチ当たり、顔面に棘を刺されたような激痛を受ける。「あがっ」と呻くような悲鳴を上げたのは、彼だけでなく更にもう一人。向かって来なかった三人目、彼の周りにも檻を張っていたのだが、どうやらそこに自らぶつかったらしい。
「おいおい。仲間置いて逃げようとしたのかよ」
呆れたような鉄心の呟き。
床を這いつくばっている男二人の頭を上から匣で押さえつけておいて、鉄心はもう一人の下へ歩み寄って行く。
「ご、ごめんなさい! 俺らが悪かったです! 謝りますから! 謝りますから! ゆ、ゆるして」
「……」
鉄心は無言で彼の腹を強く蹴り上げる。他二人には拳と足を叩き込んでいるのだから、彼だけ無罪放免というのは如何にもバランスが悪い。その程度の意識だった。
踊り場に吐瀉物を撒き散らすその最後の男の足を鉄心は引っ掴みズルズルと曳行、他の二人と合流させ、同様に匣で地面とキスさせる。
「何と言うか……あっちの金髪の女の子が長いケース持ってるのは分かるでしょ? 明らかに長物が入ってるんだよね。そしてそんな物を持ち歩いている子が下にも置かない扱いをしている男が、普通なワケがないでしょ」
「あ、あだっがー」
口が上手く開けず、間抜けな発音だった。
「い、いだいいだいいだい」
匣の上に鉄心が座った。三人は口の中にメキメキと音が響くのを聞いた。メローディアも、暴力が苦手な美羽ですら、止めなかった。
「地味でパッとしないのはダメなんだろ? 良かったじゃん。今のお前ら、誰もが振り向くようなド派手な顔になってるぞ?」
「ずびばせんした」
「ゆるひて、ぐだはい」
鉄心は嘆息して匣から降りると、男たちの前にしゃがみ込む。そして髪の毛に手を伸ばし、ブチブチと引き抜いた。それを三人分。
「世の中には色んな人が居る。うだつの上がらないオッサンにしか見えない反社会勢力の幹部とかさ。みんながみんな、分かりやすい格好しているワケじゃないんだ」
引き抜いた髪を自前のジッパー付き小袋にしまう鉄心。念のためと、デートにまで持って来ていたハゲ呪術用品だ。
「まあ、これに懲りたら誰彼構わず喧嘩売るのは止めた方が良い。俺のように優しいヤツばっかりじゃないだろうしね」
次いで鉄心は彼らの尻のポケットから財布を抜き取る。もちろん、こんな不良共が持っているような端金が欲しいワケではない。バカは痛みを以て躾けないと治らないからだ。
「現金は寄付する」
短く告げ、ようやく鉄心は匣を消してやる。男たちは大きく咳き込んだ。首も少なからず圧迫されていたらしい。
「あとな、二度とこのモールには来るなよ? 次もし会ったら、こんなもんじゃ済まさないからな」
カード類だけが残った財布を三人に投げ、鉄心は冷たく言い放った。
多目的トイレに三人で入り、鉄心は肩掛けカバンを開けた。中から藁人形、小瓶。先程の小袋と合わせてハゲ呪術三点セットだ。
「多目的を謳っていても、まさかハゲ呪術の為に使う客が居るとは想定していないでしょうね」
「……まあ十中八九、無駄骨になるでしょうけどね」
鉄心はメローディアと話しながらも、テキパキと最適化された動きで呪術の準備を整え、人形に邪刀を突き立てた。氣を送り込むが、送る端から霧散していく気配。
「ああ、やっぱり。ダメかあ」
邪刀を鞘に納め、天を仰ぐ鉄心。ここまで落胆するとは思わず、少女二人はビックリする。やはり自分たちが思っている以上に、鉄心にとってハゲ呪術は大事な精神的支えだったのだと再認識する。
「で、でも使えないだろうなってのは分かってたんだよね?」
「それはそうなんだけどね」
例えるなら、湿った放屁をしてしまった時。ダメっぽいなと直感していても、パンツにまでは到達していないかも知れないという微かな希望を抱くも、しかし実際に脱いで見ると物の見事に炸裂していた時の感覚だろう。推定が確定になる瞬間は覚悟していても辛いものがある。
「キスしてみる?」
美羽の言葉に鉄心が顔を寄せる。美羽の方からチュッと軽く口付けた。昨日実験した結果、どうも美羽は魔界での度重なる氣の譲渡により、そのコツを掴んでいたらしい。上手く封に抵触しないように、体内から唇を通して分け与える事が出来たのだ。封印前から鉄心との結びつき(いわゆるパス)があったからかも知れないという仮説も立ったが、真相は分からない。全般的に、氣の授受関連は検証が足りていない。とはいえ実験の為に美羽の唇を知らない人間に委ねることは出来ないので、ここはずっとブラックボックスだと鉄心は思っているし、それで構わない。
何故かメローディアにもキスされた後、鉄心は漲る氣をジャブジャブ注いで術を試みるが、やはりダメだった。
「……そんなに落ち込むほど? 戦闘能力には全く関係ないでしょう?」
「それはそうなんですけどね。単純に不便なんですよ」
目顔で続きを促すメローディアと美羽。
「さっきの奴等にしてもハゲ呪術が使えるのなら、金まで盗る必要は無かった。相手に非があったとは言え、死体漁りみたいな卑しい報復措置です。その点、ハゲ呪術は人道的で、報復に最適な技なんですよね」
「……」
「……」
二人なら財布の金を抜き取られる方が、髪を奪われるより断然マシなのだが、鉄心があまりに自信満々に言うので、反論しづらい。
「まあ、本当にハゲ呪術が使えなくなったのが分かったのは収穫と言えば収穫ですけどね」
「……どうするの? 諦めるの?」
「いや、それは無いよ。メノウにせっついて、今はアメジストの家を漁らせてる。ヤツの呪術の概念が分かる資料があれば、突破口が開けるハズだ」
「……」
「それにハゲ呪術だけじゃなく、邪刀自体もやっぱ精彩を欠いてる。取り戻さないと」
鉄心は不発に終わった術の残骸、藁人形や空きの小瓶をビニール袋に入れ、口を縛る。それをカバンに仕舞うと、スライド式のドアを開けた。
「じゃあ行こうか」
「う、うん」
「どこへ?」
思わぬ邪魔が入ったが、まだこのモールでの用事は済んでいない。つまりデートは継続である。客観的に見れば結構ひどい場面に立ち会ったハズだが、美羽は思いの外、すんなり切り替えられている自分の心に驚く。
「まずは寄付ですね。あの三馬鹿は全部合わせても大した額じゃなかったから、少し俺も足そうかな」
500ゴルン。日本円にすると5万円程度だ。よくこれでメローディアを楽しませるなどと放言できたものである。
結局、変な目的で使ってしまった罪悪感もあって、多目的トイレを本来必要とする人々、障碍者施設への寄付を決め、銀行で振り込んだ。




