第74話:ラインズの不実
教室内のざわつきが収まる前に、前側の扉が開き、教員が入って来た。190センチを超える巨躯。スキンヘッドの強面に、鉄心とメローディア以外の生徒たちが気を引き締めた雰囲気があった。立っていた者も全員着席する。
「えー、リグス教諭が体調不良により、長期休養に入った関係で、本日は私が臨時でホームルームを担当させてもらいます」
ラインズ校長は低く落ち着いた声で話し始める。ゲート出現とその混乱の後という事もあり、リーダーの威厳を示すよう心掛けているのかも知れない。だが鉄心には全く関係のない話でもある。
「ハゲの代役でハゲが出てきましたよ? この学校、ミズダコ漁でもやってるんですか?」
ペットボトルに口をつけていたメローディアが盛大にむせる。鉄心の中傷はクラス中に聞こえていたらしく、校長の話も止まる。クラスの面々は彼がこの不届きな新入生へ雷を落とすことを期待したが、それはいつまで経っても実現しなかった。代わりに、鉄心の前の席に座る生徒が振り向く。赤毛にそばかす、鼻も少し低く、白人だがアジア系の顔立ちに近い少女だ。
「薊くん……それは無いんじゃない? ラインズ校長は私たちの避難誘導もしてくれたし、それに一体、腐敗狼を倒してくれたんだよ?」
「は?」
鉄心は別に脅すつもりはなく純粋に驚いた声を出しただけなのだが、ラインズでも注意出来ないほどの実力者に単音で返されると、相手はつい鼻白んでしまう。
鉄心はメローディアと顔を見合わせるが、彼女も初耳だったらしく、首を横に振った。二人ともゲートから出てきた腐敗狼は、メローディアが一体、その他は全て鉄心が駆逐したと認識している。鉄心が疑念に満ちた目でラインズを見つめる。すると目が泳ぎ、最終的に教壇の上に視線を落とした。
「えー、静粛に。今から臨時休校中の自習範囲についてのプリントを配ります」
(コイツ……マジか。手柄の捏造……)
隣席のメローディアが拳をグッと握り込むのを見て、鉄心はその手の上に自分の手をそっと重ねる。そして目顔で、堪えるように指示した。
ホームルームとは名ばかりで、本当に配布物を配り終えただけで放課となった。自習範囲のプリント、そしてその理解度をはかる為の問題集。鉄心は帰り支度をしている前の席の少女に声を掛ける。
「前の席の……えっと」
「え?」
振り向いた少女の顔は引きつっている。
「さっきの騒動の時はすいませんでした。怪我はありませんでしたか?」
騒動とはロレンゾが発狂した件だ。日本の学校より机同士の間は広めに取られているが、それでも彼が引っくり返った時、頭が彼女のイスにぶつかっていた。
「え? はえ? う、うん」
「それは良かったです。知ってると思いますが改めて……俺は薊鉄心。アナタは?」
「あ、えっと。レベッカ・アンダーソン。男爵家の長女」
レベッカは鉄心の想像外に慇懃な態度に、かなり驚いているようだ。彼も誤解されがちだが、普通に接してくる相手には普通に接し返す人なのだが。
「レベッカさんは、昨年の全学対抗戦で副将を務めてくれたのよ」
メローディアも口を挟む。彼女が教室内で話す数少ない相手だと言う。先の模擬戦でも彼女らがペアを組んでいたのを、鉄心も遅れて思い出す。三年生を示す赤いリボンと赤毛が記憶の片隅に残っていたのだ。
「……ごめんね。キミへの嫌がらせを止めさせるとかは出来なくて」
レベッカは殊勝に俯いた。今度は鉄心が意外に思った。しかし思い返せば、確かに前の席の女子生徒は一度も振り向いたことはなかった気がする。というより初日、あの下衆特有のニヤニヤ笑いを浮かべながら鉄心を見ていた人数は限られている。クラスの一部はイジメを止められない傍観者、という構図なのか。
「彼女を責めないで欲しいの。家の関係があるから、その」
「貧乏男爵だからねえ。会社の取引を止められたりすると」
世知辛い、と鉄心。顔を上げると周囲で様子を窺っている何人かと目が合った。彼らは慌てて俯き、そそくさと逃げるように帰って行く。気付けば、教室内には三人以外は誰も残っていなかった。
「情けないなあ。親の後ろ盾がなきゃ喧嘩も出来ないのか。取引もクソもない平民の暴力には立ち向かえない」
今の連中にしてもレベッカに鉄心がつくのが怖いのだろうが、介入できない。ロレンゾにしても愛してやまないメローディアが目の前で奪われていく様を見せられておきながら、一度跳ね返されただけでもう戦う気概は萎れきってしまい敵前逃亡。
「無理もないよ。たぶん何人かは察してる。キミ……あの時の平良の人でしょ?」
「……へえ」
「ちょ、ちょっと鉄心!」
良いの? と目顔で訊ねるメローディア。
「私は体捌きとか動きのクセとかで、そうかなって思った口」
人間は意外と顔だけでなく、立ち方や動き方なんかでも個人を識別していたりする。だがそれにしても、
「一回模擬戦で見ただけでしょ? よくそれだけで分かりましたね」
と鉄心は素直に称賛。恐らく目が良い。筋が良い。
「尋常じゃない動きしてたから。しかも透明のシールドなんて、なんで誰も騒がないのか意味が分からないレベルでしょ」
「そうよね! 本当にどれだけの研鑽を積めば出来るのか! 私たちが乗ったりも出来るのよ! それにそれに」
鉄心マニアのメローディアが興奮して捲し立てるが、鉄心がその頭を抱き寄せ「その辺で」と短く言うだけで家猫のように大人しくなってしまう。レベッカは苦笑。
「そしてメロディ様のそのご執心ぶり。明らかに並のアタッカーじゃないでしょ。他の連中は今の状況を見て察した部分が大きいと思う。まあ半信半疑くらいだろうけど」
「なるほど。まあ確信までは至らないわよね」
メローディアがホッとする。自分の態度から鉄心の正体が知れ渡るなんてことになったら、目も当てられない。
「安心してください。言いふらしたりはしませんから。私そんな命知らずではないので」
レベッカは勘も良いようだ。鉄心の危うさを感じ取っているらしい。
「それにしては、さっきはよく俺に苦言を呈しましたね」
「……校長に助けられたのは事実だから。情けなく逃げる事しか出来なかった私と違って、あの場で戦えた人全員にリスペクトは持ってるつもり。逃げてばっかの私だけど、これくらいは、って思った……いや、ごめん。ウソ。メロディ様がメチャクチャ仲良いみたいだから、最悪不興を買っても取りなしてもらえると思ったから」
後ろ暗いこともキチンと話してくれる辺り、鉄心はレベッカに対する信頼度を一段と引き上げている。だが、だからこそ、
「その、ラインズが一体倒したって話、レベッカさんも実際に見たんですか?」
ここも嘘偽りなく話してくれるだろうと思えた。
「ううん。私たちは校門の外に待機してあったバスに乗り込んで、遠くまで逃げた。その際に、校長が率先して誘導してくれていたのは見た。私たちを逃がした後で、北門にやって来た一体を迎え撃って倒したって話は事件の後で聞いたの」
「誰から聞いたのかしら?」
「父からです。保護者への説明で、教師がそう言っていたらしいです」
鉄心は思案顔。メローディアも形の良い顎に手を当て、中空を見やった。
「何か、変な事でも?」
「北門側は逃げるのに夢中で誰もラインズの動きを詳細に見ていた人は居なかった、って事で良いのよね?」
「え、ええ。そうなると思います」
そこまで聞き終えると鉄心は立ち上がって、携帯の蓋をパカッと開いた。オリビアの番号を呼び出し、通話に入る。歩いて席から離れていくので、レベッカも詮索はしない。自分が聞いてはいけない話なのだろう、と。
鉄心の通話の内容。学園に仕掛けたカメラの映像を確認して欲しいとオリビアに依頼していた。本当に一体討ち漏らして北側に向かった可能性もゼロではないが、まあ十中八九、浅ましい行為の証拠映像が出てくるのではないかと。
レベッカに礼を言って別れ、鉄心とメローディアは三階へ向かう。美羽にはホームルームが終わったら、そのまま待機しておくよう言ってあるのだ。
「ねえ、鉄心」
「何ですか?」
「……ごめんなさい」
階段に差し掛かった所で、メローディアが急に頭を下げた。突然の事に驚いて固まる鉄心。
「私、アナタが嫌がらせを受けている間、何もしなかったわ」
「え? ああ」
「レベッカさんとは違って、私には止められる力があったのに」
メローディアは震えている。嫌われる、軽蔑される。そう思うと怖くて仕方ないのだ。
「……面倒事で時間を取られて、光臨の練習に差し支えるのがイヤだった。これくらい乗り越えられなきゃ、どうせ貴族主体のアタッカー業界でやっていくのは土台無理。そんな言い訳をしながら」
レベッカが自分の汚い部分も告白したのに感化された所もあるのだろう。
「ちなみに去年はどうだったんですか? ああいったことは慣習化してる雰囲気でしたが」
「去年は私は一年生だから別教室で授業を受けていたわ。平民も居なかったから、嫌がらせなんて何も」
「ああ、そうでしたね」
平民の一年生のみ、いきなりあのクラスへ入れられ、何も答えられないのを笑い者にされるパターンだった。
「……」
消沈しているメローディアを鉄心は軽く抱き寄せる。
「許して……くれるかしら」
「ええ。怒ってませんよ」
昨年以前のイジメは関知していなかったという事実にホッとしたくらいである。感極まったメローディアは自分の頭を撫でる鉄心の手をそっと捕まえて頬擦りした。




