第66話:最奥へ
少し早いが夕食を摂ろうという運びになった。少女二人は悪夢の影響もあり、まだ食欲は乏しかったが、鉄心に諭された。地図で見れば最奥まで半分を過ぎた辺り。これから数時間は歩くことになるワケで、腹ごしらえは必須だろう、と。
例の如くカセットコンロと雪平で湯を沸かし、カップラーメンを作った。まず鉄心が食べ始めると、匂いのせいで少女たちもようやく空腹に気付けたようだ。生物を殺めようが、凄惨な悲劇を追体験しようが、それでも腹が減るのだから、人間の生存本能とは逞しい。
「美羽ちゃんは自分で食べて欲しいんだけどね」
鉄心は苦笑するが、どこか父性的な優しさが滲んでいた。二人が器を両手で持って、鉄心はそこに箸を突っ込んで麺を掬って食べさせる、という繰り返し作業が行われている。
「だって私だけあーんしてもらってなかったんだもん」
例の朝食事件を未だに覚えているらしい。
「それを言ったら、私だって胸を……いえ、その」
言いかけて口ごもるメローディア。自分だけ冷遇されているかのような美羽の口振りに少しイラっとして思わず口をついて出てしまったのだ。だが言わずもがな、美羽とのアレは氣の授受という大義名分があったが、メローディアが求めれば、それは単なるエッチなお願いだ。
「塩も美味いな」
「ちょっと、鉄心! 私のよ!」
変になりかけた空気を鉄心がおふざけのつまみ食いで変えてやる。引っ込みがつかなくなったメローディアがまた例の猪突猛進を発動させる前に助け舟だ。まあ実際、鉄心自身もメローディアに吸えと言われれば対処に窮するのもあるが。
そんなこんなで和気藹々と昼食を終え、食休み。
皆、例のキスの事は一先ず脇に置いておいて、今後の事を話し合う。
「メロディ様と美羽ちゃんは軽く仮眠を取った方が良いかな」
というのが鉄心の提案だったが、二人はあからさまに嫌そうな顔をする。
「そんなことしたら、私たちも悪夢を見るんじゃないの?」
懸念はそれに尽きた。美羽の言葉にメローディアも頷いている。
「いや。多分だけど、ヘイトは全部俺に向いているんだと思う。メロディ様がダウンした時も悪夢は見なかったでしょう?」
「それは……そうね。もし私も悪夢を見てたら流石にあの大群を生かしたまま進むという選択には否定的になったハズよ」
立案者の美羽が申し訳なさそうに縮こまる。だがメローディアの言う通り、催眠と悪夢の精神攻撃コンボの威力を知らなかったのだから仕方のないことだ。
「まあ、蒸し返す気はないけどさ。どんなに動物に似ているからと情けをかけても、ペットみたいに返してくれる事は基本的に無いんよね。二人も骨身に沁みて分かっただろうけど」
「テッちゃん……」
「鉄心、アナタそこまで考えて案を受け入れたというの?」
遠謀深慮の極みだ、とメローディアが感嘆しかけるが、
「いえ。多少は嫌な夢見るかなとは思ってましたけど、ぶっちゃけこんな覿面とは思わなかったです」
鉄心は軽い調子で否定する。ただ、あっけらかんと笑いながらも首を傾げている。
「でも俺と九層の実力差を考えると……妙なんだよねえ。術に対する抵抗力が低すぎる気がする」
傾げていた首を更に下げて、隣に座る美羽にコツンと頭突き。うわっと吃驚した声を上げる美羽。
「そんな顔しない。良い案だと思ったのは本当の本当だから。敢えて乗っておいて、悪夢を見た後に、ほらお前が甘いせいだとか、そんな底意地の悪いことは考えてなかったから。結果こうなったから、教訓にしようってだけでさ」
「でも……嫌な夢を見る事自体は覚悟してたんでしょ? ヘイトが全部自分に向いているの分かってたんだから」
「まあ、それはね」
「だよね。じゃあやっぱり私はノーマークだからグッスリ寝れるって言われても……そんなの申し訳なくて無理だよ」
「私もよ」
鉄心は困り顔。精神が疲弊していると肉体にも影響がある。申し訳なさ云々は飲み込んで、現実的な判断をして欲しい所だった。だが彼女らの言い分も分かるし、無理強いしてもそれはそれでストレスだろう。軽く息を吐いて、二人の顔を交互に見やる。
「本当に寝なくて大丈夫? 特にメロディ様は、その」
「……アナタのお兄様と同じよ。とても辛いし、悲しいけど、同時に誇りに思うの。勇姿を見られたのも、良かったと思っているわ。今際に病院で会話したけど、戦士としての最期は知らなかったから」
メローディアはそこまで言って改めて鉄心への感謝の念を新たにする。手術の後、医者が峠と言った夜、ほんの数分だけ意識を取り戻した母と最期の話が出来たのは、彼が守ってくれたからこそだ。
「……だけど、少しだけ甘えても良いかしら?」
そう言いながら、メローディアは返事も待たず鉄心の膝の上に乗ってしまう。ゆっくりと顔を近づけ、自分の唇で彼の唇を啄んだ。鉄心も何も言わず、右手を彼女の背に回し、左手で後頭部を優しく撫でる。
(もう普通にキスしちゃう感じなんだ)
ただ、ほとんど性的な匂いはせず、美羽も存外心は凪いでいた。
バードキスはすぐに終わり、鉄心の胸板に額をつけるメローディア。小さく肩を震わせてすすり泣く。詳細に知ったエリダの最期、たった一人で今まで気を張って生きてきた忍耐、そこに手を差し伸べた運命の相手、そういう彼女の境遇を思えば、美羽にしても嫉妬より同情が勝る。自分がもし今、母の静流を喪うような事があれば、誰に縋るだろうと想像してみれば、心に浮かぶのは一人しか居ないワケで、その事を考えれば、メローディアの甘えん坊もむべなるかな、といった所。
結局、食休みも兼ねた休憩は一時間以上に及び、再出発は夜七時になってしまった。
先程の場所を第二ベースとして荷物の大半を置いて、一行は更に奥へと向かう。入口から泉までは、おおよそ二時間程度。メノウの測量・製図能力が確かなら、泉から最奥までも同じくらいの時間が掛かる見込みだ。
三人、一列となって進む。先頭は鉄心。殿はメローディア。仮に後ろからナイトメアが追い付いてきたりしたら、必ず自分一人で対処せずに報告するように言い含めてある。正直な所、鉄心としては、メローディア一人だけ送還する案もあるにはあった。彼女がこの洞窟でやるべき事、独力で九層魔族を討伐するという目的は達したのだから、有体に言って御役御免だ。だが結局、彼女にも最後まで同行してもらう事に決めた。恐らく帰れと言っても聞かないだろうし、一個ノブを浪費するのも考えものだった。なので、最悪のケースが起こった場合は、何とか美羽がノブを作動させるまでの時間を稼ぐための人員として計算させてもらう。勿論、こういった思案と決定については鉄心の内にだけ留めておいた。
泉までと同様、目印の赤い布を石筍に点々と巻きつけながら、焦らず着実に進んでいく。ナイトメアの姿はない。全て入り口側に集められたという事だろうか。
「或いは、ここら辺には餓魔草の多発地点が無いようだし、そもそも泉より奥には居なかったって線も濃いと思うわ」
鉄心に甘えまくってメローディアも気持ちの切り替えが済んだらしく、観察眼、推察力ともに冴えているようだ。
「有り得ますね……っと。そうだった。ミウミウ?」
「うん?」
「多発地点の映像は撮ってたよね?」
「うん。見る?」
ビデオ、写真等の撮影係は美羽である。カバンをゴソゴソとやって、ピンクのデジカメを取り出した。鉄心とメローディアも足を止め、美羽の周りに集まる。動画の保存データを再生。少し画面は暗いが、餓魔草がポコンと地面から突然生えてくる瞬間を捉えている。その後、視点が上がり、石筍の表面から生えてくる様子も撮れていた。証拠映像としては十分だろう。
「こっちの動画は?」
「これはメロディ様が段差に蹴躓いて転びそうになっている場面ですね」
「消しなさい」
「でも。奇跡的なタイミングだったんですよ?」
「消しなさいったら!」
メローディアが美羽を後ろから捕まえてデジカメを奪おうとする。
「このモチモチダヌキ!」
「モチモチダヌキ!?」
じゃれ合う二人を尻目に、鉄心は自分のリュックを下ろし中から別のカメラを取り出した。
「メロディ様。これを」
「え?」
やっと奪えるかという所で声を掛けられ、メローディアが脱力してしまい、その隙に美羽がするりと拘束を抜けた。鉄心が持っているのは耳に掛けるタイプのウェアラブルカメラだった。
「記録なら私が……っていうかそんなカメラもあったんだね」
「美羽ちゃんはメット被って眼鏡かけて、その上から着けたら耳痛くなるよ。というかアタッカーが着けた方が良いんだ」
「どういうこと?」
「ほら、変異種が居るってメノウが書いてただろ? ガセじゃなきゃ新種だと思うんだよ。撮っとかないと」
「なるほど。それで動きが速かったりしたら、トロくさい美羽では捉えられないだろう、と」
「むぅ。でも私たちには無害だとも書いてましたよ? 動かないんじゃ」
「いや。それも眉唾だよ。何の根拠があってって話だ。なんで、これはメロディ様で」
鉄心が手渡す。この後、このカメラは想像を絶する光景を収めることになるのだが、この時の三人は知る由も無かった。




