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善悪二刀  作者: 生姜寧也
第2章:魔窟恋路編

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第63話:追憶の悪夢(後編)

 土地勘の無さに加え、逃げ惑う人々の波。喧騒が無線機からの指示を掻き消し、有り体に言って鉄心は軽く迷子になっていた。第三者が見れば「何を呑気な」と思うかも知れないが、実際の市街戦ではよくあることだ。

 既に一体サイクロップスを討った後だが、残り二体いるという情報を得ている。早急に現場に向かいたい所だが、難航していた。祝の力をフルに巡らせた身体でビルの屋上から屋上へ飛び移り、しかし倒壊が多く、すぐに地上へ降りなくてはならなくなる。そして降りれば今度は人波と喧騒。

「クソ!」

 鉄心が悪態をついたその時、ドーンと大きく地面が揺れる。遅れて遠くから喝采のうねりが聞こえてくる。善治が竜を討ち落としたのだ。

 そしてすぐ付近でも別の大音声だいおんじょうが聞こえた。悲鳴とも歓声ともつかない、何人もの叫び声。ポケット地図を懐にしまい込み、急行する。

 人波を掻き分けた鉄心が見たのは、倒れたサイクロップスに銀髪の偉丈夫が馬乗りになり、巨大な一つ目にやじりを突き立てている場面だった。瞳は七層魔族の頑強な体の中で最も柔らかい部位ではあるが、それでも脳まで貫通させることが出来ずにいた。見れば銀髪の男、クリス・ゼーベント公爵は既に片足があらぬ方向に曲がっており、脇腹からの出血もおびただしい。力が入らないのだ。アレは助からない、と経験則から瞬時に判断した鉄心は、それでも御遺体が激しく損傷しないよう、加勢へと走る。

「エリダ! 私ごと殺れ!」

 クリスが嗄れ声であらん限りに叫んだ。ギョッとして鉄心が周囲を見渡すと、幽鬼のようにユラリと起き上がる姿があった。エリダ・シャックス公爵だった。豊かな金髪は赤黒い血でベッタリと汚れ、美貌にも傷が幾つも走っている。そして片腕がない。クリス同様、血を失い過ぎている。汚れていない部分の皮膚は真っ白だった。

(こっちも……多分助からない)

 鉄心は進みかけていた足を止めてしまった。分かってしまったのだ。これが即ち、両公爵の、民を守って身をなげうった偉大なる英雄たちの、最後の首級になると。そこに自分が加勢し、横から手柄を掻っ攫うような真似は……出来ない。何を悠長な、確実に殺すなら鉄心が動くべきだ、というのは正論ではあるが、それはただ正しいだけだ。

「あ、ああああああ」

 魂が軋むような鬨の声を上げた。これほどの胆力が死に体の彼女に残っていたというのか。陽炎のように立ち昇る金色の氣のうねりが名槍を覆う。そして、恐るべき速さで駆けた。クリスを屠らんとサイクロプスの瞳が熱を帯びていく。光線の予備動作だ。銀髪の公爵は手を焼かれている。だが微動だにせず、体全てで魔族の巨躯を抑え付け、矢も手放さない。ここに縫い付けるという意志だけで体を動かしているのだ。常人ならとっくに動くハズのない体を。


 ――――そして。


 グラン・クロスは銀の英雄の胸を真後ろから貫き、そのまま魔族の巨眼をも貫き、地面まで切っ先を届かせた。串刺しである。

「人は負けない! ゴルフィールは死なない! 貴様らに奪える誇りなど一つも無いと知れ!!」

 勝ち鬨と呼ぶにはあまりに凄絶で、いっそ呪詛のようですらあった。

 そのまま気を失ったのか、或いは絶命したのか、エリダの体は前のめりに倒れる。クリス公の背中に覆いかぶさるように……その英雄たちの体に、最後の足掻きとばかり、振り回したサイクロップスの巨腕が迫る。圧し潰される、という所で、空中の一点に弾かれた。透明なシールド。

「やらせるわけねえだろが……! そのまま大人しく死んでろ」

 鉄心に出来る唯一の手向けだった。サイクロップスは弾かれた腕をそのままアスファルトに叩きつけ、そして今度こそ動かなくなった。周囲に居た民衆(彼らも鉄心からすると避難しておけという話だが)から歓声と悲鳴が上がる。救護班がすぐさま駆け寄り、二人の体を担架に乗せた。道を開けろと大声で制しながらオーディエンスを掻き分け、救急車に乗せて走り去った。奇跡が起こればエリダの方は助かるかも知れない、というのが鉄心の診立てだ。無宗教の鉄心に祈る神など居ないが、それでも両手を合わせて瞑目した。



 地獄が広がっている。

 ネズミに噛まれて重篤な感染症状を皮膚に浮き上がらせた少女が息絶えて地面に倒れ伏したかと思えば、それを踏み越えて逃げ惑う人々に三体目の七層魔族の光線が直撃した。光が晴れると、手を繋いで逃げていた妻の、その手だけが残っていて、それを抱えて呆然とする夫。光線が直撃したビルが倒壊し、走馬灯すら見る暇もなく瓦礫の下敷きとなって即死した青年。錯乱して意味不明なことを叫びながら燃え上がる炎に自ら飛び込む老婆。

 遅れてやってきた鉄心が三体目、最後の七層魔族を討ち果たした後に残っていたのは大量の死体、血溜まり、慟哭、啜り泣き、肉の焼ける匂い。

「こちら三。父さん、七層の二体は討った。一体は、前に平良に短期武者修行に来てた公爵様……エリダ様だったかな。あの人たちが討ったみたいだ」

 鉄心は殆ど絡みは無かったので、金に輝く槍を振るっている姿を覚えているくらいだったが、確かに両者は以前に一度会っていた。

「父と呼ぶなと何度言ったら分かる……まあいい。撤収の準備を始めろ」

 善治はこの末の三男坊が修羅場でも家の居間で呼びかけるように自然と「父さん」と呼ぶのが薄気味悪くて仕方なかった。戦場の恐怖を知らないワケでもなく、己が才能を過信しているワケでもなく、本当に自然体なのだ。こういった鬼才がたまに居るのは知っているが、まさか自分の息子がそうだとは。

「了解。きぃ兄は?」

「……」

「きぃ兄?」

 鉄心が怪訝な顔でもう一度呼びかけるが、やはり返事がない。

「薊の一と三。至急、二の援護に迎え。マズイことになっとる」

 割り込むように総指揮のミーシャ・ゼーベントの無線が入る。息子クリスの殉国の報は聞いているだろうが、気丈であった。

「マズイこと?」

「……五層の小型翼竜がもう一体おった」

「は?」

 思わず間抜けな声を出した父を放って、鉄心は弾かれたように駆けだしていた。



 貴一は南東アックア地区の貧民街からネズミを駆除しつつ、北上を続けていた。市の東端に到達した辺りで、異変に気付く。どうも人の流れが激しい。西から逃げてきているようで、そのままグランゴルフィールを東に抜けようとしていた。一人を捕まえて話を聞くが、「ドラゴンが!」と怒鳴るように言うだけですぐに走り去ってしまった。貴一が西の空を見上げると、凄まじい速度で東進する翼竜の姿があった。その竜は貴一らを飛び越え、市境あたりにホバリング、反転するや体内で練り上げた黒い塊状の魔力を吐き出した。広範に撒かれたそれらに、人々が次々と薙ぎ倒されていく。この個体と善治が討った個体の二匹で、牧羊犬のような真似をしていたらしい。追いかけ回した獲物たちが外へ逃げ出そうとすれば、今やっている通り、回り込んでまた市内へ追い返すという繰り返し。

「ふざけろ!」

 貴一は銀糸を展開し、無事な建物の柱や街路樹の間に張った。日頃の鍛錬のほどを窺わせる早業だった。黒い魔力の塊はピンと跳ね返され、幾つかは竜自身にぶち当たった。耳障りな「ギャギャ」という鳴き声を発し、瞳に怒りの烈火を宿す。

(いける!)

 父や弟のような攻撃力は無いが、彼には相手の攻撃手段を封じる手立てがある。持久戦になったなら、援軍の到着を待てる自分の方が圧倒的に優位だ。父と弟どちらが来ても鮮やかに仕留めてくれるだろう。こういう考え方の時点で、自分はアタッカー向きではないのだろうなと貴一は心中で自嘲するが、何にせよ勝ち筋が見えた。人々も元来た道を辿って西へ引き返していく。後は自分が援軍到着までここに竜を釘付けにしておけば。貴一に一瞬の慢心が生まれた時、

「あ!」

 避難する人波に飲まれ、或いは大人たちに押しのけられ、幼い姉妹が顔から転ぶ姿を見てしまった。母親らしき女性が助け起こそうとするが、周りの者は誰も手伝わない。殆どが気付いてすらいないのだろう。嫌な予感がして貴一がすぐさま振り仰ぐと、竜の口が角度を変え、その少女たちへと照準を合わせるのが見えた。マズイ。周囲を見渡し、折れ曲がった標識と街灯の間に銀糸を渡す。張り終えたと同時くらいに竜の魔力塊が飛来し、その網に引っかかる。たわみ、天へと弾き返す。しかしそこに竜は居なかった。貴一の視界が暗くなる。竜の体が彼の直上に移動したせいで生まれた影だった。あ、と気付いた時には竜の急降下と巨躯を使っての圧し潰し。辛うじて前転で避けようとした貴一だったが、着地と同時に振り払われた尾がまともに彼の背中を打ち付けた。ピンボールのように弾けた青年の体は、倒壊したビルの壁に打ち付けられ、その衝撃で更に崩れた瓦礫の山がそこへ降り注ぐ。貴一は自らの致命傷を悟りながら、それでも何とか糸を張り巡らせ、下敷きを避ける。弾いた瓦礫が周囲に飛び散り、辺りは白い煙がモウモウと立ち昇っている。

 鉄心が駆けつけたのは、その時だった。 

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