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善悪二刀  作者: 生姜寧也
第2章:魔窟恋路編

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第62話:追憶の悪夢(前編)

 ルウメイ皇国の不実に端を発したアックアの大虐殺が起こって三日後、薊家の三人がゴルフィールの地に降り立った。薊家当主の薊善治あざみよしはる、次男の薊貴一あざみきいち、三男の薊鉄心あざみてっしんの親子三人である。彼らが揃い踏みで一つの戦場に立つのは初めての事だった。そして……最後の事となる。

 善治は齢五十に近づいてなお筋骨隆々の大男だったが、忍び装束を纏うと不思議と影のように目立たなくなる。鉄心と同じく特徴の薄い顔立ちも、それに拍車を掛けているようだ。貴一の方は母親似の顔立ちだった。シャープな輪郭に切れ長の二重、鼻梁も整っており、美青年と言って差し支えない。茶色く染めた猫毛の上から御高祖頭巾を被って、大惨事の起こるアックア地区を睨んだ。

「きぃ。お前は十一層のネズミどもを駆除しろ。民間人の保護、誘導も頼む。俺は五層を殺る。テツは七層を全部殺せ」

 善治は低い声で短く言った。

「待ってくれ! 俺とテツは反対だろう。まだコイツは中学上がったばっかだぜ。危険すぎる」

 異議を唱えたのは貴一。七つ歳の離れた弟を案じるが、

「お前も分かってるだろ。テツは物が違う。既にお前より強い」

 と冷徹な返事を貰う。ここまで直截に言うのは指揮官として。親子の温情が却って貴一を殺すと重々理解しているが故だ。

「きぃにい。ありがとう。けど大丈夫だよ。それに十一層のネズミは糸の方が殺りやすい」

 鉄心も微笑んで兄の優しさに応える。鉄心は、この鉄火場にはあまり向かない優しすぎる性格の兄をとても慕っていた。ただ本心ではアタッカーではなく、もっと他に彼に相応しい道があると常々思っていた。それを告げておくべきだったと今も後悔することがあるくらいだ。伝えていたとして、未来は変わらなかったかも知れないが。



 三人、影に溶け込むように散開する。貴一はアックアの中でも特に貧しい人々が住む、古い住宅街を走り回る。長屋のように狭い家屋が櫛比しっぴする区画で、住むのも殆どが年寄りだった。最大の被害を出した区画でもある。

「誰か、誰か残っていますか!?」

 呼びかけながら目を皿のようにして、住居の中や路地を探しまわる貴一。既に事切れた者たちの遺体は天に昇るように浮き上がり、そのまま空に浮かぶゲートへ吸い込まれていっている。貴一はこれを見る度いつも思う。この世の終わりみたいな光景だと。

 隣の区画から多くの遺体が昇っているようだ。既にこの区画は殆どの人間が息絶え、死体も回収されたということだろう。貴一はゴーストタウンと化した街を振り返り、心の中で合掌する。

 十一層魔族、キラーラット。体長、重量は普通のネズミと大差なく、特別に攻撃力の高い爪や歯はない。一匹の駆除など魔導具を持つ者なら誰でも可能なレベルだ。だが毒持ちであり、更に厄介なことに、個体ごとに持つ毒が違う。全部で三種類が確認されているが、いずれも致死性である。凄く弱いが噛まれるとマズイ、という種だ。もちろん三種全ての毒の解析は済み、特効薬はあるのだが、症状が全て似ており、視診ではどの毒に冒されているのか判断がつかない。つまり確実に治そうと思えば三種の特効薬すべてが必要になる。病原体を検出して顕微鏡で見れば分かるのだろうが、大抵そんな悠長なことをしている暇はない。キラーラットは今回のように大量に現れ、手あたり次第に噛みつき、爆発的に被害を拡大させるケースが殆どだからである。しかも今回に関しては、ネズミがヒットアンドアウェーしやすいような入り組んだ構造の寄り合い所帯に、高齢者が多く住むという悪条件が重なり、被害規模を甚大なものにしている。

 貴一が今まさにネズミが狩りを続ける隣区へと飛び込む。彼自身(もちろん父と弟も)は現地入り前にワクチンを打っているため、防御にそこまで気を割く必要は無い。手に嵌めた銀のゴツいブレスレットを一撫でし、氣を送り込むと、それはすぐさま解けて銀糸へと変じた。するすると包帯のように解ける先から糸へ変わり、巻き戻せば金属の輪に戻る。彼のユニーク「アトラク・ナクア」、十五年来の相棒である。

 銀糸を方々へ巡らせ、柱や木戸などに巻き付け、ピンと張る。あとは走り回るキラーラットが勝手に罠にかかって細切れになるという寸法だ。その間に貴一は、まだ息のある人間を探すことにする。いや、探すまでもなく、あちこちから低い呻き声が聞こえてくる。最も手近な、木造アパートの階段を這う小さな人影へ駆け寄った。小学生くらいの男児だった。こちらの区画には高齢者以外にも水商売で糊口を凌ぐシングルマザーなども住んでおり、その世帯の子供だと思われる。黒い疱瘡ほうそうが肩口から指先まで帯状に広がっている。喀血かっけつもあるようで、段板の上に赤黒い液体が染みついている。貴一が何か声を掛ける前に、少年は最期に瞳孔を苦痛に見開き、鼻から大量の血を流し、動かなくなった。

「……こちら薊の二。要救助者が大勢います。別区画への移送、医者と薬をお願いします」

 薊の各人に渡された無線機。努めて感情を押し殺した声で要請する。外部者との共同戦線の場合、番号で名乗るのが薊の仕来りだ。個を殺す、その為に。だが貴一は今それが出来ているかは自信がないし、現に声を聞いた家族の二人は嫌な予感がしている。修羅場にあって余りに情が深いと、それに足を取られ、引き摺り込まれる。奈落へ。

「核心人材の分しか用意できておらん。近隣各国に援助を要請しておるが、まだ届かぬ」

 答えたのは作戦の指揮を執るミーシャ・ゼーベント前公爵。つまりクリス・ゼーベント公爵の母親だ。かつては勇猛で鳴らした大戦期の英雄でもある。

「……少しでも、分けてもらう事は出来ませんか?」

「……王命である」

 歴戦のおうなをして強いて硬い声で突っぱねなくてはならない程に余裕がない状況なのだ。命の選択、その罪を背負うと王も彼女も言っている。

「二。まずはネズミの殲滅を最優先にしろ」

「まだ生きている人達も絡めとってしまうかもしれ」

「呑め」

 父の静かな一喝だった。貴一も頭では分かっている。薬が足りない。命に優先順位がつく。あぶれた命はいずれ徒花。手折ることによって、優先した命を守れるなら躊躇う意義はない。全く命の価値は平等ではないのだ。

「……了……解」

 貴一は無線機を持ったまま、ダラリと力なく腕を下ろした。もう片方の腕、ブレスレットが輝く。銀糸は更に伸び、人の多い通りにも、または人家の中にも伸びていく。「ああ」と呻きのような声が彼の口から漏れた。

 いつか自分も父のように鈍磨するのだろうか。弟のように殺人も活人も等量振りまく狂気を身に着けるのだろうか。その前に心が壊れる未来が来るだろうか。或いはその前に逃げ出し別の道を選んだら家族は何と思うだろうか。貴一には何も分からなかった。



 五層魔族の小型翼竜。赤黒い鱗が首前面と腹以外の全身を覆い、七層サイクロップスと比肩する防御力を誇る。その硬い鱗がびっしりと生えた尾の薙ぎ払いは強力無比。建物の倒壊はほとんど、このテイルアタックとサイクロップスの光線によるものだ。

「こっちだ。トカゲ野郎」

 善治が討伐中だ。縄跳びのようにタイミングよく尾を飛び越え、華麗に着地を決めるや否や、右腕を野球の投手のように振り抜く。ただし投げるのはボールではなく、クナイ。翼竜も短い手を器用に動かして、そのクナイを爪で弾いた。だが……その土手っ腹から鮮血。「ギャギャ」と耳障りな鳴き声を上げるも、未だ自分の身に起きた事態を受け止め切れていない様子だった。

 幻想苦無げんそうくない。善治のユニークである。実体のある魔鋼鉄のクナイと、氣で作った透明のクナイ、両方を操って幻想苦無。本人の言うには、実体のある方は、クナイであり鋳型のような感覚で、そこに氣を流し込むと瓜二つの物が出来る、ということだが。ちなみに、これに着想を得たのが鉄心の「鎌鼬」だが、精度は父の後塵を拝する。

 竜が騒いでいる間に、弾かれて遠くに落ちていたクナイ(実体)がするすると善治の手元へ戻る。氣の糸でクナイと指を繋いでいるのだ。これも鉄心がコピーを試みているが、練達の技術には未だ遠い。

「さて、そろそろ飛ぶか?」

 善治の読み通り、翼竜はその場で羽ばたき始める。身体を丸め、足で地面を蹴った。強い風が善治の忍び装束を揺らす。そしてホバリングするように空中に留まると、竜は大きく息を吸い込んだ。炎とはいかないが、魔力の塊を放てる。鋭利に加工する技術の無い「鎌鼬」の塊と考えると理解が早い。加えて無色加工の技術も無いので、黒色がついている。つまり、平良の上位序列者なら避けるのは大した難易度ではない。だがその塊をぶつけられた建物の倒壊に巻き込まれたり、足場が悪いと避けきれない、という事態も十分に起こり得るため、決して侮ってはいけない技だ。

 だが海千山千の善治は流石だった。ギリギリまで引きつけ、一気に駆けた。逃げるのではない。竜の直下、即ち前方へ走り込んだのだ。そしてそのまま有りっ丈のクナイを生産し、天へ乱れ投げた。竜の腹へ刺さる。刺さる。刺さる。あっと言う間に翼竜の腹は剣山の様相。

 竜は堪らず絶叫し、やがて翼の動きも止まり、地面に落ちてくる。善治は既に避難している。巨体が地面に激突する凄まじい音を以って、五層魔族の討伐を全軍に知らしめた。

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