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善悪二刀  作者: 生姜寧也
第1章:学園防衛編
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第6話:恋心の萌芽と選民意識と

 松原美羽は保健室のベッドで横になっていた。転んだ時に少し足を捻っただけなのだが、大事になってしまった。学園としては貴族側へのアフターケアで手一杯のところに、当事者の美羽にまで被害を訴えながら出歩かれては困るのだろう。半分隔離のようなものである。ちなみに当のイザベラは早退し、病院へ行った。

 美羽はベッドの上で仰向けになり携帯電話の画面を掲げ、昼休みに交換したアドレス、「薊鉄心」の名前をぼんやり眺める。

「カッコよかったな」

 自分の不注意が招いた事態なのは分かっているし、それの尻拭いをさせてしまっているという申し訳なさで縮こまってしまいそうな気持ちも当然あるのだが……それでも心の奥底から湧いてくる一番正直な感慨は、憧憬だった。

「あれがアタッカー」

 断じてイザベラではない。彼こそが真のアタッカーだ。大戦期の誇りを受け継ぐ真正なるアタッカーだ。誰かを守るために立ち上がり、敵を一瞬で制圧し、必要以上の暴力は振るわない。

 正直、美羽の目では何が起こったのか完全には理解していなかったのだが、彼が左手につけていた銀のいかついブレスレットこそが魔導具で、あれを媒介にして見えない盾のようなものを展開し、イザベラの刺突を弾いた、というのが周囲の反応や囁き声から知れた。ただ彼女の脳裏に焼き付いているのは戦闘の終了、彼が左手を振ってブレスレットの光を消した姿だった。まるで刀身についた返り血を振り落としたような仕草だった。それはいっそ荒々しく、平時の美羽は男性のそういう部分を見ると、忌避感を覚えてしまうタイプなのだが、彼に限っては吸い寄せられるように見入ってしまった。変な言いようだが、美しいとさえ思った。目にも止まらぬ居合一閃で敵を斬った後、残心から納刀まで敢えて緩やかな軌跡を描くような。そういう美しさを感じた。美羽は彼の本来の武器が刀であることを察知したワケではないが、それでも彼に侍の雄姿を見たのだった。

 美羽は横を向いて目を閉じる。それでも瞼の裏に浮かんだ彼の逞しい背中は消えてくれない。そして不意に、本当に急に、どさくさに紛れて言われた彼の言葉を思い出す。「美羽ちゃんの方が可愛い」という言葉を。

「……っ」

 慌てて枕に顔をうずめる。誰も見ていないのに、顔を晒していられなくなった。全身が熱くなる。首元にも汗をかいているのが分かる。

「これって、やっぱそうなのかな」

 自分は引っ込み思案で、奥手な性格だと自覚しているし、将来のそういった展望に関しても、大人しい男性相手にゆっくり時間を積み重ねて、恋というより愛情のようなものが芽生えた時に結婚をするんだと漠然と思っていた。それが今日初めて会った男の子に強引に一方的に火をつけられるなんて思いもしなかった。

 そして同時に直感している。この気持ちを育てていくのは危険だと。荒事に詳しくない美羽でも、彼の動きが明らかに同年代とは思えないレベルで洗練されているのは分かる。要するに呼吸のような自然さで力を振るえる程に戦い慣れている。住む世界が違う。自分たちに向けてくれた優しさに偽りがあったとも思わないが、同時に不実な者には躊躇も呵責もない厳しさもまた紛れもない彼の本質だろう。恐らく気持ちを育てても、追いかける恋になりそうで、その片思いの苦しみを耐えてなお追い続けるだけの覚悟は今はまだ持てない。だから今はただ。芽生えかけた想いに気付かなかったフリをして。

「テッちゃん……大丈夫かな」

 顔を覆っていた枕をそっと胸にかき抱きながら、友達として彼を案じるのだった。



 薊鉄心はサリー先生に連れられ、職員室で軽くヒアリングを受け、その後、隣の生徒指導室へと通された。先にソファーに座っている者が居た。スキンヘッドで強面の男だった。やおら立ち上がり、鉄心をやや見下ろす形で、

「この学校の校長をしている。ラインズだ」

 自己紹介した。鉄心も見上げ返す形で(鉄心も180センチ以上あるが、それより15センチ近く高い大男だ)自分の所属と名前を言った。ガラステーブルを挟んで奥側のソファにラインズ校長が座り直し、手前側のソファに鉄心とサリー先生が並んで腰かけた。

「さて。割と困ったことをしてくれた」

 睨むとまではいかないが、鋭い視線を対面に座る鉄心へと投げかける。

「状況は既に聞いているが、当事者の君の口からも改めて説明してもらいたい」

 説明を求めているというより、厳罰は確定だが、申し開きや謝罪があるなら聞くという態度だった。鉄心は軽く瞑目し、隣に座るサリー先生の表情は強張っていた。そもそも彼女はこの校長が苦手だった。まず風貌も怖いし、性格にしても、情が薄いと感じる事が多いからだ。だから続く鉄心の返答に、彼女は気絶するかと思った。

「説明が欲しいのはこっちだよ。何だあの入れ込みすぎた駄馬みたいなのは。この学校の貴族があんなんばっかりだったら、ゲートが出ても平民の俺の言う事なんか聞かねえんじゃねえか」

 まさかここまで堂々とタメ口で歯に衣着せぬ物言いをするとは校長も全く思っていなかったらしく、口をパクパクと金魚のように動かすだけで、二の句が継げぬようだった。

「……あまりに失礼じゃないか」

 ややあって、ようやくそれだけ絞り出す。

「誰が誰にだよ。あの女が松原さんにした土下座強要のこと言ってんのか」

 事ここに至って、サリー先生はようやく鉄心が静かに激怒していることを理解した。鉄心自身も驚くほどの怒りが自分の中に渦巻いているのを頭の冷静な部分では自覚していた。美羽に対する名状しがたい愛着が衝き動かしているとも。

「お前の物言いに決まっているだろう!」

 激高し、テーブルを叩いて立ち上がったラインズ校長の前には……斜め向かいにサリー先生が怯えた表情でちんまりと座っているだけだった。僅かに蜃気楼のように揺らいで消えた鉄心の残像を、目が追いきる前に、ラインズ校長の首筋にヒヤリと冷たい何かが当たった。「自分はここで死ぬ」と天啓が下りたように理屈抜きで悟った。

 だが、そこまでだった。彼の背後から伸びて首筋にピタリと当てられていた刀が、スッと引かれた。引き抜く際に少しだけ彼の首の皮を掠めただけだった。漆黒の鞘に銀の煌めきがゆっくりと飲み込まれていく。全て納めると漆黒の柄と鞘の境目が消え、一本の完全な闇のようだった。鉄心の魔導具・二刀が片割れ、邪刀。

 ラインズ校長は時を止められたかのように微動だに出来ずにいたが、鉄心が背後から離れると、膝から崩れ落ちた。ひゅーひゅーと過呼吸のように息をしている。引退したとは言え、かつては勇猛でならしたアタッカーだった彼をして、これほど鮮明な死の予感は初めてだった。

「暴力で解決するってんなら、こっちも大歓迎だけど……そんな禿げた頭で勝てるほど俺は甘くないよ」

 悠々と歩いて、ソファーに座り直す。隣のサリー先生は蒼白な顔で、まんじりとも動かなかった。

「何か勘違いしているみたいだから言っておくけど、俺はこの国の女王陛下直々に請われてやって来た人間だよ。ガキだからって、別にアンタらの生徒でもないし、指揮下にもない。そんなに身分が大事なら、今から王城に行って女王の客分の肩書でも貰ってこようか?」

「……」

「で? 説明がまだのようだけど? 貴族連中があんなんで、俺の、女王直々に御指名賜った俺の、仕事の邪魔にならないか? って聞いてんだけど」

「……私にどうしろと」

 これほど弱々しい校長の声を、サリー先生は初めて聞いた。

「まあ取り敢えず、あのバカ娘はゲートが片付くまで謹慎処分が賢いだろうね。ちょうど学内で許可なく抜刀した咎もあるし、出来るでしょ」

「無理だ。子爵家の娘だぞ」

 鉄心が大袈裟に溜息をつく。

「言うてる場合か。魔族が出た時に、井の中の蛙たちが一斉に飛びかかるなんて笑えない状況を作らない為にも、見せしめじゃないけど、自分たちは平民にも負けるんだと……」

「いや、魔族が相手なら平民を盾にしてでも逃げるハズだ」

 鉄心は絶句する。力無き民を守るからこそ、特権が許されている階級が、その力無き民をデコイにするなど。それでは存在理由が無い。

「いや、ルウメイのこと笑えんわ。俺も仕事柄、結構多くの国に行くけど、ここまで貴族が腐っている所はそう無いよ。何のかんの、まだノブレスオブリージュの精神を受け継いでいる人も結構いるんだが。そんなだから自前のアタッカーが育たずに、俺みたいな他所者にヘルプ頼まなくちゃいけなくなるんだよ」

「アタッカーが乏しいのはアックアの大虐殺の所為だろう。我々貴族がどれだけの犠牲を払ったか」

「だから今度は平民が犠牲を払うべきだと? なら特権を手放せよ。それが道理だろう」

「……今得ている特権は過去の功績、払ってきた犠牲への対価だ」

「それはアイツらの爺さんや親父さんの物だと思うがな。まあ、もういい。多分どこまで行っても平行線だろう。不毛だ。アンタの頭と同じで」

 鉄心はそれだけ言って立ち上がると、振り返ることもなく部屋を辞した。

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[良い点] この主人公めっちゃ好き 話も細かく描写されてて面白い [気になる点] なんで埋もれてんのか不思議でならない
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