第58話:挺身
少女たちの間に気まずい空気が流れかけた時、
「おお、すげえ。生えてきた生えてきた。キモ」
鉄心の能天気な声が洞窟内に反響する。いつの間にか赤丸の地点に到着していたらしく、目の前で岩壁の表面に青餓魔草が生えてくる様子を目の当たりにしてはしゃいでいた。
「ムカつくわね」
「ムカつきますね」
一体誰のせいで気まずくなっていると思っているのか。腹を立てたメローディアが後ろからグラン・クロスのケースで彼の尻を小突こうとすると、凄まじい反応速度で避けられる。
「避けるな!」
「避けますよ! 何すかいきなり」
言い合っているうち、すっかり場のぎこちなさは霧散していた。鉄心は別段それを狙ったワケでもないのだろうが。
鉄心が美羽を促し、今しがた生えてきた青餓魔草を触らせる。みるみる氣を吸い取り、やがて例の白化現象が起こり、枯草のように乾燥した。
「それって根っこあった?」
「うーん。引っこ抜いたような、勝手に抜けたような?」
つくづく不思議な生態だ。メノウの「多発」という書き方、つまり「発生」という呼称は非常にシックリくる。石筍の中の物も、そこで育ったのではなく、突然発生したのだろう。
「後は、この白餓魔草を使って釣りをやっていくのが賢いかな」
「……昨日やったヤツね?」
「ええ。まあアレが安全ですね。一匹ずつ削って行くのが良いかなと。集団相手になると俺ですら少し眠気に襲われましたから」
地味な作戦だが、効果的だ。というより派手なやり方など、リスクが大きくなるだけで、コソコソと暗躍できるのなら絶対にそちらの方が良いと言うのが鉄心の経験則から導き出された真理である。そこら辺を説明すると、美羽もメローディアも「さすが忍者」と頷いていた。苦笑する鉄心の目の前で、またも青餓魔草が発生する。今度は洞床の凹んだ部分に一気に三本もニョキニョキと。
「うわぁ。ここに居たら私たちの体からも出てきたりして」
「ちょっとやめなさいよ。怖いじゃない」
鉄心はその生えてきた三本のうち一つを手に取る。思えば彼だけまだ餓魔草に氣を吸わせたことがない。ということで試してみたのだが……
「えっと」
「うん?」
黒くなったのだ。いや正確には白と黒の斑のような状態だ。白化した部分もあるが、黒ずんでしまった部分も同じくらいの割合である。
「心が汚れてるから……」
「スケベ心成分じゃないかしら?」
言いたい放題である。鉄心は取り敢えず近くに居るメローディアのお尻を触る。「ヒャッ」と短い悲鳴が上がった。だがもう片方の手で持ったままの餓魔草の色割合は変化ナシだ。
「スケベ心成分ではなさそうです」
「もう!」
拳骨を振りかぶって見せるメローディア。鉄心も軽く顔の前を手でガードする。どちらもポーズだけだが。
「取り敢えず、これらで釣りをやってみましょうかね。美羽ちゃんが栞にしておいたヤツも出しておいて」
「あ、うん」
寝る前に用心で遠くに隔離しておいたアレの事だ。起床後に見に行っても全く手付かずだったので、危険性なしと判断し回収しておいたのだった。それを美羽が鉄心に渡すと同時くらいに、パカパカと蹄の音がする。美羽とメローディアが硬直し、鉄心は音の方向を探り当て、すぐさまそちらの方へ栞を投げ込む。ヌッと黒い馬体が姿を現し、地面に落ちたラミネートフィルムを鼻先で探るが、中の餓魔草だけ取り出す術がないようで、ブルルと不機嫌そうに鳴いた。
「なるほど。人工物はやっぱ食わんか」
鉄心はそう呟くと、今しがた美羽の氣を吸って白化したばかりの物も投げてやる。するとナイトメアはすぐさま移動してそれを口に咥える。全く無防備な姿だ。
「何か可愛いね」
「ほら。メロディ様、今がチャンスです。ぶっ殺して」
「ええ!?」
美羽の言葉など右から左に抜けて行ったと言わんばかりの酷薄さだった。メローディアはケースから取り出したグラン・クロスを構えるが、敵がモシャモシャと草を食む間、結局動けなかった。昨日の屠殺の感触が、今際の際に見た生物の死相が、彼女の勇気を鈍らせているのは明白だった。
やがてナイトメアは食事を終え、三人には目もくれず明後日の方向へ歩き出す。石筍を器用に避けながらUターンを行う、という所で。
「オラ!」
鉄心が近くに落ちていた石を鋭いフォームで投げ込む。馬の尻に食い込むかという勢いで当たり、バチンと大きな音が響いた。痛みに嘶くナイトメア。たちまち走り出し、華麗にUターンを決め、舞い戻ってくる。瞳に怒りの炎が燃え盛っているように見えた。鉄心に向けて走り込んでくるが、当の本人はまさかの行動に出る。一瞬だけメローディアに目配せをした後、二刀をベルトから引き抜き、その場に置いて、横に走り出した。そして二刀と距離を取れた辺りで、ただ棒立ちするのみ。抵抗の意思が全く見えない。
メローディアは鉄心がナイトメアに撥ね飛ばされボロ雑巾のようになる未来を幻視する。途端に彼女の体が勝手に動く。大音声の気合を叫び、一瞬で光臨が漲った名槍を構え直し、愚直な足軽のように突いた。ブスリと馬の脇腹に刺さる槍穂。すぐさま横手に流れていた氣を絞り、縦の刃一本に統一する。光臨は槍本来の長さを大きく超え、馬の土手っ腹を串刺しにし、向こう側まで突き抜けた。串刺しのまま斜め下方向へ斬り進み、やがて抵抗が無くなり、槍の横手がカツンと洞床を叩いた。削ぎ切りのような動きだ。一拍遅れて、ナイトメアの巨体が横倒しになる。石筍を巻き込み、大きな倒壊音が響き渡った。
メローディアはその場に尻餅をついてしまい、グラン・クロスが倒壊に巻き込まれないように何とか引き寄せた。それすらも殆ど無意識の行動だった。心臓がバクバクと激しく鼓動し、手先が震えている。命を奪った感触が残っていた。
「やりましたね。今度こそアナタ一人の力で九層魔族討伐です。おめでとう」
鉄心が軽く拍手をしながら傍まで歩んでくる。メローディアはもう言葉が無い。
「鉄心……アナタ。アナタね」
息切れの合間に、意味の無い呼びかけだけを繰り返す。少し前まで彼女の尻を撫でて遊んでいた男が、その半笑いも引っ込めきらない内に、平然と身を投げ出すなど、誰が予想できようか。美羽も完全に狂人を見る目をしている。少女たち二人も意図は分かっている。誰かを守る為なら勇敢に戦えるメローディアの気質を利用するためだと。
「テッちゃん! 無茶なやり方は少し控えるって」
振り返った鉄心の表情を見て、美羽は根本的なカルチャーギャップを感じ取った。鉄心はキョトンとしていたのだ。別に美羽の諫言を無視したつもりもなく、純粋に無茶だと思っていない、という顔だった。
「うん。だからメロディ様にはスパルタにならないように、身体的なリスクは俺が請け負ったんだよ」
「そういう問題じゃ……それにリスクって……死んでたかも知れない」
「いや、流石にそれは俺を侮りすぎだよ。癒で治る範疇の怪我で抑えられるよ」
「でも絶対じゃない」
「そうだね。けどね。そもそも戦いに絶対なんてないし、何のリスクもなしに強くなれるなんて、そんな旨い話も無いんだよ。美羽ちゃんの思うように、メロディ様に戦う恐怖をゆっくりゆっくり乗り越えてもらうとしても、いつかはまた立ち向かわなくちゃいけない。つまりリスクを取らなくちゃいけないんだ」
本来は殺す恐怖と殺されるかも知れない恐怖のどちらも己で背負わなくてはならないのに、今回は鉄心が後者を背負ってやった形になる。これでスパルタと言われれば、もうアタッカーをやめてもらうしかない。
「……」
美羽は内心でまた自分の甘さを感じている。鉄心の言っていることは非情なまでに現実的で、それは彼のアタッカー人生の中で培われた経験則に基づく確固たる持論だろう。比べて美羽のそれは力なき者が机上で書く理想論。またやってしまった、とは思うが、
「心配なんだよ。テッちゃんもメロディ様も」
突き詰めるとそれなのだろう。そこでメローディアが立ち上がる。既に動悸は収まっていた。
「美羽。ありがとう、心配してくれて。でも鉄心の言う通りよ。きっとお母様だって同じように苦悩して乗り越えて強くなっていったハズ……って似たようなやり取りを最近したわね」
きっとあと何度か同じような問答をするのだろう。鉄心は論理、美羽は感情。擦り合わせて互いが妥協できるラインを見つけられれば良いが。
鉄心は少し嘆息してから、
「一旦ベースに戻ろうか。少し早いけど昼飯にしよう」
と提案するが、またも二人に微妙な顔をされてしまう。討伐したナイトメアの死骸からは未だに血が流れている状態だ。食欲は湧いてこない。だがここから離れるのも休憩するのも賛成だったので、二人は黙って鉄心についていく。
(このペースじゃ不味いなあ。メノウが悠長に地図だけ残して行ったってことは、まだ猶予はあるんだろうけど。一匹倒す度に戻ってたんじゃなあ)
そんな事を考えながら、黙々と進む鉄心の背を、美羽は切なげに見つめていた。




