第56話:身の上話
食後。メローディアの話を聞き終わると、美羽は今にも泣き出しそうな顔をしていた。「ごめんなさい知らなくて」と罪悪感に苛まれながら謝るが、メローディアとしてはその優しさに救われる思いだったし、自分も先に美羽の身の上は聞いていたので、これでフェアという感覚だった。
「あまり気にしないで頂戴。お互い家族を奪われた者同士よ。それに」
洗った食器の水気をキッチンペーパーで拭き取る作業の手を止めないまま話し続ける。メローディアが敢えてそうするのは、片手間で話せる程度に立ち直ったというアピールのためか。はたまた初めてやる作業が意外に楽しいのか。
「それに?」
鉄心が先を促す。
「それに酷い話じゃない。年端もいかない娘を見捨てるなんて」
手が止まり、乾いた笑みを浮かべた。美羽は答えに窮したが、一つ分かった。メローディアは父の死自体は受け入れているのだろうが、恐らくは見捨てられた件は未だ消化しきれていない。
「だから母の死よりも割り切れているわ。鉄心はさっき私を薄情じゃないと言ったけど、そうでもないのよ」
殊更そう口にするのも、割り切れていない証左のように感じられる美羽。だが口にするような野暮はしない。代わりに鉄心が、
「うーん。難しいですね」
と感想を述べた。
「俺たちアタッカーは、多かれ少なかれ、そういう場面には直面するモンです」
「え?」
「例えば、学園にゲートが出た日、俺は生徒と同時に大人も守りました。俺の兄二人も子供、大人の別なく守って殉職しましたし」
サラっと鉄心も自分の身の上を話した。彼はあまり自分の情報を開陳するのは好きではないが、流石に今の流れで自分だけ何も明かさないのは酷くアンフェアに感じられた。それにその情報を悪用する人間はこの場には居ない。そういう信頼を示したくもあった。メローディアも間違いなく残りの二人を信用して話したのだろうから。
「お兄さんが居たんだ」
美羽はお悔やみを言うべきか考えたが、結局オウム返しのような相槌になった。鉄心は頷き、
「異母兄だけどね。沙織母さんの子だね」
と更に踏み込んだ情報を話した。
「そっか。平良だと……」
「うん、珍しくない。俺も母親が二人いるよ。俺を産んだのが来未母さん。けど実母とか義母とか、あんまり気にしたことないな。父さんも含めて三人、いい年こいてマジで仲良いし」
むしろたまに実家に帰ると鉄心の居場所が無いくらいだ。彼の歳不相応な自立心は、この放任主義の賜物だろう。
「……それで私とママみたいな家族の形にも理解があったんだね」
「それと……いえ、何でもないわ」
メローディアが言いかけたのは、美羽と自分を秤にかけるでもなく、ほぼ平等に情を注いでいる現状についてだ。鉄心にとっては、父親が二人の妻を平等に愛する姿が日常で、そういう生育環境ならと、非常に得心がいった次第だ。同じような事を思っていたのか、美羽と目が合い、互いに微苦笑を交わした。
「話を戻すと……メロディ様の気持ちも、大人たちの気持ちも分かるんですよね」
二人のアイコンタクトには気付かず、鉄心は話し続ける。
「俺も上の兄貴が死んだときは、他の大人たちは何をしてたんだ、って憤りましたし。けど……実際に現場に立つようになって認識を改めました。一般の人たちは老若男女問わず、アタッカーよりも簡単に殺されている」
宙を見ながら話すのは、いつかどこかで見た、そういった光景を思い出しているからか。
「魔族が出現するようになった最初期は、人間界の金属が効かないならって、徒手で立ち向かう者たちも多かったんですが、それも殆ど居なくなりましたしね」
とは言うが、実際はまだ結構いる。どれだけ教育しようと、自分なら勝てると無根拠に信じられる人種はゼロにはならないからだ。
「腕に覚えのある男たちが十人がかりで下層一体と相打ちって記録もあります。凄く効率が悪いし、中層以上になると人間の歯や爪ではかすり傷すらつけられなくなって、結局は魔鋼鉄で出来た武器しか対抗手段は無いという結論に至った。つまり子供とか大人とか関係なく、アタッカーにしか可能性がないというのが正確です」
魔導具を扱える者(それが何歳だろうが)へ縋る以外に助かる道はない一般市民。でなければこの現代社会において貴族などと言う特権階級が再興する道理はないだろう。
「だから許せと言っているワケではないですよ。実際、俺も話を聞いて、流石に置いて逃げるのは酷いなって素直に思いましたし。ただ俺たちは望むと望まざるとに関わらず、一定の責任を持って生まれた人種と言えます。それにどう向き合っていくのか、その中で御父上へどういった感情を抱くか、それはアナタ次第ですし、俺からどうしろというのは言えません。一つだけ確実に言えるのは、アナタがこれからアタッカーの道を歩むなら、必ずどこかで考える時が来るという事だけです」
メローディアは神妙な顔で聞いている。
「まあ……俺個人としてはメロディ様の事を少し知れて嬉しかったですよ。ここまで一足飛びに運命共同体になりましたけど、こうしてお互いの経験や価値観を話す時間が足りていなかったですから」
優しく微笑みながら締めの言葉を紡ぐ鉄心を、
「とてもさっきメロディ様の裸を見ようとしてた助平とは思えない言葉の数々」
意外にも美羽が茶化す。
「何だとぅ?」
鉄心は膝立ちで美羽に迫る。「わー逃げろ」とはしゃぎながら這い出す美羽の背後から腰を捕まえ、座ったまま後ろに引っくり返った。バックハグの形のまま二人折り重なって草の絨毯に転がる。引っ込み思案の気がある美羽がこういうイジリを出来るようになったからには、鉄心もすっかり身内認定ということ。それが分かっているから、嬉しくて鉄心も笑っている。
「全く……子供なんだから。ジャージが汚れるわよ」
メローディアも妬くより微笑ましさが先にきた。二人、純粋に今この時を楽しんでいるのも間違いないが、(父の事や鉄心が言ったアタッカーとしての宿命の事で)メローディアが根詰めて考えすぎないようにという配慮も込んでの振る舞いだろうと彼女も察し、胸が温かくなった。
予備のランタンを手に、再び洞窟へ。昨夜メローディアが討った後、入り口脇に放置しておいたナイトメアの死骸は、既にボロボロに朽ちていた。肉の大部分が剥がれ落ち、骨が見えていた。眼球もどこへ行ったか、暗いウロのような眼窩が不気味だ。
「いくら何でも劣化が早すぎるな。どういうことだ?」
鉄心が近くにしゃがみ込み、死体を観察する。女子二人は口にいきなり梅干しでも放り込まれたような顔をして、遠巻きに眺めるのみ。
「触らない方が良いんじゃない? 病気とかだったらヤバいし」
「ああ。そうだね。しかし……病原体すら居ないんじゃないか?」
鉄心は美羽の忠告に素直に従い、立ち上がって少し距離を取る。
「そうよね。他の生物は一切見ないのだし。でも……虫も居ないのに、昨日の今日でそうも傷むものかしら」
メローディアも首を傾げる。
「まあ魔界だし、で無理にでも納得しておくしかないでしょう、今は。情報も無いし。それで今日の予定ですが……あ?」
振り返って二人と目を合わせようとして、その途中で鉄心は何かを見つける。
「地図?」
洞窟に入ってすぐの岩壁に釘のような物で打ち付けられた茶色い紙があった。視力の良い鉄心は書いてある内容も一瞥で読み取った。二人も鉄心の言葉に振り返り、それを見つける。眼鏡をかけて1.0程度の視力の美羽は数歩近づいて、内容を把握した。
「地図だね」
「地図ね」
鉄心が代表して紙に接近する。邪刀の鞘でペシペシと叩いてみるが罠等はないようで、ただ乾いた音を返すだけだった。思い切って手に取ってみる。丈夫な紙だ。ヘビのように長い一本道に、所々赤い丸がついている。そしてその一本道の中腹辺りに青く塗りつぶした箇所があり「泉」と書かれている。この洞窟の地図と見てほぼ間違いないだろう。
「メノウ……かしら?」
鉄心の斜め後ろから少女二人も覗き込んでいた。
「まあそれ以外は考えられないでしょうね」
三人と会わずに地図だけ残して行ったという事は、あまり質問攻めにされたくないという意図か。
「そこの馬の足の早さについて聞きたかったんだけどな」
美羽がダブルミーニングに気付いてニヤリと笑う。「足が早い」という慣用句をよく知らないメローディアは、
「大丈夫よ。確かに速いけど、もう遅れは取らないわ」
などと少しズレた返答をした。美羽が真意を教えてやると、少し赤い顔で「アナタたちだけ通じ合ってズルいわ」と拗ねるものだから、可愛くて、鉄心と二人で横から抱き着いてしまった。そうして少しの間、三人でイチャついていたが、そんな場合でもないと思い直し、地図の精読に取り掛かる。
「あの泉がちょうど真ん中かあ。じゃあ半分は行ってたんだね」
「一番奥には☆マークと花のマーク。花は餓魔花の事だろうが、その前の☆は……罠でもあるのかね?」
「或いはボスとかかも」
「途中の赤丸は……餓魔草の多発地、と書いてあるわね」
「多発地、ねえ。ん? 裏面に注釈がまとめて書いてあるようだな」
鉄心が紙を裏返し、三人が団子になって文字列を目で追う。そのうちに全員が衝撃に目を見開いていた。




