第52話:出力調節の訓練
「鎌鼬」
鉄心が小声で呟くと、連峰のように並ぶ石筍が数本まとめて細切れになった。透明の鋭利な匣を飛ばし、檻で受け止め相殺する、という言葉にすれば簡単そうだが、実際は非常に高度な技術の連携が、それを可能にした。美羽とメローディアには手品のようにさえ見える。
「あったわ!」
20センチ程度の長さで切り取られた石の断面を三人で手分けして検めていると、メローディアが発見した。アンモナイトの化石みたいに、石の中に埋まっている状態だった。その餓魔草は前回見つけた純白で強く発光する物とは違って、最初にメノウから貰った青白く弱々しい光を放つ物と同じだった。鎌鼬の刃を食らって、ちょうど茎の真ん中あたりで石ごと真っ二つになっている。
「千切れてても大丈夫なのかな?」
美羽の素朴な疑問。
「うーん。そもそも、この草に根とかあるのかしら? 最初から植物標本みたいに茎から先しかないのだけれど」
「元から千切れているようなモンってことですね。なら大丈夫、かな?」
そもそも植物は切り取られても、挿し芽、挿し穂なんて方法で育つ種も結構ある。多少短くなっても栄養を吸い取る機能自体は生きている可能性は十分ある、と。まあ人間界の植物の常識がどこまで通用するかは分からないが。
「と、兎に角これに触れば良いのよね?」
また少し緊張し始めているのだろうか。茎の収まった石を持つメローディアの手は軽く汗ばんでいる。
「大丈夫ですよ、基本的に害は無いです」
経験者の美羽が言う。よし、と自分を奮い立たせ、メローディアは石の切断面に埋まる茎に指を当てた。鉄心が後ろでタガネとハンマーを用意していたのだが、斫るのも待たずに実行した。というより周りが見えていなかったのだろう。
「す、すごいわ。少しずつ氣が吸い取られていってるのが分かるわ。ちょっと気持ち悪いわね」
「え? もう始めてるんすか? ああもう……メロディ様、吸い取られる分をゆっくり絞ってみてください。指に流れている氣を、そうだな、血液に見立てて。注射される時にゴムバンドで二の腕を締められるでしょう? あの感覚で」
「ダメよ。私、注射される時、いつも怖くて目を閉じているもの」
「いや、今そういう意外な可愛さとかいいですから。ああもう」
鉄心は工具類を一旦脇に置いて、メローディアの後ろから覆いかぶさると、右の二の腕を両手で包んで締めた。頬と頬が触れ合い、メローディアの顔が一瞬で紅潮する。
「今これで流れる血液の巡りが悪くなっているハズです。これを氣でもやってみるつもりで」
ちなみに鉄心の言う注射時のバンドだが、本当は静脈からの戻りを滞らせて血管を浮きやすくさせる効果だが、兎に角イメージのしやすさを優先して、こういう例を出したようだ。
「血が滞る感じ。体内に留めて……」
メローディアはブツブツと呟きながら、瞑目して指先に集中していく。もうイメージ出来たかなと、鉄心が離れそうになると「あ」と小さく声を出して引き留める。鉄心は苦笑して元の位置に戻った。甘えん坊の妹分が可愛くて仕方ないというような優しい笑みだった。
「いけそう?」
「……はぁ。ダメね。何となくの感覚は掴めたけれど。あ、いえ。流出が止まったわ。これって」
早とちりだ。ただ単に餓魔草の吸収キャパシティが限界に到達しただけのようだ。光を失い白化している。そもそも完全に止めるのではなく、絞る訓練だったのだから、止まって喜んでいてはダメなのだが。
そこら辺の説明を鉄心がすると、メローディアは少し恥ずかしげだった。
「うーん。しかし美羽ちゃんの時より吸い取る量が圧倒的に少ない気がしたな」
「それに前回見たような白く光る感じじゃなくて、ただ白く変色しただけって感じよね」
鉄心はメローディアから離れ、石を拾い上げる。茎の断面しか見えていない状態だが、確かに発光はしていない。石を足の間に挟んで、茎の断面の一センチ近く外側に平タガネを押し当てた。そして柄の部分に小ぶりのハンマーを打ち付ける。カーンと大きな音が響き渡り、美羽もメローディアも撒いてきた九層魔族たちに聞きつけられないか肝を冷やしたが、鉄心はどこ吹く風。再びハンマーを振り下ろす。だが今度はそこまで大きな音は響かなかった。石筍の輪切りが、スパッと縦に割れてしまったからだ。まるで薪割のように、呆気なく。
「うお」
と割った本人も驚いた。そして縦の断面から上手い具合に白化した草を取り出すことが出来た。やはり美羽がメノウから渡された物より短い。半分くらいだろうか。石筍の輪切りの中に、これの下半分が埋まっているハズだが、そっちは捨て置く。
「もしかすると、長さによって吸い取る量が違うのかな。それか氣の総量が関係してる?」
美羽の疑問。
「何とも不思議な草よね。青白いのが最初? 吸い取ったら白。強い光を放つ白色もあったものね。魔族に食べられたけど」
「便宜上、初期状態のを青、氣を吸い取った後の物を白、強い光を放つ物は白光とでも呼びましょうか」
鉄心のラベリングに二人も特に異論はなく、首肯する。そしてそのまま美羽が発言する。
「もしかすると白光は、凄く似てるけど白とは違う種とか?」
「或いは種は同じでも、吸い取った氣の質によるのかも知れないわよ?」
「どちらも十分にあり得る仮説だね。まあ取り敢えず白も白光も、触っても氣を吸い取られたりはしなかったから、吸い取るのは青だけと見ていいだろうね」
ということで次の疑問。魔族は白光しか食べないのか、或いは白でも食べるのか。その答えを探るべく。
「この白で……釣りでもやってみるか」
鉄心が口元だけ歪めてニヒルに笑う。客観的に見れば中々に邪悪な笑みなのだが、二人には危険な魅力を感じさせるのだから、恋は七難隠すようだ。
荷物を全部引き上げ、地上に出てきた。そして洞窟の入り口に先程の餓魔草(白)を置いた。もしこれも奴らの食料なら、まさに釣りが出来るハズだ。荷物を引き上げたのは仮に大勢がやって来て、踏み荒らされては堪らないという判断から。入り口のすぐ傍を選んだのは、相手は傾斜を登ってくるためスピードダウン、対するメローディアの槍のリーチは十全に活きるという地の利を鑑みてのことだ。洞窟内では不利を強いられたが、今度は逆にこちらの有利で土俵に上がってもらう。
「ねえ、テッちゃん。本当にメロディ様にもう一度やらせるの?」
「当然。その為に連れて来たんだから」
「……」
美羽には途轍もなくスパルタに感じられた。恐らくまだメローディアの脳裏には、先程の突進の残像があるハズだ。それも鮮明に。おまけに大事なかったとは言え、未だ左胸にはテーピングしている状態。打ち所が悪ければ、角をいなせていなかったら、彼女の命は無かったかも知れない。死は遠い未来の日の事ではなく、あと数十センチの場所にあったのだ。美羽ですらそれを実感したのだから、メローディア本人がそれを感じていないハズもない。鉄心もそれを十分に分かっていて、なお「やれ」と命じられるその厳しさが美羽には恐ろしくて仕方なかった。さっきまで髪を撫でて妹のように可愛がっていた相手が、自分の決断のせいで、次の瞬間には物言わぬ肉塊に成り果てるかも知れないのに。何故こうも即決即断が出来るのか。
少し前なら何があっても彼自身が守るから無茶気味な決断も出来るのだろうと考えただろう。どこかで彼を完全無欠の存在だと思っていたのだ。だが先程の戦いで、メローディアは勿論、フォローに回った鉄心も怪我をした。それでやっと彼も人間なのだと、そんな当たり前の認識を取り戻した。ただ彼の心が強すぎて気付かなかったのだ。彼は無敵なんじゃなくて、殺す覚悟も死ぬ覚悟も死なせる覚悟も、あるだけなんだ、と。それを、命を賭けさせる覚悟も無いまま「テッちゃんなら大丈夫」という蒙昧な甘えに浸っていたのが自分だと。しかし美羽本人は気付いていないが、鉄心の半神格化は言わば理不尽に耐えるための心の拠り所として機能していたのだ。今の彼女の状況、一度ペシニズムに囚われれば鬱になっても何らおかしくない。つまりその蒙昧な甘えは心の自衛本能ゆえでもあった。
思考の海に深く沈んでいた美羽の耳朶を、メローディアの「来た!」と言う大声が打った。裏返りそうな程に高く鋭い声だった。
「落ち着いて。まだ距離はある。さっきの説明覚えてますか? 光臨は最小限に絞っても大丈夫! 回避を最優先に!」
二つの技を同時に繰り出すなら、必然どちらも出力調整が必要になる。光臨はただでさえ氣の消費量が多いのに、更に祝の力まで垂れ流し状態では、先程の二の舞。氣の薄弱状態を作ってしまうと、催眠が効きやすくなってしまう。なので強化した身体能力でまずは回避優先の安全第一。光臨は相手に致命傷を与えるだけなら、切っ先の数センチでも事足りるハズだ。本来それくらい強力な技なのだから。
(やれる。出来る。やらなくては)
先程の餓魔草に吸われた感覚を思い出し、その吸引に弁をつけるイメージ。グラン・クロスに渡る氣を絞り、体の循環へと回すのだ。坂を駆け昇る九層魔族の蹄の音が反響するのを聞きながら、メローディアは武者震いした。




