第49話:医療行為
(思ったよりは深くなかったけど、範囲が広いな)
というのが鉄心自身の診立てだった。彼が着ているのは魔鋼鉄を編み込んだ防刃仕様の特別製作業ズボン、上も同じく防刃と防弾の重ね着チョッキに上から厚手の作業服という完全防備だ。ちなみに美羽やメローディアにも同じものを発注したが、生憎と間に合わなかった。両世界での時間経過の違いは未だ詳らかではないが、魔界の方が経過が緩やかだと仮定するなら、乱獲派閥が魔界を探し終えるタイムリミットは思っているより短いかも知れず、装備の到着を待てなかった。
「いてて」
ズボンはほつれが幾つかあるだけで、破れてはいない。流石は特注品だ。だがその下の皮膚は踝付近から膝裏近くまで縦に大きく擦り剝けている。
「テッちゃん……」
傍に美羽が立つ。眉をハの字にして傷口を見つめる。つい「大丈夫?」と訊ねかけて、愚問だと気付き、彼女は口を噤んだ。大丈夫じゃないから手当てを始めているのだ。
「メロディ様は?」
「寝ちゃった」
「ああ、なら多分大丈夫だろうね」
言いながら傷口に吹き付ける消毒液を取ろうと膝立ちになりかけた所で、鉄心はまたも「いてて」と呻いた。美羽が取ってあげ、そのまましゃがみこみ、傷口に少し吹きかける。
「沁みる?」
「いや、大丈夫だ。そのまま続けてくれる?」
美羽は頷いて続ける。小さなことだが、ようやく自分も彼の役に立てたのだという喜びが湧き上がり、気付く。やはり自分はまだまだ真剣味が足りない。今でさえ、鉄心の心象の点数稼ぎがチラついてしまったり、逞しい腿の筋肉に目を奪われそうになっている。罪悪感が湧いてきて、
「何かもっと私に出来ることはないかな?」
なんて、口をついて出ていた。
「いや、十分だよ。一人で手当てするより楽だ」
鉄心は優しい笑顔で言ってくれるが、それで余計に美羽の中の罪悪感が膨れ、やがて切なさと混ざり合う。自分の為に命懸けで戦ってくれているこの人に、もっともっとしてあげたい。罪悪感から逃れたいからか、さっき感じた自分も役に立てるという充実感を更に欲したからか、純粋に鉄心への情愛ゆえか。彼女にも分からないまま、
「私に出来ることだったら……何でも言って欲しい」
そんなことを口走っていた。
「え?」
少し潮目が変わった。美羽の目に熱のこもった潤みを見て取った鉄心。ついと視線が下がってしまって、大きく張り出した美羽の双丘をチラ見してしまう。彼女は恥ずかしそうに笑うだけで視線から隠すこともなく、再び熱い眼差しで鉄心の目を見つめる。平素の彼女とは明らかに違う。一種のトランス状態に近かった。恋愛経験の無い鉄心でも、本能で察した。押せば不埒なことが出来てしまう、相手は拒まない、と。
鉄心は答えに窮した。彼女の内心を察するに、ここで何もしなくていいと答えるのは、恐らくは優しさではなく明確に無力と言っているに等しい。戦う以外で何か出来ないかと模索するのは、偏に鉄心を慮っての事だ。それを無下にするのは彼としても気が引ける。
「……分かった。じゃあ一つだけ頼んでも良いかな?」
「うん」
「えっと……出来れば、氣を分けて欲しいんだ」
「氣?」
「うん、えっと、だから、前に貰った時みたいに、キミの胸に」
顔を埋めるのが一番確実か。ただ今は一時的とはいえ封印が成されているし、実際母親の静流とも抱き合ったりと接触があったが、相手に氣が流れたということもない。鉄心が顔を埋めた所で、全くの無駄骨となる可能性もある。そういう事も説明したが、
「……良いよ」
答えはそれだった。顔を赤くし、少しだけ鉄心の顔から目を逸らして、美羽はジャージの上を脱いだ。続いて手を交差させてインナーシャツの裾を掴み、そこで上目遣いに鉄心を見た。これも脱がなくちゃ駄目だよね、と目で確認している。ここで鉄心の理性が殆ど役をしなくなった。痛みも忘れて膝立ちで近付くと彼女のシャツをグイと持ち上げてしまった。美羽はその勢いに押される形でシャツを上に脱いだ。襟首に引っかかって眼鏡が大きくズレる。それを素早く直すと美羽は露わになったブラジャーを反射的に両手で隠してしまう。熱のこもった表情で何でもするなどと言ってしまったが、いざとなると恥ずかしさと、(鉄心に軽い女だと思われていないかという)不安が強くなってきた。彼が望むことを叶えてあげたいという気持ちも間違いなくあるのだが。どうにも矛盾した感情の動きに自分でも振り回されているのを自覚している。恋とは往々にして自身でも制御不能の心を抱えるものだが、これが初恋の彼女にとっては竜巻のようだった。
だが、そんな彼女の様子にはお構いなしで、鉄心はグイと美羽の背を抱き締め、顔を胸の谷間にうずめてしまった。彼は彼で、知らなかった自分に出会っていた。もっと紳士的な男を自認していたが、意外に草食系ではなかったということ。もちろん嫌がる女性に無理矢理といった事は有り得ないが、言質があり、態度も嫌がっていない、しかし踏ん切りがつかない、というような女性なら自分から求めて行ってしまうらしい。
「あ」
彼女もまた思いのほか積極的で力強い鉄心の抱擁に驚き、そして怖さよりも嬉しさの方が圧倒的に勝ったことにもまた驚いて声が出た。モノにする、という言い回しがあるが、今まさに自分の身体は鉄心の物のように扱われている。そんな強引で乱暴なやり方に、まさか自分が服従の喜びを覚えるなど、やはり日本に居た頃には想像すら出来なかったことだ。そして、
「やっぱダメだね」
という言葉に美羽は目の前が暗くなるような焦りを覚えた。手に嫌な汗が滲み、いつの間にか自分からも鉄心の背に回していた掌を握り込んでしまう。
(え? 何か失望させるようなことしてしまった? もっと私からも何かした方が良いの?)
そんな思考が一瞬で美羽の脳内を巡る。だが鉄心の続く言葉に少し冷静さを取り戻す。
「封印が強固なのは良い事だけど、前のように流れ込んでは来ないみたいだ」
そうだった、と。これは医療行為の一環、疲れた彼に自分の力を分け与える為に試みている事だった。なのにいつの間にか彼を悦ばせることが主眼になりかけていた。その事に気付き、美羽は居たたまれない気持ちになる。だが鉄心は待ってくれない。
「美羽ちゃんはドアノブに氣を注いだ時、向こうに吸わせる感覚って言ってたよね?」
「う、うん」
「吸わせる、か……ねえ、本当に何でもしてくれる?」
「え? う、うん。何か思いついたの? なら思う通りに……して」
その言葉が終わるか否かと言うところで、鉄心は美羽の背に回した手を動かし、やや手間取りつつ、ブラジャーのホックを外してしまった。そして浮いたカップをグイと押し下げた。真っ白で巨大な餅のような乳房が露わになる。そしてその中央、薄いブラウンの頂に顔を寄せていくと、唇で挟み、小さく水音を鳴らして吸った。ここまで鉄心を止める機は幾らもあったが、美羽はそれをしなかった。
(あったかい)
二人ほぼ同時に同じことを思った。裸で触れ合う体温がこれほど心地よいとは知らなかった。
「いやじゃあい?」
もう一度鉄心が訊ねる。舌っ足らずな話し方に、美羽は笑ってしまった。余裕があるワケではないし、今も自分が男子にこんな事を許しているだなんて、夢か何かではないかと頭の片隅で疑っているくらいだが、それら全てがどうでもよくなるくらいに、愛おしかった。
答えの代わりに、美羽は鉄心の頭を撫でる。耳に掛かる程度の長さの少し硬い毛。きっとこれから何度も触れるのだろう。
「ん……」
胸に甘えるのが嬉しいのか、頭を撫でられて気持ち良いのか、鉄心は目を細めて頬も少し緩めた。
(可愛い)
この感慨も美羽には不思議だった。男子との性的接触をもっと怖がったり気色悪がったりする、と思っていたのに。本当に鉄心に出会ってから、恋をしてから、知らない自分に出会ってばかりだ。
そして愛おしい気持ちの中に、甘く疼くような性感が混じり始めた頃、美羽は自身の体から少しずつ鉄心へと氣が流れ込んでいることに気付いた。鉄心も気付いたらしく、より強く吸い上げる。少し大きな音が鉄心の口から漏れ、流石に美羽は恥ずかしくなって目をギュッと瞑った。
(というか、エッチなことする口実じゃなかったんだ)
本当に効果があるとは。まあ考えてみれば、魔導自体がイメージや感覚に大きく影響されるものだし、吸い出す(吸い出される)イメージとしては、これ以上ないほど分かりやすいのも事実。
最後に強く、美羽の胸の形が釣り鐘型に伸びるくらい強く吸って、鉄心は唇を離した。ポヨンと波打って元に戻る乳房。いつの間にか彼の左手は美羽の右胸を優しく揉んでいたようで、そちらもスッと離した。
「……」
「……」
急速に冷えていく頭。美羽は弾かれたように鉄心に背を向け、「むこう向いてて」とか細い声で言い、鉄心はそのようにした。そして、自身の足の感触を確かめる。傷は殆どがカサブタと化していた。
聖刀・祝の応用技。聖刀・癒。巡らせた氣を身体能力強化ではなく、自己治癒力の強化に当て、傷の回復を早める。助かった。偽らざる鉄心の気持ちだ。
「ありがとう」
「スケベ」
「……」




