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善悪二刀  作者: 生姜寧也
第2章:魔窟恋路編

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第48話:勇み足

 行軍から一時間弱。緊張のあまりドライアイになったメローディアを嘲笑うかのように、拍子抜けするほど何事もなく進んだ。歩数計と鉄心の歩幅(普段のウォーキングでは80センチほどだが、慎重を期し、ゆっくりとしたペースで歩いているため半分程度か)から距離を概算すると、約2キロメートルほど進んだようだが、その間、会敵は全くなかった。

「何か……やっぱり蝙蝠とかも居ないから」

 静かだった。復路の目印として、数メートルおきに先程の赤いリボンを道端の石筍に括る作業を受け持っている美羽だが、その際に岩陰を覗き込んでも、やはり何の生物の気配もしないのだ。

「そうだね。でもゴキブリなんかも居ないから、それは助かるけどね」

 この暗がりで大量発生していたなら、避けようもなかっただろう。美羽と鉄心が顔を見合わせて苦笑を交わした所で、

「いた」

 小さいが鋭い声が聞こえた。鉄心が慌てて反対側を向いた時には、ランタンの放つ蛍光色の中でなお金色に輝く髪の房が跳ねるのを視界の端で捉えるのみ。疾駆する先には黒い引き締まった馬体。こちらに背を向け単独行動をしているようだ。そして馬よりなお入れ込んだメローディアは、それを好機と見て走り出したのだ。勇み足と神速の狭間だった。凶と出れば前者、吉と出れば後者。そんな結果論でしか判断付かないくらいのタイミングだった。


 ――――果たして

 

 吉を呼び寄せるハズの必勝祈願の御守り、彼女が首にぶら下げていたそれが、慣性に従ってふわりと浮き上がった。落下のGが足に掛かったかと思った次の瞬間には、しかしすぐさまメローディアの足裏は地面を捉えていた。だが踏ん張りが利かない。そのまま尻餅をついてしまい、スライダーの要領で苔むした斜面を滑り落ちていく。

「美羽ちゃん! そこに居て!」

 美羽を残して鉄心も走り出す。洞窟の床面は途中から傾斜が出来ていて、そこに水を含んだ苔がまだらに生え、足場を非常に悪くしている。ランタンの括り紐をキツく指に巻き付け、鉄心も追いかけて斜面を滑る。滑落した距離自体は大したことはない。だが坂の先、泉があった。苔が生えていた時点で半ば予想は出来たことだが、窪地と水脈が重なっていたのだ。そこに十数体のナイトメアが集まっている。

「メロディ様!」

 馬たちが一斉にメローディア目掛けて走り込んでくる。まだ彼女は起き上がれていない。鉄心はすぐさま作業着のベルトから聖刀を抜き出し、氣を送り込む。最大出力で匣を展開。間一髪、透明の壁に阻まれ、一群は揃って鼻っ面を打ち付けた。バランスを崩して転倒する個体も居た。安堵しかけた鉄心の耳に嘶きが聞こえる。一体だけ匣の内側に居た。最初に彼女が追いかけていた個体だろう。黒い体色が闇と同化し、匣の展開に気を取られていたせいもあって、その一体を見落としていた。

「槍を構えて!」

 横合いからメローディアに突進する馬体。両者の距離が近すぎる。匣を展開しようとすると槍の穂先と被る。鎌鼬を放っても、刃が届くより人馬の衝突が先だ。走る鉄心。メローディアはようやく練氣を終え、一瞬だけ光臨が起こり、しかしすぐに消え、そのまま突いた。その動きはどこか緩慢としている。それでも馬の左頬を掠め、それにより相手も少しだけ進路がズレた。だが体当たりの勢いは死にきらず、メローディアの左胸あたりにナイトメアの左肩が打ち付けられ、彼女の体は斜め後方に吹き飛ぶ。鉄心は着地点に急行、いわいの力を体中に巡らせ、何とか受け止めた。しかし衝撃を殺し切れず、メローディアを抱えたまま、後ろに数メートル滑る。踏ん張っていた右足に激痛。張り出していた岩肌に身を削られてしまったようだ。歯を食いしばり、メローディアの頬に自分の頬をくっつけるようにして顔を前に突き出し状況確認……先に泉に居た十数体は匣との衝突が余程効いたと見え、立っている個体もまだフラフラしている。メローディアを撥ね飛ばした個体はそのままブレーキを掛け、反転する為に足を揃えている所だった。人とは違って小回りの利かない体の構造だ。その好機を逃す鉄心ではない。すぐさま鎌鼬を放ち、その身を三枚に卸した。血がスプリンクラーのように吹き上がり、ドーンと大きな音を立て細切れになった体躯が地面に倒れる。そこでグラリと鉄心の視界が歪む。眠気だ。

(やべえ。退却)

 幸いにも近くに転がっていたグラン・クロスを拾い上げ、メローディアを片手抱きにした。匣を坂の上に等間隔に展開し、階段状にした。透明化している余裕などあるハズもなく、乳白色のそれは、しかし暗い中ではかえって(視認しやすく)好都合だった。飛ぶように駆けあがる。窪地から脱出し平坦な道へ戻ると、美羽が駆け寄ってくる。ランタンもいつの間にか手放していたので、光源はヘッドライトと彼女のそれのみだ。鉄心は後ろを振り返る。残りのナイトメアたちは追ってきてはいない。

「ベースに戻ろう」

 ランタンを持つ美羽が、メローディアを抱えた鉄心を先導する形で退却した。



 状況整理の前にメローディアの状態を確認。意識はあるようだが、どうも目がトロンとしている。

「頭打ったりしましたか?」

「……いいえ。ただ眠たくて仕方ないわ」

 金の長いまつ毛が伏せられ、今にも瞼が閉じそうだ。

「すいません、お休みになる前に左胸の手当てをさせて下さい」

 ちょうど美羽が折り畳みマットを広げ、洞床に敷いた所だった。鉄心はメローディアの体をゆっくりとマットの上に乗せ、メットを脱がせ、ジャージの前も開いていく。丈夫さ重視でかなり厚手の生地の物を選んだので、中は少し蒸れていた。

「あ、ちょ、ちょっと。私がやるよ」

 美羽が鉄心の横に来て膝をついた。

「いいわよ。鉄心なら」

 とメローディアは言うが、鉄心の方は素直に場所を譲り、荷物へ向かう。救急箱を開き、冷却シートや傷薬などを取り出していく。その間に美羽はジャージの上を脱がし、インナーのTシャツをどうにか肩口だけ捲ったり出来ないか苦心していたが、

「どいて。悪いけどそういう配慮してる場合じゃないかも知れないから」

 と鉄心にどかされる。そして彼はメローディアを万歳させると何の躊躇も無くシャツを脱がせた。パステルブルーのブラジャーが露わになるが、鉄心は(やや手間取ったが)それも外してしまう。白磁のように美しい肌を覆い隠す物は何もなくなった。小ぶりながら形の良い乳房、色素が薄く桜色に程近い頂。芸術のようにすら思えたが、それは右胸の話。左胸は中心から肩にかけて、青紫に変色している。裂傷などはない。本人にゆっくり腕を動かして貰ったところ脱臼も骨折も無さそうだった。打撲は軽くはないが、総じて魔族の体当たりを生身で受けたにしては奇跡に近い軽傷と言えよう。

 鉄心はコールドスプレーの缶を軽く振ると、惜しげもなく患部に吹きかけ、その上からテーピングを施していく。グルグル巻きにされている間もメローディアは痛みを訴えることもなく、寧ろ軽く抱き起されて安心したような表情だ。テーピングが終わると上から冷却シートを貼った。

「とりあえず、これで様子を見ましょう」

 そう言って立ち上がる。鮮やかな手際に呆気に取られていた美羽を見下ろし、

「服着させてあげて。俺はあっちで自分の手当てしておくから」

 と言い残し、救急セットを持って歩いていく。はたと気付いて美羽がその後姿を見ると、作業ズボンのライトグレーが真っ赤に染まっていた。あの怪我で約二キロ、メローディアを担いだ状態で走り抜いたのだ。もう何度目か分からないが、人間離れしている、と改めて実感した美羽。

(けど、あんなに血が出て大丈夫なの?)

 いくら超人的とは言え、鉄心も不死身ではない。早くあちらを手伝おう、と手を動かし、メローディアの着衣を整える。終わった頃には彼女は静かな寝息を立てていた。そこまで大怪我ではなかったとは言え、多少の痛みはあるだろうに、それを物ともせずに寝入る。美羽の知る打撲症状とは大きく異なっていた。本当に大丈夫なんだろうか、と心配になるが、同時に鉄心の容態も気になる。

「ん~鉄心。責任取ってちょうだい」

「大丈夫だね、これは」

 色惚けた内容の寝言を聞いて、すっくと立ち上がる美羽。

 少し離れた場所、石筍に背を預け、ズボンを脱いでトランクス一枚になった鉄心が居た。メローディアの時と同じように見てはいけないものを見てしまったという罪悪感が胸に去来するが、それこそが自分の甘ったれた部分なのだと美羽は戒めた。戦場で魔族相手に怪我を負ったなら、いち早く状態を確認し、適切な処置を施さねば命に関わることを熟知しているからこその、躊躇の無さなのだ。ここは野戦病院のようなものなのだと、自分だけが認識できておらず、旅行先で裸を見た見られた、くらいの考え方をしていた。他でもない自分の為に戦ってくれている人に不覚悟を見抜かれているだろう事が彼女には恥ずかしく、情けなく思えた。

 美羽は軽く自分の頬を叩いて気合を入れ、鉄心の手伝いに向かうのだった。

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