第43話:下見
メノウの説明はこうだ。
ここは魔界の九層。今いる丘の裏側には地下洞窟への入り口があり、その最奥に餓魔花は自生しているという。途中には九層の魔族が群棲しているため、洞窟内での戦闘は避けられない。餓魔花は貴重だが、草の方は割と生えているようで、それも適宜採取して良いとのこと。餓魔花を手に入れた辺りで、彼がもう一度使用法について説明しにくる予定、だそうな。
「時にキミたちは、その様子だと生殖は済ませているのだろう?」
メノウは最後にそんなことを聞いてきた。生殖。意味が通らず、鉄心の脳内で誤変換。
「生食か? 魚とか」
「魚!? 人間は魚を使うのか? 魔族は生殖をしないからよく分からないが、何と言うか、いや、よそう。あまり想像したくない」
三人とも顔中に疑問符を浮かべてメノウを見るが、彼は詳しく話す気はないらしく、またぞろ利害関係外ということだろう、と勝手に納得した。
「あの、メノウ……さん。どうして私に親切にしてくれるんですか? 本当に利害だけですか?」
先の邂逅時、そういった説明をされたが、美羽にはどうもそれだけには思えないのだった。彼女の問いにメノウは逡巡するような間を見せたが、
「……武運を祈る」
とだけ答え、再びゲートを展開し、そこへ消えて行った。今度は背中を向けて潜っていたあたり、(攻撃を加えられないだろうという)鉄心たちに対する信用のようなものを感じさせる。実際、鉄心の側からもメノウに対し、少なくとも利害関係内ならみだりに裏切るタイプではなさそうだという所感を抱いていた。
ドアノブの数も限りがあることだし、危険が無さそうだと判断できた以上、メノウの言う洞窟の触りくらいは偵察しておこうということになった。最初は匣で地面を叩きながら罠がないかジリジリと進んでいたが、日が暮れそう(魔界の時間とゴルフィールの時間は真逆なのだろうか、普通に明るい)なので、途中からメローディアの持ってきたグラン・クロスのケースでポンポン叩きながら進んだ。
「うう……我が家の家宝を地雷避けに」
「何か言いましたか?」
「何でもないわ……」
途中でメノウの闖入があったため有耶無耶になっていたが、鉄心としては簡単に許してはいけない案件だ。蓋を開けてみれば危険はなかったが、まさに結果論である。
今回の美羽の件はメローディアには一切関係がなく、彼女が命を張る必要性は皆無。必要性どころか、場合によっては美羽や鉄心の生存確率まで下げかねない愚行だった。それとも戦闘になれば助力が出来るとでも思っていたのだろうか。もしそうなら十層魔族を一体倒したくらいで思い上がるなと喝を飛ばすところだったが、どうもそういう驕りなどとは無縁の、鉄心に懐き慕った故の衝動だったようで、彼としても正面切って説教しづらい心境だった。なのでこうして嫌がらせをして反省を促すという手段を取っている。
そうして暫く進んで。グラン・クロスが爆散することも、日が暮れることもなく、目的の場所へ辿り着いた。丘の裏側は崖のように険しく、その下部をくり抜いたように洞窟の口が開いていた。その入口から奥に行くにつれ少しずつ地下へ傾斜している地形。
「うわー、結構広いね」
入り口は三人が横並びでも余裕で通れるほどだった。洞窟の岩質は浅黒い玄武岩に似ており、硬く丈夫そうだ。洞窟内での戦闘は不可避というメノウの前情報だったが、場合によっては敵よりも怖い、壁や天井の崩落に関して、ある程度の安心材料を得られたのは収穫だった。
地上からの光が届いている範囲まで、と決めて奥へ進んでみる。洞床からタケノコのように石筍が伸び上がっており、通れる場所が限られる。中々厳しい道のりになりそうだ。
「こういうのって鍾乳洞のイメージだけどね」
道を分断する石筍を軽くトントン叩きながら美羽が言う。
「まあ環境や地質についても人間界の常識を当て嵌めるのは難しいのかもね」
迂回しながら鉄心が答える。
「何せここを教えてくれたのも鳥人間だからな」
美羽もメローディアも「確かに」と笑う。
「話には聞いていたし、別に疑っていたとかは全くないのだけど、本当に鳥と人の間くらいでビックリしたわね。あのメノウって、一応は信用して良いのかしら」
メローディアの疑問に正確な答えを持つ者はいないが、
「私は今は信じて良いと思ってます。その……あのドアノブに氣を注ぐときの感じ、導かれているというか、こうするんだよって練習させてくれているような、そんな感覚だったんです」
美羽の結論はそうなった。少なくとも敵対派閥や人間の研究施設などの目を欺きつつ、自分でバルブをコントロールできるようになるまでは協力してくれそうだという見通し。それが出来るようになった暁には自分たちの派閥に手を貸せと言ってくる可能性は否定できないが。故に「今は」と付けたらしい。
そんなことを説明しながら歩いていたせいか、足元の小さな隆起に蹴躓いて、美羽がたたらを踏む。鉄心が慌てて彼女の右手を掴んで転倒を防ぐが、慣性に従って頭だけ振れ、道端の石筍にゴツンとぶつけた。
「ちょっと大丈夫!?」
メローディアが鉄心の身体越しに美羽を覗き込む。振り返った美羽はニカッと歯を見せて笑い、ペチペチとヘルメットの前頭部を叩いて見せる。そこに当たったということだろう。
(まさかのヘルメット大活躍)
ここから戻ったら、或いは自分の分も用意すべきだろうか、と鉄心。
「え? ちょっとそれ何よ、美羽」
「ほえ?」
そんな益体ないことを考えていた鉄心の身体を挟んでなされる二人の少女の会話の雲行きが怪しい。取り敢えずメローディアの指さす方、そちらを見て鉄心も驚く。美羽も振り返る。今さっき美羽が頭をぶつけた石筍の表面が剥がれ落ち、中から草が出てきていた。岩の中に生えていたのだろうか。
「これ餓魔草か?」
真っ白に発光している。ハロゲン灯のようだ。美羽の氣を吸い取って白化した物と似てはいるが、アレはこんなに光っていなかった。
鉄心が恐る恐る石筍の破片で触れてみる。熱などはないようだし、食虫植物のように襲い掛かってくることもなさそうだ。破片を捨て、爪の先で触れても特に変化はない。思い切って指先、ついには掴んでみせた。大丈夫そうだ。丈夫そうな石を拾い、石筍の欠けている部分に打ち付け、更に剥がしていく。思いの外脆く、ボロボロと崩れ、草の根本が見えたかと思えば、そのままポロリと落ちてきた。拾い上げてみると、途端に光が強くなり、鉄心は慌ててそれを放る。
「みんな目を閉じて!」
注意を促しながら、すぐ近くに居たメローディアを引き寄せる鉄心。自分と彼女の周りに匣を展開。美羽の方にも当て推量で展開しようかという所で、徐々に光量が収まっていく。鉄心は薄目を開けて周囲を確認。まず美羽が見える。しゃがみ込んでヘルメットごと頭を抱えるようにしている。無事のようだ。そして抱き寄せたメローディアだが、どうも左手に柔らかな感触を覚えて、嫌な予感がしつつも鉄心は顔を左に向ける。半ば予想していた通り、思いっきりメローディアの左胸を鷲掴みにしていた。脇腹の辺りを掴んだつもりだったが、なにぶん視界を奪われた状態だったので、事故ってしまったようだ。
「ああ、スイマセン!」
慌てて手を離す鉄心だったが、想像していたような悪罵も悲鳴も無かった。メローディアはただただ俯いている。
(まさかのガチ泣きとか!?)
もしそうなら一番対処に困る反応だ。スケベ野郎と引っ叩かれた方がまだしも後腐れない。鉄心が慌ててメローディアの顔を覗き込もうとするが、そっぽを向かれてしまう。
「怒ってないわ。ビックリしただけだから。他人に触られるなんて初めてだったから」
両手で顔を包むようにして、赤くなった頬を隠している仕草は、美羽の目から見ても可愛らしいものだったが、
「お二人さん? 今の状況で遊ばないでもらえます?」
絶対零度の声音で注意する。苦笑いと共に、鉄心も気を引き締め直し、メローディアも手を団扇にしながら、何とか気持ちを整理する。再び前を向いた一行が目にしたのは、暗闇の中からヌッと現れた黒い馬だった。たてがみは薄紫で、背中には張り付かず、畝を作って跳ねている。額には小さいが鋭利に尖った角が二本。
「ナイトメア」
九層の魔族。ほとんど人間界には顕現しないのでサンプルデータが少ない種だ。鉄心の相手にはならないが、不慣れな地形、非戦闘員と新米戦闘員を抱えた状態、ここら辺を加味するとナメてかかるのは得策とは言えない。
「二人とも下がって」
邪刀を抜き放ちながら鉄心が二人を庇うように前に出る。開戦の火蓋がいつ切って落とされるかという緊張に二人も固唾を飲んだ矢先、ナイトメアが動く。
「あれ?」
だが進む方向が頓珍漢だ。というより三人のことなど眼中にない。蹄が洞床を叩く鈍い音を立てながら悠然と歩み、やがて先程鉄心が放り投げた餓魔草に向けて頭を垂れて口に咥えた。そしてそのまま、
「食べた?」
長い顎を左右に歯軋りするようにして草をすり潰していく。何往復かして細切れになったそれを、そのまま飲み込んだ。その後は三人には一瞥もくれずに、来た時と同じようにゆっくりと歩き去り、洞窟の奥へと消えて行った。




