第40話:婿
実はその告白には、単なる仲の良い親戚同士による世間話以上の意味が含まれていた。
腐っても王位継承権第3位の公爵が見初めた相手、となるとゆくゆくは夫となる可能性も十分にある。と言うより、恋愛成就=婚約となるだろう。そして一度婚約を結べば、余程のことがない限り時期を見てそのまま結婚となる。つまりメローディアが鉄心を好いていると言えば、夫にしたいと宣言しているようなものなのだ。しかも宣言の相手はこの国の最高権力者である。
「まあそれは素敵! 公爵家に平良の血が入るのね! といった感じで王としては喜ぶ所なんでしょうけど」
貴族の中には純血主義を尊ぶ家もあるが、今の深刻に過ぎる国防力不足を考えれば、そんな悠長なことも言っていられないのだ。為政者としては歓迎すべき事態というのは、そういう事情だ。だが。
「アナタを実の娘のようにすら思っている一人のおばさんとして言うなら……割と険しい道よ」
「薊は平良の分家と聞きましたわ。貴族ではなくとも、平良のネームバリューは絶大です。最悪、彼に言って本家に形だけでも養子入りしてもらえば」
言い募るメローディアに、女王は目を伏せた。
「周囲の貴族を黙らせるとか、そういう段階の前。そもそも彼から告白でもされたの?」
「……いえ、まだです」
先程までの威勢は消え、メローディアも釣られて目を伏せた。
「と言うより、告白されるという固定観念から捨てるべきね」
「え?」
そもそも放っておけば勝手に美貌や地位に釣られて好意を抱く有象無象の男どもとは全く異なるからこそ、鉄心に興味を抱き、その心身の強さに惹かれたのだから、追いかける側はメローディアである。いわゆる片思い。されることはあっても、したことがないため、彼女はその発想に至らなかったのだ。
「それに、貴族にアレルギーがありそう。結婚となると、貴族社会に巻き込まれる羽目になるから敬遠されるかも」
手紙をヒラヒラと振って見せる女王。
「うぐ」
「あとね……」
女王はそこで一度姪から視線を切って遠くを見る。東の方角、遙か先には日本がある。
「平良の中堅くらいならいざ知らず、たぶん彼ね……近い将来、頭領を超えるわ」
「え!?」
「今ですら平良の歴史上最年少で序列四位を務めているの」
メローディアも鉄心がべらぼうに強いのは先刻承知だが、まさかそれほどまでとは思っていなかった。
「さっき冗談で平良の血なんて話したけど、人倫を度外視して冷徹な合理主義の為政者になるなら、国中の貴族の娘を宛がいたいくらいよ」
「それは……」
「極端な例よ? けれどそれくらい、どこも喉から手が出るほど欲しい相手ということよ。まあ彼も素性を隠して過ごすから、実際そこまで凄いことにはならないでしょうけど」
然もありなん。学園に二、三日通っただけで美羽とメローディア、二人落としているのだから。
「けど、それでも諦めるつもりはありません」
決然としたメローディアの声。ノエル女王は苦笑いしながら、
「少し脅しすぎたわね」
と小声で言う。そして高級な皮のバッグ(部屋に招いた時からメローディアは中身が気になっていた)のチャックを開くと、中からノートパソコンを取り出した。
女王は白魚のような手で軽やかに操作し、動画ファイルを開いた。鉄心と六、七層魔族の戦いが再生される。昨晩オリビアから報告書と共に送られてきたものだった。
メローディアとしては、女王の意図を訊ねなくてはならない場面なのだろうが、パブロフの犬よろしく勝手に視線が吸い寄せられる。画面の中の鉄心が流麗に舞いながら難なく避けているマンティコアの爪や尾は、いずれも並のアタッカーなら間に合わず致命傷を負っているだろう鋭い動きだ。そしてたった一度、二体を交錯させる好機を作り出し、一切の無駄なく仕留めきった。例えるなら洗練されたカウンターサッカー。相手にボールを持たせ、パスを回させ、攻め疲れた頃に一瞬の隙を寸分違わす突き、ゴールを強襲する。
「はあ……本当に溜め息が出るほど美しいわね。これで十七歳。末恐ろしくて鳥肌が立つわよ」
意外、ということもないかも知れないが、女王はこれで戦闘好きである。もちろん自分が戦場に立つわけではなく、こうして映像などで鑑賞するのを趣味としている。まるきり政務を放って御前試合を楽しむ愚君のようで、メローディアは内心、彼女のこういう所を苦手に思っている。戦っている方は命懸けなんだぞ、と。母が散ったことすら、娯楽の勝ち負けと混同してやしないか、と。ただ今まさに自分も鉄心の戦いを、スポーツの美技特集を鑑賞するような気持ちで観てしまったことに気付き、軽く自己嫌悪。
「それで、一体……」
「ああ、そうだったわ。こっちの動画が本題」
再びノートパソコンを手繰り寄せ、数度クリックの後、見せられた動画はメローディアが腐敗狼を討ち取るシーンだった。不手際で負傷者を出した所は上手くカットされ、まるで負傷したあと救いに駆けつけたように見える。そしてそこからは大立回りを余さず。
「これは……」
「こちらもケーヒル女史が送ってきたものよ。ただアナタの騎士様がそうするよう頼んだそうよ?」
「え? 鉄心がですか?」
意味が分からず、間の抜けた顔で聞き返してしまうメローディア。
「そうよ。アナタの実績として証明できるようにって」
実績。決闘の折にメローディアが話した、貴族社会から距離を置くための免罪符。それを鉄心は覚えていたのだ。美羽だけでなく自分もちゃんと気にかけて貰えている、と知れただけで踊り出しそうな高揚がメローディアの胸中を満たす。
「こういう気配りをしてくれるのだから、何だかんだ脈ナシではないハズよ。大丈夫、アナタは綺麗。きっともっと愛されるわ。頑張るのよ?」
「……はい! というか、おば様? 難しいと仰ったり、頑張れと仰ったり、一体どちらなんですの?」
メローディアが少し眉を上げてみせると、ノエル女王はニンマリと笑って、
「難しいけど頑張りなさい、と言うことよ」
と締めくくった。
これで後には退けなくなった。公爵の家格と見合う家はそうはないので、縁談は頻繁にあったワケではないが、それも今日を境に完全に来なくなるだろう。例の映像は、即ちメローディアに既に高卒新人アタッカー以上の実力が備わっていることを示しており、それを周知させることは、彼女の進路も示唆したと同然である。加えて、恐らくあのお節介な叔母はメローディアが伴侶候補をも見つけた、と噂を流すだろう。更にその相手は凄腕のアタッカーくらいの情報も付すかも知れない。鉄心と結ばれた時の為の布石として。
(頑張れ……か。そうよね、頑張る余地があるだけ私は恵まれているのよね)
当の叔母は結婚相手を自分で選ぶことは出来なかった。女王という立場がそれを許さなかった。そして彼女の元夫はもう今は消息不明だ。彼はルウメイの王族だった。メローディアも何度か会ったが、気の弱い優しさだけが取り柄のような男だった。ちょうどメローディアの父と雰囲気がそっくりだった。
そして、起こったアックアの大虐殺。ルウメイ人の元夫は批判の矢面に立たされることを恐れ、表舞台から姿を消し、引きこもりのような生活を送ることとなる。当然、釈明に追われるのは女王の方だった。メローディアも当時は母の死後ということで心身に余裕が全くない状態だったが、そんな彼女でも心配になるくらい女王が参っていたのを記憶している。国民の怒りは御尤もで、夫の弱さも先刻承知で、つまり板挟みとなったのだ。そんな中、引きこもっていた元夫が隠れて祖国の家族に支援を送っていたことが発覚した。女王は激怒、ギリギリ残っていたなけなしの愛情すら消え失せた。三行半を突きつけられ国外追放となった彼は、恐らくはルウメイに戻ったハズだ。だがその後ルウメイの王族は殆どが暗殺されたため、彼もその対象として消されたか、未だ存命かも杳として知れない。ただこの件で一つ、大きな教訓としてメローディアの胸に刻まれたのが、
「やっぱり優しいだけの男じゃダメね」
という女王の金言。メローディアは否が応にも自身の父親を重ねた。ただ母は一応父を選べた。だが女王には選択権もなく、それでも結ばれた以上はと義理を尽くした末、裏切られた。その内心を思えばメローディアは同情を禁じ得ない。王とは国の頂点でありながら、幸せの頂点からはかけ離れた存在なのだろうか、と。
(それに比べて……私は頑張って鉄心に選ばれれば、恋愛結婚が出来る)
女の子の初恋は父に似た人、なんて言う者も居るが、メローディアには全く当てはまらなかった。薊鉄心は優しいだけの男では決してない。メローディアは今朝がた見た、シェルターの階段を上がってくる鉄心を思い出す。瞳孔が開き、汗が湯気のように立ち昇り、控え目に言って殺人鬼と出くわしたのかとすら思った。快勝の翌朝にあの自律。他者に対しては兎も角、少なくとも自分自身への優しさというものは、父や王婿の百分の一も持ち合わせていないだろう。一体どこまで強くなる気なのか。修羅道を一瞬も立ち止まらずに往く殆ど狂人の域だ。だが、
(見てるこっちも気が狂いそうなほどカッコイイのよ)
強烈なまでに蠱惑的なのだ。その生き様を一番近い所で見ていたいという欲求をメローディアは抑えることが出来ない。




