第4話:楽しいランチ
三、四限は一般教養の授業で、数学と語学だった。やはり専門教科と違って皆の士気も低めで、時計の進みがやたら遅く感じられた。四限の真ん中頃、松原のお腹が「くぅ~」と鳴ったが鉄心は気付かないフリをしておいた。
やがて四限終了のチャイムが鳴る。
「は~、メシだメシだ」
「メシ行くぞー、お前ら」
田中とその後ろの席の上原が揃って声を上げる。
「腹減った~。ミウミウとかお腹から子犬の鳴き声してたしな」
「言うなし」
松原がチラリと鉄心を見る。まるきり女子高の一部に組み込まれたものと思っていたが、一応は異性だという認識はあるようだ。ちなみに「ミウミウ」というあだ名は、やはり田中作だ。松原は下の名前が美羽なのだが、二乗されたらしい。あだ名とは短く呼びやすくする為のものだと認識していた鉄心には軽く衝撃だった。長くなった上、言いにくい。ただキチンと発音できなくて「ミューミュー」になっても良いらしい。理由は可愛いから。ちなみに鉄心も「ミウミウ」呼びが許されていたりするが、試しに一度読んでみたところ変な空気になってしまった。ただ鉄心の方は名前をもじったあだ名をつけられている手前、今まで通り苗字呼びのままだと仲良くなるのを拒否したようにも解釈されかねず、結局下の名前をそのまま呼ぶことで落ち着いた。
一階の西側から外に出て気付いたのだが、渡り廊下はT字になっていて、南北に分かれていた。鉄心があっちは何だろう、と訊ねると田中が渋面で答える。
「北側の豪華なヤツは貴族様の食堂だよ」
「ああ……」
この国、いやこの世界の貴族は殆どが魔導士であり、かつアタッカーの役割を担う。優れた才を遺伝で受け継ぎ、それを遺憾なく発揮し国と民衆を守る代わりに特権を許される階級。高潔な戦士。読んで字の如く貴い一族。確かにかつてはそうだったし、大戦期に挙げた武勲が評価され、貴族に列せられた者も多数いる。
が、今や腐敗の象徴として人々に疎まれる存在へと変わりつつある。大戦期の英傑から数えてニ代ほど代替わりした家もある。そんな家の歳若い当主や、御曹司・令嬢たちは甘やかされて育った者が多く、幼少から平民が傅くのが当然の環境に置かれた為、容易く増長した。ルウメイ皇国のバカ皇帝、バカ貴族たちの愚行は、世界中の人間を激高させたが、実は自国の未来図かも知れないという危機感をも同時に抱かせたものだった。
食堂は思ったより混んでいなかった。北の貴族用学生食堂(いや外観は完全にレストランだったが)に、やんごとなき連中が流れ、二つの食堂で客が上手く分散されているようだった。
「向こうもアタシらみたいな下賤の者と同じ空間で食べるのは嫌なんだろうし? こっちもあんな連中が視界に入ってたら飯がマズくなるから、つまりウィンウィンよ」
田中の言葉にグループの四人全員が何度も頷く。どうも蛇蝎のように嫌っているようだ。
「日本は貴族文化とか無いし、最初マジでカルチャーショックだったよ」
「一回街で見かけたんだけどさ、マジでゴミを見るような目でこっち見てきてさ。しまいにはSPみたいな人らに無理矢理道開けさせられて……」
美羽に上原も続く。
「……最悪」
ひときわ寡黙な浜垣まで加わった。つまりグループの総意だった。
「あー、そうか、皆はちょっと前からこっちに居たんだっけ?」
「そうそう。こっち九月入学だから、それまでの間に日本の方で語学学校通って、そこで知り合ったんよね、みんな」
田中が残りの三人の顔を見る。
「で、入学式の一週間前くらいに入国したんだよね」
そして新生活の準備に色々ショッピングしている最中に件の傲慢貴族を見かけたという事らしい。
「そうそう、だから私らテッちゃんより少しだけ土地勘とかあるから、お店とかで何か困ったことがあったら言ってね?」
美羽が身を乗り出し、微笑みながら優しい言葉をかけてくれる。愛らしい丸顔に、心が和む。ついでに気も緩み、つい視線が下がってテーブルの上に乗っかる二つの大きな魅惑の果実を視界に収めてしまった。
(やばいやばい。こういうの結構気付かれるんだよな)
視線が下がったのは俯いて考える為だとアピールするように少々わざとらしいが顎に手など当てておく。これで鉄心は誤魔化せたつもりになっているのだった。ただ美羽の方もある程度この手の視線には慣れているし、(もちろんガン見されると怖いが)ついチラリと見てしまうくらいは男性の生理として仕方ないんだろうな、と諦めている。それに先程は自分から彼の顔を胸に抱いてしまった。ノリと勢いと、教室の熱にあてられて、随分大胆な行動を取ってしまったのだが、不思議と後悔は湧かなかった。むしろ実家で飼っているネザーランドドワーフを抱っこした時のような、慈しみに似た感情すら抱いた。男性にあれほど密着するのは産まれて初めてだったので、他の男性でも同じような気持ちになるのかは不明だが、どうも直感的に違うと分かる。彼が特別なのだろうと分かる。相性が良いとか波長が合うとか、そういうことだろうか。
俯いていた鉄心(途中から演技でもなく普通に考えこんでいた)だったが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「何? 言ってみて」
美羽の声はやはり優しかった。
「それが実は昨日こっち着いたばっかでさ、何もかも足りない状態なんだよね。差し当たっては日本の食材が売ってるスーパーかな」
「あーそれなら、この辺いっぱいあるよ。学校の近くにもあるから、放課後みんなで寄ろう」
「……てか昨日て。テッちゃんギリギリすぎやん。入学式どころか昨日かよ」
まさか隣国で魔族と一戦交えてましたと馬鹿正直に言うわけにもいかず、曖昧に笑っておく。
「いや、寝坊しちゃってさ」
「どんだけ寝てたんだよ」
寡黙な浜垣がツッコんだギャップで軽い笑いが起こった。
やんや、やんやと姦しい昼食を終え、教室へと戻る途中。
(楽しい)
素直に思った。鉄心が所属する組織は、自分以外は大人が殆どだ。それに最近は任地を飛び回り、孤独な戦いが常態だった。なので同年代の女子たちと過ごす学生生活は非常に新鮮で、本当に楽しい。もちろんそれは、彼女たちの優しい人柄があっての話だ。まだ初日、深い部分は当然わからないが、それでも。
(人に恵まれた)
その感想は実は鉄心だけのものではなかった。彼は知らないが、平民クラスに一人だけアタッカー志望が居て、しかも男子で、さらにさらに入学式を理由も不明のまま欠席したなんて、警戒しないワケもなく。なので朝のファーストコンタクトは能天気な田中をして、手汗をかきながらの声掛けだったのだ。既述の通り、サポートを見下し横柄な態度を取るアタッカーは残念ながら確かにいる。平民でもだ。だから、「うちのクラスのエースは大丈夫そう」という認識はクラス全体を大いに安堵させたのだった。
「あ、ごめん。忘れ物」
美羽が踵を返す。走りだすと同時「先行ってて」と言い残すが、特に急ぐことも無いので皆、渡り廊下から校舎に戻る扉の前あたりに立ち止まった。美羽は自分が座っていた椅子のサイドテーブルに小さなポーチを忘れていたらしく、手に取ると駆け足で戻ってくる。待たせて悪いと思ったのか、軽くポーチを振りながら、グループの方だけ見て走っていた。それが良くなかった。
ちょうど北側から歩いて戻って来ていた女子生徒の三人組のうち一人と衝突してしまったのだ。お互いに尻もちをついてしまう。ポーチが転々と跳ねる。
「ちょっと! どこ見て歩いてんの平民!」
麗らかな秋晴れの空に怒号が響き渡った。