第39話:貴人閑居して
メノウが再び懐に手を入れ、中から麻袋を取り出す。何でも出てくるあのマントの下が気になるが、今は捨て置く鉄心。
「簡易のゲートを作り出す装置が入っている。魔力を注ぐだけで使える優れものだ」
以前彼が使った小型のゲート、ということだろうか。
メノウは袋から中身を取り出す。現れたのは真鍮(似ているが恐らくは魔鋼鉄だろう)のドアノブだった。鈍い光沢の上を、雨の雫が滑っていく。
「以前トンズラかまされた時はそんなの使ってなかった気がするが?」
鉄心が記憶を探るが、ゴソゴソやっている暇など与えた覚えはなかった。
「これは人間用に特別に用意した物だ。ノブの形をしているのも、馴染みやすかろう?」
やはり思った以上に人間の文化風俗に明るい。これがメノウだけの事なのか、十傑全体の事なのかは鉄心たちには分かりかねるが。
「全部で九個入っている。一つは人間界側の拠点に置いておくと良い。魔界から戻る時、そこにゲートが開く」
つまり一つは、所謂リスポーン地点に安置するため、実質は八回、往復四回の使用でケリをつけろ、と言うことのようだ。
「もう少し予備を貰えないだろうか?」
オリビアが交渉しようとするが、
「いや、キミたちが私を信用しきれないのと同じように、私もそこまでの信用は置けない。余りを悪用されたら敵わない」
にべもない。実際、今の所あちらが一方的に自分たちの情報を開陳しただけだ。その上、ゲートを発生させる装置まで貰った。更に数をくれ、と言うのは流石に通らなかった。
「余らなくても、それを今から俺たちが研究機関に持ち込むとは考えないのか?」
鉄心が底意地の悪い笑みを浮かべながら言った。
「その研究施設が爆発しなければ良いがな」
メノウが飄々と返す。腐っても魔族ということ。人間の命など塵芥ほども介さない。最初に彼が言ったように、利害が一致する範囲以外は所詮敵同士だ。
「さて。話しすぎたな。餓魔花が自生している場所などは、実際にキミたちが魔界に来てから話そう」
そう言うや、メノウが指を鳴らす。すると美羽の「きゃっ」という短い悲鳴が聞こえた。鉄心が後ろを振り返ろうか逡巡するうち、羽を広げ瞬く間に飛び退るメノウ。途中でトンファーを回収し、そのまま後ろに跳ねる。すると寸分たがわず真後ろに、開いた状態のゲート現れ、止める間も声を掛ける暇もなく、ゲートの向こうへ姿が消え、そして門扉が閉じた。鉄心は舌打ちしながら振り返る。
「大丈夫だ。さっきの草を入れていた箱が消えただけだ!」
振り返ると同時くらいに状況を把握し終えたオリビアが声を上げた。
言葉の通り、忽然と箱だけ消え失せ、白くなった花だけが美羽の掌に乗っていた。いかなトリックか全く分からないが、魔力を通さないという貴重な金属のサンプルを失った。いや、最初から渡す気はなかったということだ。
「食えないヤツだな」
鉄心の総括と共に突然のエンカウントは終わりを告げた。
一方その頃、完全に蚊帳の外となっているメローディアは、王城の中にあるプライベートルームで休んでいた。先程まで祝勝パーティーなる催しに参加していたのだ。バカバカしいことこの上ないと思いつつも、女王陛下直々の招待は流石に断れなかった。
「役人たちは今もてんやわんやなのに」
その上に立つ者たちは暇を飽かしている。良い御身分、というイヤミの常套句は今の状況のためにあるのではないか、とまでメローディアは思う。
と、そこでドアがノックされる。給仕が気を利かせて飲み物でも持ってきたかとも思ったが、会場内なら兎も角ここまで来るのは不作法だ。訝かしみながら誰何を訊ねると、
「ワタクシよ、メローディア」
少し高い、澄んだ声が答える。メローディアはパッと立ち上がり、急いで錠を開け、声の主を部屋へ招き入れた。
彼女と同じ豊かな金髪、四十をゆうに超えてなお美しい尊顔。その作りもどことなくメローディアを彷彿させるのは、二人が親戚同士ゆえか。
ゴルフィール王国現国王、ノエル・ディゴールその人だった。
「おば様」
と呼ぶことを許されている。本当の叔母と姪ではなくもう少し遠縁なのだが、親しみを込めてそう呼ばれたい、というご意向なのでメローディアには是非もなし。子供の頃からそうしていた。
「今日はごめんなさいね? 急で」
ノエル女王は人前ではもう少し威厳のある喋り方をするのだが、気心の知れた相手には、こういう女性らしい口調だ。
「いいえ。とんでも御座いませんわ。こういう会も国の団結には必要と心得ていますもの」
これは本音だった。メローディア自身は好かなくとも、国難を乗り切ったのだから、それを祝い、愛国心を確認し合う場を持つことは全く悪いことではない。問題があるとすれば、今も事後対応で働きずくめの平民官僚たちは当然呼ばれないし、労われることもない、という一点。
そして彼女が目下ベタ惚れ中の薊鉄心もまた、十傑から少女を守るという新たな使命のため動き出している。そんな中、自分だけ遊び呆けるようで非常にバツの悪い思いをした。現状に対して他の貴族たちは何も感じないのだろうか、と煽る気持ちなど抜きにして、純粋に不思議だった。
「薊鉄心くんも来られたら良かったのだけど」
急に自分が考えていた相手の名前が女王の口から飛び出し、メローディアはドキリとした。そして口振りからするに、予定の確認に使いでも出したのだろうかと推察できる。だが鉄心からはそんなこと聞かされていない。彼女の顔中に疑問符が浮かんでいたのだろう。女王は小さく笑い、一枚の手紙を差し出した。
受け取り、読み進めるうち、メローディアの顔から生気が消えていく。
「おば様! 彼はちょっと、その、何と言えば良いか、えっと」
しどろもどろのメローディア。その様子が可笑しくて、女王は口許に手を当て上品に笑った。
何が書かれていたかと言うと、鉄心の直筆で、
<お招き、誠に光栄ですが、謹んで辞退させて頂きます。薊は忍、影の一族なれば、光の下に出して何の役に立ちましょう。また小人ゆえ遊興に耽るような暇もございません。悪しからず>
とあった。全文ままである。作法もクソもあったものじゃないが、それより問題は内容だ。
「恐ろしい子ね。貴族様は勝手に日向で遊んでろ、こっちは暇じゃないんだよ、って」
意訳すればそうなる。
「平良は家全体があまり権力と関わりたがらない傾向があるけど、流石に他国の王直々の招待を断ったというのは聞いたことがなかったから、本当にビックリしたわ」
それは当然だ。国王とはその国の象徴であり、その存在を軽んじるということは、国全体に喧嘩を売るに等しい。今回の件も、もしノエル女王がこの事実を公表でもすれば、大袈裟でも何でもなく鉄心は国ごと敵に回すことになる。
こんな返書、なぜ通ってしまったのかと言うと……本日の朝食が終わった後、夕方までぽっかり時間の空いた鉄心はジョギングがてら、事務所へ魔族の血を取りに行った。案の定、届いており、ほくほく顔で外へ出ると、ちょうど事務所に向かって歩いてくる男と目が合った。王城からの使者だった。聞けばオリビアに手紙だと言うので、自分は彼女の部下だと告げ、少し見せてもらったところ、宛名が自分だったので、その旨伝え、事務所で急いで返事を書き、そのまま渡したという経緯だった。寒い中待たせても可哀想だと思い、走り書きの推敲無し。末端を気遣い、王にはおざなりな対応。完全に結果論ではあるが、車を出してオリビアもついて行くべきだったようだ。
メローディアは慌てて事情を説明する。十傑の脅威に対応する為に今は東奔西走しなくてはいけない時期だということを懇切丁寧に。他言無用とは言われているが、口を噤んで鉄心の首が飛んでは意味が無い、と必死だった。
「そう……そんなことが。こちらとしても恐ろしい脅威なのだけど、現状、一度打ち負かしている薊くんに任せる以上の方策は無いのよね。国の最高権力者として恥ずかしい限りだけど」
「いえ、そんな」
「そう考えると、ワタクシに出来る最大の協力は彼の邪魔をしないことかしら……小人ね。一体どちらが……」
もちろん鉄心の謙遜だが、女王は身につまされる心地だった。場合によっては人類全体に寄与する可能性まで内包した重要な局面に立ち向かう少年に、いい大人がパーティーに来い等と。もはや返事を書かせる手間を取らせたことこそ申し訳ないくらいではないか。
「カッコイイわよね」
「え?」
話の流れには沿っているが、少し趣が変わった。女王は少し悪戯っぽい笑みを浮かべている。というのも、これまで男に一切の興味を示してこなかったメローディアが、あれほど懸命に擁護するなど、考えられる可能性は一つだった。
「惚れたのかしら?」
途端、昨夜ワサビが効きすぎた寿司を頬張った時のようにメローディアは真っ赤になった。上手い誤魔化しを考え、考え、結局思い浮かばず、
「……おば様には隠せませんわね」
と観念した。




